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4話#もう届かない


「はぁ……はぁ……はぁ……」



立派な屋敷の一室の中央には大きなベッドが置いてあった。ベッド上にはまだ4歳を迎えたばかりの少年が瞳を閉じたまま荒い呼吸を繰り返し、額に汗を浮かべている。少年の肌は痣のような青紫の発疹が全身を埋めつくし、小さな体を蝕む重い病に冒されていた。その隣には心配そうに寄り添う女性がひとり───


「女神の癒しを回復魔法(ヒール)



女が祈りを捧げるように詠唱すると少年の体からは痣が消え、親譲りの美しい容姿に戻る。しかし荒い呼吸は繰り返され瞼は重く閉じられたまま、完治には至っていない。悔しそうにため息をつく女性の肩に、その夫がそっと手を乗せる。



「リタ、君も休むんだ。君まで倒れたらアシュレイの望みが消えてしまう」

「マイン様……私は大丈夫…………ううん、横になろうかな」

「あぁ、ゆっくりおやすみ。私はまた出かける」

「うん、いってらっしゃい」



マインラートが妻のリタと息子アシュレイの額に軽いキスをして名残惜しそうに部屋から出ていくのを見届けると、リタは窓辺のソファに体を預ける。



魔王討伐後、マインラートは国王陛下より新しく公爵位クライスの家名を貰い受けた。リタはクライス公爵夫人となり子供アシュレイも生まれた。そして貴族の生活にも慣れてきた頃、アシュレイは4歳を迎えてすぐに原因不明の奇病に冒された。



リタの回復魔法では表面の肌に現れた症状を緩和し、病の進行を抑えるので精一杯だった。もちろん最上級ポーションを手に入れて使い、一時は回復したが、完治には至らず尚もアシュレイを苦しめている。ポーションは使いすぎると魔力中毒になる可能性もあり、短期間に何回も使うわけにもいかない。

病の専門の治癒師、毒専門の薬師、縋るように呪術師にも見せたが全員に首を横に振られていた。ここ数年で発見された病で治療法が確率されていない、不治の病。

それでもリタはヒールを施し続け、マインラートも諦めず外交を通じて国外にも治療法を探していた。



本当は助かる可能性のある方法はたった一つだけだあると二人は分かっていた。魔王城で瀕死だった勇者の命を救った奇跡の力のみ。

人々はリタに何度も進言したが“既に失われた力”であると公言し、マインラートもリタを責めることなく庇った。周囲は聖女が乙女を失ったと同時に奇跡を失ったと勝手に解釈したが、元から奇跡の力などリタには無かった。

この事を知るのは『私たちだけの一生の秘密だ』とリタと共に嘘を背負ってくれた夫のマインラートだけだ。



しかし目の前で奇跡は確かに起きたのだ。どうしても再び奇跡を起こしたいと願うリタの頭には一人の幼馴染みの姿が浮かび、切望してしまう。



「ネイト……助けて……」



誰よりも自分を愛してくれていたのにも関わらず、裏切って突き放し、別れを告げた元婚約者にリタは会いたくて堪らなかった。

奇跡を起こせたのはネイトがくれた御守りがあったからだった。ネイトはポーションと言っていたが、御守りを使ったリタと使われたマインラートだけはそれが“エリクサー”だと知っている。


どんな傷も癒し、どんな病も取り除き、どんな呪いも解いてしまう伝説の万能薬。“女神の涙”や“聖水”と呼ばれることもある命の水がエリクサーである。ネイト本人もエリクサーが出来上がったとは気付いておらず、本当に奇跡の偶然の産物だった。



リタとマインラートは他にエリクサーがないかと大陸中を探したが、作れる錬金術師はネイト以外に存在しなかった。


リタはアシュレイのためならば何をしても良いと覚悟はあった。ネイトに床に頭を着けて謝罪してもかまわない。ネイトが望むならお金も積み上げるし、マインラートと離婚でもなんでもするからもう一度エリクサーの生成を………………と望みそうになるが、リタはその考えを消すように頭を振る。



「ネイト……どこにいるの?」



この言葉がネイトに届かないと知ったのは4年も前になる。アシュレイが生まれ、孫の顔を両親に見せるために約2年振りにお忍びで故郷に里帰りをした。

そこでリタは両親に告げられたのだ。ネイトが希少な薬草を探しに入った王都の森で行方不明になり、1年間見つからず死亡扱いになったと。




(もう会えない人に頼ることなど出来ないのに、縋ろうだなんて情けない……何が聖女よ!あぁ、これは神罰なのだわ)



純粋な元婚約者(ネイト)を裏切り、世界を欺き、私欲で勇者を巻き込みむという聖女にあるまじき行為。あの時はこの選択が最良だと思っていたのに、今はもう分からなくなっていた。




(ごめんなさい、ごめんなさい、神様……あの子だけは……どうか……)



アシュレイの寝室では、ソファの上で膝を抱えたリタの啜り泣く音が小さくこだましていた。






「リタ、希望が見つかった!」

「どういうこと!?アシュレイは治るの?」



数日後、慌てた様子で屋敷に帰って来たマインラートの言葉にリタは椅子から飛び起きて駆け寄る。


「まだ確実ではないが、リタの母国で最近になって開発された新薬を試せるかもしれない。成功例はまだ2名だけだが……懸けるしかない。ニルヘイヴ国王から許可は得た。あとは…………開発者のナンバーズの気分次第らしいんだが……」

「気分だなんて……いいえ。ナンバーズならそうよね」



“ナンバーズ”と聞いて一瞬浮かれそうになった気分を抑える。

ナンバーズはリタの母国ニルヘイヴの国王直轄の部下とされる存在。あらゆる分野で突出した才能を持ち、国籍関係なく生きた国宝として国王自ら保護している正体不明の天才たち。



魔王討伐の時にもファイブの名を持つひとりの魔術師が参加していた。神託を受けた魔術師よりも魔力量を保有し、戦闘においても勇者マインラートの強さには及ばないもののトップクラスのレベルだった。知識量は誰よりも豊富でまさに賢者のような頭脳。ではなぜファイブが“賢者”の神託を受けなかったかというと性格に問題があった。


新種や未解明の魔物が現れた時だけやる気が上がり、進軍のスピードを無視してターゲットを倒す。「あーはははは!神よ、新しい知識との出会いに感謝する!ははは!」と笑いながら勝手に解剖を始めるのだ。まわりはドン引きである。

どんなにレアな魔物でもナンバーズが興味を持てなければ、仲間が追い込まれない限り手を出さなかった。性格破綻者に神の掲示など与えられるわけなかったが、確かに実力は本物。リタもマインラートも何度も助けられた。

ナンバーズの協力は嬉しい知らせではあると同時に、取り扱いに不安が募る。



「マイン様、ナンバーズの方から何が条件はあるの?」

「それが患者と話してみてから治療するかどうか決めると。アシュレイの回答次第だそうだ」



子供ひとりの命がかかっているというのにナンバーズは相変わらず壊れている、と言いたげな夫の腕にリタは寄り添って気持ちを落ち着かせる。



「すまない……ナンバーズの前では勇者の名も全く意味がなかった。見返りもいらないと」

「お金も権力も無価値なのね……」



マインラートは胸ポケットから1通の手紙を取り出し、リタに渡す。封筒の中身は一枚だけで、要望が簡潔に書かれていた。




一、ナンバーズの素性は詮索しない。正体を明かすような行為があれば協力を拒否する。

一、ナンバーズが患者と面会、診察して治療不可能と判断した場合は従うこと。

一、ナンバーズの気分を損ねる行為はしないこと。





リタは注意書を読み終えると、マインラートに封筒を返す。何も出来ることなどなく、無力であることを突き付けられただけだった。






いよいよ当日、リタとマインラートは玄関で緊張した面持ちで待機していた。外は厚い雲から雨がしとしとと降り続き、暗い空は二人の心を表すようだった。

そんな彼女たちの視線の先では馬車が屋敷の門を通過した所だった。



「どんな人が来るのかしら。どのナンバーなのか分からないのが怖いわね」

「アシュレイが助かるなら誰だっていいさ」



不安で身を強ばらせるリタをマインラートはそっと肩を抱き寄せ、以前よりずっと細くなってしまったリタの肩に乗せた手に力が入る。マインラートも己の無力さを痛感していた。



目の前に大きな最新鋭の魔導馬車が停まり、御者が扉を開くと中から真っ赤なローブを纏った小柄な人が降りてくる。漆黒の癖のない腰まで伸びる髪を揺らし、幾重にも術を重ねた大きなイヤリングを光らせ、顔には『Ⅴ』と刻印された銀の仮面をつけている。仮面に空けられた穴から見える燃えるような赤い瞳は、ふたりを視界に捉えると細めらた。



「やぁ、魔王戦以来だから6年ぶりかなぁ?はははは、久しぶりぃ。勇者くんと聖女ちゃん」

「お久しぶりです。まさかファイブの貴女が来られるとは」

「お久しぶりです。レディ・ファイブ様」



予想外の人物の登場にリタとマインラートは動揺を悟られないように、にこやかに歓迎するが気が気でなかった。ファイブの人格を知る二人は、奇病のアシュレイを解剖してしまうんではないかという恐怖が頭を過っていた。

そんな二人の心境を他所にファイブは玄関からホールを見渡して、リタに視線を落とす。


「相変わらず勇者は勇者だねぇ。無駄にキラキラしてて煩い顔だねぇ。で、聖女ちゃんは随分と貴族っぽくなったかなぁ?ねぇ、聖女ちゃん……ずぅっと待っていた幼馴染みを裏切ってまで手にいれた生活はどうだい?楽しい?」

「────っ!?」


想いもよらぬ話題にリタは動揺を隠せず、足元が崩れそうな感覚に陥る。ファイブはその様子を見て満足そうに言葉を続ける。



「裏切られ、捨てられた彼、どうなったか知ってる?…………ふははは、その顔は知ってそうだねぇ。本当に行方不明だと思う?アタシはね、自ら姿を消したんじゃないかって思うんだぁ~きちんと話もできず、突き落とされ、味方もいなくて、でも薄っぺらい同情を寄せられて……彼、とっても惨めで辛ぁーい気持ちでさぁ…………それって、聖女ちゃんのせいじゃないの?」

「…………っ」


「リタしっかり!ファイブ、貴女は」



容赦ないファイブの指摘にリタは遂にその場で崩れそうになり、マインラートが急いで支える。自分が目を逸らしていた罪を言い当てられ、リタは何も言い返せない。


「おいおい、勇者くんはどうなのぉ?」



するとファイブの矛先は次はマインラートに向けられる。



「私は……確かに彼を傷つける選択をした。しかし私は彼に恨まれてもいい覚悟をもってリタを求めた。きちんと彼にも恨むなら私を……と」

「うっわぁー最低だぁ!これだからチヤホヤ育てられたお坊っちゃまは」



首を横に振りながら、呆れたようにため息をつく。


「人を恨むってどういうことか分かってるのぉ?気持ちは負に向かうようになり、楽しめていたことも色褪せ、心を蝕み、疲弊させ、殺す事なんだよぉ~勇者くんはそれを純粋で穏やかな青年に業を背負わしたんだ…………あはっ!さすが勇者くんは敵には容赦がないねぇ」



マインラートすら奥歯を噛み締めて耐える姿に、離れて状況を見守っている使用人たちも動揺が隠せず、青ざめたり、口元を手で押さえる。ファイブはまるで喜劇を語るように言葉を並べていく。




「使用人たちにバレちゃったね~崇拝していたラブラブ勇者夫婦の結婚の裏で起きた青年の悲劇!恨まれてもかまわない愛の力はなんて素晴らしいんだろうか。まさに純愛!つまり復讐すら受ける覚悟があるということだよねぇ?」

「………………」



「でも彼はもういない。でも彼の恨みが残っていたとしたら、誰かが代行しても不思議ではない。たとえば……ア・タ・シが」

「ファイブ……っ!」

「ふはっ!良いの?そんな強気で……」



マインラートの睨みも飄々と流してつかつかと歩き、ファイブは顔を寄せて二人だけに聞こえるように囁く。



「アタシ知っているんだよ。奇跡の力は幼馴染みのお陰だって……幼馴染みの恩を仇で返してるんだ。復讐されても文句は言えないよね」



いつものふざけた口調は消え、怒気が含まれた声に二人は青ざめる。自分達の嘘のせいでファイブの機嫌を損ねてしまった……アシュレイの命はどうなるのかと恐怖した。




「ははは、二人とも良い顔だねぇ………………はぁ、でも飽きた」

「ま、待ってくれ!アシュレイだけは頼む!」

「ファイブ様!復讐なら私たちだけに!お願いします!あの子には何の罪も無いんです!」




もう用は済んだとばかりにローブを翻して外に出ようとするファイブをマインラートは腕を掴み引き留め、リタも縋るように床に手をついて頭を下げる。



「ふん、それアタシじゃなくてこっちに頼みな」

「「!?」」


「治療するかどうか決めるのはアタシじゃなくて、セブンだから」

「「え?」」


「さぁご対面だよぉ」


唖然とする二人を鼻で笑い、パッとマインラートの手を振りほどいてファイブは自ら馬車の扉を開く。

するとファイブと同じ真っ赤なローブを纏った男らしき人がもうひとりが現れる。ローブのフードを深く被り、髪も瞳も隠され、骨格からなんとか男であるとわかる程度。



「7番目の新人だよぉ。セブン、公爵夫妻にご・あ・い・さ・つぅ~はい」



先輩風を吹かせてファイブがセブンと呼ばれる男の手を引いて呆然としたままのリタとマインラートの前に立たせる。そしてセブンと呼ばれる男を下から覗き込む体勢のリタは釘付けになった。

だって彼はもう……と自分の期待を否定するが、仮面から見える懐かしい瞳の色から目が離せなかった。




ファイブと違ってセブンは礼儀正しく胸に手を当てて軽く会釈をする。すると片口で一つに纏められた少し長めの灰藍色の髪がフードからさらりとこぼれ落ちた。


「クライス公爵、奥様、()()()()()。ナンバーズがひとりセブンです」


その声を聞き間違えるはずはなかった。リタは口に手を当てて叫びそうになる声を必死に堪える。目の前には四年前に自分のせいで消えたと思っていた仮面のネイトが立っていた。



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