3話#平和が崩れる時
「ネイト……ポーション……予備のポーションを……うっ」
「レイグル様!!またあなた様は無茶を!」
額に大量の汗を浮かべたレイグル王子が現れ、ネイトは顔を青ざめさせる。レイグル王子をすぐに簡易ベッドに寝かせ、怪我のレベルを見て上級ポーションを選ぶ。患部に注ぐとゆっくりと傷口は消え、ふたりは同時に安堵の溜め息を溢し、肩の力を抜いた。
「レイグル様……部下が大切なのもわかりますが、もう少しご自愛下さい。王族なのですから……僕は心配でなりませんよ」
「俺が見栄っ張りなのを知ってるだろ?だからネイトも何だかんだ言って、俺専用の隠し在庫を確保してくれてるんだろ?」
へへっと笑うレイグル王子に図星を突かれネイトは口をへの字にして黙る。
王宮に来て半年ほど経つが相変わらずレイグル王子は部下を優先しすぎて、ギリギリまで自分を後回し。しかし結局辛くてネイトにポーションが欲しいとヨロヨロの足取りで何度も来ていた。お陰で随分と親しくなったのだが、軽くはない怪我を見るたびに寿命が縮みそうになっていた。
レイグル王子は見栄っ張りだと自嘲しているが、見栄を張るのは全て部下のためだった。王族で、討伐の先頭に立つ者が弱いところを見せるわけにはいかない。尚且つ今は魔王の恐怖に晒され、騎士たちにも常に不安がつきまとっている。レイグル王子こそが最強であると皆に思わせ、騎士が安心して背中についてこられるよう希望を与えているのだ。
それを分かってしまっているネイトは止めろとは言えず、アイザック室長黙認の上でポーションを確保していた。
「それよりネイト……まだ王宮錬金術師になる決心はつかないか?他の錬金術が使えなくても、お前のポーションの腕前は一流だ 。俺の名で王宮試験も特例でパスできる」
「ですが僕は……」
もう何ヵ月も前からレイグル王子とアイザック室長からは誘いを受けていた。ネイトはアイザック室長よりも安定した最上級レベルのポーション生成を可能とし、生成量もずっと多かった。
レイグルは国として優秀な人材を確保したい所だったが、ネイトは困ったような笑みを浮かべることしかできない。
「聖女候補リタの存在か…………彼女も王宮に招くこともできるぞ?」
「であれば尚更です。彼女の意思も確認してから決めたいのです。それまではきちんとここで仕事をしますから。どうかお待ち下さい」
「分かったよ。あぁあ、残念」
「申し訳ありません。我が儘を聞いてくださり有難うございます」
権力で縛ることも出来るはずなのに、自分の気持ちと都合を尊重してくれるレイグル王子に頭を下げて心から感謝した。
ここにいる間は期待に応えたいと、気合いを入れ直したネイトは止まっていた作業の手を動かしはじめ、レイグル王子はソファでいつものように寝はじめる。ちなみに疲労困憊のアイザック室長はレイグル王子の入室にも気がず、研究室の床で寝袋に入って死ぬように寝ていた。
バン、バン、ババン!
「うわ!?なんの音!?」
「おいおい、もしかして!まじか!まさか!」
突然聞こえてきた花火の音にネイトはパニックになり、レイグル王子は期待したように目を輝かせる。
「レイグル様……?」
「俺は本部に確認してくる。ネイトはここで待ってろよ!伝達を向かわせるから。おい室長起きろ!おそらく教会から祝祭の花火が上がった。すぐに上層部は召集されるぞ」
「ぅ……うぅ……」
レイグルは飛び起きてテキパキと着崩れていた身なりを整えて、過労で寝ぼけるアイザック室長を背負って研究からあっという間に出ていった。
状況についていけず取り残されたネイトだったが、はしゃぐ様子を見てじわじわと待望の日がきたのかと期待を膨らませた。
『魔王討伐達成』
数時間後には国から正式に発表され、その知らせは大陸中に広まり、世界は喜びに溢れた。
王宮内は身分関係なく抱擁を交わし、王都では食事が無料で振る舞われ、皆が祝杯をあげながら歓喜した。お祭り騒ぎは3日間夜通しで行われ、そのあとも国民は王国新聞の記事を読んでは何度も浮かれていた。
討伐から1週間後の新聞の一面には大きく“ニルヘイヴ王国出身の聖女誕生”と書かれていた。
記事の内容を要約すると以下の通りだ。魔王城にて魔王を追い詰めるも激しい抵抗に合い、勇者は致命傷ともいえる怪我と呪いを受けた。どんなに他の治癒師がヒールを施しても勇者の命の灯火は弱まる一方で、誰もが助からないと希望を失いかけた。その時、聖女候補の一人が奇跡を起こしたのだった。復活した勇者は見事魔王の討伐を果たし、平和に導いた。その立役者となった聖女の名は……
「─────リタ」
新聞記事の続きを読むように愛しい人の名前を口にしながら、ネイトは一年前『聖女になってやるわ』とリタが宣言したことを思い出していた。
新聞を手にするより早くレイグルから知らされていたが、新聞記事を読んで改めて現実になったのだと喜びで心は満たされていく。
(リタがようやく帰ってくる。もうすぐ会える。どんなご馳走を用意しようか。彼女は肉より魚が好きだから、港町まで旅に出て……いや、疲れてるよな。少し高いけど氷魔法を施してもらって取り寄せようか……早くリタに会いたい……リタ……)
リタに早く会えるようネイトは各方面にお願いをしていた。まずは故郷のリタの両親に帰宅の連絡があれば知らせて欲しいと手紙を書いた。また聖女となったリタは故郷より先にニルヘイヴ王国の王との謁見があるかもしれない。レイグル王子にはその情報があれば教えて欲しいと頼んでいた。
レイグル王子もネイトがその間も王宮でポーション作ってくれるのであれば喜んで!と引き受けてくれた。
そうしてネイトは知らせが来る日を切望しながら、落ち着かない日を過ごしていた。
しかし、リタの知らせは一向に来なかった。
1ヶ月目は当然だと受け止めた。魔王が倒されても、すでに生み出された魔物が悪さをしていたからだ。またまだ戦わなくてはいけない。レイグル王子の忙しさを見て当たり前だ……と平常でいられた。
2か月目も納得した。ポーションやヒールで怪我や疲労はある程度回復しても、精神的疲労の回復には時間がかかるから仕方ない。近くの国で療養しているのだろう……と自分に言い聞かせた。
3ヶ月目になるとネイトのため息が増えた。国から派遣され、役目を終えた騎士たちが少しずつ帰国しはじめている中、リタは一緒には帰国しなかった。聖女なんだから……と思い付く理由を並べて寂しさを飲み込んだ。
思いが募る期間、ネイトを支えたのは前線にいた人たちからの感謝の手紙だった。生成者がネイトだとは公には伏せてあるため宛名はないが、レイグル王子が帰還した騎士たちから預かって来たと研究室に手紙を置いていったのだ。
騎士の数に対して治癒師が少なく死ぬかと思った。急に増えたポーションに命を助けられた。仲間と生き延びれた。家族と再会が果たせた。ありがとうと綴られた手紙は何通にもなり束になっていた。
中には生成者が男だとは知らず、“あなたこそが聖女だ”と求婚を仄めかす内容も含まれており、男でごめんねと思わず笑ってしまった。ネイトは寂しくなると届いた手紙を読むようにしていた。
そして4か月目、ついに知らせが来た。しかもリタの両親からでもなく、レイグル王子からでもなく、愛読している新聞で知ってしまった。
『勇者と聖女が婚約』
文字の意味が分からずネイトは椅子に腰を抜かし、新聞はそのまま手から落ちて床に広がった。意味を理解したくなかった彼は、ただただ他人事のように床に散らばった記事を茫然と眺めるしか出来なかった。
「ネイト!大丈夫か?」
「ネイト殿しっかりなさい」
「あれ?レイグル様と室長……午前は会議では?」
声をかけられネイトが虚ろな視線をあげると、レイグル王子とアイザック室長に呆れた顔があった。
「とっくに終わって今は昼だ」
「え?いつのまに……」
信じられず時計を見るが完全に昼を過ぎていた。目の前のテーブルには選別途中の薬草が鎮座しており、完全に作業が遅れてしまっていた。
「す、すみません、僕。今すぐに」
「無理するな。今はまだ在庫に余裕はあるから。あぁ……くそ、会議してる間に新聞が先に出回ってたか」
「全く新聞社の情報は相変わらず早い……内容も正確なようですよ殿下」
取り乱すネイトを止めるレイグル王子は苦虫を潰したような顔になり、室長が落ちた新聞を拾って眉間に皺を寄せた。二人の様子にネイトは新聞記事が嘘ではないと突きつけられ、浮かした腰をまた椅子に沈めた。
「すみませーん、室長の助手ネイト様にお届け物です」
「はいはい、ネイト殿は取り込み中なので私が受けとります」
沈痛な空気を無視するような伝達係の明るい声が部屋に響く。こんな時に……と面倒臭そうにアイザック室長は荷物を受け取るとネイトの膝に乗せた。故郷のリタの両親からだった。新聞記事は嘘だと書いててくれよと、ネイトは願いながら包みを破るように開け手紙を読む。それはネイトを更に絶望させるだけだった。
『ネイト様。突然のご報告失礼致します。娘のリタは勇者と婚約することとなりました。幼い頃からお世話になり、先に婚約していたネイト君には大変申し訳ないが、身を引いてください。私たちはリタの気持ちを尊重したいのです。どうかお許しください』
たった数行の手紙を読み終えて、荷物本体の箱を開けるとそこには手切れ金として金が納められていた。リタの両親が用意できる額ではないことから、公爵家の息子である勇者が出したのだとすぐに分かった。明らかな婚約破棄の一方的な通告。
「そんな……そんな……本当に……うぅ」
涙を溢すネイトの姿に、レイグル王子はその痛々しさに苦虫を潰ぶす。
聖女の存在に有り難みはあるが、レイグル王子は近くで助けてくれていたネイト派だ。こんなに一途に想う婚約者を残して、勝手に乗り換えた聖女なんざお前から捨ててしまえと言いたかった。たがその気持ちを押さえて、ネイトに知らせる。
「ネイト……今さらかもしれないがお前、本人に確認したいか?」
「…………できるんですか?」
「4日後、聖女リタは故郷の実家に数時間だけ帰る。お忍びで公表されていないが、国境を超えると連絡があった。今から出発すれば間に合うはずだ。会いたいなら馬車を手配してやる」
ネイトは迷わず頷いた。
そして身一つで手配された馬車に乗り込み、王都を出た。故郷に着くとすぐにリタの実家に行ったが留守。ではどこに?リタならどこに挨拶に行く?と考えるともう診療所しか思い付かず、歩みを早めて走り出す。
(まだ出発しないでくれ、間に合ってくれ……会いたい。話したい。少しでも……リタ、リタ、なんで!なんで勝手に!)
ネイトは馬車には乗り直さず全力で走った。裏道を抜け、診療所の通りにでると一台の豪華な馬車が一台停まっていて、診療所の入り口には屈強な騎士たちが立っていた。
ネイトは呼吸を整えながら診療所に近づく。元従業員と言えば通してくれるだろうか、と考えたが必要なかった。入り口の扉が開かれて賑やかな声が聞こえてきた。聞き慣れた懐かしい声、そして愛しい姿がそこに見えた。
「リタ!」
「────ネイト!?どうして」
ずっと会いたいと願っていたリタを目の前に、ネイトは自然と名前を呼んでいた。目を見開くリタはいつも着ていた質素なワンピースではなく上質なドレスに身を包み、まるでお姫様のように綺麗で見惚れた。そう、リタがお姫様に見えるのは隣に物語の王子ような勇者マインラートが立っていたからだった。
「リタ……僕は……」
「ネイト、中で少し話をしましょう。院長、奥の部屋を借ります」
リタがドレスを翻して診療所の中には戻っていくのを、ネイトは後ろからついて行く。久々に入った奥の部屋は全く変わっていなかった。さすがにネイトが作り置きしていたポーションは既に無かったが、愛用していた器具はそのままだった。テーブルに指を滑らせ懐かしむのを一瞬で終わらせて、リタと向き合う。
「リタ……僕は」
「本当にしつこい男ね!両親から手紙も、マイン様からも慰謝料が届いたでしょ?諦めてよ」
ネイトが問う前にリタから信じられない言葉を浴びせられる。
「───っ」
「討伐の1年ずっと一緒にいた勇者様に恋するのは当たり前でしょ?ネイトと違って地位もあって、金持ちで、格好良くて、惚れない方がおかしいわ」
「そんなの嘘だ」
「嘘を言ってどうするの?馬鹿なの?勇者と聖女が困難を乗り越えて愛で結ばれる……お伽噺でも定番でしょ。ネイトがマイン様を越えられることある?無いでしょ?」
ネイトは反論の言葉も出ず、縋るように名前を呼ぶことしか出来ない。
「ぁ……そんな、リタ……リタ……そんな」
「マイン様は私を幸せにしてくれるって神殿の前で素敵なプロポーズをしてくれたわ。大勢の人に祝福の拍手を送られて夢のような気持ちになった。マイン様は私を心から愛してくれているの。迷わず受け入れるのは当然よ」
まるでネイトという婚約者の存在は断る理由にすらならいとでも言うように、リタに突き放される。ネイトは口をハクハクさせるだけで、もう何も言えなかった。
本当はもっと言いたいことがあったはずなのにと、思いながら言葉にできない。こんな話ではなく、討伐お疲れ様だとか、お祝いのプレゼントは何が欲しいだとか、今更伝えても仕方ないことばかり頭のなかを駆け巡る。
まともな会話もしないうちに、ネイトとリタの間を遮るようにマインラートが部屋に入ってきた。
「リタ、そろそろ出発だ」
「あ……まだ……僕は」
「すまないが、予定があるんだ」
「──っ」
新聞で見た柔らかな微笑みはなく、マインラートの表情は全く読めず、ネイトは怖くなり後退る。現婚約者のマインラートから見れば、元婚約者のネイトはただの邪魔物だ。いい感情が無いのだと思い至った次の瞬間、マインラートはすっとネイトに頭を下げた。
「勇者様……何を……」
「ネイト殿、この度のこと許してくれなくても構わないが、謝罪はさせてくれ。私はリタに君という婚約者がいるのにも関わらず心惹かれ、気持ちが止められなかった。恨むのなら私を恨んでくれ。すまない」
「勇者様……」
「マイン様っ!私のために……もういいわ、行きましょう」
マインラートの行動にリタは感極まり青い瞳を潤ませ、部屋を出ようと手を引く。部屋を出る際マインラートは軽く目を附せるように頭だけを下げたが、リタは振り向くことなくその場を去っていった。
診療所の外で歓声が沸く。少し長居したため聖女が来訪していること広まり人が集まってしまっていた。皆先程まで修羅場だったのを知らず、「結婚おめでとう」「お幸せに」とリタたちに声をかけている。
ネイトは覚束ない足取りで歩いて診療所の出入り口に立った。誰もが馬車に乗り込もうとする笑顔の美しい二人に夢中でネイトには気がつかない。その眩しさが直視できずに、離れるように歩き出す。自分を置いて幸せの道に出発する馬車を見送ることなどできなかった。
その日ネイトは人混みに溶け込み、消えるように故郷を去った。