食事
自分から栞音に触れた事はなかった。
小さい頃やツッコミ、防犯的な意味で手を繋いだりした事は別として。
妄想上で様々な女性に触れた事はあるが、抱き寄せた栞音の感触は妄想以上に柔らかくて、見た目よりも小柄だった。
心臓がうるさく騒ぎ立てる。
昨日、奪われたから経験済みとはいえ、自分から触れる栞音の唇は、ゼリーのように柔らかったが、唇どうしの感触に衝撃が全身に走る。
「……」
唇を離した時、栞音の瞼は閉じたままで、その先を拒んでいないとメッセージを送っているように思えた。
「………」
首に顔を近づけると、鼻の息が先に栞音に触れたのか、栞音から小さな声が漏れた。
今まで聞いた事のない可愛くて、性欲を刺激する声に抑制のブレーキが効かなくなる。
首にかじりつくように押し当てて、栞音は自分の女だと刻印を押す。
はずだった…
しかし、首に唇が触れる前に、もう一つ人間の本能、空腹を訴える場違いな音が大きく鳴り響いた。
「ぁ……」
鳴らないように抑えていたのだが、抑制のブレーキが効かなくなったのと同時に腹の力も解除されてしまった。
「……やっぱり、たけちゃんてデリカシーない」
目をぱっちり開けた栞音は『オムライスよろしく』と言って風呂場に去ってしまった。
小走りで表情は耳まで真っ赤だったので、不満というより、恥ずかしさから一刻も早く去りたいという気分…だと俺は思う。
「コンビニで から揚げ、食っとけば良かったな」
キッチンで材料を出しながら後悔する。
「そしたら…」
自分が吐き出した言葉が墓穴となり、今さらになって俺も恥ずかしくなってきた。
「いかんいかんいかん。飯だ飯、飯を作らんと」
頭をぶんぶんぶんと振って強制終了させてから、タマネギを切り刻み、涙に耐えた。
タマネギ涙のお陰か、オムライスは順調に進み、チキンライスが出来上がる頃には栞音が風呂を終えて戻ってきた。
「いーにおい。そうそう、この匂いだよ。たけちゃん、チーズは入れるよね」
「もちろん」
「やったぁ」
食べ物の力もあってか、栞音から『不機嫌』は完全に消え去ってくれたようだ。
食事は簡単に終わってしまう。俺は空腹で、栞音は大好物メニューだから早くなるのは仕方ない。
「あー、やっぱり、美味しい。安定の美味しさだね」
褒められると嬉しいが、栞音が見せる食事の時にしか見せてくれない満面の笑みは、作り手にとってこれほど嬉しいものはない。
今日はキッチンカウンターにあるテーブルで隣あっているので、栞音の笑顔がさらに近くから見える。
「ご馳走さま、たけちゃん」
栞音の顔が近付いた。
「そして、ありがとう」
再び触れ合う柔らかい感触。
ただ、今までと違うものがあった。
栞音の頬に流れる涙。
その意味に気づいた時…
栞音は消えていた。




