赤い夜の真実
背中から聞こえてくる声は、昨日の夜を再現し始めた。
『昨日の夜、お前とあの者、栞音を部屋に残した。それは覚えているな』
「あぁ、北の大陸でも、ロケットを発射するって」
『北の大陸騒動は嘘だ。取り残されたお前たち人間の、見にくい言い争いや親愛を深めていく所を、ママに見て楽しんでもらうため。我々は狭い部屋に移動した』
「え、あれ、嘘? それって全部見られてた?」
『もちろん。特殊な植物を張り巡らせたから、鮮明にお前らの人間の見苦しい争いを鑑賞できた』
幼なじみの しょうもないネタで喧嘩し、研究所で起きた事を話してくれた栞音をハグしてしまった記憶が甦る。
「全部…」
怒りよりも恥ずかしさがこみ上がってくるが、カジュマルは同情どころか、謝罪すらなく淡々と話を進めやがった。
『ママは『人間の喜怒哀楽は、こんなに変化するのね』と、楽しんでくれていた。
あの男の出現も想定内だった。
…はずだった』
次の言葉が出る前に僅かな間があった。もし、人型の姿だったら首を横に振っていたんだろう。
『お前らが獣のような声を上げ、想定外の事態だと気づき、狭い部屋を出た時には、もう、お前は血という体液で部屋中を汚し、武器を振りまわす栞音に襲いかかろうとしていた」
『同士討ち』という単語がすぐに浮かんだ。
武器なしで栞音に素手で そいかかるのならば、一方的になるだろうな。今は栞音に手を出さなかった事だけでもよしとしよう。
『我々はすぐにお前たちを拘束した』
「したって…あの変なガス、カジュマルには効かなかったのか?」
『全ての物質の生みの親であるママと、肺呼吸しない植物に、人間ごとき作り出した気体に反応するわけがない。
だが、動物であるドーベルは狭い部屋に出て数秒とたたず、吠えて襲いかかった』
視線をドーベルに向けると、会話の内容が分かるのか、ドーベルは視線をそらしてしまった。
『お前ら動物たちを蔓で拘束した。
だが…栞音の手から離れた武器が床に落ちて、予測していない方向に跳ね返った』
カジュマルの話に補足を入れるならば、スイッチが入ったままのチェンソーの刃が床か壁に当たったのだろう。
『そのせいで武器の威力は大きくなった。そして栞音の首と胴の間を通り過ぎた。栞音は、真っ二つになった』
「え…」
頭が真っ白になった。何も言葉を返せない俺をおいて、カジュマルの話は進む。
『ママは栞音に駆けつけて、名前を呼んだが、反応することはなく、頭部だけの栞音を抱きしめた。
それから、静かに言った。
カジュマル、このホテル、全てを飲み込んで…と』
「飲み込む…ホテルを」
『もちろんママの言うとおりにした。
この騒動を起こした人間達と、人間が作り出した建物を占領し、元の姿に戻った』
騒動を起こした人間達、あのヤバイ男もカジュマルの一部になってしまったようだ。
「……」
改めて自分の腕と体を触ってみたが、傷口も痛みも感じない。
「俺は? 飲み込まれずに、体も治っているみたいだけれども」
『ママの頼みがなければ、お前も養分にしたが、治癒効果の高い果実を食わすハメになった』
言い方にカチンとくるが、動詞が気になる。
「食わすって、また、口移し…」
『その動作は、あの者だ。それとお前の皮|(服)を取り替えたのも』
「あの者って?」
『栞音と呼んでいた人間だ。
ママの融合体。
ママは頭だけになった栞音をその体に沈めた』
「………」
言葉を理解するのに時間がかかった。
『まるで池に石が落ちていくように、簡単に栞音の頭はママの体に入っていった。
私がこの建物を占領する頃には、ママでも人間でもないが、ママの体を持った『その者』が動き出した』
「……」
元々、人間ではないママさん自体が、どうして動けるのか不思議でならないのだが、さらに、栞音が入り込んで動けるという謎と…
何よりも栞音が、頭だけになって別の体に入っていった…
「…それは、その人は栞音なのか? それともママさんのままなのか?」
『ママであるのは変わらない』
即答だったが、次の言葉を言うまで、少し間があった。もし、カジュマルが昨日の姿なら、首を振りため息をついていたのかもしれない。
『その者が立ち上がった時、ママとも栞音とも言えない声だか、確かに言った。
『この体は、栞音に貸すから、栞音の指示に従ってね』と』
カジュマルの声に力がなかったのは、このせいだろう。ママさんを喜ばせようとしたのに、一つの失態を演じ、ママさんではない存在を生み出してしまったのだから。
そして、ママさんではない者の命令に従う事。ママさんの次に自分が一番だと思うカジュマルにとって、これ以上ない屈辱となる。
それは、落ち着いた時に気がついたが、今は栞音の事で頭がいっぱいだった。
「貸すって、ママさんの体を栞音に貸すっていう事か?」
『そう言う事だ、人間。
だが、私にとって関係のないことだ』
背中から伝わる植物の声に力が戻った。
『その者は、離れていった。もう、ここまで命令は届かない。
私は植物としての日々が始まったのだ。別の木や虫、病原菌などに邪魔させられない限り、太陽に当たり、蔓を伸ばし、葉を増やせる。
人類滅亡に関係なく。
そう人間が滅亡した先も永遠にだ。
本当のママは人類が滅亡した後、戻ってくる。
そして私の根は、本当のママを抱きしめたままでいられる』
一風が屋上を通り過ぎていった。まるで、カジュマルは葉を揺らし笑っているように思えた。




