勇者代理の不満
台風が来ると、どうしてこんなにわくわくするんだろう。
「…………」
川更は雲1つない夜空を見上げた。月は満月…にしては少し欠けているので前夜になる。川更には少し不満であった。
視線を戻しても不満が目につく。
「たった2台か。船笹さんなら、もっと多かったんだろうなぁ」
ビジネスホテルに止まっているパトカーの数は、どう見てもホテルで喧嘩騒ぎが起きて、対応しにきたレベルにしか思えなかった。
「まあ、いいや」
川更はさっきまで乗っていた車からアタッシュケースを取り出し、ホテルに向かう。
ロビーは、ホテルの従業員や客と警察官がそれぞれ何かを話し、騒がしくなっていた。
川更の部下たちにより、ビジネスホテルの客と従業員は『危険だから』という理由で部屋や仕事場を追い出されたものの、正確な説明やいつまで続くのか知らされていない。騒がしくなりのも当然である。
「……」
中に入ってきた川更を見て雑音は止まったが、川更の外見を見て客の1人と判断したのか、雑音は戻る。
しかし、1人だけ、制服姿の中年男は川更に歩み寄ってきた。胸についているバッジ、階級章はちょっとだけ上の位を表している。
「君が…緊急特務機関、クミ、ミズ? の船笹、さん?」
中年警察官の話し方は、上から初めて話を聞いたようだった。
職務質問する時に向ける、不審者か見分けようとする視線に『あまり良い情報は入ってないな』と、川更は思えた。
緊急という言葉で彼らのテリトリーを土足で踏み荒らしているので、川更にとってはもう慣れた視線だが。
「川更です。船笹は負傷 し、私が代わりに指揮をとっています」
「負傷? フロントから聞いたが10代の子供たちではないか」
「得体の知れないバイオ武器を所持しています。
我々だって暇じゃありません。ただの高校生テロリストなら、そちらに任せていますよ……失礼」
川更は着信を告げるスマホを取り出しながら、中年警察官から離れる。スマホを耳に当て通話を開始する…が声を発することはなかった。
川更はそのままホテルの奥へ、非常階段に向かう頃にはスマホは耳から離し、無言のまま通話を切る。
「雑談している暇はない」
非常階段には同僚が1人いた。川更の姿を確認すると手にしていたスマホを操作する。どううやら川更がロビーで足止めくらわないように指示をして、わざとかけさせたようだ。
「状況は?」
「……」
同僚は川更にマイク付きイヤホンを渡すが、その表情は暗い。
「突撃班は全滅と言うより消滅しました」
「全滅……。あれほど気をつけろと言ったのに」
「それが、確保対象者Aは、我々の予想を超えた、更に最悪な武器を所持しているようです。射撃のスピードからしてマシンガンのようなもの」
「……」
「それから、その騒動で、隣室にいた客、2人が確保対象者Aの部屋に合流。そのうち1人は、犬のような耳がついていたと」
「人質ではなくて、合流?」
「はい。さっき、今頃になってフロントから、研究所のカードを同意書代わりに提出した子供がいると、情報が入りました」
「…………」
マイク付きイヤホンを装置した川更は、指示を出し報告を聞きながら非常階段を上がる。
「3階から全員撤収完了。全階に待機中。今の所、虫やネズミといった生物の出現はありません」
昼間、人間以外の生物から威嚇されるという、異様な出来事を体験したので、警戒は怠れなかった。
「僅かな異変でも、報告してくれ。とは言え、普通の殺虫剤で効く ただの生物だ。恐れることはない」
3階に到着した川更は非常階段から通路を覗き、異変がないのを確認しながら、まだ報告がきていない班に小声で催促をかける。
「制御室、まだか」
「すみません、支配人がかなりの石頭で、まだ非常ベルが作動できない状態です」
「ボスの名前を出せ。
それに本当に燃やすわけではないんだから」
通信を終わらせた川更は、もう一度、通路を確認してから しゃがみ、アタッシュケースを開ける。
「……」
中身を見て、川更はにやりと笑った。
「船笹さんが見たら怒るだろうな」
その笑顔は子供のように無垢だが、邪悪なものも含まれていた。
「……あぁ、そこにいましたね。船笹さん」
川更はポケットにしまってある種に視線を向け、手にとる。
「…………」
ペットボトルの蓋と同じサイズの種が自らしゃべりだすことはないが、川更の頭中だけ上司の声が届き、川更も頭の中で言葉を返した。
『まずは状況説明をしておきましょう。
現在、確保対象者たちは3階の1室に立てこもったまま、こちらの応答に答える様子はありません。
ドアは何かの細工をしたのか、こちらから開けるのは不可能。
ビジネスホテルなのでベランダがないどころか、窓は転落防止のため殆ど開きません。外からの強行突破は無理でしょう』
『……』
『頭を抱える事はありませんよ、船笹さん。煙で燻り出せば良いんです。煙といっても火を使う必要はありません。煙を連想させる非常ベルを鳴らせば良い。
立てこもる側に外からの情報は入ってきませんので、非常ベルは火事だと思い込ませ、脱出しようと自らドアを開けてくれるでしょう。そこを狙うのです』
『そんな簡単に出てくる?』
『相手はただの高校生。船笹さんも目にしているからわかるでしょう。戦闘の経験どころか訓練すら1度もしたことのない平和な子供。だからこそ、油断して撃たれたんじゃないですか』
『……』
種が黙ったところで、川更はアタッシュケースにある物騒なものを見つめる。
『あなたに手が残ってたのなら、頭に当てていたんでしょうね。そうです、この前、船笹さんが追い出した怪しい武器商人から購入しました』
アタッシュケースから手のひらサイズの武器を手に取り、反対側の手の平、種になった上司の横に置く。
それはカード型タイプの清涼菓子と同じ形をしていた。色は黒く中央にスイッチのようなものが付いている。
それが3枚。中央部が赤、青、紫とそれぞれ違った。
『中央のスイッチを押すと、中に配合されている複数の液体が混ざり合って化学反応を起こし、それはそれは酷い悪さをしてくれるんですよ』
川更は無音の3階通路奥にあるエレベーターを確認する。
『現在、エレベーターは稼働停止中。火事だと慌てて出た確保対象者たちは、エレベーターが使えないと分かれば…まあ、火災時は普通に使用できませんがね。彼女たちは、それすら知らないでしょうね。
エレベーターのボタンを連打して、稼働してないと更に焦り、非常階段に向かって狭い通路を猛ダッシュしてきた所を……』
想像した川更の口が開き笑い声がこぼれ、慌てて閉じた。
『あなたはさぞ、種になった事を後悔しているんでしょうね。
俺を止められないことに』
無言の種をつまみ上げた。
『ええ、止まりませんよ。せっかくの人類滅亡ですからね。台風が来たみたいに、いや、それ以上にわくわくひていますよ。もう、お祭りですよ』
口角の上がった唇がぱっくりと開いた。
『人類滅亡するんだから、何が起きてもバレないんですよ。
と言うより、こんな世界いらないんじゃないですか?
キレイごとだけ並べて、現実を誤魔化し、実害が出たら『正義を愛する 皆の力』で削除する。こんな、1部のずる賢い金持ちだけが得する世界なんて』
『……』
種に口もなければ目もないのだが、川更の心を指さした。
『……。
ええ、そうですよ。船笹さんの言う通り、個人的な恨みですよ。もう、何もかも嫌になりました。
まず、なんなんですか、緊急特務機関なんて。軍も警察もどこにも属さない宙ぶらりんで、行けば嫌な顔されるし。正義を貫いた所で、誰にも感謝されない。ボスも船笹さんもリタイアしたから、軽く見られているし。
そして滅亡する。
お終いじゃないですか、結婚どころか彼女も愛人もいないまま、人生終わるんですよ。残業、休出の苦労だけして終わるなんて、冗談じゃない。
海外行って、カジノで大当てして贅沢三昧な暮らしを送る予定だったのに、1日も味わうことなく終わりなんて、そんな人生あってもいいんですか? いいわけないでしょ。元手をとらないと。
だから、この瞬間を楽しむことにしたんです』
無防備な獲物を見つけた肉食獣のように、川更は笑った。
もし、上司が種にならなかったら、部下を全力で止めるか、一歩後ろに下がっていただろう。
それほど川更の顔は歪んでいた。
『あなたを始め、沢山の犠牲者を出した冷酷非情、さらに得体のしれないバイオ武器を持ったガキ共を、人類滅亡のせいにできるんですからね』
川更の耳に現実の声が届いた。
「川更さん、制御室です。ようやく、非常ベル作動できます」
了解の返事を伝えてから、川更は種に営業用スマイルを向ける。
『あぁ、もちろん、人類滅亡は阻止するつもりですよ。
今言った事と、矛盾しているって?
ええ、どっちでも良いんですよ、もう。
滅亡を阻止したら全部研究所のせいにすれば良い。 ガキ共と一緒にいる得体のしれない女も始末すれば俺、勇者でしょ?あなたの代わりに勇者になってあげますよ。
逆に滅亡しても、この面倒くさい、お先真っ暗な空気読み社会とおさらばできる。
今、楽しめれば良いんです。
人類滅亡という、何をしても、そう法を犯しても、先がないから罰せられない。このやりたい放題な今を楽しみたいだけなんですよ、俺は』
種をポケットにしまう川更の表情は、常識人に戻っていた。
「ただいまから、確保対象者確保作戦を始める。
制御室、非情ベルを鳴らせ」




