扉を開けた者
犬耳女性は体勢を崩し、担がれたままの俺は一緒に巻き込まれると思っていたが、倒れて床に激突する前に左手を先に到着させると、2人分の体重を楽々と支え、反動をつけて体を回転させる。
気がつい時には、ガラスドアを蹴破る前の状態でいた。
「開けるなら、先に言って」
「解錠する前に開けるからだ。
蹴破れば、砕けた音で周囲の人間に気づかれるというのに……まったく、お前達一族には思いやられる」
頭を抱えて発言しているだろう、新たな声は俺の視界には入らなかった。
「トサト、人間をそこの椅子において」
撤去していない備え付けの理髪店椅子に後ろ半身が落ち着く。荷物扱いされて体が痛いが、新たなる環境でそれどころではなかった。
まず目に入ったのは、固定椅子以外には何もない、ガラリとした理髪店で仁王立ちになる『トサト』と呼ばれた犬耳女性。
180は越えていると思う長身に、人を軽々と持ち運べるだけの筋肉が、黒のランニングシャツとデニムのハープパンツから伸びる腕や脚についていた。
赤に近い茶髪はライオンのようにボリュームがあって、昨日の犬耳女性より大きな茶色のたれ耳と、長めで短毛の尻尾が、今はだらりとしている。
「お前が『しおね』だな」
まっすぐ俺を見てからの発言だった。
「ママと一緒にいた人間は『しおね』だから。お前がママの声が聞ける、唯一人間」
「……トサト。自慢の鼻は機能していないのか」
未だに姿が見えない者は、また、頭を抱えながら発言しているのだろうな。
「匂い?」
トサトは顔を近づける。お約束だがランニングシャツから胸元に視線が向いてしまうのは、逃れられない男の性というもの。
女性らしさというより人間らしさが薄いトサトは、俺の視線に不快ならないどころか気にしてない様子。
「人間の体は鼻の機能が良くない。近づかないと分からなくて困る…………ん?こいつオスの匂いがする。しおねはメスだと聞いた。違う!お前は誰だ?」
つっこむ気にもなれず『幼なじみ』と答えたが、トサトは間違った事に対する怒りを、見えない者にぶつけた。
「カジュマル、話が違う!
ママと一緒にいる人間を捕まえれば、人類滅亡を変えられるって言ったのに」
トサトの視線を上に向けるが、殺風景な天井しかない。
「違くはない。人間はこいつで良い」
「でも『しおね』じゃない。ママの声が聞こえる唯一の人間じゃない!」
トサトは奇妙な事を言った。
「ママさんの声が聞こえるって……別に俺も聞こえるけど」
「何だって? お前も人間なのに聞こえるのか?」
「誰だって聞こえてたけど?運転手の人も聞こえてたはず……ママさんと会話しているのを見たことないけど」
「……やれやれ、どいつもこいつも、世話が焼ける」
俺の言葉に見えない者はため息をついた。
そして姿を現した。天井ではなく、後方から。
「まず、天井にはいない」
カジュマルと呼ばれた者は人の形をしたが、人間と呼べない姿をしていた。
白く淡い緑色の肌に深緑色細い蔓の髪。紅葉色の目と唇。女性らしい凹凸のある体に服は着ていないが、細かい葉や蔓で服を表現している。
「珍しいか。本当なら、こんな面倒くさい、しかも人間の体なんて変形したくはない。だが、ママが『人間の姿じゃなければ会わない』と言うから変えただけだ」
「トサトもだ。人間って移動が2本足に減るから困る」
2人の本来の姿、何なのか想像がつくが、あり得ない事を目の当たりにして、不安が広がっていく。
あり得ない事を目の当たりにすると、より人類滅亡が本当に思えてしまうから。
不安がる俺を知ってか知らずか、カジュマルはさらに真実を口にした。
「栞音が聞こえるママの声というのは、今 人間の体になっている。ママではない。
人間になる前、人間たちが言う地球からの声だ」
「地球からの声」
「人間がわかるように説明してやろう。
天変地異が起きる前、野生生物はその場からいなくなるのは知っているな」
上から目線だが、素直にうなづくことにした。
「人間達は野生の本能と言っているようだが、危険を教えてくれるママの声を聞いているだけ。
人間には、その声は聞こえない、栞音を除いて」
「栞音が」
ただの幼なじみだと思っていたのに、そんな能力があったとは、それならば栞音が研究所に行ってたのはその力だからか。
「唯一の人間だから偉ぶって、他の人間以上に気に入らないが」
その言葉を吐き出したカジュマルは、視線を俺に向けた。
栞音と間違えたトサトの発言は、どう考えてもカジュマルがそそのかして、俺を捕まえさせたように思える。
「それで俺を捕まえた理由は?」
「それはもちろん、ママを説得して、人類滅亡を阻止してほしい」
ずいっと近づいてきたトサトは、また奇妙な事を言った。
「? ママさんを説得?」
「何も知らないようだな。まあ、知らないからこそ、一緒にいられたという事か」
カジュマルは俺の発言をニヤリと笑ってから、教えてくれた。
「人類滅亡はママが決定したからだ」