あの日見た満開の花火
祭り囃子が鳴り響く。広場の真ん中には櫓が立っており、笛や太鼓に合わせて人々が踊りを踊っている。広場を囲むように露店が並び、綿あめやリンゴ飴、たこ焼きや焼きそばに焼き鳥、クレープなどの美味しそうな食べ物、射的に金魚すくい、ビンゴゲームといった遊戯も出来るようになっていた。
「はぁー、みんな楽しそうだな……」
藍色の浴衣に山吹色の帯を締め、花をあしらったかんざしをつけ、私は一人佇んでいた。櫓の前で輪になっている人々の中に紛れる事もなく、なるべく同級生に見つからないようにと下を向いて顔を隠している。
「やっぱり来なきゃよかった……」
深い溜息は祭り囃子の喧騒に紛れて掻き消された。学校では当たり障りなく日常を過ごしていたけれど、私の闇を打ち明けられるほどの友達なんて居なかった。だから本当はこんな所……来たくはなかったんだ……。
「お姉ちゃーーん! りんご飴美味しいよーー!」
そこにひょこひょこと、桜色の浴衣に紅桔梗の帯を締め、瞳がくりっとした可愛らしい女の子がやって来る。私よりひと回り背が小さいために、私の前に来ると私を見上げてりんご飴を差し出してくれた。私がここに居る原因を作った張本人だ。私のたった一人の妹。
「ありがとう、桃香。でも姉ちゃんはいいよ。桃香が食べり?」
「えーー、美味しいのにーー」
そういうと、残念そうに桃香と呼ばれた女の子はりんご飴を再び食べ始める。
「それ食べたら帰るよ?」
「えーー!? なして? この後海岸で花火あがるんよ? 見て行こうよぉおー。見たい見たい!」
ほっぺを膨らませる桃香に少し笑みがこぼれる私。
「今から海岸行っても人ごみだらけで花火見るどころじゃないやろ? 迷子になりたくないやろ?」
「やだよー。桃香迷子にならないもん。お姉ちゃんの手ぎゅってしとくもん」
そういうと私の手をぎゅっと握る。この子は年齢の割に甘えん坊だ。私にこの子が甘えるのは母親の面影を重ねているのだろう。私は花火が嫌いだった。いや違う。花火は綺麗で好きだけど、悲しい出来事を思い出してしまうから嫌い。私は目を閉じて、あの日の事を思い出す……。
※※※
母はそんなに身体が強くなかった。七年前、私は十歳、妹は二歳だった。その頃病院に入院していた母を毎日といっていい程見舞いに行っていた。歳の離れた妹を背中におんぶして、母の病院へ行く。父は家族のために夜遅くまで働き、気づけば私が妹の面倒を見るようになっていた。おむつを替えるのも、おねしょのお世話も全部私がやっていた。
「夏希、いつもごめんね」
申し訳なさそうな母に私は大丈夫だよ! だから元気になってね! と満面の笑顔を振りまいていた。夜、時々無性に寂しくなって眠れなくなる時があった。病院では母の笑顔が見たくて、他愛のない話をいっぱいした。小学校で友達が出来た話。夢の中で王子様と出会った話。妹は『ももかもーももかもー』って横でぴょんぴょん跳ねる。そんな桃香を母は抱きかかえ、頭をゆっくり撫でていた。その時の優しい笑顔が私は好きだった。
そんなある日、母親に病院から外泊許可が出たのだ。ちょうど夏祭りの日だった。母に桜色の浴衣を着せてもらい、紅桔梗の帯を締めてもらう。可愛らしい桜色に紅桔梗の紅紫が映え、少し大人になった気持ちにさせる、そんな浴衣だった。
「あら、似合ってるわねー、綺麗よー夏希」
母の笑顔に私の頬が熱くなっているのを感じた。
「ももかもーーももかもーー」
「桃香にはまだ早いかなー? 大きくなったらお姉ちゃんの今着ている浴衣、着せてもらいんさい」
「うん、きるーーーー」
祭り囃子が鳴り響き、広場はとても賑わっていた。綿あめにりんご飴、金魚すくいやヨーヨーなど、お祭りをたくさん楽しんだ。
「あ、この後花火があるみたいだよー!」
「はなびーーーはなびーーー」
母は少し考えた後、何かイタズラを思いついた子供のように無邪気な笑顔を見せた。
「よし、ちょっと冒険しましょうか?」
母親に連れられて向かったのは海岸……ではなく、広場から横にそれた先、神社へ続く道だった。鳥居をくぐり、石畳の階段を上っていく。桃香は私がおんぶしていた。いくつかの鳥居をくぐる度に、子供ながらになんだか心が洗われるというか、清新な気持ちになったのを今でも覚えている。
「はなびぃ……はなびぃ……」
私の背中で眠ってしまった桃香をおんぶしたまま、やがて神社の境内が見えてくる。
「元々この町のお祭りはね、この神社の神様に祈りを捧げてね、この地に眠る魂を鎮める意味があるんよ? ちょっと夏希にはまだ分からないかな?」
首を傾げる私を尻目に母親が誘導する。私にはこの時、母が告げた言葉の意味が分からなかった。
「さぁこっち」
境内の横にあった細い脇道にそれ、林の中を抜けていった。母親も息づかいが荒くなっていたが、足取りを止めない。母親に置いていかれないよう私は必死だった。林を抜けると広い場所に出た。小高くなった丘の上。眼前には海が広がり、星空が宝石のように輝いていた。そして……
―― ヒューーーーー……ドーーーン
目の前で大きな花火が私達を出迎えてくれたのだ。
「綺麗……」
「凄いでしょう? 特等席だよ?」
辛い事も哀しい事も全て忘れてしまいそうな美しい花火だった。しばし時を忘れ、目の前の光景に見入っていた。やがて、桃香も大きな音に目を覚ましたのか、眼前の夜空に咲く満開の花に目を輝かせていた。
「きらきらーはなびーーー!」
「そうだね、きらきらだね」
私の背中から聞こえる声に反応する私。
「よかったわ……最期にみんなでこの花火が見られて……」
母が何かを呟いたが、花火の音に掻き消されてしまい、よく聞き取れなかった。
「ん? 何か言った?」
母に笑いかける私。
「ううん……なんでもない。夏希、これからも桃香をよろしくね」
「何言ってるの? 当たり前やん!」
母の問いかけに任せてと胸を張る私。
「よかった。それを聞いて安心したわ」
この時母の笑顔は目の前に咲く満開の花のように輝いて見えた。
「またここで一緒に花火見たいね!」
「はなびーはなびー」
私と桃香が笑顔で母に問いかける。
「そうね……もしかしたら……また一緒に見えるかもね」
※※※
「――ちゃん……お姉ちゃん……どうしたん?」
気づけば桃香が浴衣の裾を引っ張り、私を呼んでいた。
「え? あ? あれ?」
私の瞳から涙の粒が零れていた……。涙が止まらない。また悲しい出来事を思い出してしまった。
―― 夏希ちゃん
「え?」
その時、どこからともなく声が聞こえた気がした。周りは祭り囃子が鳴り響き、たくさんの人で溢れ返っている。
「お姉ちゃん……桃香と同じ浴衣の子が居る……」
桃香が指差した先は神社の鳥居の前だった。そこには確かに桜色の浴衣に紅桔梗の帯を締めた女の子が立っていた。狐のお面を被り、顔を見る事が出来ない。
―― こっち。
おいでおいでと手招きをして、狐のお面を被った女の子が鳥居の先へと進む。
「あ、待って! 桃香行くよ!」
私と桃香は女の子を追いかけた。
なぜか鳥居をくぐった先で人にすれ違う事はなかった。そういえば七年前も人と会わなかった気がする。狐のお面を被った女の子は一瞬消えたかと思うと姿を現し、再び手招きをする。その光景が不思議でならなかった。石畳の階段を上りきり、やがてあの横にそれた脇道へと女の子が入って行く。
「姉ちゃん……速い……」
桃香が疲れたのか、駄々をこね始める。
「もう……しょうがないなぁ」
以前よりも大きくなった桃香をおんぶした状態で、林の中を抜けていく。桃香は疲れたのか、私の背中で眠ってしまっていた。やがて林を抜けると見覚えのある小高い丘に出た。しかし、一本道だったハズなのに、そこには狐のお面をした女の子の姿がない。
「え? どこ? どこにいったの?」
―― ヒューーーーー……ドーーーン
七年前と変わらない夜空のキャンパスに広がる満開の花は、私の心を全て見透かしているかのように、輝き、夜空に咲き誇っていた。私の心が少しずつ、少しずつ、浄化されていくのを感じた。
私はきっと必死だったんだろう。あの花火を見た数日後、母は息を引き取った。最期に花火が見れて幸せだったと言っていたと看取った父がそう告げた。あの時見て確かに感動した花火は、私にとっていつの間にか辛い出来事になってしまっていた。
母の笑顔を思い出すのが辛かった。私が母の代わりになろうと、妹を私が守ろうと、一生懸命生きていた。でも心にぽっかり穴が空いたかのように、私には何かが欠けていた。学校でも友達と仲良くなれない自分が居た。幸い私の境遇を知ってか私に優しくしてくれる子もたくさん居た。でも、私の何が分かるの! という気持ちが私の心に鍵をかけていた。目の前の花火は私が閉ざしていた心をゆっくりと開けてくれるかのようだった。
「綺麗……」
「凄いでしょう? 特等席だよ?」
!!
あの時母と交わした言葉のやり取りが聞こえた気がして、ふと横を見ると、狐のお面を被った女の子が立っていた。
「―― 今までよく頑張ったね」
その声を聞いた瞬間、私の瞳からは再び雫が溢れていた。
女の子の姿だった面影は光をまとい、やがて母の姿へと変えていった。浴衣は桃色の浴衣のままだった。
―― この浴衣はね、昔私が着ていた浴衣なんよ? 夏希もきっと似合うわ
初めて浴衣を着せてもらった日の母からの言葉を思い出した。私は母の胸でたくさん泣いた。
「おかあさん……おかあさん……」
嗚咽をしながら涙を流す私……花火は二人を様子を空から見守っている。
「寂しい想いをさせてごめんね。夏希、夏希の心の中に、想い出の中に私は居るよ? 桃香も居る。夏希はひとりじゃない。忘れないで」
母の言葉をゆっくり、噛みしめながら聞く私。
「でも私……これからどうすれば……」
「強がらなくていいの……素直に生きんさい……夏希は強い子。でも本当は温もりを欲しがっている。みんなわかってる。周りを見れば世界が変わるわ」
目の前には満開の花火が照らしていた。私の心に灯りが燈る。私はゆっくり目を閉じた。涙は自然と乾いていた。
「おかあさん、ありがとう……」
目を開けると、再び狐のお面を被った女の子……やがて光と共に姿がうっすら消えていこうとしていた……消えかかる間際に狐のお面を取った顔は確かに ――
―― 私を導いてくれてありがとう
最後の花火が夜空に咲き誇り、やがて星空が私達姉妹を優しく照らしていた。
お盆という事で、夏祭り、花火、神社というキーワードで短編を書いてみました。
当初、恋愛で書こうかとも思っていたのですが、気づけば全く違うジャンルになっていました。
今までにないジャンルの作品ですので、受け入れられるかどうかちょっと心配ですが、読んでいただけたのであれば幸いです。