セリオス王と真面目で愉快な臣下たち(下) ~ 上に立つ者、仕える者 ~
王城から王都正門に向かって伸びる中央通り。その中央を四騎が駆ける。ここ数年の混乱を脱し、活況を取り戻し始めた、王都を縦に貫く大動脈。中天の陽の下、普段であれば民の活況に満ちた大通り。
だが今は、驚き戸惑う人々が道の片隅から、再び駆け抜ける風を、半ば茫然と見守るのみ。彼らは思いもよらない。その風が、自らの王が起こした風ということに。
「よし、きっちり足止めしてるようだね!」
先頭を駆けるラミリーが叫ぶ。セリオスが続き、チェンバレンが並ぶ。レイドが追いすがる。言葉を無くした大通りを馬蹄が響く。
「陛下は説得を。けどね、上手くいかなくても良い。その時はウチらが収める。だから、陛下は自分の思うまま振舞えば良い」
「ああ。当てにさせてもらう」
臣下が導く。主君が信を預ける。互いに気負うこと無く、己の為すことに意識を向ける。同時に、ラミリーの言葉に、もう一人の臣下を思い出したのだろう。近衛を率いるために残った男を。セリオスは、その男の、口癖のような言葉を口にする。
「せいぜい自分の好きなように、我儘に振舞わせてもらうさ」
王都正門。四台の馬車が止まり、門兵との諍いの音が辺りに響き始める。セリオスら四騎が正門を視界に納めたのはそんな時だった。
◇
固く閉ざされた門。立ちふさがり、剣を構える門兵。同じく抜剣し対峙する私兵。王城正門の内側、門前の広場。十に満たぬ門兵に対し二十を超える私兵。一発触発の緊張が空気を尖らせる。その背後。王城から駆け抜けた風が嘶きを響かせる。
シャリト卿が振り返る。視線を門兵から己が背後へと。目にしたのは騎乗の若者。まとった装束の華々しさに、纏う威厳は僅かに届かず。だが、その視線に強い覚悟を込めて、ただ真っ直ぐに、視線を向けてくる。シャリト卿の瞳には、そんな青年の姿が映っていた。
◇
「其方がシャリト卿か」
「……いかにも」
馬上から視線を下ろし、セリオスは問う。
シャリト卿は正面から若き王を見る。傲然と顔を上げたまま、礼を執らず。
馬上から見下ろすセリオス、見上げるシャリト卿。互いに正面から、逸らすことなく。相手を見極めんとし、視線をぶつけ合う。
「まずは問う。貴公、馬車を連れ立って何処へ行く」
「己が所領に戻ろうとする、その理由を問われる筋合いは無いな」
探るような問いに、拒絶に満ちた答え。返すシャリト卿は姿勢を崩さず、傲然と。そんな臣下の様子を見て、セリオスは声無く笑う。鐙から跳ねるように、軽やかに身を踊らせる。馬を背に、改めて向き直る。
「そうだな。だが、単に帰郷するには大げさだろう。理由を聞かせて貰えないだろうか」
王の態度を捨て、普段の口調で語るセリオス。その声には、どこか親しみすら感じられる。
だが、その声もシャリト卿には届かない。無言で礼を執れと睨むチェンバレン、その視線も平然と無視し。両者を前に、シャリト卿は態度を崩さない。
そうして、シャリト卿が言葉を発す。強い覚悟の乗った言葉を。
「語る理由が無い。先王陛下亡き後、我は未だ、誰にも剣を捧げた覚えが無い故」
その言葉こそが、雄弁に。己が礼を執らぬ理由を明確に語っていた。
◇
セリオス、シャリト卿、共に無言のまま、時が過ぎる。私兵、門兵は固唾を飲んで、ただ成り行きを見守る。両者の間を、正門前の広場を、静かな緊張感が満ちる。
その静寂を破るように、ラミリーが進み出る。気負わず、自然体で。まるで世間話でもするような口調で話しかける。
「あー、悪いんだけどね、あんたは多分、色々と誤解してる。ちょっと話しをしないか。……ああ、とりあえず返事は良い。まずはそのままでいいから聞いてくれ」
ラミリーの声にも動かず、声を出そうとしないシャリト卿。その様子を見て、未だ場が動かぬと認識し、ラミリーは語り始める。この数年間の王都の統治、その歪さを。
「あんたが怒っているのはこの数年間の税のことだろう。そのことで陛下を責めるのは筋違いだ。陛下は実権なんて与えられていなかったんだからね。……むしろ、ウチらの方に罪がある話だ。
二年半前、陛下が即位された日、ウチらは王都から手を引いた。そして、城門をウチらが占領し、王都内に入る物資を操作し始めた。ほどほどに締め上げる、そんな心づもりだったんだがね。それに対し、グリードが取ったのが容赦の無い、狂った税制だ。そん時はね、ウチらは笑ったさ。あんなもの、続く訳が無いって。
そんときはわからなかったのさ。グリードは最初から王都を統治する気なんか無かったんだってことをね。民が困窮し逃亡者が頻出する、そういった状況を作り出したかったんだ、グリードは。あと、民心が王族から離れる状況もね」
ラミリーは語る。城外街とグリードの対立、その駒として扱われた王都のことを。ここで行われていたことは統治では無く、その逆だと。
シャリト卿は聞き続ける。意識を向ける。聞かずにはいられない。その内容は彼の持つ常識の埒外、理解が及ばない。彼の価値観とは真逆の話に、黙することなどできず、問いかける。
「……わからぬな。王都を人の住めぬ地にするために富をむしり取ったというのか」
「ああ。もちろん金も必要だったろう。だけどね、当時のグリードはきっとこう思っていただろうさ。『王都が平穏なままでは策が成り立たぬ』と」
「わからぬ! 為政者が統治よりも優先して何を企んだというのだ!」
問うた疑問に、悪意の答え。叫ぶ声は怒りに満ち。理解を拒絶し、怒りを目の前の王に向ける。本当にお前には責任が無いのかと。
その怒りを声とし、叩きつける直前。冷ややかな声がシャリト卿に浴びせられる。
「最もな意見ですな。そして、今はシャリト卿、貴方こそが統治の不安材料となっています。まずは話し合いの席について頂けまぬかな」
シャリト卿の信が厚い商人、その背後に音も無く回り込んだ近衛団長。その手には煌びやかな剣が握られ。無言で首筋に刃を当て、周りを威圧する。その傍らに……
「動かないで頂けますかな、皆さま方。大人しくして頂かないと、彼の首と胴体を別々にしなくてはいけなくなりますので」
人質を取り、優位を確保し。脅迫という形で場を支配した男が静かに立っていた。
◇
僅かに開いた王都正門の前。気付かれぬよう城外から回り込んだ近衛が雪崩れ込み、馬車を取り囲む。
その場を支配するリフィック。呆れたように首を振るラミリー。セリオスは予想外の展開にあっけにとられ。常に平常心を失わない彼の従者も僅かに驚きを表情に出す。
「なにやっとんのや、アンタ!」
思わず叫ぶレイド。対話を中断されたラミリーは主導権を譲り渡し、そっと下がる。誰もが唖然とした表情を浮かべ、視線をリフィックに向ける。
先ほどまでの怒りが混じった緊張は流れ。唖然とした、どこか現実感の無い空気に入れ替わり。乾いた風がその空気をかき回す。
今や正門前の広場は、深刻な、笑えない喜劇の場と化していた。
◇
「なに、私も、何か要求を呑めというつもりはないのです。ですが、このまま城門を封鎖し続けるのはそれなりの損失でしてな。場所を変えてもらえませぬかな。そうすれば彼を開放することを約束しましょう」
リフィックは乾いた空気の中、独り謳う。周りにいるのは観客か、当事者か。あまりの事態に、シャリト卿の怒りも霧散し、困惑が支配する。
「あれ、宰相だよな」、誰かが呟く。頷く誰かは固い、人形めいた動き。現実感を無くした広場に、調子づいた声が響く。
「そうですな。王城の中はどうでしょう。そして、このような大人数で話すことも無いですな。シャリト卿一人いれば十分ではないですかな」
斜め上の事態に、誰もが固まる。誰もが唖然とする。予想出来ない展開は時に、あらゆる感情を白くする。観客すらも白けさせる空気の中。
ただ一人、ラミリーだけが動く。
「さあ、まずはその腰に佩いた剣を……
「事態をややこしくすんじゃないよ! この腹黒喜劇役者!」
言葉と同時に、ラミリーは足を振り上げる。リフィックの両足の間を、疾く、重く、慈悲も無く。めり込むような一撃に声なき絶叫。続き右の肘が脇腹を襲い。正面から鳩尾へ右拳、踏み込んでの横蹴りが腹部に吸い込まれる。
宙に浮き、やがて衝撃と共に地に倒れるリフィック。見下ろすラミリー。地に横たわった男に意識が無いことを確認すると、改めてシャリト卿に視線を向ける。
「まあ、このふざけた男の言い分じゃないが。一度、落ち着いて話をしようじゃないか。一度王城に来てくれないかね。ああ、こいつは人質だ。こう見えても一国の宰相だ、身分は十分だろう」
ラミリーの声に、毒気を抜かれたシャリト卿は、半ば反射的に、ただ頷くのみだった。
◇
その光景を見た門兵、私兵は後日、一様に語る。体が宙に浮かんとするラミリーの初撃、あれは恐ろしい一撃だった。目の前で起きたどんな非常識も、あの一撃には敵わない。この日起こった事件で最も印象的な出来事だったと。
◇
「……とまあ、グリード執政下の暴政はこんな感じだと私たちは見ているわけさ。今の私たちに、そんなことをする意味は無いってわかってくれないかね」
王城の会議室。シャリト卿を前に、ラミリーは語る。この数年間の暴政の原因。城外街と対立し、城門を占領された時点で、グリードは王都を放棄することを前提として動いていたという推測を。
王の名で箍が外れたように富を吸い上げる。そうして民の心を王から離し、グリードの名で軍功を上げる。そうして得た実績と名声で継承権を捻じ曲げ、疲弊した王都は他者に押し付ける。
「他人の名で権力を使って富を吸い上げる。その金で軍を整え自国の自治領を占領する。暴政の尻ぬぐいは城外街に投げる。ああ、民を痛めつけておけば流民が発生する、その流民に間者を潜ませてウチらを操作するってのもあるね」
この数年間の暴政は、グリードという男が、自分を英雄に仕立て上げて簒奪をする、その布石だと、ラミリーは説明する。邪魔な城外街を黙らせ、名声を際立たせるために、王都を踏み台にしたのだと。
「まあ実際、よく考えたもんだと思うさね。ウチらじゃ思いつかない策略さ。グリードって男にとって、民が人間じゃないってのは確かにそうだったのさ」
王族は蹴落とすべき敵、民は道具。あれはきっと、自分以外の人間を全て見下してた奴なんだろうさ。そうラミリーは語る。
「……とまあ、過去の話はこの位にしとこうか。大事なのはこれからのことさ。で、ちょっと提案なんだが……」
そうして、過去のことを語り終えたラミリーは、先の事を語り出す。その話に、シャリト卿は考え、一定の理を認める。なにより、グリードはおろか、先王の時代と比較してもなお、悪くないと。
ここに居るのは未だ、誰ともわからぬ者たち。一事で全てを判断できぬ。それでも、この話は合意できると判断する。真の姿を見極めるのは後でも良いと。――そうして、誤解は僅かに埋まり、シャリト卿との合意は成る。
◇
「うまくまとまりましたかな」
「……狙った行動かい、やっぱり」
レイド卿との話がまとまり、解放されたリフィック。王宮正殿の正門から自らの執務室に戻る途中、待ち構えるように壁にもたれかかっていたラミリーに語り掛ける。
リフィックの表情は明るく、軽く笑みすら浮かべ。その表情を見てラミリーは確信する。広場での愚行、撃退されるところまでを見込んでの行動だったと。
「平行線のようでしたからな。何か騒ぎを起こした方が上手く行くかと思いまして」
「迷惑だね、まったく。それが一国の宰相のすることかい」
「そう言われましてもな。相手の意表を突いて主導権を奪う、交渉での常套手段ではないですかな」
その会話には互いに遺恨は無く。
「しかし、貴方ならもっと普通に対処できたでしょうに、まったく。潰れるかと思いましたよ」
「ふん、私には関係ないモノだからね。別に潰れたって構やしないだろ。ウチらに必要なのは、そのよく回る口と毛の生えた心臓くらいのもんさ」
「それはまた斬新ですな。一国の宰を玉無しに預けるとは。国家の威厳が台無しになると思いませぬかな」
「なに、政治ってのは下半身でやるもんじゃないからね。無くたってどうってことは無いさ。第一、どこの世界に人質を取って脅迫を始める宰相がいるってんだい。それこそ威厳が台無しだ」
さも日常の延長のような気軽さで。加害者は悪びれず、被害者もまた騒ぎ立てず。まるで、こんなことは日常茶飯事だと言わんばかりに言葉を交わす。
リフィック、ラミリーが並んで歩く。その背中は、この程度のことを大きく言うようではこの相手とは付き合えないと、無言で語っていた。
◇
「……以上が、我が領の麦を王都で売ることで得た利益。王都民が生産した麦の代行販売分も含んだ額だ」
「貴公の屋敷で見つかった落とし物の額とほぼ一致しますな」
「ああ、我もうっかりしておってな。色々あって忘れておったのだ。勿論、その分の税は計算して払う心づもりだ」
朝議の場。目の前で繰り広げられるふざけた物言いに、並み居る官僚たちが頭を押さえる。今日はまた一段と「様式美」だと。
ラミリーたちと協議して出した結論、自己申告に基づいた自主的な返納。その額の真偽を追及しないことで、返納が強制でないことを周りに示す。そして……
「では、次の議題に」
「ワイの番やな。ビオス・フィアで開発された動力機械、その応用についての共同開発についてや。馬の代わりに荷車を引くことを検討中やけどな。まずは王都とシャリト領で効率的な輸送がでけへんか、というのを目標に考えとる。丁度財源も強化されたことやしな」
返納した税を新規事業に割り振り、その事業への参入を認めることで、返納へ誘導するという案。傷ついた財政を抱える政府、新技術の導入を図りたい研究機関により提案された案。
「とにかく、輸送の強化が最優先や。そうせな、ビオス・フィアに食われるがままや」
政府と研究機関の出した結論。独立したビオス・フィアで開発された飛行機械、その脅威。数が揃えば、都市間交易を全て持っていかれるだけの性能があると。故に平時にこそ真価を発揮する機械だと。それに対抗するための研究開発は最優先だと。
「そうですな。国内情勢も落ち着きを取り戻しつつあります。これからは、かの国によって変えさせられる世界から国を守る、そのことも始めていく頃合いですかな」
彼らにとってビオス・フィアとの友好とは。交易であり、外交であり。同時に戦争でもあった。
◇
「……とまあ、最終的には王都執政官に全部持っていかれた形だな。結局宰相に振り回された訳だ」
「それはまた、お疲れ様でした。……そのような展開ならしょうがないと思いますが」
「そうだな。……いつかあの男を振り回せるようになりたいものだな」
セリオス王の私室。一際ふざけた朝議が終わり、束の間の休息。セリオスの話に手を止める事無く、メイは受け答えをする。セリオスの嘆息めいた言葉に、メイは苦笑を浮かべる。
(あの宰相を振り回せるようになって欲しいなんて、誰も思ってないわよねぇ)
メイは思う。きっと望まれているのは仕えたいと思える王様。今の陛下はいい線をいってるんじゃないかと。
リフィックにしろ、ラミリーにしろ、今の臣下は結構人を選ぶように感じる。そんな人たちが仕えているだけで十分じゃないかしら。
そんなことを考えていると、その「人を選ぶ」一人が、肩の荷を下ろして一息ついていたセリオスに小言を投げかける。
「シャリト卿への態度、感心しませんね」
「そうか?」
一度、片付けのために控えの間に戻りかけたメイは、その言葉を聞いて思う。言いたいことはなんとなくわかる。だけど、話を聞く限り、陛下の行動に非があったと思えないのにと。
そう思いながら聞こえてきた言葉は、メイが想像した通りの言葉だった。
「相手は陛下のことを王と見ていなかったのです。今もそうでしょう。そのような相手に、威厳を捨てるような態度で接しては軽く見られるだけはないでしょうか」
「……王として見ていない、確かにそうだな。現に今も、私に剣を捧げるつもりは無いと明言しているからな」
「ですから……
「だがな、それは単に私が未だ届いていない、それだけだろう」
セリオスは思い出す。シャリト卿の言葉を。その言葉は確かに、自分は未だ至らないと明言した言葉だった。だがそれは同時に、自分が王に相応しいか見定めた上での言葉。
傀儡の時には、誰も自分のことを相手にしなかった。それと比べればなんと恵まれたことだろうと。
「『剣を捧げるとは、領民の命を預けるということだ。我は未だ、陛下に預けるに足るものを陛下に見出しておらぬ』、最もだと思う。今まで王家の為してきたことを考えれば当然だろう。
だがな、私を見極め、王に足ると認めれば、彼は剣を捧げるだろう。なら、私がすべきなのは自分を飾ることでは無いと、そう思うのだ」
一挙一動を見極められ。朝議の席で、重臣の前で、忠誠を誓う姿勢の裏で、それに足る者かを常に測られる。誰もが王に相応しいか試している。真の意味で彼を王と見る者など居ない。だが、それでも。
誰も見ようともしない、誰からも重んじられない。彼が即位した時に待っていたのはそんな孤独。誰かに道具として飾られ、誰もが飾りとして見ていた、傀儡の王。それに比べ、今の状況はどうだ。
誰もが、彼に王であることを望む。飾りでいることを許す者など居ない。それがどれだけ価値のあることか。
セリオスの表情に曇りは無く。真摯に。熱意に満ち。そして……
「言葉遣いなどで飾ったところで、彼が欲するものに届かなければ、無意味だろうと」
彼自身も、臣下に試されることを望んでいた。
◇
「……そうですね。失礼しました」
そう言って、チェンバレンは引き下がる。セリオスは一人椅子に座り、茶を口にする。和やかな時間。静かに茶を楽しむセリオスは満足気な表情を浮かべ。
その表情にメイは、自分たちが側に就く前の、彼の孤独を思い。この方も数奇な運命ねと、以前仕えたバード殿下のことを思い出す。
「ところで。シャリト卿の返納額ですが。ごく僅かですが、少ないように見受けられますが」
「ああ。彼が言うにはな、今回の騒動で出費した馬車代、人足代、そういったものは必要経費として利益から相殺したそうだ」
「……それは如何なものでしょうか?」
「『そもそも今回の騒動は政府の手落ちであろう。我が領民の汗を政府の尻ぬぐいのために浪費するなどあり得ぬのだ』との事だ。まあ、全体で見れば微々たる額だ、構わないと思うが」
セリオスの鷹揚な態度、彼が語ったシャリト卿の細かい言い分。それを聞いて、そういえばバード殿下も、たまにズレたことを言う子だったわねぇ、そうメイは昔を思う。やっぱり兄弟よねと。
いくら何でも、今回の騒動を必要経費というのは無理が無いかしら、もうちょっと気にした方が良いと思うけどと。そう思いながら、言葉を選んでたしなめようとするチェンバレンに注意を向ける。
「……思うに、ですが」
「何だ?」
「シャリト卿はただの吝嗇ではないでしょうか」
……そういう事じゃないわよねと、大真面目に語ったチェンバレンの言葉を聞いてメイは思う。こう、もう少し、経費にするのはおかしいとか、そういうことを言うべきじゃないかと。
「そう言うがな。金貨袋を机に乗せて『研究に協力すると決めた上は、必要なだけ用立てる。我が財力が必要なら遠慮は要らぬ』なんて言える男でもあるからな。
レイドなど『これだけあれば動力機械だけやない、軸受け、懸架機、他にも色々手ぇだせるでぇ』とか言いながら金貨袋に口づけしていた位だ、よっぽどの大金なのだろう?
最も、その様子を見てシャリト卿も何か言いたげだったがな。まあ『お前にやった金ではない』とでも言いたかったのだと思うが」
「……わからぬ御仁ですね」
世間話のように語られる臣下の奇行に、その奇行にはあまり言及しないチェンバレンの態度。金貨袋に口づけするような人間が財務を担当して良いのかと困惑するメイ。それを他所に、静かに落ち着き、カップから漂う香りを楽しむセリオス。
メイがどう思おうとも、一つの事件が平和裏に解決した事実は変わらず、積み重なっていく。
停滞していた世が動きだし。一歩づつではあるが、確かに好転しつつあった。政治を動かす人間がいくら喜劇を演じようと。