栞
母の日を前にして降りてきた話です。
……まとまるまでに紆余曲折がありましたが。
時系列としては、終幕時の平和な日常から、王宮の頃を思い出す、そんな構成です。
冒頭、締めの会話:終幕「平穏な日常」、回想シーン:物語開始前(第一章の回想シーンあたり)ですね。
――登場人物――
バード君:本小話の主人公、回想シーンでの視点キャラです。
クローゼ様:表にほとんど出てこないけど最重要脇役の一人、バード君の母親ですね。本編ではメディーナさんとの関係を軸に語ってますが、今話はバード君と彼女の関係がメインとなります。
イーロゥ先生(回想シーン):本編で軽く触れていますが、イーロゥ先生も早くに親を亡くしています。ちなみに、メディーナさんに至っては、実の親は不明です。
フレイちゃん:冒頭、締めの視点キャラです。唯一、両親が揃った上に、目をかけてくれる叔父夫婦までいるという、普通の(幸せな)家庭に育った人ですね。……本編ではちょっと反目気味ですが、別に彼女の親も、無理矢理に彼女を従わせようとしているわけではないのです。ちょっと浮かれやすくて、思い込みが入りやすいだけで。フレイちゃんもね、表情を表に出すのを嫌うだけで、感情は揺れ動くわ一途だわと、似たところはあるのです。
……ちょっとね、母の日当日にはふさわしくない話かな、という思いから、早めに投稿しました。どのように受け取られるかは読まれる方次第だと思いますが、何かを感じてもらえるといいな、なんて願いつつ。
「ビオス・フィアにもあるんだ、『母の日』って」
感慨深げなバードの言葉に、そう言えばバード、ビオス・フィアの人間でなかったわね、なんてことを思いだす。
「……どこにでもあるんじゃないかしら、こういう日って。それに一応、ついこないだまで王国の一部だったのよ、ビオス・フィアは。……まあ、ほとんど名目だったけど、同じような風習があっても不思議じゃないと思うわ」
そんな返事を返しながら思う。たまに忘れそうになるのよね、バードが外から来た人だって事。ずっと前から一緒に研究してたんじゃないかって思う時もあるくらい。
「そっか、そうだよね。……母の日かあ、懐かしいなあ」
その言葉を聞いて、自分の失言に思い至る。
バードの両親は既に亡くなっていたのよね。
「……ごめんなさい」
「? 何が? ……って、ああ。別に良いよ、気にしないから」
ひとまず謝って、返ってきたバードの明るい口調に安心する。
本当に気にしてないみたい。良かったわ。
そう思うと、今度は別のことが気になってくる。
そうね、聞いてみようかしら。
「そう。……『懐かしい』って、何か贈ってたのよね。何を贈ってたの?」
「ちょっと待って。今持ってくるから」
私の言葉にそんな返事を返して、席を立つ。
……持ってくるって、どういうことかしら。
程なくして、疑問の答えを持って、バードが戻ってくる。
「僕が贈ったのはこれ。今では母さんの形見だけど」
そう言って、バードは机の上に一つの栞を置く。
色鮮やかな押し花で彩られた栞を。
「『母の日』のことを知ったのは十才の頃、イーロゥ先生に教えてもらったんだ。その頃の僕は王宮の中しか知らなかったから。贈り物を選ぶことも出来なかった。そんな中、どうすれば母さんに贈り物を贈ることができるか、考えた結果がこれ。どうしてこれになったかって言うとね……」
そう言って、バードは話し始める。十才の、春も終わりに近づいた頃の、王宮の中での一幕を。
――
「母の日?」
「ああ。子供が母親に日頃の感謝を伝える日だな」
イーロゥ先生との訓練の時間。ランニングを終えて、休憩中、やっと息が整ったところで。……僕はそろそろ休憩を終えようとしたんだけど、多分まだ早かったのかな、先生に「もう少し休め」って言われて、そのときにした世間話。ぼくが「母の日」のことを初めて知ったのはそんな会話からだった。
……母の日かあ。そんな日があるんだって、そう思ったんだけど。
「ありがとうって言えばいいのかな?」
「手紙か何かにすれば良いと思うが。あと、殿下くらいの歳だと、手伝いをするとかでも良いか。普段とは違う形で感謝が伝わることをすれば良いとは思うが」
ありがとうって言うだけじゃだめみたい。母さんの手伝いは無理かな。あんまり母さんに会えないんだよね。
手紙も、何を書けばいいかわからないや。だって……
「ぼく、母さんにはほとんど会わないから。『普段と違う形』ってのがよくわからないや」
思ったことを正直に口にする。
……イーロゥ先生、ちょっと意外そうな顔してる。なんでかな?
◇
「結局、『ありがとう』も何か違うような気がするんだ」
どう伝えれば良いかイーロゥ先生と話をして、結局の所そう思ってしまう。
ぼくが母さんに会うのは月に一回あるかないか。その時に最近あったことを話したりするくらい。身の回りの世話は全部メディーナさんがしてくれている。
母さんがメディーナさんを側付きにしてくれたりとか、色々してくれたことはわかってる。だけどやっぱり、「ありがとう」って言葉は母さんじゃなくてメディーナさんかなって思うんだ。
じゃあ、母さんにはなんて言葉を贈ればいいのかって言われるとわからないけど。
そんなことを考えていると、イーロゥ先生がぼくに聞いてくる。
「……そもそも、どうして殿下は母の日に何かしようと思ったんだ?」
? えっと、だって……
「えっと。母の日って、『子供が母親に日頃の感謝を伝える日』なんだよね?」
「そうだな。だが、『ありがとう』も違う気がする、なんて言われるとな。なぜ言葉を贈ろうと思ったのか疑問に感じたのでな」
……なんとなくだけど。イーロゥ先生の疑問は「普通」なんだろうって、そう思う。
だから、ちゃんと言わないと伝わらないかなって。メディーナさんに色々教えてもらってわかってきたけど。多分僕と母さん、普通とは違うから。
「いい言葉が思いつかないけど。ぼくは『母さん』に何かをしたいんだ」
……言ってて思う。これじゃわかんないよねって。
「今はメディーナさんがいろんなことをやってくれてるから。母さんに何かしてもらってるわけじゃないけど。でも、だからかな、僕は『母さん』に何かしなきゃって思うんだ」
言葉を重ねる毎に、うまく言えない気がして。どうやって言おうか考えてたんだけど。
「……そうだな。なら何ができるかを考えるか。言葉に出来ないのなら、何かを贈るのがいいか?」
僕の言葉がどこまで伝わったのかわからないけど、そうイーロゥ先生は言ってくれて。「母の日」に何をするか、先生と相談を始める。
◇
イーロゥ先生は何か贈るのが良いんじゃないかって。単純に買ってきたものを贈るんじゃなくて、僕が作るか、手を加えるか、そういったことをすれば、僕の考えてることは多分伝わるだろうって。
……あんな説明だったのにちゃんと伝わってたみたい。なんでだろ。まあいっか。
色々考えた末、花で飾った栞を作ろうってなって。花を色あせないようにすることができるみたい。押し花って言うみたいだけど。
ちょっとイーロゥ先生と花って、イメージが違うと思って聞いてみたんだけど……
「まあ、私も押し花の作り方は知らないがな」
「……大丈夫なの?」
「そんなに難しくはない筈だ。多分、姉上や道場に居る女性に聞けば、作り方はわかると思う」
元々、「母の日」って花を贈るのが一般的で、手紙を贈る場合に押し花で飾る人もいるみたい。だから、いろんな人に聞けばきっと知ってるんだって、そんなことを言ってた。
良かった、イーロゥ先生のイメージが崩れなくて。この怖い外見で「花が好き」とか言うのはあんまりだよね、やっぱり。
◇
「こういったことを相談するのは、私よりもメディーナ殿の方が適任だと思うのだがな」
一通り話をした所でイーロゥ先生がそんなことを言ってくる。……確かにそうなんだけど。
「えっとね。メディーナさんにも一緒に贈ろうと思って。だから言わないでね?」
「……クローゼ殿に何かをしたかったのではないのか?」
「そうだけど。だけど、メディーナさんにだって『いつもありがとう』って言いたいよ」
うん。やっぱりメディーナさんにも贈りたいよね。それが僕の正直な気持ち。……別に母さんだけにしか贈っちゃいけない、なんてことはないよね?
「……そうだな、殿下がそう思うのならそれで良いのかもな」
◇
そうして、イーロゥ先生が作り方を調べて、材料を準備してもらって。
準備してもらった花を本に挟んで押し花にして、栞を作って。
そうして、出来た栞を母さんに贈る。
一言、「母さんへ」とだけ書かれた手紙と一緒に。
その時の母さんは、今までで一番嬉しそうな笑顔だった。
◇
「出来上がった栞を渡した時の母さん、本当に嬉しそうだった」
「そうか。良かったな」
母さんに栞を贈った次の日、訓練の時間。中庭を走りながら。イーロゥ先生とそんな話をする。
「そうそう、その時に、メディーナさんにも栞を渡したんだけど。メディーナさん、キョトンとした後に、ちょっと困ったような表情をして『ありがとう』って。……なんかね、母さんほどには喜んでくれなかったみたい」
「……まあ、それは仕方がないんじゃないだろうか? 流石に、母の日に贈る相手ではないだろうしな」
「……じゃあ、いつだったら良いの?」
「収穫祭とかどうだろうか。働けることを感謝する意味もあったはずだが」
そんな風に、母さんに栞を贈ったことから、メディーナさんの話になって。違う話題に移って。いつも通り、少し話をしながら、中庭を走り続ける。
◇
御殿の二階の窓際に、中庭を眺める女性がいる。
静かに外を見るその女性はどこか儚げで。
窓から差し込む暖かな陽光の中。
柔らかい空気に包まれて。
静かにただ、中庭を走る子供の姿を眺め続ける。
小さな机の上には一冊の本。
挟まれた栞が顔を覗かせる。
その窓際だけ、音を無くしたかのように。
ただ静かに、時が流れる。
やがて、少年は走り終え、御殿に戻る。
一階にある彼の部屋に。
中庭とを隔つ窓が、少年との世界を別つ。
生まれついた身分が、当然の在り方を否定する。
交わらない世界で息子を見守ることしか許されず。
互いに隔てられた世界で過ごしながら。
ただ子供の成長を願う親。
少年の中には母の面影は薄く。
それでも、貴女は自分にとっての母親だよと伝えようとした子供。
これはそんな二人の話。
――
バードが話を終えて。すっかり冷めたお茶を一口、口に含む。
「母さんが亡くなった時、形見の品って言われても、どれもピンと来なくて。……結局、母さんの残した物の中で、僕にとってこれが一番思い入れのある品なんだ。自分で贈った物なのに」
バードの話に、黙って耳を傾け、頷きを返す。
「正直に言って、僕はあまり母さんとの思い出が無い。だから、この栞は数少ない母さんとの思い出なんだ」
その言葉に、改めてバードの生い立ちの異常さを思う。共通の思い出が無く、思い入れのある品もない。普通ならそれは他人よね。けど、バードの言葉には母親を懐かしむ響きがある。重みがある。
バードはきっと、実の母親だから栞を贈った訳じゃない。
それでもきっと、母親だと思ったから栞を贈った。
私にはきっとその気持ちは理解できない。
それでも、いかにもバードらしいと感じて。
素直に、思ったことを口にする。
「贈ることができて良かったわね」
「そうだね。本当にそう思う」
そんなバードの言葉に、ささやかな決心をする。
そうね、今年は私も母様に何か贈ろうかしらって。
バード君とクローゼ様の関係から物語を一つ組み立てましたが、実の所、作品のテーマとしては、最後の一行が全てです。
ありふれたテーマになりますが、それで良いのかな、なんて思います。
ちなみに回想でのメディーナさん、十八才です。高校卒業したら、母の日に、弟みたいに思っていた小学生から贈り物をされたみたいな感じでしょうか。……ちょっと酷い仕打ちですかね、やっぱり。