エピローグ これはこれで
もうすっかり見頃を終えた桜並木を自転車で通り抜ける。正面から吹き付けてくる風がどこか心地よかった。
普段より少し重いペダルを力強く踏み込む。自分でも少し前までへとへとに疲れていたとは思えない。
「なあ、井上」
「なんですか」
俺の腰に遠慮がちにつかまりながら翔子先輩が声をかける。
「別に今日じゃなくてもよかったのに」
「今日がいいんです」
「そっか」
「そうですよ」
俺が戻ってきたのはあと一時間で放課後になろうかというときだった。まだほかの生徒は教室にいて眠気と戦っているのだろう。
一時間だけ授業にでても仕方がないし、せっかくなのでこのまま少しは早めの下校をすることになったのだ。二階堂先輩は律儀に残りの一時間のために教室へ戻ったが。
逢坂さんはこのまま美容院に行ってくると言っていた。どうやら髪型を元に戻すらしい。残った俺と翔子先輩はこうして今自転車に乗っている。部室に転がっていた俺のカバンは朝に翔子先輩が勝手に部室へ運んできていたらしい。
「手、大丈夫なんですか」
「ん? 手?」
きょとんとして聞き返す。どうやら意味が通じていないらしい。
「あっちで手切ったじゃないですか」
「ああ、こっちでは切れてないから大丈夫」
「そういうものなんですか?」
「そういうものなんだよ」
自分自身、痛みも疲労感も感じていない。だから翔子先輩も無事だということはなんとなくわかっていた。それでも確かめずにはいられなかった。
まだほか生徒がいない道を自転車が走っていく。今日はすごく天気がいい。
「井上、聞いてもいいか?」
「なにをですか?」
「楽しいか?」
「部活ですか?」
「うん」
確か前にもこうしているときに同じ質問をされたような気がする。この人はまだ気にしたいたというのか。
入学してまだ約一ヶ月。たったそれだけの間にいろいろなことがあったような気がする。
「本当疲れますよ。いろんな人にふりまわされて」
「まあ井上のポジションはそこだからな」
「でも、これはこれで俺は楽しいですよ」
「そっか。・・・・・・よかった」
どこか安心したように翔子先輩がつぶやいた。その様子に俺もどこか安心して、それからようやく本当に言いたかったことを切り出した。
「翔子先輩」
「ん?」
「いろいろ、本当にいろいろ、すみませんでした」
「うん」
「それと、本当にありがとうございました」
「うん」
翔子先輩はそれしか言わなかった。
本当に言いたかったことは、たったそれだけの会話で片づいてしまった。でも、それでよかったのだろう。たったそれだけのことだったのかもしれない。
俺はずっとこの人がなにを考えているのかよくわからなかった。けれど今は少しだけわかる気がする。
「なあ。ゴールデンウィーク、なにしたらいいかなあ。決まったらみんなにメール送らないと。なにかいい案ないか?」
「うーん。そうですね」
自転車は新緑に色づけられた並木道を越えてどんどん進んでいく。駅前のファミレスまであと少しだ。




