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第二章 桜の木の下で思うこと

 電気も消えた無人の二年八組の教室の隅のイスに翔子先輩は座っている。その前に立って俺はこれまでのできごとについてできるだけ詳細に説明した。

「なるほど。それはオカルトだな」

 俺の話を聞き終えた翔子先輩がいつものように口の端をもちあげてにやりと笑った。

「それで、井上はどうしたい?」

「どうしたい・・・・・・って言うと?」

 翔子先輩が静かにうなずく。まっすぐな髪がさらさらと揺れる。

「別にオカ研に入らなくてもいい。でも入らなくてもしばらくは顔を出してもらうことになるかもしれない。まあ別になにもなければこなくていいんだけど」

「俺は・・・・・・俺は、できればオカルトなんかとは関わり合いたくないんです。だって、ほら、高校生になってまでオカルトだのなんだのって恥ずかしいです」

 ・・・・・・まずい。言ってから気づく。今、目の前にいるこの人はオカルト研究部の部長であり創部者なのだ。本人に対してなんてことを。

 さすがに悪いことを言ってしまった。どう謝ろうかと目を泳がせていると、翔子先輩はきょとんとしてつぶやいた。

「オカルトには関わりたくないって言うけど、オカルトは嫌いだとは言わないんだな」



「はい、この箱の中に百円入れたらそこの名簿にある自分の名前の横にチェック入れといてください。はい、ありがとうございます。あ、二年生は隣の紙です。はい、ありがとうございます」

 C棟二階の廊下には長蛇の列ができていた。

入学から二週間目の金曜日の放課後、一年生の部登録も終了し全校一斉にあちこちで部活動集会が開かれていた。

 オカルト研究部も例外ではなく、今こうして部活動集会が開かれている。まあオカ研においては特に話すこともないのでただ集金をするだけの集まりとなっている。そのうえこの集会にきたほとんどの部員はこれ以降の一年間、次の部活動集会まで一度も部室に顔を出すことはないだろう。

「あ、はい、そうです。ここに百円入れたら帰って大丈夫です」

 そして、俺は翔子先輩に命じられるままにこの部活動集会で集金係を務めていた。

 なにがどうなってこうなったのかいまだに自分でもよくわからないのだが、なにがどうなってか気がついたら俺はオカルト研究部に入部してしまっていた。

類は友を呼ぶ、とはよく言ったものだ。

 高校生になってからオカルトが好きだとか、自分からオカ研の話をしたりだとか、そんなことは一切していないのにも関わらず、俺は結局オカ研に入っている。

 二日前初めて部室に行ったはいいものの、結局詳しいことはなにひとつわかっていない。わかったのは、一連の現象が「平行世界」に関係があるということ。

 あの日以来、特になにも起こっていないからまだいいが。

 次々に箱の中に百円玉が放り込まれていき、ついに列に並んでいた最後のひとりが名簿にチェックをつけ終わったのを見届けてから未集金者がいないかリストに目を通す。

「はい、これ」

「あっお金は箱の中に、あと名簿の名前のところに……」

 ふいに声を掛けられ、まだ人がいたのかと顔をあげてそのまま固まってしまった。目の前にいたのは密度の濃いまつげに縁取られた大きな猫目をもつ端正な顔立ちの少女。箱の中に百円玉を入れ、片手で背中まで伸ばしたゆるく巻かれた栗色の髪を耳にかけて名簿にチェックを入れている。

「え、どうしたんですか? 逢坂あいさかさん」

「私オカルト研究部に入部したの。よろしくね」

 ぱっと顔をあげ、少しはにかむようににこりと笑う。

「なんだ井上、どうしたんだ?」

 部室の中から翔子先輩がのそっと顔を出してきた。部長であるこの人と、もうひとりのオカ研活動人員であり副部長でもある二階堂にかいどう先輩は部活動集会には全く我関せずで、なんとふたりでUNOをやっていた。……ふたりだけでUNOって。

「ふはははは! 翔子、おまえが得意なのは本当にテストだけだな! UNOではまるで俺に歯がたたないじゃないか!」

 扉の奥から二階堂先輩の芝居がかった声が聞こえる。この人は普段からこういうしゃべり方をするから一緒にいると少し恥ずかしい。

 初めてオカ研の部室を訪ねた日に見た、いかにも頭のよさそうな男の人は二階堂先輩だったわけだが、しゃべらなければ真面目でクールそうに見えるのに、そして実際に生徒会の副会長をやっているというのにちょっと変わった人だ。

 表面上は生徒会が忙しいからオカ研に入ったというのに、ほぼ毎日翔子先輩の観察をするためだけに部室に来ているという。さらに言うとオカルトなど俺は認めない! らしい。

 ふたりは中学からの付き合いらしいが、翔子先輩に言わせると「ただのストーカーだ」だそうだ。

 部室から漏れる二階堂先輩の高笑いが聞こえていないのか聞こえていて無視しているのか、逢坂さんはドアの前まで歩いて行くと軽く一礼して、翔子先輩をまっすぐに見据えて言い放った。

「……部長さんですよね。私、井上くんと同じクラスの逢坂雫あいさかしずくです。今日からオカ研に入ることにしたのでよろしくお願いします。それで、私はなにをすればいいんですか?」

「んー、いや、特にやることはないんだけどさ。しかし、雫、だっけ? めずらしいね。こういう、その、なんていうか・・・・・・いかにも今時の女子高生みたいな子がうちの部で活動しようなんて」

 逢坂さんがオカルトに興味があるなんて聞いたことがない。翔子先輩もきょとんとしている。

「逢坂雫って、あの噂の? うわっマジじゃん、本物だ」

「噂ってなんのことだ?」

 翔子先輩の後ろから顔を出した二階堂先輩が驚きの声をあげた。

それもそうだ。彼女は学年一の美少女にして元モデルだという。入学当初から一年生の間だけでなく上級生の間でも話題になっていた。まあそんな有名な校内の噂も興味のあることの範疇に含まれなければ翔子先輩の記憶には微塵も残らないらしい。

「へぇ、そんな人がうちの高校にいたのか」

「そんなことどうでもいいじゃないですか。それで、特にやることがなければどうすればいいんですか? 井上くんはなにをしているんです?」

「んー、井上はうちの部室番みたいなものだから」

「じゃあ私も部室番します」

 即答。

「今日は集金の確認終わったらすぐ解散だから大丈夫だよ?」

 明らかに困惑気味の翔子先輩。

「わかりました。それなら来週からきます。いいですよね? それじゃあ、また月曜日に」

 さらに即答。

 そしてそれだけ言うとくるりと背を向けて帰っていってしまった。彼女の背中が見えなくなるまで三人して固まっていた。

少しして翔子先輩が部室にひっこんだのを皮切りに、三人して部室にひっこんでいった。

「なあ、井上。私は雫になにかしたのか? なんだか私に対してえらく敵意を向けていた気がするんだが」

「なんか、そんな感じでしたよね……。教室ではもっと大人しいっていうか、おしとやかって感じなんですけど」

「翔子のことだからまた知らないうちになにかやらかしたんだろ、珍しいことじゃない」

 にやにやしながら二階堂先輩が言う。翔子先輩の弱みをつつくのが彼の趣味だ。あまり良い趣味とはいえないが、古い付き合いのようだから翔子先輩もあまり気にしてはいない。というより割とお互い様なところがある。

「変ないいがかりつけるなよ、会ったのも今日が初めてだって。井上は同じクラスなんだろう? ああ、そうか、井上と同じクラスなら見たことくらいはあったのかな……」

「本当自分の興味あること以外には無関心だなぁ。井上は彼女となにか話したことはあんの?」

 翔子先輩があぐらをかきながら狼狽したような表情であごに手をついて考えている。スカートであぐらをかかないでくださいと何度か頼んだがどうやら聞き入れられてはいないようだ。二階堂先輩は机の上のUNOを片付けている。

「……いや、実は昨日――」


        *


 部室で至極どうでもいい話にたんまりと付き合わせられたうえ、顧問の先生(お飾り)にも紹介され翌日の部活動集会の段取りまで聞かされるという完全に他の部活に仮入部する機会を奪われた後に解放されたあと、


「どうでもいい話とはなんだっ」

「翔子先輩、そんなところに食いつかないで下さい」

 ぷんすかしている翔子先輩は置いておく。


教室まで忘れ物を取りに行き、後ろのドアを開けると廊下側の一番前の席、自分のひとつ前の席に逢坂さんが机に顔を伏せて座ってため息をついていた。

 暗がりの教室の中、ひとりだった。

 ほとんどの生徒が下校している時間だというのにたったひとりでなにをしているのかと気になったが、なんとなく近づきがたい雰囲気を感じてドアの付近で挙動不審になっていた。

 なんと言っても相手は学年一の美少女、前の席でありながら一度もまともに会話したことがない。そうでなくとも人に話しかけるのはかなり苦手な方だから声をかけることも、教室に入っていくこともなかなかできずにいた。


「さすがだな」

「……放っておいてください」

「まぁ押し切られてオカ研入っちゃうくらいだしな」

「うるさいです!」

 超強引に押し切った張本人にだけは言われたくない。


 たぶん時間にしたらそれほどでもないのだろうけど、手持無沙汰にきょろきょろしている俺にとっては長く感じられた。

 がたん。

 そっと教室に入ろうとしたつもりが、一番後ろの席にぶつかり、教室中に物音が響いた。

「・・・・・・っ!」

 突然逢坂さんが驚いた顔で振り向いた。どうやらドアをあけた音さえも聞こえていなかったようで、彼女は突然現れた俺を見て、あわてて笑顔をつくった。

「ご、ごめんね。気がつかなかった。どうしたの?」

 照れ笑いを浮かべる逢坂さん。明らかにうろたえていたが、なるべく気にしないそぶりで教室の奥へと足を踏み入れる。

「あ、ええと、いや、忘れ物取りに来たんだけどさ」

 別に嘘でもなんでもない事実なのにしどろもどろになってしまった。

 こんなところでなにしてたんだ? という疑問は、それほど親しくない自分なんかが聞いて良いものではないと思って飲み込んだ。

「そっか。ごめんね、ちょっと考え事しててさ。驚かせちゃった? あはは・・・・・・」

「ああ、そうなんだ」

 彼女には不自然に聞こえていないだろうか。気にしていない風を装って自分の席へと歩いていく。

 普段教室にいるときは明るくて、でもちょっと控え目で誰にでも優しく常にまわりに人がいるような人気者なだけに、そのときの様子が明らかにおかしいのは彼女と話したことのない自分でもすぐにわかった。

 俺が自分の席に近づくと、逢坂さんはくるりと前を向いて机の横に掛けた鞄を手に立ち上がった。

 急いで出て行こうとする彼女に、どうしてだか俺は声をかけていた。

「あ、その……大丈夫、ですか?」

「……え?」

 彼女は振り向かずに、けれど確かに俺の声を聞いてくれていた。

「いや、なんか疲れてるみたいだから」

 逢坂さんは顔を伏せたままだった。

「えっと、ほら、逢坂さんって入学してすぐ噂広がっちゃったからさ。いつもたくさんの人の相手してるし、でも誰に対しても嫌な顔しないし。そういうのってすごく疲れちゃうんじゃないかなって……」

 返事がないことに焦って必死に言葉をつないだけれど、それでも返事はなかった。というか、顔も動かさなかった。

「俺は友達あんまりいないからそういうのよくわからないけどさ・・・・・・」

 やっぱり返事はなかった。

「……えっと……なんか変なこと言ってごめん。俺すぐ帰るから、邪魔してごめん。逢坂さんも早く帰って休んだ方がいいよ、ごめん」

 もうどうしていいかわからなくなって自分でもよくわからない謝罪を繰り返しつつ、机の中に置きっぱなしにしていた教科書をひったくるようにとってばたばたと後ろのドアから教室を出ようとした。

「――井上くん!」

 そのとき、逢坂さんがゆっくりと振り返り、反射的にドアを開ける手を止めた。

「部活、どこに入るの?」

「……部活? えっと……俺オカ研に入ることになっちゃったみたいで……」

 なるべくクラスメイトには言いたくなかったが、どうせ少ししたらバレる話だ。というか、もうほとんどバレているようなものだろうけど。

「そっか。ありがとう、また明日ね」

 さっきまでの感じが嘘のように、けれど、いつもよりちょっとだけ元気がないような笑顔で手を振ってくれた。


        *


「それだな」

 話を聞き終わった途端、二階堂先輩がにやりと笑う。

「うん? そうか、それか?」

 翔子先輩までうんうんとうなずいてなにかを納得したような顔をしている。この人は本当になにかわかっているのだろうか。

「なにが『それ』なんですか」

「いいか井上、よく聞け。逢坂雫が平凡なお前に興味をもったんだ。わかるか? これはお前の人生の一大チャンスだ、青春の始まりなんだ!」

「おー青春?」

 翔子先輩が首を傾げながら拍手している。そんな翔子先輩の横で勢いよく立ち上がった二階堂先輩が高らかに言う。

「翔子、よく聞け。お前がぼーっと平行世界なんぞ追いかけている間にも、子分候補の井上はさっさと青春を追いかけはじめてしまっていたというわけさ。つまりッ」

 二階堂先輩が非常に楽しそうに話し始めるときはたいてい面倒なことになる。ので、

「お疲れさまでした」

 さっさと鞄をもって部室を出ていった。



「井上ぇー」

 自転車置き場に間延びした声が響く。

 自転車を押す手を止めて振り返ると、翔子先輩が校舎の方から走ってくるところだった。

「二階堂先輩は置いてきちゃっていいんですか?」

「いいんだ。あいつは生徒会室に寄ってから帰るみたいだから。お前丘留都駅通って帰るだろ?」

「そうですけど、それがどうかしたんですか?」

「うん、乗せてけ」

 時間は五時半前。まだ活動している部活が多いため同じ高校の生徒も少ない。

沈みかけた陽の光を浴びながらゆるい坂道をのぼっていく。背中に微妙な距離をあけながら座っている翔子先輩のあたたかい体温を感じられる。いつもよりペダルが少し重い。

「楽しいか?」

 しばらく走ったところで翔子先輩がぽつりとつぶやいた。

「え? なにがですか?」

 質問の意味をはかりかねて、後ろの翔子先輩に聞こえるように少し大きめに聞き返した。けれど、翔子先輩は黙ったまま、ただ小さな手で俺の腰にひっついているままだった。

「……今、ですか?」

 ちょっとどぎまぎして答えると、

「いや、高校生活」

 そんなに即答するならもっと早く言ってください。と思ったが、変にどきどきしていたことにつっこまれても恥ずかしいのでそれについてはなにも言わなかった。なにより、いつもより落ち着いた真剣味のある話し方に茶化すのは気が引けた。

「それなり、ですね。クラスにも一応ひとりは結構話せる友達ができましたし。通学時間が長いんでちょっと朝はきついですけど」

「部活は?」

「オカ研ですか?」

「うん、オカ研。お前あんなに入るの嫌がってたじゃないか。私は別に入部しろとは言ってないって言っただろ?」

 あなたがそれを言うか。

 とは思ったが、口には出さないでおいた。

「・・・・・・なかなか入りたい部活が決まらなくて。やりたいこととか、今までやってきたこととかあんまりないし。クラスの友達はサッカー部に入ったんですけど、俺はサッカー部なんて絶対ついていけないし」

「でもオカルトには関わりたくないんだろ? それってなにか理由があるのか?」

「えっ……?」

 動揺して自転車に急ブレーキをかけてしまった。翔子先輩が小さな悲鳴をあげながら慌てて背中にしがみついた。

「なんだどうした? 落ちてケガでもしたら責任持ってもらうからなー?」

 翔子先輩の冗談がどこか遠くから聞こえているような気がする。

確かにそうだ、後ろに人が乗ってるんだからなにもないのに急ブレーキなんてかけたら危ないよな。怒られるに決まってるよな、とか、そんなどうでもいいことを頭の隅で考えていた。

 動悸がするのは自転車のふたり乗りなんて慣れないことをしたからだよな。そうだよ、そうに決まってる――。

「おい! 井上! おいってば!」

 結構強引に肩をゆする翔子先輩の声ではっと我に返った。

「す、すみません。翔子先輩、大丈夫でしたか?」

「私よりお前が大丈夫か? 顔色悪いぞ」

「いや、なんでもないです。すみません……」

 振り返ってもう一度頭を下げて謝り、顔をあげて、固まった。

「なんだよ井上、本当に大丈夫か?」

 翔子先輩も同じように振り返って、固まった。

 世界が、二重になっている。

なんだこれ? 道も、店も、街路樹も、歩いてる人も、全部全部、景色が二重。

 本来からある風景と少しずれて、また同じ風景がひろがっている。まるで風景がブレているかのように。

もしかして体調が悪かったのか? 風邪でもひいたのか。なんだか風景が揺れているようで酔いそうだ。実際吐き気がする――異様な風景に吐き気をもよおしたのか、風景の揺れに酔ったのかはわからないが。

 もしかして俺、倒れるのかな。

「なるほど、これはオカルトだな。・・・・・・井上」

 また翔子先輩の声で我に返り思考を打ち切る。でも、世界は二重のままだった。

翔子先輩の目には街はどういう風に映っているのだろうか。俺と同じように見えている?

「変なこと聞きますけど、翔子先輩には今、どういう風に――」

ゆっくりと前に向き直った翔子先輩の顔は落ち着いていた。

「漕げ」

「……はい?」

「自転車だ、自転車。漕げ! 全速力で漕げっ!」

「いや、翔子先輩、俺もしかしたら体調悪いのかも――」

「それならなおさら全速力で漕げ! 話はそれからだっ!」

えぇー……。

「変な顔するなっ」

 翔子先輩が俺を叱咤しながら思い切り足で地面を蹴りつけ、有無を言わさず自転車が前進をはじめた。ふらついた足を慌ててペダルに乗せて自転車をこぐのを再開させる。幸いここから先は下り坂だ。

「翔子先輩にも見えたんですか、今の? なんなんですか!?」

「いいか井上。振り返るな、止まるな、とにかく進め!」

「わかりましたよ、わかりましたってばっ」

 後ろで翔子先輩がちらちらと後方を振り返っているらしく、たまに髪が背中にあたる音がする。……音?

「……翔子先輩。車の走る音とか、普通もっと大きいような気がするんですけど」

「……もっと速く漕げないか?」

「ふたり乗ってるんですよ、これが限界ですっ」

「そうか、それもそうだな。じゃあ一回止めろ、降りる」

「え!? ちょ、ちょっと待って下さいよ! こんな状況でひとりにしないでくださいよ! もっと速く漕ぎますからっ!」

 自転車のギアを低速から高速に変える。ペダルにより重さが加わりこぎにくい。けど、翔子先輩が途中で降ろしてくれというほど速く漕がなければいけない理由があるんだろう。

 この人は変人だ。だが、嘘はつかない。

それになにより、違和感のある風景、音。オカ研に入るまで度々あった怪現象と同じだ。どうすればいいかなんて俺にはわからない。だから翔子先輩に全速力で漕げと言われたらとにかく必死で漕ぐしかない。

まわりの音はまだ一段音量を小さくしたかのような違和感がある。風景もブレたままだ。ただ、遠くの景色はブレていない。その切れ間を目指して、ただただ重いペダルを漕ぎ続けた。翔子先輩の励ます声と風を切る音はリアルな音量で聞こえていて、それだけが現実感をつなぎとめていた。



 どれくらい漕いだだろう。もうなにも考えられなかった――足の痛みで。

「翔子先輩……もう限界です……」

 のろのろと自転車を漕ぐのを止め、地面に足を着く。本格的な運動経験のないインドア男子高校生にはキツすぎる。

肩を上下させながら必死に酸素を肺に取り込みつつ横目で翔子先輩を見ると、自転車から降りて涼しげな顔で立っている。それから俺の方に顔を向けて口の片端をあげてにやりと笑って見せた。

「どうだ? もやしっ子にはいい運動になっただろう」

「……はい?」

「井上は運動不足だから余計なこと考えちゃうんだよってことだ!」

 翔子先輩が両手を腰に当てて意外と大きな胸を張ってみせた。そんな得意げに言われましても。

実際運動不足の人間が久しぶりに激しく運動して非常に疲れていたので、はいそうですか、と適当に会話を流すと、翔子先輩は満足げな表情で見てきた。

「ちょうどよく駅にも着いたし、ありがとうな」

 そんなばかな。あれだけ走ったら駅なんてとうの昔に通り過ぎているはずだ。一体どこと間違えたのだろうと顔をあげると、そこには確かにいつもの丘留都駅前があった。

「え……?」

「細かいことは気にするなって!」

「ちょっと待って下さいよ、さっきのはなんだったんですか? どうして俺たち今駅にいるんですか!? この前からのことと言い……まさか翔子先輩がなにかしたんじゃないですよね?」

「違うって」

 後ろで小さく吹き出すのが聞こえた。そんなに変なことを言ったか。

「この間、平行世界がどうとか言ってましたけど、それとなにか関係があるんですか?」

「うーん、そうだな。今日のは平行世界のなりかけ、現実世界との狭間の狭間って感じかな。そうだ井上、月曜日の花見、来るだろ?」

「……行きますけど」

 オカ研のドアの前に出されていたホワイトボードが頭に浮かんだ。ホワイトボードには翔子先輩の少し丸いくせ字で『オカ研恒例、黒猫の幽霊が出る桜の木の下でお花見交流会! 参加希望者は月曜日の放課後各自飲み物やお菓子を持参のうえ部室前に集合!』と書かれていた。これが噂の幽霊部員も参加できるイベント、とやららしい。

 恒例もなにもオカ研は去年発足したばかりの部活ですよね、と言ったが、二階堂先輩に「お前細かいなー」とからかわれて終わった。当然の感想だと思うのだが。

「じゃあそのときにできたら話すよ。あんまり人が多いと話せるかわからないけど。よし、じゃあ気をつけて帰るんだぞ。なんなら駅に自転車置いて電車で帰ったらどうだ」

「運動不足のもやしっ子はお金がないので意地で自転車で帰りますよ」

「そうかぁ」

 ちょっとひねくれた言い方をしてみたが、翔子先輩は満足そうに笑うだけだった。

「じゃあ、翔子先輩も変なものがあっても寄り道しないで帰るんですよ」

「それは約束できないな。まあ多分まっすぐ帰るよ。……あー、そうだ」

「なんですか?」

「井上、お前本当はオカルトとか好きだろ?」



 小心者であるためいつも朝は余裕をもって家を出ている。小学校、中学校を合わせても遅刻は一度もしていない。おまけに変に真面目なせいでズル休みも中学二年のときにどうにも引けない事情で一度したくらいで、早退もしたことはなかった。

 そんな性格だからか、結局あれほど抵抗していたオカ研に毎日顔を出していた。そしてきっとこれからもなんだかんだ言って顔を出し続けるんだろう。

そんな性格だから、今日の放課後にコンビニまで行ってお菓子を買ってこい、と翔子先輩に命じられたのだろう。

「い、井上くん!」

 忘れないように部室によってお金をもらってこないとな、などと頭に刻み込みながら教室のドアをあけると、なにやら奥の方から大声で自分の名前を呼ばれた。

 逢坂さんだ。窓際の後ろの方で話している女子の集団の中に彼女の姿があった。逢坂さんと話したのは木曜日の放課後と、金曜日の部活動集会でしかない。それもほんの少しの間で、教室でみんなのいる前で話したことなんて一度もない。

一瞬にしてクラスメイトの視線が集中したのを感じる。金曜日になにか気に障ることを言ってしまったかと焦りつつ、ドアの横で棒立ちになっていた。

逢坂さんのまわりの女子も不思議そうに彼女を見つめている。

「その……おはよう!」

 それだけ言うと、こっちの返事を聞きもせずにぱっと話をしていた女子たちの方を向いてしまった。

「おい井上、お前なにかやった?」

「いや……多分、なにもしてないと思うんだけど」

 おそるおそるといった感じで心配そうに川原が声をかけてきた。

「でもなんか金曜日の部活動集会に逢坂さんが来たんだよ」

「はぁ? オカ研に? 雫が? オカ研に入るなんて話聞いたことないぞ」

 川原は川原で割と誰とでも気軽に、というか適当に話せるタイプなので――そうでもなければ俺となんて仲よくならないだろう――逢坂さんとも何度か話したことがあるらしい。

 席が近いのでそれが普通のことなのかもしれないが。俺にはとても真似できそうにない。

「あー、でももしかしたらまた仕事再開したりするかもしれないし、それだとオカ研が一番便利か。それにしてもあんな遠くから無理してあいさつしなくてもいいのになぁ。でも雫なりにお前と仲良くしようとしてくれてんのかもな」

 まあがんばれよ、とにやつきながら言うとどこかへ行ってしまった。

 自分の席にそっと腰を下ろす。確かに俺は人と打ち解けることが苦手だ・・・・・・が、あんなに思い切らないとあいさつできないほど俺は話しかけにくい存在なのだろうか。

 いろいろな思いが頭をよぎり、朝からひとりため息をついていた。



 『ポテトチップス、アーモンドチョコレート、お茶とかジュースとか。他、ポップコーンとかなんかおいしそうなもの。レシートは必ず持ちかえること。お釣りはネコババ禁止』

 放課後のお花見のお菓子代には先週集めた集金の一部を使って買ってこい、とのことだった。残りは部室常備用お菓子、その他イベント(未定)に使うらしい。つまり、あの部費はお菓子代だったらしい。残りで怪しげなオカルト雑誌や本を買ったりもするらしいが。

 それにしても。

 ――井上、お前本当はオカルトとか好きだろ?

 あれはなんだったんだ。翔子先輩にはあれだけ何度もオカルトには関わりたくないと言っていたのに、なんであんなことを聞いてきたんだ。

翔子先輩から渡されたメモに目を通しながら廊下を歩いていると、A棟から逢坂さんが向かって来るのが見えた。俺がいるのに気付くと、笑顔で手を振ってくれた。朝教室で会った時のような変な緊張感はほとんど抜けているような気がする。

「井上くん、どうしたの?」

「あっ、近くのコンビニまで今日のお花見用の買い出し。翔子先輩に頼まれちゃって」

「……そうなんだ。あたしも一緒に行っていい?」

 翔子先輩の名前が出た瞬間、少しだけ表情が曇ったような気がする。

「うん、もちろん。でも、本当にいいの? ちょっと歩くよ?」

 少しとまどったが、逢坂さんは快諾してくれた。

 そもそもひとりで行ったところでなにを買ったらいいかわからないので、こっちにとっては非常にありがたい申し出だった。

 ということで逢坂さんと近くのコンビニまで荷物積み用の自転車を押しながら歩いて買い出しにいくことになった。

 買い出しは俺が持っているカゴに逢坂さんが手際良くぱっぱと妥当な商品を入れていき、あっという間に終了した。買った荷物はさすがに逢坂さんに持たせるわけにはいかないので全部持とうとしたが、軽いのでいいからと言われてポテトチップスなどの軽い袋菓子が入っている袋だけ持ってもらうことになった。

「……」

「……」

 沈黙。

高校に入ってから、いや、小学校や中学校でもほとんど女子と会話したことなんてないため、まったくなにを話していいのかわからない。というよりも、話しかけられなかった。

 逢坂さんも普段は誰とでも気軽に話しているが、さすがに共通項のない自分とは話しにくいのかもしれない。

「井上くんは、」

 頭の中でぐるぐると話題を探していると、逢坂さんが唐突に口をひらいた。

「どうしてオカ研に入ったの? 幽霊とか、見えるの?」

「えっ!?」

「あっそのっ! 変なこと言ってごめんね!」

 逢坂さんが顔を赤くしてあたふたと謝っている。

 案の定逢坂さんは俺の意図――などほぼないに等しいが――とは別の解釈をしてしまったらしく、申し訳なさそうに笑って次の話題を考えようとしている。

 だめだ。これから同じクラスで、同じ部で活動するんだから、早くも溝をつくってはいけない!

「えっと……俺はなんか、なりゆき上、というか、なんていうか」

 ああ、我ながらなにを言っているのかわからない。

「それはつまり、翔子先輩に無理矢理入部させられたっていうこと?」

「あ、いや、そういうわけじゃなくて。・・・・・・そういうのもないわけではないんだけどさ。なんていうか、あそこにいたら楽しそうだなって」

「楽しそう?」

「うん。翔子先輩も二階堂先輩もちょっと頭おかしくて好き勝手してるけど、その分自分も自由にできる気がして。ほら、あの人たちには遠慮するだけ無駄っていうか」

 半分自分でもなにを言っているのかわからなくなりながら、どこか言い訳がましいような説明をまくしたてるようにしゃべってしまった。あぁ、だめだ・・・・・・変な奴だと思われてしまったかもしれない。

一瞬のうちに脳内反省会を終えておそるおそる横目で逢坂さんを見ると、意外にも彼女は笑ってくれた。

「そうなんだ。じゃあ私と一緒だね」

「……へ?」

 驚きのあまり逢坂さんの顔をまじまじと見てしまった。自分のしていることに気がついたとたん顔が熱くなっていく。同じクラスにこんなに顔の整った子がいるなんて、そしてこんな風にふたりで話しているなんて信じられない。

「この間、井上くんあたしに言ってくれたでしょ? 疲れてるんじゃないかって」

 そういえば、あの時もわけわからないことをまくしたててしまった気がする。

「いや、あれは……ごめん。その、何も知らないのにあんな失礼なこと・・・・・・」

「あたし、本当に仲の良い友達とかいないの。井上くんの言う通り。嫌われたくなくてみんなにいい顔して、無駄に疲れて。でもそんなの心配してくれる人とかいなくて。みんなあたしがモデルなんかやってたから寄ってきてくれるだけ。中学の時なんて仕事で忙しかったからなおさら」

 逢坂さんがそんなことを考えてるとは思ったこともなかった。教室ではいつもまわりに人がいて、そんな心配とは無縁な人だと思っていた。

そのときの俺がどんな顔をしていたのかはわからない。ただ、逢坂さんに気を遣わせるほどの神妙な顔をしてしまっていたんだろう・・・・・・俺の馬鹿。

「だからねっ! 私、井上くんと友達になりたいなって。それで、今日お花見用にクッキーたくさんつくってきたからあとで井上くんに食べてもらいたいんだけど……だめかな?」

「いや、そんなだめなんて! あのときはその……俺なんかが偉そうに言ってごめん。俺で良いならもちろんいただくよ」

「ううん、そんなことない。嬉しかった、ありがとう」

「それならいいんだけど……あ、でもそれならオカ研は良かったかもね。さっきも言ったようにあの人たちには遠慮するだけ無駄だから気を使う必要なんてないし、気も使ってくれないだろうし。部活で気を抜く練習したらいいんじゃないかな。ほら、この間だって翔子先輩にはあんまり気使ってなかったような感じだったし」

「……え?」

 なんだ? もしかして、地雷を踏んでしまった?

逢坂さんが大声を出して立ち止る。少しむずかしい顔をして考え込んだあと、

「……そうかもしれない。そっか、うん。あたしみんなと仲良くなれるようにがんばるね!」

 そう言ってなにかが吹っ切れたような笑顔で目の前に見えていた校門の中へ駆けて行ってしまった。



「えー、それではオカ研新幽霊部員もとい新入部員大量確保と俺の生徒会長就任(今秋予定)を祝しましてーーカンパーイ!」

 いったい今日何度目になるだろう。これで四、五回目になる二階堂先輩の乾杯の音頭。掲げられるのは既にほとんど量のなくなった紙コップに入ったジュースやお茶だ。

校庭の端一面に植えられている桜の木の下に大きなブルーシートが敷かれている。その上には様々な学年の様々な人々がわんさかと座って飲んだり食べたり騒いだりしている。

今年度のオカ研初イベントとなるお花見は去年よりも大盛況らしい。といっても、去年もかなりの盛況だったらしいが。

原因ははっきりしていて、去年盛況だった理由は部長である翔子先輩の化けの皮がまだ剥がれていなかったからで、あとは一応、二階堂先輩も学年内では結構目立つ存在だったり長身でそれなりに顔も良かったりするからで、今年さらに盛況だった理由はまあ未だに翔子先輩や二階堂先輩目当てに集まってきたというわけのわからない奴らとーーもちろん逢坂雫が入部したことにある。

そういう理由で逢坂さんは学年関係なくありとあらゆる人に話しかけられていた。さっきの話を聞いたあとなのでちょっと心配になったが、群がる人の波の中に押し入っていくほどの勇気もなかった。

翔子先輩はというとそんな心配はまったくの無用だった。部活動集会のときに部費払ったらもう来るな、馬鹿はいらないと言い放った翔子先輩がこんなに大人数と話したり、ましてや仕切ったりできるのだろうかと一応心配はしたものの、一般部員用――翔子先輩に言わせれば幽霊部員用――の大きなブルーシートとは別に持参した小さなレジャーシートを少し離して敷いて自主避難していた。仕切るつもりは毛頭ないらしい。二階堂先輩がいなければこの会はどうなっていたことか。

「部長がこんなとこにいていいんですか?」

 まわりの盛り上がりを無視してもくもくとお菓子をほおばる翔子先輩の元に新たなお菓子を運ぶ。もちろん翔子先輩からの命令だ。

「だって・・・・・・私、なんかあいつらと話合わないんだよ。話してると途中で変な空気になっちゃうんだよ」

 その光景は簡単に想像できた。翔子先輩の興味はだいぶ偏っている。それ以上に自分と他人との間につくっている壁が厚い。自分も人のことはあまり言えないが。

 だが、そうだろうなとは思っていたけども仮にも部長なのに。かく言う俺もあまりわいわいした雰囲気になじめずに避難してきたわけで。翔子先輩は自分のことは棚に上げて、俺には他の奴らと話して友達になってこいと言われて半強制的に特攻したのは良いものの、結果は完敗だった。

「そうか、それは……残念だったな……」

「本当に残念そうに言わないで下さいよ! 馬鹿にしてるんですか!」

 翔子先輩がにやりと口の端をあげて笑う。自分だって同じなくせに。

「それで、平行世界の話なんですけど・・・・・・」

 声をひそめ、翔子先輩にだけ聞こえるような声量で話を切り出す。本当は一番にでも聞きたかったことだ。

 翔子先輩は小さくうなずいてジュースを一口だけ口に含むと、静かに話し始めた。

「うん。正確に言うとあれは平行世界と現実世界の狭間、『境界世界』さ。たまにさ、いるんだ。ちょっとだけ現実世界とズレた世界に入り込む奴が。前に言ったよな?」

「七不思議の話のときに言っていたやつですよね」

「そうそう。疲れてたりするとそういうところに引っ張られたりしちゃうことがあるんだよ。でも別になんてことはないんだけどさ。変わった環境に慣れてきたり、疲れがとれてきたらあっという間に収まるから」

「俺の人生には今まであんなことなかったですけど」

「まあ、それだけ違う環境にとまどってたんだろうな。井上自身が気づかないところで。・・・・・・それか、この学校がそういうものを引き寄せているのか」

 翔子先輩が目を細める。俺はその話をどうしていいのかわからず、ただ前を向いていた。

 目の前の大きなブルーシートの上では相変わらずオカ研の幽霊部員がどんちゃん騒ぎをしている。なのに、自分たちはまるでそことは切り離された世界にいるような感覚だった。

 けれど翔子先輩は目の前のお菓子をほおばりながら笑った。

「まっ! どうとでもなるさ!」

「・・・・・・まるでなんでもないことのように言いますね」

「うん。なんでもないことだから」

 あの日、校庭の音が一切聞こえなくなって、翔子先輩に助けてもらったあの日。そのときのことを考えると、完全に納得はできなかったけれど、翔子先輩が本当になんでもないことのように言うと、なんとなくそんなものかと思ってしまう。

 平行世界だなんて、境界世界だなんて俺にはよくわからないが、この人がいるのならどうにかなるような気がした。

「でもどうして翔子先輩はそんなことーー」

 そのとき、宴会の輪の中で突然立ち上がる人影があった。

「おいそこ! なにを密談している!」

「あっ! 待ちなさい!」

 あちこちで盛り上がっている会話の騒音を切り裂くような声が離れたところであがった。と思ったら、人の群れをかきわけて二階堂先輩がこっちに向かってきた。後ろから大きなタッパーを持った逢坂さんが二階堂先輩の襟首をひっつかみながら一緒に向かってくる。

「あ、逢坂さん……?」

「あたし、井上くんに言われて思ったの。もう変に気をつかうのはやめようと思って」

 にこりと笑いながらそう言って、翔子先輩と俺の間のスペースにすとんと座った。

 えっと、その、つまり?

「おい井上、雫になにを言ったんだ?」

 追いやられた翔子先輩が逢坂さんの横からひょこっと顔を出して尋ねる。

「いや、別にそんなたいしたことは……」

「おお、なんだなんだ? 井上ぇ、俺の知らない間にさっそく雫とよろしくやってるのか! 最低だな!」

「いやいやいやいや! なに言ってるんですか!」

 翔子先輩が困ったような視線をよこし、二階堂先輩が含みのあるにやにや笑いをよこし、その二階堂先輩に逢坂さんが鋭い視線を向けた。なんだこれは。

「二階堂先輩は黙って翔子先輩のストーカーでもしててくださいよ。あたしにまでつきまとわないでくれます?」

「ひどいな、俺はストーカーではない! 木島翔子研究家の第一人者だ! なあ?」

「いや、こいつはストーカーだ。私がなにをするにも付いてくるし。できればこのまま雫にこいつをうつしたい」

「この俺をまるで病原菌のように……」

「同じようなもんよ」

「同じようなもんだ」

「やだ、二階堂先輩のせいで翔子先輩とかぶったじゃないですか。ちょっと二階堂先輩は翔子先輩の方に座ってくださいよ!」

 うん、そうだ。確かに言ったんだ。気を使い過ぎだって、オカ研では気を使わなくたっていいって。

「あ、逢坂さんと二階堂先輩って仲良かったんだ?」

「ちっ違うの! 誤解だよ、あたし別に二階堂先輩と仲良くなりたいわけじゃないし、そうだ、これ!」

「俺と仲良くなりたいわけじゃないだと? フッ、そんなに照れなくても」

 二階堂先輩の言葉を半ば無視するように大事に抱えていたタッパ―のフタをあける。

 そこに入っていた手作りクッキーはーー見事なまでにほとんど残っていなかった。

「ご、ごめんね。本当は井上くんに一番に食べてもらいたかったんだけど、みんなどんどん取ってっちゃってあんまり残ってないの……」

「そんな言いわけは不要だ。素直にこの二階堂龍之介のためにこしらえてきたと言えばいいものを!」

「そんなわけないでしょ! 二階堂先輩があほみたいにぱくぱく食べるから井上くんの分がほとんどなくなっちゃったんじゃないですかっ!」

 逢坂さんがタッパーのフタで二階堂先輩の頭をはたいた。結構いい音がした。

「井上、なんだか知らないうちにすごく仲良くなってるぞ……」

「……みたいですね。俺もちょっとびっくりしました」

 まあ、いいか。言葉では怒りながら笑う逢坂さんの顔を見て、俺は少し安心していた。



「それで、オカ研って結局なにやる部なの?」

 チョコレートを口に運びながら逢坂さんが尋ねてきた。正直に言うと、俺もなにをしている部なのかはよく知らない。というか、部活動紹介の時の翔子先輩の説明ではわかるわけがない。

「おいおい、失礼だなぁ。一応それなりに活動してるんだぜ? というかそうじゃないと部活として認められないしねぇ。まあ参加は任意だけど」

 いつのまにか翔子先輩と座り位置をとりかえ、逢坂さんの隣にきていた二階堂先輩が得意げに答える。

 二階堂先輩が説明するために体をこちらに向けると、逢坂さんがちょっと後ずさりして俺の方に寄ってきた。ていうかくっついてるんですけど・・・・・・いいの?

「大きなイベントだとこのお花見と、夏休み中の肝試し、文化祭、かな。あとはその都度面白いものを見つけたら調べに行ったりとか。まあそこは完全に翔子の気まぐれで決まるんだけどね」

「あたしたちは普段なにをしてればいいんですか?」

「部室でなんかしてればいいよ、俺は大体本読んでるし。翔子は大体なんか食ってる。特別なことやるときは事前に部室前にホワイトボードに用件書いて置いておくからすぐわかるよ。まあどうせみんな部室に来ないだろうから、お花見と文化祭以外のイベントに参加するのはこの四人になるだろうけどね」

 俺はどうやら勝手に数に入れられているらしい。逢坂さんも俺が毎日部室に行くなら自分も行く! と言っていたらしいので、四人、ということになっているとか。

「……学校の七不思議とか調べたりするんですか?」

「うん? なんだそれ?」

「いや、別に興味は無いんですけどっ。なんか翔子先輩が言ってたんで」

「七不思議かぁ、面白そうだけど、聞いたことないな」

「え? そうなんですか? そういえば桜の木の下に黒猫の幽霊が出るとかそんなことも言ってたような。それってここらへんのことですよね」

「うちの学校で校庭にある桜の木の下って言ったらやっぱりここだもんなぁ。ああ、そういえばそんな話あったかも」

 翔子先輩が意気揚々と話していたものだから、てっきり有名な話なのかと思ったがそうでもないようだ。当の本人はぼーっと幽霊部員たちのどんちゃん騒ぎを見ているだけで特になにも言ってこなかった。

「そうだ、これからも部活に参加するなら連絡先教えてくれよ。ほら、井上、ケータイ出せ」

「あっ、あたしもあたしも!」

「え? あ、はい」

 ふたりにせっつかれて携帯電話を取り出す。高校入学を機に買ってもらった携帯電話のアドレス帳にあるのは家族と川原のアドレスだけだ。高校入学以来、川原以外では初めてのアドレス交換。

「翔子せんぱーい! どこ見てるんですか? 翔子先輩のアドレスも教えて下さいよ?」

 逢坂さんが翔子先輩を呼ぶと、ようやく自分の背後でなにが行われていたかに気づいたらしい翔子先輩がちょっとだけ申し訳なさそうにつぶやいた。

「あー……できないんだ」

「今日ケータイ忘れてきちゃったんですか?」

「いや。ケータイ、持ってないんだ」

 翔子先輩の発言に一瞬場が静まる。二階堂先輩が思い出したように納得するのを、俺と逢坂さんはきょとんと見ていた。

「翔子先輩の家って子どもがケータイ持つの反対されてるとか?」

一番初めに口を開いたのは逢坂さんだった。最初こそ翔子先輩に対してはなんとなく対抗意識があるような感じで接していたが、今は翔子先輩の連絡先を教えてもらえなかったことを本当に残念がっているようだった。翔子先輩とも仲良くなろうと彼女なりに頑張っているのだろう。

「別にそういうわけじゃないんだけどさ。なんとなく。・・・・・・それに、電話とかメールとかする相手、いないし」

「電話とかメールならあたしたちがしますよ? ねっ井上くん」

「え? ああ、そうですよ。二階堂先輩もいますし」

「二階堂とは別に話したくない」

「ちょっ、ひどくない? なぁ、それひどくない?」

「でも、お前らが相手してくれるなら買ってみてもいいかなぁ」

 いつものにやにや笑いをしながらも、その中にちょっとだけ翔子先輩の無邪気な嬉しさを感じたような気がした。


 

それぞれが思い思いに楽しく過ごしたお花見はあっという間に終わりの時間になった。校庭で練習をしていたサッカー部や陸上部もすでに片づけをし始めている。

二階堂先輩は途中で生徒会の仕事のために抜け、逢坂さんは多くの幽霊部員達に囲まれて校舎の方へ連れて行かれてしまっていた。

「静かになりましたね」

 ゴミもすっかり片付けられた桜の木の下でたたんだブルーシートについた土を払う。ちょっと前まで人がわんさかいた宴会場には翔子先輩と俺だけになっている。

「井上、今日は体調どうだ」

 体調? ――ああ、そうか。平行世界のことか。

「今日は大丈夫です」

「そか、よかった」

 いつもより少しだけ優しい笑顔。校庭は少し前の騒ぎが嘘のように静まり返って、気持ちの良い春の風とまだ微かに聞こえる吹奏楽部の音色だけになっていた。

 翔子先輩が畳んだブルーシートを抱えたまま、鼻歌を歌いながら桜の木のすぐそばまで歩いて行く。

「黒猫の話、覚えてるか?」

「ああ、さっき二階堂先輩に聞いたんですけど、よく知らないみたいでした」

「そか。実はさ、その黒猫って私の飼い猫なんだ」

 え? それじゃあ幽霊でもなんでもないじゃないですか。と俺が言うより先に翔子先輩が続ける。

「正確には、学校で飼ってた、というか……餌付けしてた猫、かな。入学式の日に会って、ひとりでさびしそうだったから毎日餌やってたんだけどまだすごくちっちゃくてさ。そいつあっという間に死んじゃって」

 俺はなにも言えないまま、意外と動物には優しいんだなとか頭の隅で考えながら黙って翔子先輩のことを見ていた。

 翔子先輩がそっと桜の木の幹に手を触れる。

「それで先生たちに許可もらってここに埋めたんだ。でもその後にたまに黒猫の幽霊の話聞くようになって……あいつ寂しいのかなって、なんとなく思ったんだ」

「だから、ここでお花見を開いたんですか」

「そう。ほら、ここって本当に校庭の端だから人来ないじゃん。実際、あれから黒猫を見たって話は聞かなくなったんだ。安心したけど、逆にちょっとだけ私が寂しくなったよ」

 翔子先輩はちょっと困ったように笑ってみせた。懐かしそうに桜の木を見上げる翔子先輩の髪をさらさらと風が揺らす。

「あいつだけじゃなくて、私も寂しかったのかもしれない。だからなんだかんだ言って部活にたくさん人を引き入れたりなんかしたのかな。どうせろくに会話すらできないくせになぁ」

「そうなんですか? でもなんでも去年はオカ研に入部した人のほとんどを部室から追い出したって聞きましたけど」

「あー・・・・・・それは、その・・・・・・事件だ。どうにもうまくいかないから、いっそのことひとりで良いって・・・・・・結局みんな追い返しちゃって・・・・・・次の日も来たのは二階堂だけだったんだ」

 自分の道をひたすら突っ走るような翔子先輩がこんなことを考えているとは。完全にイメージだけど、寂しいなんてこと思ったことすらないような図太い人だと思っていた。

「馬鹿だよなぁ。寂しいくせに。でもさ、きっとみんなそうなんじゃないかな。あほの二階堂も、騒がしい雫も、へたれの井上も。全然そういうふうに見えなくたって、みんなどこかで寂しいんじゃないかって、たまに思うんだ」

 一時桜の木を見つめた後、こっちを見て「でも二階堂はちがうかもなぁ」と茶化してみせた翔子先輩の顔はどことなく優しかった。

「そういえば昨日の質問、途中だったな。……部活、楽しいか?」

「……正直今でもオカルトにはあまり関わりたくないです。でもうちの高校でオカ研っていったら帰宅部のようなもんじゃないですか。なりゆき上俺はクラスメイトからはオカ研に引きずり込まれた被害者だと思われてるみたいだし。まぁほぼ事実ですけど。それに……翔子先輩や二階堂先輩のことは嫌いじゃないですから」

 風に乗って桜の花びらが舞う。

「だから、オカ研に入ることになったのは俺が決めたことで、翔子先輩のせいじゃありませんし、それなりに楽しくやってます」

「そっか」

「そうですよ」

 本当に翔子先輩のせいではないと言えば完全にそうだとは言えないが、オカ研に入ることを決めたのは自分自身だ。冷静に考えると正直なにがどうなってこんな血迷ったことを決めたのかは自分でもよくわからないが。

それでも、ここならなんとなくうまくやっていけるような気がした。

「うっし! 私たちも帰ろうか。片付け手伝わせて悪かったな」

 ふたりして校舎へ歩き出すと、どこからともなく猫の鳴き声が聞こえてきた。

「翔子先輩、今なにか聞こえました?」

「あー、そういや、さっき二階堂と雫がお前のケータイの着信音変えてたぞ」

「はい!?」

 いつの間に!? 焦って自分のケータイの設定を確認すると、メールの受信音が猫の鳴き声になっていた。

「お前はぼーっとしすぎだ」

「翔子先輩はぼーっとしてるフリして結構見てますよね。っていうか見てたら止めて下さいよ!」

 メールは逢坂さんからだった。今日のお礼と、クッキーがなくなってしまったことの謝罪と、これからもよろしく、というメールだった。

 川原以外からもらう、初めてのメール。さっそくメールをくれるなんて、やっぱり優しい人だ。

「おい、にやけてんぞー?」

「ちょっ、にやけてなんかないですよ!」

「うそだー絶対に雫からだな、わかるもん」

「確かに逢坂さんからですけど、にやけてなんかないです!」

 後ろ向きに歩きながらながらからかう翔子先輩を追いかけたが、いとも簡単にするりとかわされた。「どんくさいなー」と笑うと、くるりと体を反転させ昇降口まで駆けていってしまった。

仕方なく翔子先輩を追い掛けて走ろうとすると、また猫の鳴き声が聞こえた。今度は誰だろうと携帯電話を開いたが新着通知はない。不思議に思ってふとさっきまでいた桜の木の方に目をやると、その木の下に黒猫が座っていた。

驚いて立ち止まっていると、後ろから翔子先輩の騒ぐ声が聞こえた。

「井上ぇー! ぼーっとしてると置いてくぞー」

 とりあえず返事を返してから、もう一度桜の木の下を見たがそこにはもう黒猫の姿は無かった。

アドレス帳に少しだけ増えた名前を確認してからそっと携帯電話を閉じ、翔子先輩の後を追った。

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