第七話 心攻戦
長安侵攻は極めて順調だ。
今年に入ってから毎月行っていた、国境付近での練兵。それにすっかり慣れてしまっていたのか、平常通りの防備体制のままだった敵の国境の関門は、あっさりと落ちた。
更には弘農への援軍だろうか、東へと向かう9千余の敵勢を発見。これを側面から急襲して壊乱させる事にも成功したのだ。
これで我が軍の、兵力面での局地的な優位も固まっただろう。あとは…
「張遼! 其方に千騎預ける。弘農方面の偵知と、手薄な敵拠点の放火、そして行く先々で流言を撒き散らすのだ。
『まもなく曹軍20万が弘農を踏み潰して攻め寄せる。最早李傕の命運は尽きた』とな。
委細は任す故、頼むぞ!」
「はっ、お任せを!」
わしは虎の子の騎兵を張遼に授け、別命と共に分派すると、一路長安へと進撃したのである。
「さあ、既に賊共の命運は尽きたも同然! かかれ、かかれい!」
そして3日後。何事も無く長安城に辿り着いたわしは、2万7千の兵を以って賑やかに李傕を攻め立てていた。
但し、昼夜を分かたず交代で、銅鑼を鳴らし、矢を射かけ、歓声を上げてはいるが… 一向に腰の入っていない、ぬるい城攻めである。
皆には城内からの内応待ちの為と伝えているが… 実の所そんな約定は無いし、要所を一族の将で固めている奴にはそうそう決定打とは成り得ぬ。
全ては真の標的… すなわち敵大将たる李傕の心、それを狙っての事だ。
李傕はやや細心だが、将としては堅実な手腕を持つ男だ。曹操が弘農に攻め入ったのとほぼ同時にわしが攻め寄せて来たからには、当然我らの連携を疑っている事だろう。
そして奴も、わしの事は堅実でまっとうな将だと認識してくれている筈だ。そんなわしが威勢は良くともぬるい攻囲に徹していれば… 曹操がやって来るまでの時間を稼いでいるのではと、疑念を募らせてくれている事と思う。
弘農に攻め込んでいる曹軍は、少なくとも10万以上だ。奴とて援軍無しで弘農が持ち堪えられるとは考えてはいまい。そして彼の地が落ち、曹軍が包囲陣に加わればどうなるか…
奴ならその辺りは読めるだろうし、そうなればその気質からして「董太師の後継者として、長安で最後の意地を見せん!」といった威勢の良い道よりも、今のうちに脱出し再起を期すほうを選ぶ筈。
それがわしの皮算用だ。
懸念があるとすれば、奴の神仙狂いという性癖がどう判断に影響するかだが…
わしは託宣など体のいい阿りと思っているので、巫女達も「死守が上々吉」といった、共に破滅する様な事は言わぬだろうと勝手に期待しているが、さてどうなのか。
まあ違うのだとしても、そればかりはどうにも成らぬ。わしはわしで、出来る限り奴に圧力を掛け続けるだけだ。
領内の各所で上がっている煙は、虚実の入り乱れた流言は… 奴に否応無く自分の劣勢を感じさせ、不安を煽る事だろう。
それらが、此度のわしの長安攻略の為の「攻城具」と言えよう。
攻囲開始より5日後。
敵勢が夜陰に乗じ、我が軍の監視が手薄だった複数の門から西方へと脱出した、との報が支隊より入った。
どうやら、わしは賭けに勝った様だ。
報告して来た徐晃は、自分の担当方面でみすみす李傕を取り逃がした事を気にしている様だが、元々今の兵力でまともに長安を攻囲するのが無理筋なのだ。責は無い。
だが、生粋の武人には口先で宥めるよりも、行動で信頼を示した方が良かろう。
わしは徐晃を労うと共に、あらためて弘農方面への出撃を命じる事にした。
「未だに弘農方面の敵の動静が伝わって来ぬのが気に掛かる。張遼の部隊とも連携し、急ぎ様子を探れ。
わしも長安を固めたら後を追う故、頼むぞ!」
「はっ、直ちに!」
…時間的に、そろそろ曹操も弘農を落とす頃合いであろう。
そして「真実」を知らず有能な二人ならば、ごく自然な形で事実に辿り着いてくれる筈だ。
あとは、例の手が効いてくれれば…
兵をまとめて急ぎ出発した徐晃と入れ替わる様に、先行して長安へ入城した趙雲よりあらためて「敵影無し」との報が入った。
うむ、手立ての成否を案じるのは後の事。まずは「獲物」を確実に手にしておくとしようか。
「かつては董太師の部下である叔父上の一部将に過ぎなかったわしが、今度は支配者として戻る事になるとは、な。
全く、これだから乱世というものは…」
そんな呟きと共に自然に浮かんだ笑みは、歓喜というよりは苦笑に近かったが、かくしてわしは空き家となった長安へ、堂々の帰還を果たしたのである。
わしが天下に自分の旗を掲げる決意を固めたあの日、宛城で賈詡が指し示してくれた「夢想」は… 今や現実となったのだ。