第六話 長安進撃
曹操と不戦の盟を交わしてより、気づけばはや半年の歳月が過ぎた。
無論、手にした貴重な時を無為に過ごしていた訳も無い。
財源と両睨みの末に、何とか新たに3千余の兵を編成出来たし、賈詡と田豊を中心に活発な人材招致を進めた結果、董太師の下で旧交のあった張遼・徐晃、蜀で不遇をかこっていた法正といった者達を新たに麾下に迎え入れる事も出来た。
ゆっくりでも着実に、我が軍は厚みを増し続けていると言えるだろう。
…まあ、同じ期間に袁紹などは、主力を以って公孫瓚を北平から追い落としたかと思えば、一軍を以って混乱する青州を瞬く間に平定したりと派手に暴れたりもしているが、元々の地力が違うのだ。比べまい、羨むまい。
そして建安2(197)年7月。
わしはほぼ全軍、2万8千余の兵を率い宛城を出立。「練兵」の為にゆっくりと、西へと兵を進めていた。
…懐かしくも忌まわしい、長安への道だ。
長安をどう我が物にするか。
わしには皆目思いつかなかった手立てだが、賈詡曰く「漢の忠臣同士の連動」を利用する事になっている。
要は曹操が弘農に侵攻する機を見計らい、わしがそれに僅かに先んじて長安へ侵攻し攻略。
互いの出兵が「偶々連動してしまった」態を取り、奴に同地の支配を円満に認めさせる、という策だ。
正直、最初にこの策を聞かされた時には、あの曹操を相手にそんな事が都合よく出来るのかと思い、問いただしてしまった。
だが賈詡の返答は… 今回の策は曹操相手だからこそ可能である、というものだった。
『曹公は大事な戦の際には、必ず自ら指揮を執ります』
『そして公は現在、司空として国政を担っております。よって出兵の際には立場上、長期に都を留守にする為の政務委託や暇乞いのための参内といった、何らかの兆候を示す筈です』
『故に帝のお傍の者に意を含めておけば、公の出陣前にそれを察知する事が可能なのです』
わしに長安奪取の利を説いた時の様に、そう順を追って理を説いた賈詡。
その時の不敵な笑みは、何とも頼もしかったものだ。
そしてあやつは、策の仕上げに帝をも利用しようとしている。
「殿、狼煙が上がりました。3本! 間違いなく3本です!」
行軍しながらのわしのそんな追想は、副将・趙雲の叫び声によって不意に中断を余儀なくされた。
…時は来た。曹操が動いたのだ。
いよいよだ。
わしは一呼吸すると馬上で剣を掲げ、皆に高らかに激を飛ばす。
「皆聞け! 密偵の報告によれば、逆徒・李傕は未だ我らの動きを察知してはおらぬ! 常の『練兵』と思い込み、国境を固めてはおらぬのだ。
ならば… 奴との兵力差など今や無きも同然。弘農より援兵が来る前に一気に片を付けるのみ、だ!
行くぞ者ども! 大義も、戦機も、我等のものぞ!」
かくして「奇襲成功の知らせ」に沸く兵士達の歓呼を受け、わしはあらためて全軍に長安への進撃を命じたのだった。
…そう、皆には狼煙は「奇襲成功の合図」という事にしているが、実際は曹操の先鋒が間違いなく弘農に侵入したという知らせだ。
用兵巧者の奴が虚を突き他所へ向かう可能性を考慮した、万一の備えとしての合図だったのだが… この場でそんな真の意味を知っているのは、わしと趙雲のみだ。
なにしろ、わしは「曹操が兵を動かしている」事など、今はまだ知る由もない。
「覚悟を決めて李傕に決戦を挑んだ時が、偶然奴の進軍と被ってしまった」
ただ、それだけなのだから。
賈詡は宛で全てを睨みつつ不測の事態に備え、わしと同じく道中で狼煙を見たであろう田豊は、今頃許都へと急ぎ向かっている筈だ。
皆が「隘路」をこじ開ける為に全力を賭している。
だが… わしが長安を速やかに落とせねば、全ての策は画餅と化すのだ。
全く、心躍る状況よ。
「李傕直属の兵力は、おそらく我が軍と同程度。あの長安城でまともに防戦されたら… 短期で抜くのは難しかろうし、無理押しで兵を損なっては後の展望が開けなくなる。が…
わしと李傕は、共に董太師の下で轡を並べて戦った仲だ。わしが奴の事を知っている様に、奴もわしの事は知っていよう。そこが付け目かな」
そんな呟きを漏らしつつ、わしは兵を鼓舞しながら一路長安を目指し馬を駆けさせて行く。
我が命運を掛けた一戦が、いよいよ始まるのだ。