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第三話  月下の独宴

建安元年。わしが初めて己の旗を立てた年も、まもなく終わろうとしているある日の夜。

わしは城の高台に腰を据え、月を肴に一人、杯を傾けていた。

別段、孤高を気取りたくなったわけでは無い。単に来る新年に備え、少しばかり心中の憂さを吐き出しておきたかったのだが、賈詡は許都への旅路、胡車児も新野の守り手と、共に出払っており、格好の相手がいないがための独杯である。


「まあ何とも、常に人の目を意識するというのは気詰まりな事よ。人の上に立つ、というのも楽ではないな…」

月を仰ぎ、心中の憂さを吐き出し、酒を呷る。

なんともしまらぬ様だが、鬱屈をためこみ人前で馬脚を現す危険を考えれば、安いもの。

人目の無い所でまで格好をつけても始まらぬ、というものだ。


しかしかつては憧れた君主という地位も、弱小勢力故か、なってみればなったで今の所は労苦が先立つばかり。まあ行く末の全てが自分の裁量にかかっていると思えば、やりがいに不足は無いのだが。

「叔父上や、あの董太師も、時にはこんな気持ちを抱いておられたのかな…」

そしてわしは、そんなもう絶対に答えを得られぬ疑問を呟きながら、静かに杯を干した。




賈詡と今後の方針を決したあの日から、はや四ヶ月。

わしは勢力の地固めに兵の徴募・調練など、君主として将として、日々を慌ただしく過ごしていた。

中でも、他者から見えるわし、つまりは「あるべき張繍像の確立」には、賈詡の助言も踏まえつつ細心の注意を払って臨んでいたのである。 


あの後すぐ「衆に推され亡き叔父の軍を引き継いだが、帝への忠節には変わり無く、逆徒を討ち忠心を表したい」そんな上奏を季節の貢物と共にあらためて帝に奉ったし、宛の有力者達を集め協力を要請した会合では、酒に酔って「思わず」漢室の衰微を嘆き、李傕を討って功と名を挙げたいという「心底」も述べた。

「漢室に素朴な忠誠心を抱く武辺者で、青史に名を刻み地位と富貴を得ることが望みの、たかの知れた者」

「直ぐに対処せねばならぬ程危険では無く、うまく手懐ければ軍ごと取り込めるやも知れぬ勢力」

そんな印象を世間に確立すべく、そして曹操にもそれを「伝える」のではなく「伝わる」ように。

まあ細部を除けば左程実像と掛け離れていない分、背伸びをしてみせる苦労は無かったのだが… それでも常に「あるべき自分の姿」を意識し続けるというのは、どうにも気疲れの絶えぬものであった。

そのせいだろう。来るべき戦の事だけ考えて兵を調練している時が、かつて無いほどに楽しく感じられたものだ。


もっとも、考えてみればこんなぼやきは、賈詡がこの場に居たとしても、あやつにだけは零せぬ。もし零せばあやつのこと、労ってさえくれるだろうが… それでもわしの矜持が許さぬ。

なにせ賈詡のこの四ヶ月の忙しさといえば、とてもわしの比では無かったろうから。


我が張繍軍の兵は乏しい。そして何の自慢にもならぬが、人材はもっと乏しい。

おまけに乏しい人材もわしや胡車児の様な武人ばかりで、政略に長けたものなど賈詡しかおらぬ。

その為、そちらの面はついあやつに任せきりにしてしまっていたのだが… 正直報告書を読んだだけでも、いかに負担を掛けていたかと忸怩たる思いがある。


わしの「実像確立」と後の外交交渉を有利に進めるため、長安時代の人脈を使っての様々な宮廷工作。

周辺勢力の動静をいち早く知るため、領内各地に狼煙台を設置したり、潜入させる諜者を編成・配備したりといった防衛・諜報体制の整備。

慢性的な人材不足を解消するための、新たな人材の捜索と招聘。

そして今まさに向かっている途中である、来年早々にも行われる曹操との同盟交渉…

まったく、もしあやつを首尾よく迎え入れる事が出来ていなかったら、一体我が勢力はどうなっていたものやら。



さて、つらつら今年を振り返りながら飲んでおったら、もう酒も残り少なになってきた。気分としてはもう一瓶くらいはいきたい所だが… まあ止しておくとしようか。

そう。色々と苦労はあったが、全ては順調な筈なのだ、おそらく。


まず領土が増えた! 城主不在で権力の空白が生まれていた、南方の新野への進駐に成功したのだ。

もっとも、あちらの防衛に割ける兵の余裕などは無いので、董太師仕込みの擬兵の計など、あらゆるはったりを駆使して抑えているだけなので、いつまで維持出来るかは知れたものでもないのだが… まあそれはそれだ。


そして兵力が増えた! 離散していた叔父上の元麾下が一部帰参して来たし、流民や領民から募集した新兵も加わり、合わせて五千くらいは増強出来ただろう。

…その分、当然ながら銭殻の消費も増してきたので、ことに糧食など秋まで持つだろうかという不安も出て来たが、まあそれもそれだ。


更に人材も増えた! 今や我が軍には、新たに田豊・趙雲・趙範という三将が加わってくれているのだ。

特に前二者は、他の勢力から我が方に転じてくれた者達で、実に頼もしい。

まず田豊。あの袁紹の幕僚から転じたと聞いた時には、思わず能力以前に正気を疑いたくなったのだが、どうも袁紹とは何かと折り合いが悪くかなり鬱屈を溜め込んでおり、そこを賈詡が冀州まで出向いて口説き落としたらしい。

確かに気難しく剛直な所があるようだが、才気も実務も申し分無さそうな男であり、今は人事面を中心に精力的に働いてくれている。

次に趙雲。あの公孫瓚の麾下であり、田豊が以前戦った時より目を付けていて、今回手土産代わりに招聘してくれた将である。

若く門地も実績も無い為、袁紹はあまり引き抜きに興味を示さなかったらしいが、共に兵の調練をしつつ観察していると、相当の拾い物のようだ。

武芸もさることながら、誠実で胆力がありそうな男であり、来るべき戦いでは是非一隊を任せてみたい楽しみな将である。

そして最後に趙範。新野で我らの招聘に応じてくれた処士である。

特にこれといった才人では無いようだが、領土拡大の成果の一つであり、きっと役立ってくれる事だろう。


うむ、大丈夫だ。うまくいっている。きっと来年も、うまくいくに違いあるまい。

とりあえず不安は脇に置き、自信に溢れた君主を演じ続けられる心の余裕は取り戻せた気がする。

わしは瓶を逆さに振り残った酒を盃に満たすと、それを振り上げ月に掲げた。

ここが人前ならば帝の万歳でも寿ぐ所だが、今は誰も見ていないのだ、構うまい。

「我が軍、そしてわしを支えてくれる者達に幸あらんことを!」

わしはそう寿ぐと、ゆっくりと杯を干した。

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