第十話 漢中への道
李傕の首と董太師の遺産。そんな大きな戦果を得て意気揚々と長安へ凱旋したわしであったが、相も変わらず慌ただしい日々は続いた。
新たな我が地盤となる雍州の復興策は喫緊の課題であるし、先の戦いで得た李傕の降兵6千余の再編成も揺るがせには出来ぬ。そして、初めてとなる勅使の応対等々… まさにやるべき事は山積みだったのだ。
とはいえ、長安入城直後に比べれば、どうという事も無い。
「長安の復興計画につきましては、基本的に鍾繇殿の案で宜しいかと存じます。なお、他の州へ流出した住民の帰還を促す方策ですが…」
「こちらが雍州の主な名士をまとめたものです。このうち協力を見込めますのは…」
なにしろわしが下弁から戻る間に、宛から賈詡や田豊といった頼もしき文官達が合流してくれていたからである。
皆に諮りつつ当面の課題に目鼻を付ける。そんな一連の処置が終わり、久方ぶりに賈詡と今後の方策について語らう余裕が出来たのは、8月も終わろうとしている、そんな頃であった…
「さて、無事長安を確保する事は出来たが… 北の馬騰といい西の米賊といい、容易く打ち破れそうな相手では無いな。やはり当面は、素直に内を固めつつ兵を養うべきかな、賈詡?」
わしは先の長安攻略によって大いに名を上げると共に、新たな本拠地と伸びる余地を得た。
ただ、それはあくまで「余地」の話であり、周囲の勢力が皆わしより多くの兵を擁しているという現状には、未だ変化は無かったのである。
とはいえ、まるで先の見えなかった宛時代と、手をかければ好転する先行きが見える現状では、無論比ぶべくも無い。
当面の資金にも不安は無い事だし、ここは一旦腰を据えて… というのがわしの考えであったが、賈詡の思案はやや異なっていた様だ。
「はっ、確かに今は地固めの時でありましょう。ですが腰を据える前に、多少無理をしてでも漢中は押さえて置きたく思います。
彼の地を放ったままでは、今後の我が軍の動きに常に制約が掛かる事になりましょう」
漢中。米賊・張魯が治める険要の地であり、交通の要衝。そして位置的に長安に突き付けられた小刀とも言える地だ。確かに賈詡の申す事は尤もではある。が…
「そうは言うが、彼の地は険阻で守り易き地と聞くぞ。今の我が軍で落とすのは難しいのではないか?」
もっとも、わしが思う様な事を賈詡が考えずに話す筈も無かろう。わしの問いは、良き方策を期待しての問いかけでもあった。
そして、こういった時のわしの思いは、未だ外れた事は無い。
「はい。ですが我等が腰を据えて地固めをするという事は、張魯にも守りを固める時を与える、という事でもあります。
現状ではこれまで李傕の目が東に向いていた事もあり、彼の地のこちらへの備えは充分とは言えず、総兵力も4万に満たぬ様ですが… もし時を貸し充分な兵を揃えられては、より厄介な事になりかねぬかと。
また今ならば、その間隙を利用する術もございます」
そういうと賈詡は、さっと姿勢を正してわしの目を見た。
「私に一案がございます。
つきましては殿、まず手始めに、張魯を討伐する意思を高らかに宣言して頂きたく思います。『漢中を欲しい侭に占有し、租税を横領する張魯の無道は黙視出来ず。帝の御為に道理を正さん』と。
またその上で張魯にも使を送り『前非を悔い帝に服すれば罪は咎めぬ。さもなくば10万の兵にて誅罰を加える』と勧告して頂きたく…」
張魯を挑発するかの如き宣言と、到底通じるとは思えぬ虚言の脅迫。それでは、ただ徒に敵を警戒させるだけの策では無いか。
そんなわしの疑問が顔に出たのであろう。賈詡は頷くと言葉を継いだ。
「はい、彼の地は雍・益を繋ぐ交通の要所。流民達に加え李傕の残党も少なからず流入しておりますので、殿のお思いの様に、10万などという虚言が張魯に通じる事はありますまい。ですが、我等の断固たる漢中攻めの決意は伝わる筈」
そう述べると賈詡は、いつか見た事のある微笑みを浮かべた。
「漢中は要害の地。充分な兵力があれば容易には落ちませぬ。ですので張魯には、やはりもっと兵を増やして貰おうではありませんか」
それは、以前わしに長安攻略策を説いた時の微笑みだ。
どうやらわが「頭」には、何やら思惑がある様だ。




