01話 チュートリアル教室
兄夫婦や姪に迷惑をかけるよりは。
そんな考えが、頭をよぎったのだ。
PCからの入力画面でキャラクターの名前と外見を設定する。
名前は簡単にマサヒロにした。
外見は年齢背格好から髪の色まで、好きに変えられた。
ただし、性別だけは変えられないようだ。
容姿にそこまでのこだわりはなかったので、年齢を二十歳にしただけで終了した。
別に変えるほど自分の顔が嫌いではないのだ。
ただ、髪の毛だけはふさふさにした。
そこだけは譲れない。
病衣に着替え、衣服を入れたスーツケースを担当に預ける。
ジェル状のベッドに横たえながら、用途のよく判らない錠剤を飲み身体に検査機器を取り付け、最後に頭にVRをセットして準備は終了した。
ログイン。
視界が真っ黒から真っ白へと変わった。
不思議と目は痛くない。
次第に、視界が明瞭になっていく。
そこは多少広めの一見してログハウス風の部屋だった。
部屋内には数名の人間が立っていた。
いや、この場合キャラと呼ぶべきだろうか。
周りの数名の人間と同じように、いつの間にか足で立っていた。
一番前は一段高く机や黒板も設置され、教卓のようになっている。
教師らしき人間はいない。
その右手の方にはノブの付いたドアがある。
きょろきょろしていると、すぐ横に幽霊のように半透明の人間が現れ、そして次第に濃くなって実体化していく。
なるほど、自分もこうだったのかな、と考察する。
なんとはなしに見ていると、実体化した人と目があった。
金髪の美丈夫だ。
設定は自由とはいえ、よくもまぁここまで作り込んだものだ、と密かに感心する。
「…………」
「…………」
互いに無言だ。
ちょっと気まずい。
「……ども」
とりあえず、右手を上げて挨拶する。
「……やぁ」
相手も右手を上げて挨拶してきた。
にこっと微笑み合う。
なんとなくほっこり。
外見はともかく、気は合いそうだ。
そんな事をしている間も周りに次々と人が現れていく。
四十人くらいだろうか、現れる人間が途切れたタイミングでドアが勢い良く開いた。
そこから服装は西洋のそれだが明らかに日本人の女性が靴音を響かせながら教卓へと歩を進める。
一段上がって脇に持っていた辞書らしき本を机に置き、ぺこりと頭を下げる。
「どうもはじめまして、ユーザーの皆さん。私はチュートリアル四番担当イズミと申します。よろしくお願いします」
元気な声だ。
遊園地のアトラクションのお姉さんを思い起こさせる。
その声に応じてまばらに「よろしくお願いします」と声が聞こえる。
なんとなく気恥ずかしくて声が出なかった。
ちょっと俯きがちになる。
微妙に情けない精神状態だったからだろうか。
「よろしくお願いします」
すぐ左で発せられた声が、いやによく聞こえた。
女性の声だ。
反射的にゆっくりと見ると、年齢二十歳くらいだろうか。
腰まで伸びた綺麗な黒い長髪に透き通った肌。両手を前で組み、やんわりとした印象を抱かせるその姿勢は正に大和撫子のイメージぴったりだった。
服装が西洋風なのが本当に勿体無い。
とりあえず見惚れてしまったのがばれないようにすぐに顔を前に戻し、教卓のイズミさんに目を向ける。
イズミさんはセミロングの比較的端正な顔立ちの女性だが、大和撫子さんを見た後だと物凄く普通の女性に見えてしまう。
相手が悪すぎる。
そんな大変失礼な事を考えながら、イズミさんの話を聞いていく。
それはゲームをほとんどした事のない人達の為の比較的簡単なゲームの説明だった。
「――というわけで、ご注意ください。体力気力共に500から始まり、イベントやスキルで増減します」
ここはチュートリアルエリアと呼ばれる場所で、ゲーム時間で半年だけの期間限定エリア。
このエリアのみ死亡しても復活有り。
とっとと先に進めたい人は北の森の大扉を抜ければいつでも本編に進めるとの事。
そして、システムが巷に溢れているJRPGとはちょっと違うらしい。
そういえば、と思い出す。
確か、受託した会社は同人から大きくなった会社とか。
ゲームなんてした事のない学歴だけの人間を採用する会社と、ゲーム馬鹿の人間達が集結した会社。
一概にどちらが悪いとは言わないが、少なくとも後者の方が冒険心は高いだろう。
「――ステータスが上がってその結果レベルが上がるものと思ってください。さて、次にスキルですが――」
一応レベルの項目があるが、強さの目安的な意味だけらしい。
敵と戦わず、訓練のみでステータスを上げてもレベルは上がるのだとか。
「――つまり簡単に言えば、魔法スキルは使い込めば使い込む分だけ威力は上がり消費気力は下がる。これだけ覚えておけば他は何とでもなります」
行動やイベントによって様々なスキルを勝手に覚える。
覚えられるスキル枠は最大十個。削除=経験もリセット。
一度覚えたスキルに限り設定で回避にチェックできるとの事。
試しに設定、と心に念じると指のアイコンと共にスキルとソートと痛みの項目が視界の端に浮かび上がる。
痛み設定か。
アイコンは無視して痛みの項目に集中すると、%の表示に移る。
全く痛くないというのも危機感が失われそうで、20%に設定しておく。
一つの項目に集中してもいいし、アイコンを念じて動かしてもいいし、ご自由にどうぞ、なんだろう。
「――奥の建物が宿で、広場の大きな建物が倉庫と図書室、買い取り場になっています。倉庫には全ての初期武器が置いてあるので好きにお使いください」
魔法スキルに関してだけは本を見ないと覚えないらしい。
これに関しては条件が冒険心溢れるものじゃなくてひどく安心した。
何もない虚空に向かって「光よ」とかポーズ付けて叫ぶのは一般人にはハードルが高すぎる。
「――最後に、スキルにはレアスキルと呼ばれるものがあります」
む?
重要な説明と思えたのか、少しだけざわついていた場が静まりかえる。
「取得条件は明らかではありませんが、チャンスを逃さない為にも最低一つはスキル枠を空けておくのをお勧めします。例を述べると、指向性広範囲攻撃の光の剣や龍の咆哮、ユーザーを護り、時には一緒に戦ってくれる守護霊などですね」
守護霊か……ふむ、幽波紋やペルソナみたいなもんかな。意外と面白そうだ。
光の剣などは微妙に食指が動かなかったが、守護霊はなんとなく興味が湧いた。
条件が判れば是非取りたいな。
そんな事を考えていると、視界の左で大和撫子さんがぽんと可愛く手を叩く。
「うしろの百太郎ですね」
静かな場で、そんな声が響く。
「…………?」
その言葉の意味は判らなかった。
しかし、名前の響き的に古そうなイメージは感じる。
周りを眺めると、やはり大半の人間は首を傾げていた。
しかし、一部の人達はうんうんと頷いている。
通じ合うものがあるようだ。
「えーと、では、長々と説明を聞いてくださり、ありがとうございました。これよりスキル取得開放となります。こんな事を言うのもなんですが、できるだけ長く生きてこのゲームを楽しんでください」
言ってぺこり、と礼をしてイズミさんは軽やかに部屋を出ていった。
最後まで元気一杯な人だった。
彼女が部屋を出ると同時に皆がぞろぞろと動き出す。
気分的に人混みは苦手なのでその場で待つ事にした。
全員部屋から出た後にのんびりと動く方がストレスが溜まらなくていい。
ふと、右を見ると先ほどの金髪の美丈夫がこちらを見ていた。
こちらもつい見てしまう。
《【観察】取得》
おおう。
いきなりのスキル取得にちょっとびくりと身体が震える。
同時に美丈夫さんの頭上に文字が浮かぶ。
名前 ※※※※
種族 人
レベル 1
項目はこれだけだった。
どうやらスキルのレベルが低いらしい。
名前的に観察というくらいだから、周辺を適当に見てればレベルは簡単に上がりそうな気もする。
しかし、ちょっと考える。
はたしてこのスキルは必要だろうか。
スキル枠は十個で、増える可能性はまずないだろう。
貴重な一枠だ。
まぁ残り一枠になったら考えるか、と思考を中断する。
「ちょっといいかな」
視線はそのままに、美丈夫さんがこちらに微笑む。
なんというイケメンスマイル。
作り物と判っているが、それを踏まえても女性なら嬉しくなるんじゃなかろうか。
残念ながらノーマルな男だから大して効果はないが。
「なんだい?」
とりあえず返事を返す。
雰囲気的には友好ムードだ。
美丈夫さんの右手が上がる。グーの形から親指だけが上がっている。
サムズアップだ。
「アドレス、交換しないか?」
その言葉にティンと来る。
先ほどのイズミさん曰く、このゲームには指定チャットや念話というものは存在しないらしい。
その代わりにあるのがアドレスからのメール機能だ。
メールで待ち合わせや細かい情報のやり取りなんかをするそうだ。
とりあえずこちらもグーの形で右手を上げ、親指を上げる。
サムズアップだ。
「おーけーだ」
了承。
この美丈夫さんとはなんとなく気が合う。
パーティを組む組まない関係なく、アドレスを交換しても損はしないだろう。
二人の間に淡い友情のサムズアップが成立する。
そんな折にひょこっと横から新たなサムズアップが出現した。
小さな手だった。
女性の手だ。
視線を向ける。
美丈夫さんも視線を向けていた。
そこにはほんわか雰囲気のえらく嬉しそうな表情の大和撫子さんがいた。
「よろしくお願いします」
良い笑顔だ。
壊したくないその笑顔。
「えーっと、よろしく?」
ややぎこちない笑顔で美丈夫さんが応える。
ここで大和撫子さんに向かって「あなた無関係でしたよね」などと指摘しても不幸しか生まれない。
ならば幸福の道を模索するべきだ。
「ども、よろしくです」
というわけで、過程はスルーして結果だけを残す事にした。
三人の間に淡い友情のサムズアップが成立した。