そして世界に色がつく
「あ、あの!」
校門を出たところで聞きなじみのない声に呼び止められた。真咲は不審に思いながら振り返った。背後に立っていたのは私立青城学園の学ランを着た男子高校生だった。私立青城学園は男子校だ。真咲が通っている都立幸海高校からは一駅離れたところにある。
真咲は無言のまま男子を見つめた。相手は制服を大胆に着崩し、髪を茶色に染めている。前髪をかわいらしい花の髪留めで固定していていかにも軽薄そうな身なりだ。こういう手合いは真咲の苦手分野である。幸海高校は進学校の部類に属する学校だ。一応。今日は部活が休みだから早く家に帰ってゆっくりしようと思っていたのに。予定を狂わされてため息をつきたくなる。
真咲の全身から漂う倦怠感を察したのか、男子はうっとたじろいだ。しかし今更思いとどまることもできなかったようで、ぐっと拳を握ると勢いのままに真咲に向かって頭を下げてきた。
「俺は原木陽平といいます! あんたのことが好きです! お、俺と付き合ってください!」
「……え、」
真咲は目を見開いて硬直する。いきなりそんなことを言われても困る。まさかの公開告白に野次馬がざわめいた。真咲は動揺しながら、いや、と口を開いた。真咲の声を聞いた陽平が「あれっ」と瞬きをする。
(あれってなんだ。あれって)
何かおかしなことをしてしまっただろうか。真咲は困惑する。
「も、もしかして、あんた、おんなの、こ……?」
「は!?」
呆然とつぶやく陽平に真咲は今度こそ飛び上がる。当たり前だ。だから告白してきたのではないのかと真咲は憤った。確かに今まで何度も性別を間違われてきた。身長はぴったり170センチ。胸のサイズはAAだ。足にまとわりつくのが嫌で真咲はスカートではなく、スラックスをいつも履いている。幸海高校の女子生徒はスカートかスラックスかの二種類の制服を選べるのだ。おまけにリボンかネクタイかの選択も自由である。
髪もショートでうなじに届くか届かないかという長さしかない。顔立ちも他の女の子のように丸くはなく、どちらかといえば顎のラインがしゅっとしている。他校の生徒からは高確率で男子だと思われてきた。逆ナンされたことも一度や二度ではない。
まして真咲と陽平は初対面だ。勘違いされても仕方ない。仕方ないが、面と向かって告白するには誠実さが足りなすぎやしないかと真咲は思う。もう少し下調べをしてから出直してこい。真咲はピシャリとはねつけようと口を開いた。そのときだ。
「っぶ、ぎゃははは! ダッセー! まじありえねえ!」
「お前バカだろ! バカだろ! ぶっひゃははは!」
下品な笑い声が通りの向こうから聞こえてきた。視線をそちらへと滑らせれば陽平と同じ青城学園の制服に身を包んだ男子たちの塊が腹を抱えて笑い転げている。そこでようやく真咲は合点がいった。おそらく、これは罰ゲームか何かなのだろう。陽平は真剣に真咲が好きなわけではないのだ。
「あ、あの、おれ……、」
話しかけられて真咲は視線を戻す。陽平の首から上は熟れたリンゴのように赤く染まっていた。
(あ)
かわいい。真咲はキュンと心臓がときめくのを感じた。
「ほ、ほんと、すみません。勘違い、して」
女子のように両手で顔を覆い隠して、もじもじと恥じらいながら謝罪をしてくる陽平。穴があったら入りたいとオーラが物語っていた。なんだか人懐こい大型犬のようだ。頭を全力で撫で回したくなる。
「いい。慣れてる。それに同性愛者だと思われるほうが恥ずかしいと思うけど?」
男子校ではそういうのはよくあることだと風の噂で耳にした。
真咲はにっこり微笑んだ。家族にだって滅多に見せない満面の笑顔だ。真咲はブレザーの胸ポケットからボールペンとメモ帳を取り出すとサラサラと携帯のアドレスと電話番号を書き付けた。
「――嘘でも嬉しかった。気が向いたら連絡して」
「は、はい?」
陽平の戸惑いなどまるっきり無視して手の平にぽんとメモを乗せると、真咲はそのまま歩き出した。先手は打った。あとは陽平の出方次第だ。
***
「な、なんだったんだ……」
一度も振り返らずに去っていく真咲の後ろ姿は颯爽としていて、様になっていた。幸海高校の女子たちが通り過ぎる彼女に目をとめては、ひそひそとささやきを交わし合っている。陽平は手渡されたメモと真咲の背中を見比べる。変な子だ。とんでもなく変な子だ。
「てっめえ! 何ちゃっかりメアドゲットしてやがんだよ!」
「抜け駆け反対! 俺だって彼女欲しいのに!」
「この! この!」
「ちょ、やめろって!」
成り行きを見守っていた仲間たちがわっと駆け寄ってきた。後ろから首に腕を回されもみくちゃにされる。陽平は慌てた。そういうつもりではなかったのだ。ただの悪ふざけだった。
ジャンケンに負けた人間が幸海高校の校門から最初に出てきた男子に告白する。最初から勝算などないゲームだ。自分たちのように男子校に通う人間ならともかく、共学に通う男子高校生が同性に好意を告げられたからといって頷くわけがない。
本来ならばただの笑い話にしかならないはずが、変なことになってしまった。それもこれも陽平が真咲を男子だと勘違いしたからなのだが。
真咲の涼やかな目元と、薄い唇と、ちょこんとした鼻を思い出す。それからざっくばらんな物言い。陽平の礼に欠いた行動を何一つとがめなかった。
無表情だと威圧感がすさまじかったのに、笑顔になると人を優しく包み込んでくれそうな雰囲気があった。
大人びていて、穏やかで、いかしていた。陽平はまたじわじわと顔に血が上がっていくのを感じる。家に帰ったら連絡をしてみようか。そのあとどうなるかはわからないけれど、楽しいことが起きそうな、そんな予感がする。