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Chronicle  作者: 花咲璃優
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ぬいぐるみを持った少女

部屋に入るなり、言葉を失った。


『柚季おかえり』


それは、くまのぬいぐるみを持った知らない黒髪美少女が玄関が当たり前のように出迎えたから。そして今、その少女は嬉しそうに、俺の部屋で俺に珈琲とクッキーを用意している。


 どうしてこんなことになったんだ?



◆◆◆


「じゃあ、またなー」

「おう、またなー」

簡単な挨拶をして、俺は友達の蒼井あおい 咲真さくまと別れ、咲真は左へ、俺は右へと行く。高いマンションや高いビルが立ち並んだ帰路の小さな空から見える、まだ低い位置にある月を眺めながらゆっくり歩いた。


 少しオシャレな赤茶色をした10階建てのマンションへと入って行く。ずらっと並んだポストの中の自分の部屋のものを開ける。


「よし、なにもないな」


確認を終え、エントランスを抜けると、エレベーターの前に来る。上を向いた矢印のボタンを押し、エレベーターが来るのを待つ。


 暫くして、チンッという軽快な機械音がなり、扉が開く。俺はその箱の中に入り、9階のボタンを押す。扉を上に並ぶ番号の明りが少しずつ、大きな数に増えていくのを眺めて、目的地に着くのを待った。9階に着くと、それを知らせる機械音が鳴り響く音と同時に扉が開き、箱の外に出る。そして、自分の部屋の前に来ると、鍵をズボンのポケットから取り出す。鍵穴に鍵を差し、ガチャリと音を立てながら回す。ドアノブを持ち、開こうとする。が、開かない。


「どういうことだ?」


いつも、鍵を閉めた事をしっかりと確認して、家を出る。それは今日も同じで、いつもと同じ動作をして家を出た。それなのに今、掛けた筈の鍵を開いてつもりが開かなかった。これはどういう事だ?ドクンッと心の臓が一際大きな音を立てる。そして、バクバクと早くなる動悸。嫌な汗が背中を流れて、足が張りついたように動けなくなる。


 おいおいおい、どういう事なんだよ?ま、まさか、まさか、ど、どろ――


「おい、玄関の前で止まって何をしている。さっさと家の中に入ってこい」


最悪の状況が頭を過ぎりそうになった時、少し怒りを含んだ声が家の中から聞こえて、扉が開く。


「柚季、おかえり」

「ただい....ま?」


一人暮らしの筈の俺の家から女の子が出てきて挨拶され、俺は疑問形でその挨拶に応えてしまう。見知らぬ女の子が一人、そこにはいた。


 腰まである長い艶やかなストレートの黒髪。零れ落ちそうなほど大きなくりくりとした瞳は太陽に照らされた海の様な綺麗な碧眼へきがんをしている。通った鼻筋、淡いピンクの唇、透ける様な綺麗な白い肌はまるでお人形の様。真っ白なレースをあしらったワンピースは、少女によく似合っている。そして、1番に目を引く、茶色のくまのぬいぐるみを大事そうに抱きかかえた少女は当たり前のように、俺を出迎えたのだ。


 俺はあまりの驚きに混乱して、扉を持っていた手を思わず離してしまう。

ハッと我に返って、もう1度扉を開くとやっぱり少女は存在し《い》て不思議そうな顔をしていた。


 どうして、こんなにも俺は驚いているか。それは、この少女を俺は知らないからだ。誰でも、知らない女の子が1人で住んでる筈の家おかえりって出迎えてくれたら驚くだろ?って、そんな経験ないよなとか、1人で突っ込む。


 意外と冷静な自分に驚きつつも、この部屋が自分の部屋か確かめる為、もう1度ドアを閉めて、部屋番号を確かめる。


 扉の横についた楕円形のプレートを見る。俺の部屋は0920室。此処は........0920室。ちゃんとプレートにも自分の名字が刻まれている。


 ああ、どうやら間違いではないらしい。これは夢なんだろうか。俺は夢かと思って頬をつねる。痛い............。


「柚季、お前は頭が狂ってるのか? 自分の頬を抓る馬鹿は初めて見た」


凛と響く、耳に残るけど嫌じゃない通る声をした少女は心底馬鹿にした方な瞳で俺を見る。


「く、狂ってねーよ! って、さっきからなんで、俺の名前を知ってるんだ?」


俺は慌てて返すけど、上擦った声は説得力がない。


「ん? 嗚呼、柚季の事なら何でも知ってるよ」


当たり前の事を聞かれて、面倒だと思っているかのようなその態度。冷静に、抑揚のない声は爆弾を落とす。


「君の名は名木柚季ナギユズキで、高校2年生の16歳。家族構成は父、母、柚季で両親は今、海外にいる。これ以上言ってもいいけど、どうする?」

「な、なんなんだ? 君、だれ? なんで俺の事を知ってるんだ?」


さっき以上にまぬけな情けない声をあげる俺に、面倒そうな顔で冷たい視線を送る目の前の少女。だが、今の自分にはそんな事どうでも良くて、混乱した頭をどうにか整理しようと必死に頭を回転させる。


「質問が多い。僕の事、教えてあげるからさっさと部屋の中に入れ。さっきから叫んで近所迷惑だ」


少女はぶすっとした顔をして、部屋の中に入って行く。それはもう、自分の家だと言わんばかりに。


「ちょ、ちょっと、勝手に入るなよ!」


俺は慌てて靴を脱いで、少女の後を追うように部屋の中に入って行く。

 

リビングまで行くと、ガラスのテーブルに少し冷めてしまったみたいなホットミルクとお皿の上にクッキーがあった。ソファに座った少女はホットミルクを手にとって、一口飲むと、「冷たい」と言って、テーブルに置いた。


「勝手にくつろいでるし」


ボソッと俺は呟く。

そんな文句は知らんと言うような無表情で少女は俺に顔を向ける。


「勝手に寛いじゃって悪いね。だけど、これから僕はここに住むから」

「なんだってええー!?」


本日二度目の少女の爆弾発言により、また驚き、今度は大きな声を出してしまう。それを見た少女は面倒だと言わんばかりに耳に手を当てる。「嗚呼、面倒だ」と言うんじゃないかと思う様な態度で言葉を紡ぐ少女は追い打ちを掛ける。


「大袈裟な反応だね。疲れないの?」

「大袈裟って、いきなり知らない女の子が家にいて、これから此処に住むって言われたら誰でも驚くだろ!?」


つい、声を荒げてしまう俺の言葉を吃驚したように見る少女。でも、それは一瞬ですぐに哀しそうな、寂しそうな表情になる。


「そうだよね。何も知らない僕をいきなり住まわせるなんて、出来ないよね。例え、家がなくて困ってても、何も知らないのに無理だよね」


少女は泣きそうな顔をしながら、涙を堪えるようにぎゅっとぬいぐるみを抱きしめる。今にもその大きな瞳から雫が落ちそうな顔を見た俺は、罪悪感の塊がどすんっと重くのしかかる。それは凄く重くて、どんなに言い訳を考えようとしても、その塊が邪魔して何も考えられない。ただ思う事は、小中学生とみられる少女が家がないと言うのに、放っておくのはあまりにも酷過ぎる。それだけで、今の俺には何も考えられない。そして、何も考えず、思わず言ってしまった言葉に一瞬にして後悔する事になる。


「ご、ごめんごめん。悪かったって。俺の家でいいならいいよ」


俯いてる少女の頭を撫でると、少女はしてやった、と言う顔をして俺を見る。


「ふふふ、ありがとう。これからよろしくね、柚季」


さっきまで泣きそうだった顔は何処にも無かった。それはなかったかのように消え去り、意地悪な笑みだけを浮かべる。


「なっ!? 騙したな~!」


騙された事に気付いた俺は、一気に顔が紅潮し、大きな声を出す。だけど、やはりそんな事は知らないと言う顔をした少女は今の俺には惨い言葉を口にする。


「騙してないよ。ホントに家ないしね。それにさー、男に二言はないよね?」


少女は、心が洗われるような天使の様な笑みではなく、悪魔の様な真っ黒な笑みを浮かべる。この子には勝てないとこの短い時間だけでも分かった。本当は嫌だと言いたかったけど、ホントに家がないと言う。嘘かも知れないけど、本当だったらそれはそれで大問題だ。悩んで出した答えは「はい」しかない。だけど、しゃくだから呟くようにしか言えなかった。



「な、ないです........」





――こうして俺の「平凡」な生活が幕を閉じ、「非凡」な生活が幕を開ける。

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