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雪だるまの日

作者: 竜月


「雪だるまの日」


■□■


 雪だるまの命はどこからはじまるのか。

 そう問われても、人間に答えることは出来ないだろう。何故ならワタシたち自身にも解からないのだから。雪だるま界でも議論の分かれる問題なのである。

 ただ、ワタシ個人の考えを言わせてもらうなら、雪だるまの命は、眼を付けられた瞬間に始まる。

 石でもボタンでも硝子玉でも構わない。

 眼でもって自分以外の世界を見つめることで、初めて自分自身の存在を知れるのである。

 さて今回。

 ワタシが手に入れた眼で初めて見たものは、ニット帽を被った少年だった。

 一面雪の積もった気持ちの良い世界で、少年は素手に息を吹きかけながらせっせとワタシを作っていた。

 今回のワタシの制作者は彼か。

 ……制作者に対して、ワタシが持つ感情は複雑だ。勿論強い感謝の念は持っているのだが、同時に全幅の信頼を置いてはならぬと経験で心得ている。彼らはふとした気まぐれでワタシたちを残酷に叩き壊すこともあるからだ。

 ワタシはワタシの顔を見て驚いた。

 今回のワタシの眼は、不揃いの歯車で出来ていた。

 なんと歯車とは! そんなもので眼を作ったと言う話はついぞ聞いたことがない。乙である。粋である。お洒落である。何でも構わないとは言ったが、雪だるまだって恰好良いにこしたことはないのである。

 更に彼は木の棒の腕に軍手の手、三角段ボールの耳、カマボコ型に切った黒い布の口まで付けてくれて、それでも納得がいかなかったのか「うーん」と悩んだ後、家の中へ消えていった。

 ワタシは寒さではなく感動に打ち震えている。

 ここまで真摯に雪だるまを作る制作者はいつ振りであろうか!

 昨今、雪の玉を二つ重ねるだけのずぼらな雪だるま作りが氾濫し、ワタシは雪だるま界の未来を大変憂えていた。

 眼が命と言ったが、耳もあればなお良いのは言うまでもない。

 口を付けてくれれば、自然と笑顔になれるではないか。

 腕と手があれば、多少崩れたって自分で直すことが出来る。

 良いこと尽くめなのである。

 彼を雪だるま作りスタンダード二級として表彰したい気持ちだ。

 ……だが、ただ一つ残念なことがある。

 足を付けてくれなかったことだ。

 彼を責めることは出来ない。誰も雪だるまに足なんてつけない。それが常識になってしまった。しかしもしワタシに足があれば、積もった雪の上をてくてく移動して、好みの彼女や気の合う友達を自ら拵えることだって出来るのに、といつも思うのである。

 彼が小走りで戻って来た。

 そして、持ってきた何かをワタシの顔のど真ん中に刺した。

 それを見て――ワタシは度肝を抜かれてしまった。

 エリンギ。

 エリンギ!

 エリンギである。

 位置的に考えて、間違いなく鼻のつもりのエリンギだ。

 雪だるま史上で見ても、鼻をエリンギで作った制作者はおそらく彼が初めてであろうと思われる。

 エリンギ。

 エリンギ。

 エリンギ……。

 何だかぶらんと垂れただらしのない鼻になってしまったが、それを個性と捉えることの出来るポジティブな雪だるまがワタシである。

 スンスンと匂いを嗅いでもキノコの匂いしかしないが、それをポジティブに捉えることの出来る雪だるまがワタシである。美味しそうじゃないか。

 彼は満足げに頷くと、手袋を持って家の中へ戻って行った。


■□■


「雪だるま 出来上がるまでが 雪だるま」

 これはとある雪だるまが詠んだ名句である。

 勿論我々雪だるまからしてみればいつどこを切り取っても雪だるまだ。当たり前だが。しかし人間にとっては違う。人間にとっての雪だるまとは、作り上げ、完成し、眺めるその一瞬までである。

 一度眠って次の日になってしまえば、それはもう単なる雪山と変わらないのである。

 あれだけ熱心に作り上げたワタシの前を、少年が足早に通り過ぎて行く。


 忘れ去られた雪だるま。

 日がな一日ぼんやりと過ごしていると思われがちだが。

 いやいやこれが案外、ドラマチックでスリリングだったりするのである。



 ワタシは見ている。

 じっと、眼の前を通り過ぎて行く人間たちと景色を見ている。

 まだ太陽の昇る前、静かな薄闇にバラバラバラと言う音と光が現れる。バイクに乗った人間は道路のある箇所にそれを停めると、驚くほど素早い動作で周辺の家をタッチ&ゴー、新聞を放り込んで行く。その一連の動きには全く無駄がない。矢継ぎ早に飛び回る動きはまるでコウモリのようである。もしワタシに足があったとしても、あんな真似は到底出来ない。きっと彼は繰り返し繰り返し同じ作業を続けることで、単純な動きをブラッシュアップしていったのだろう。

 やがて太陽が昇る。

 当然の話だが、太陽は雪だるまの天敵である。我々がどれだけ苦しみと悲しみに地面を濡らそうとも、奴は容赦なく照らし続けて、ちっぽけなる我々を消滅に導こうとするのだ。

 善良なる人間よ。もし汗と涙を流している雪だるまを見かけたら、そっと日傘を差してあげて欲しい。

 とりあえず、今日は幸いなことに厚い雲に阻まれて光は届かなかった。だがそれでほっとする雪だるまはいない。太陽と同時に、雲によってもたらされる雨もまた天敵なのである。即効性から言えば雨の方が凶悪だ。ブツブツになって見かけが悪くなってしまうのもいただけない。

 家から制作者の少年が飛び出してきて、走って行く。今日は寝坊しなかったようだ。昨日は怒られながら母親に車で送られていた。

 父親が出て来た。今日はスーツを着ていたが、昨日は作業着だった筈だ。何の仕事をしているのだろう? 見ためから年齢を想定しても、それほど活発な作業が出来る年齢ではないと思うのだが。足もないワタシが言うことではないかな? だろうね。

 イレギュラーもある。制作者の少年がその天才的な感性でワタシの鼻としたエリンギ。そのお陰で、ワタシは近くを猫や鳥が通る度に肝を冷やすことになった。私の貧弱な腕と手でどれだけ戦えるだろうか。もし折られでもしたら大変だ、大人しく食われた方が良いのだろうか。いやいや待て待て、もはや愛着のあるエリンギ鼻を失うわけにはいかないだろう。そんなことばかり考えていたが、結局襲ってくる獣はいなかった。

 おばあさんが手を後ろ手に組んで歩いて来た。彼女はワタシを見て顔を綻ばせる。結果的に彼女は今日唯一ワタシを見た人間で、嬉しくなったワタシも自然と笑顔になった。元からだが。

 太陽が沈み、皆が家に帰ると、カーテンの向こうからはオレンジの光と声が聞こえてくる。家族の団欒が羨ましくはあるが、ワタシが入ればたちまち溶けてしまうだろう。過ぎたる望みだ。これくらいの距離感が丁度良いのである。

 

 物語を読むようなものだ。

 眼の前を通り過ぎて行く人間たちと景色。

 何気ない一つ一つを決して見逃さないようにして、ぷっくり膨らんだ雪のお腹の中で膨らませて楽しんでいる。

 こうしている内に、やがてワタシは消えるのだろう。

 太陽か、或いは季節の移り変わりによって。

 それもまた雪だるまの運命。

 終わらないものはない。

 今はただ、眼の前の景色を見つめて。

 心穏やかに過ごすばかりだ。



 ――そう、思っていたのだが。

 雲行きが変わったのはある晴れた日のことだった。

 朝を迎え、ワタシははて? と首を傾げた。傾げられないが。

 陽が当たらないのだ。空は青いにも関わらず。

 どう言うことだろうと首を巡らすと(巡らないが)、何やら見覚えのない巨大な四角の塊が現れていて、ワタシに当たる筈の陽を遮っていた。こんなものあっただろうか。最近は耳がふやけてしまって聞こえが悪く、周囲の事態に気付けないことが増えている。

 懸命に耳をそばだてて情報を収集したところ、近所の奥さんの愚痴によって塊の正体が判明した。

 なんとどこかのお金持ちによる四階建ての家屋だそうだ。「洗濯物の乾きが……」と奥さんは憤懣やる方ない様子だったが、私は腕を振り上げ叫びたい気持ちだった。

 ナイスだお金持ち! グッバイ太陽!

 これで午前十一時くらいまでは太陽光に苦しむ心配はなくなったのだ。

 しかも、更に追い風が吹く。

 もう三月も半ばを過ぎたと言うのに急速に冷え込み始めて、何とまたしてもワタシが作られた時と同じくらいの大雪が朝から夜まで降り続いたのだ。

 なんて僥倖だろう!

 降り積もる雪にお腹まで埋もれながら、ワタシはまるで全ての雪と自分が繋がっているかのような気分だった。

 虎の威を借る狐、そうすると気が大きくなるのは人間でも雪だるまでも同じである。

 もしかしたらワタシは永遠に生き永えるのではないか?

 もしかしたら世界は再び氷河期を迎えたのではないか?

 もしかしたら雪だるまの帝国を作る時なのではないか?

 もしかしたらワタシは雪だるま界の始皇帝ではないか?

 もしかしたら人間に戦争を仕掛ける時なのではないか?

 もしかしたらもしかしたらもしかしたら――。

 家の扉が開いて、雪の夜に光が溢れた。

 出て来たのは少年と父親だ。二人とも分厚い防水コートに長靴を履いて、新雪を踏み踏みこちらへ向かってくる。もしも口があったなら「ワタシを踏むな無礼者!」とでも言いたい気分だ。

「……から、もう絶対……いじったりする……ないぞ。父さんの……な模型なんだから」

「はーい」

 声が聞こえ辛いぞ! もっとはっきり喋れ!

 二人は私の目の前に立ち、

「ああ、あった」

 父親が手を伸ばした。

 ――え?

 眼の前が真っ暗になった。

「どうりで出来上がらないわけだよ。このパーツがないから――」

 言葉はそこまでしか聞こえなかった。ふやけた耳は、頭の上に積もった雪に埋まってしまった。

 匂いもしなかった。エリンギは凍ってしまったのか。

 腕を動かそうとすると、木の棒はすぽんと胴体から抜け落ちてしまった。

 そうしてワタシは、あっと言う間にただの二つの雪の塊となった。


■□■


 ワタシの雪だるまの日はこうして終わる。

 儚い終わりと感じる人間もいるだろう。

 だが、儚いからこそ美しい。

 儚いからこそ雪だるまである。

 春が萌え、夏が猛り、秋が佇み、また冬がやって来る。

 いつかは雪も降るだろう。

 そうしたら、貴方にはぜひ雪だるまを作ってみて欲しい。

 眼は洒落た物が良い。

 耳は尖った物が良い。

 鼻は香しい物が良い。

 腕は丈夫な物が良い。

 口が開けば尚更良い。

 足は走れる物が良い。

 そうして出来た雪だるまは、もしかしたらワタシかもしれません。

 その時はどうぞよろしく構ってやって下さい。



      END


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