「お前を愛することはない」と言われたので、労働対価に食事を要求します
よろしくお願いします。
「お前を愛することはない」
結婚式を終え、夜、夫婦の寝室に二人きりとなった途端、夫となったカリウス・ナビレートに言われた。
「…………え?」
「だから、お前を愛することはない。俺に何も期待するな」
冷たく言い放たれ、鋭い視線を向けられ、私はうつむいた。
小さく肩が震える。
口元を手で隠すと、息を整えてから、どうにか言葉を口にした。
「お、お世継ぎは、どうなさるのですか?」
「遠縁から優秀な養子を迎える。とにかく、お前は何もするな。分かったな」
黙ったまま頷く私を見たあと、旦那様は寝室を出ていった。
その瞬間、耐えきれず私の膝は崩れ落ちる。
「…………ふっぐっ……」
もう無理だった。
寝室の外に声が漏れることのないよう、必死に両手で口を押さえる。
「ぶふっ! ぶふふ…………」
空気が手のひらにあたり、くぐもった音がもれた。
目尻から涙をこぼしながら、ふかふかなじゅうたんに倒れ込む。
「お前を愛することはない」という旦那様の言葉が頭の中で繰り返され、息が苦しい。
あまりにもテンプレだ。
こんなにテンプレ過ぎることを言う人いるんだ……。いやいや、成人もして、政略結婚の意味を理解しているであろう立場の人が言うはずない。きっと聞き間違いだ。
などと思っているうちに、第二波「何も期待するな」が来て、もう駄目だった。
旦那様に向かって、指差して笑わなかった自分を褒めてあげたい。
「あー、笑った笑った。「お前を愛することはない」って、政略結婚で初対面の相手に言う言葉じゃないよねぇ……ぶふっ!」
駄目だ。これ、しばらく旦那様の顔を見たら笑っちゃうやつ。
「顔が良くても、性格があれじゃねー」
間違っても、私も愛することはないな。
と、艷やかな黒髪に濃紺の瞳を持つ、整った顔をしたヒーロー顔の旦那様を思い出す。
「あっ! 恋人がいるのかも。えー、ゴタゴタは勘弁なんだけど」
とりあえず、夜を共にしなくて良かったことに胸を撫で下ろし、私は大の字になって寝ても空白の方が広いベッドの上で、やはり大の字になって寝てみた。
明日からもこのベッドは使わせてもらえるのだろうか。
寝心地、最高!
さすが同じ伯爵家でも金のある家は違う。
***
翌朝、誰も起こしにこなかったので、思い切って昼過ぎまで寝た。
「あー、よく寝た」
こんなに寝たのは、いつぶりだろうか。
首と肩をぐるぐる回してから、ベッドサイドにあるベルを鳴らす。が、誰も来ない。
「聞こえない……とか?」
チリンチリンチリンチリーン!!
くじ引きの金を鳴らすリズムで高らかにベルを鳴らしてみる。
「…………あ、誰も来ない系か」
なるほど、なるほど。
実家と同じだから、それはいいとして……私のご飯は?
困った。
この屋敷で私が知っている場所は、この寝室と隣接してる浴室。そして、玄関ホールからここまでの道のりくらいなもの。
食料調達の場所が分からない。
「お腹すいたな……」
『ぐぅ……』
私のつぶやきに返事をするように、お腹が鳴る。
胃がきゅっと縮むような感覚に、胸の奥がざわつく。
食事がないのは駄目。
他はいらないけど、食事だけは……。
「よしっ! 来ないなら、探しに行こう。まずは、着替えないとだ」
頬をペチンと軽く叩き、気合を入れる。
クローゼットを開ければワンピースやドレスがたくさんあった。
「これ、着ていいやつだよね……。袖を通したら弁償とかある?」
前世で楽しんだ異世界恋愛の小説たちを脳内検索していく。
「うん。そこまでのケチヒーローはいないな」
一人で着替えやすいものは……と選びかけ、手を止める。
思わず口角が上がるのを感じながら、私はクローゼットをしめた。
スキップしながら扉の前まで行くと、そっと扉を開けて寝室の外を覗き見る。
「やっぱり誰もいない!!」
初夜のために着せられた──この世界ではセクシーにあたるネグリジェのまま、私は寝室を出る。
ふふんっ。前世ではキャミソールとミニスカートで街を歩き、水着はビキニだった。
この程度、日常よ。
ペタペタと裸足で屋敷内を歩いていけば、くすくすと笑う者、顔を赤くして背ける者、反応は様々だ。
けれど、旦那様を呼んだり、声をかけてくる人はいない。
「ほうほう……。でも、甘い。実家には負けるな」
義母と義妹は、私を使用人扱いしてたしね……。
まぁ大方、事前に旦那様に何か言われているか、冷遇された妻など仕えるのに値しないと思われているか、どちらかなのだろう。
だけど──。
「ごはんが出てこないのは困るんだよ」
頼んだら、厨房でわけてくれるかな?
ま、その厨房の場所も分からないんだけどさ。
さてさて、見知った顔はいないかなー。
視線のみで周囲を見回しながら角を曲がると、老齢の執事と鉢合わせた。
あっ! 旦那様といた人!!
「あの──」
旦那様はどこですか? そう口にする前に、執事は自らの上着を素早く脱ぐと、私の肩にかけた。
その顔には、眉間に深いシワが刻まれている。
「…………奥様、大変申し訳ございません」
絞り出すような声と小さく震える手。
周囲を見る氷のような眼差し。
「まともな人だ!」
思わず口から出た言葉に、執事は目を見開くと、小さく笑う。
「私、侍従の取りまとめを任されております。執事長を務めるデザーと申します。デザーとお呼びください」
「分かりました、デザー。私のことは奥様ではなく、コレッティーナと」
「しかし……」
「お願いします。きっとここでは、誰も私の名を呼んでくれないので……」
わざと伏し目がちに言う。
「では、時々そうお呼びしましょう。コレッティーナ様」
呼ばれてみれば、じわりと胸があたたかくなり、頬が緩む。
「ありがとうございます」
「いえ、私は何も。まともじゃない方々はきちんと処罰させていただきますので、ご安心ください。すぐに侍女頭を呼んで着替えられるよう手配いたします」
「あ、食事を運ばなかった人だけは絶対に解雇してください。それと、着替えの手配は結構です」
テキパキと動き出そうとするデザーを止める。
「その前に、旦那様に会いたくて。どこにいるのか、教えてもらえませんか?」
どういう意図を持って、政略結婚相手へ食事を出さなかったのか。
きちんとご説明願わないとね。
ついでに「愛することはない」宣言に、私もお返事をきちんとしたいし。
ふっと、昨夜のテンプレ事件を思い出し、吹き出しそうなのを堪えるために口を手で押さえて下を向く。
「……コレッティーナ様は、此度のことを旦那様の指示だとお疑いなのでしょうか」
「そう……ですね。指示とまではいかなくとも、原因の一つであると思っています」
声が震えた。
笑いを堪えたせいで、肩も揺れ、目尻から涙がこぼれる。
「さようでございますか。只今の時間は執務室にいらっしゃいますので、ご案内いたします」
憐れみが混じった声でデザーは言うと、まっすぐに執務室まで案内してくれた。
「ありがとうございました」
執務室の前で、デザーに上着を返す。
「ちょっと一人でいってきますね」
「承知しました。扉の前に控えておりますので、何かありましたらお呼びください」
デザーに頷いてから、扉を三回ノックする。返事も待たずに扉をほんの少し開け、隙間からサッと中に入った。
なかに入れば大きな執務机には大量の書類があり、旦那様はすごい速度で書類を処理していた。
旦那様のそばには、旦那様と同い年くらいの従者が一人いる。
「ノックの返事も待てないの…………か…………」
そう言いながら、視線をあげた旦那様の目と口がパカリと開かれた。
みるみるうちに顔が赤くなり、勢いよく立ち上がると、顔を背けたまま猛スピードで向かってくる。
「え? は? えっ!?」
バサリと乱暴に、何かを頭からかけられ、目の前が真っ暗になった。
深く落ち着きのあるほのかに甘いムスクの香りに包まれる。
あ、いい匂い……。じゃなくてっ!
「いきなり何するんですか!?」
そう言ってどければ、それはふかふかのじゅうたんの上に落ちていく。
「何をじゃない! そんな格好でうろつくな!!」
大声と共にそれ──旦那様の上着を拾うと肩からかけられ、腕を通すことなくボタンまで止められてしまう。
「これじゃ、腕が動かせません。ちゃんと着ます」
そのまま一度脱ごうとすれば、睨まれたので後ろを向いて羽織り直す。
うん、袖が長い。手が出ないや。
「ったく、服を用意してあったろ。着替えないなんて、どういう教育をされてるんだか」
使用人としての教育ですかね。と答えようとして、無意味だなと口を閉じる。
「……クローゼットの服は、勝手に着ても良かったんですか?」
「どういうことだ?」
怪訝な顔を向けられる。
ほほぅ。呼んでも使用人がこなかったのは旦那様の命ではなかったのか。
なら、この話はもういいや。もっと大事なことがある。
『ぐぅ……』
「……は?」
『ぐぅぅぅぅ……』
せっかちなお腹は、主である私よりも先に空腹を主張する。
「そんなことより、食事をください」
「……用意されてるだろ。口に合わなかったのか?」
「何もありませんでした。食事をくれないなら、食材ください。それも駄目なら、庭園で採取させてください!」
金持ちの伯爵家に嫁げば、美味しいものをお腹いっぱい食べられると期待していたけれど仕方がない。
どうにかして、食事を確保しないと。
食べ物がないのだけは、駄目だ!
「何を言ってるんだ?」
「食事の話に決まってます」
なんて話している間にも、私のお腹は鳴り続ける。
「お話し中、失礼いたします。旦那様、もしかしたら本当に用意をされなかったのでは?」
すっかり存在を忘れていた従者は、壁の方に体を向けた状態で話しかけてくる。
「とにかく、すぐに食事か材料をください。服なんかより、食事です。食べ物さえあればいいですから」
「いや、服も……。少しそこに座って待ってろ」
指さされた革張りのソファーに腰掛ければ、見た目より柔らかい。
旦那様は従者に指示を出すと、盛大なため息をついた。
「何でこんなことに……」
「旦那様が認めてない妻になんか、誰も仕えたくないでしょうし、仕方ないですよ。なので、食事か食材をもらえれば、あとは勝手に自分でやるのでおかまいなく。服はクローゼットのを勝手に着てもいいということで、間違いないですか? あ、そうそう。ズボンもください。掃除とか洗濯とか、農作業やるのに便利なので」
一方的に旦那様が口を開く前にドンドン話しかけていく。
「それと確認なのですが、旦那様の愛人……恋人とお呼びした方がいいですかね。どこにお住みですか? 本邸にいる場合、鉢合わせしないようにそこを避けたいんですよね。別邸があるなら、私がそっちに移動するのも一案かと」
「はぁ?」
「巻き込まれたくないんで、そこんとこ上手くやってくださいね」
よし。言いたいこと言えた!
スッキリ! と思って旦那様の顔を見れば、眉間のシワがくっきりだ。
「…………ない」
「…………?」
「恋人も愛人も妾もいるわけないだろ!」
「え、片想い!? ファイトですよ!」
って、頑張られても困るのか。
でもなぁ、他に言うこともないし。
「何なんだ、お前は……。そんな者もいないし、時間もない。恋だの愛だのにうつつを抜かしている間も惜しいんだ。勘弁してくれ……」
そう言う旦那様の顔色はどことなく悪く、よく見れば隈がある。
「もしかして、ものすごーくお忙しいのですか?」
「妻に時間を割けない程度にはな」
「食事さえあれば、私は大丈夫です。手間暇かけませんので。あ、そうそう! 昨夜の件で、私も伝えなきゃいけないことがあるんです」
「……何だ?」
疲れ切った顔で言われ、旦那様の目をじっと見る。
「私も、お前を愛することはない」
「────っ!!」
旦那様は息を呑んだ。
言葉を探すように、口は開かれたけれど、何かが続くことはない。
「でも、ただ飯は良くないので、何かしらはお返ししますね」
実家では、掃除、洗濯、料理をやっていた。
けど、それは手が足りてそうなんだよね。
ということは、別の対価が必要か。そう思い、書類の山へと向かう。
「ちょっと拝見しますね」
「え? あ、おい!」
呆然と私を見ていた旦那様が慌ててそばにやってくると、後ろからひょいと子どものよう抱き上げ、私をソファーへと連れ戻す。
「勝手に見るな! って、裸足じゃないか! ちゃんと普段からご飯食べてるんだろうな。軽すぎる。……とりあえず、俺の靴でいいか?」
旦那様の革靴をはかされ片足をあげれば、ぶかぶかなのですぐに靴が落ちた。
「何してるんだ……」
「お気になさらず」
履き直させてくれる旦那様を見下ろしながら言えば、睨まれる。
「気にするに決まってるだろ! 妻なんだから」
「言ってること支離滅裂ですけど、大丈夫ですか?」
愛さないって言ってみたり、妻だと言ってみたり……。そうとう疲れているのだろう。
何かを言っている旦那様に、適当に相槌を打ちながら、連れてこられながらもゲットした書類に目を通す。
うん、私でも問題なくできそう。
「あ、旦那様。ここの計算間違えてますよ。あと、ここもですね」
「ん? あー、そこまでチェックする時間がなくてな」
「私、それやりましょうか。食事の対価に」
言い切れば、旦那様は変な顔をした。
「私が食事をもらうだけでは、旦那様が損しますから」
「妻を養うのは当然だ」
「……損するのが趣味なんですか?」
対等さは大事だよね。
うんうん、と自分の言葉に頷く。けれど、肝心の旦那様から返事がない。
対価が足りなかったのかな?
「…………………ふっ……ふふっ」
え? 笑うとこあった?
「そうか。何も求めないのか……」
「食事ください!!」
「ぶふっ…………」
労働搾取のみは困る!
透かさず言えば、旦那様はまた笑う。意外とよく笑う人だな。
「では、コレッティーナのために毎日美味しい食事と甘味を料理長に用意させないとな」
「甘味ももらえるんですか!?」
今世で食べれたの、最後はいつだったっけ?
嬉しい!!
ほくほくと旦那様を見上げれば、ぎこちなく旦那様の手のひらが頭のうえに乗る。
「よく噛んで、たくさん食べろよ」
「旦那様も、時間ないからって早食いするとお腹壊しますよ」
このあと食べた食事は、驚くほど美味しかった。
さすが、金のある伯爵家は違う。
こんなに美味しいと、仕事も高そうだ。
***
それから半年が経った。
デザー主導によって使用人の一部解雇と再教育が強行されている。
食事を運ばなかった使用人は解雇させたからか、私は少し恐れられている。
「コレッティーナ。ほら、食べたがっていたマカロンだぞ」
目の隈が取れ、健康的になった旦那様からマカロンを差し出される。
『パクッ。もぐもぐ……』
サクサクほろほろなのに、しっとりしていて、甘さの中にある酸味が最高に美味しい!
「美味しいです!」
「だろ? ほら、もう一つ」
またもや口元に向けられ、パクリと食べる。
「……どうして毎回、私の手が離せない時にもってくるんです」
「そりゃ…………。なんでだと思う?」
「質問に質問を返さないでください」
「…………よく鈍いって言われないか?」
「言われません」
意味が分からず見上げれば、柔らかな笑みを向けられる。
ずいぶん穏やかな雰囲気になったものだ。
やっぱり、良質な食事と睡眠は偉大らしい。
「とにかく、顔の前に食べ物を出すのは止めてください。食べる一択しかなくなるので」
「それは、無理だな」
楽しげに旦那様は笑う。
まぁ、ギスギスしているよりはいいか。
約束通り、食事はきちんと出てるわけだし。何より、美味しいし。
「…………コレッティーナ。その、愛することはないと言ったことなんだが──」
「気にしてませんよ。労働対価として美味しい食事をもらえてますから。それに私も旦那様を愛してませんし」
「──うっ。そう……だよな……」
旦那様は何故かがっかりしている。旦那様から言い出したことなのに。
「…………コレッティーナ」
「はい」
「俺は、コレッティーナと夫婦になりたい」
「なりたいも何も、書類上ではもう夫婦です」
「そうじゃなくて!」
じゃあ、何だと言うのだ。
言いたいことがあるなら、ハッキリ言えばいいのに。
「コレッティーナのこと、誰よりも大事に思ってるんだ」
「はぁ?」
「俺に何も求めないって気付いた時からなんだが……」
「寝言は寝て言ってください」
いくら何でも自分勝手すぎる。
これは、逃げ出すべき? でも、ナビレート伯爵家の食事を捨てるなんて、私には無理……。
「くっ……、卑怯な。胃袋をつかんで離れなくさせるなんて」
そうつぶやいた時、旦那様の口角が上がった。
あまりにも黒い笑みで、冷たいものが背中を走る。
「そうか。そうだよな。コレッティーナだもんな」
「…………旦那様?」
「俺のことを名前で呼んだら、その対価に昼食のデザートに氷菓子をつけよう」
え!? この世界に氷菓子があったの!?
「カリウス様!」
「様はいらない」
「カリウス!!」
これで氷菓子が食べられる!
って、名前を呼ぶ対価っておかしくない?
「この手はいいな……」
にやりと笑うとカリウスは私の手を握る。
「これもあとで対価を払おう。…………な、コレッティーナ?」
指先にキスされて、摑まれた手を引き抜こうとした。
けれど、離してもらえない。
「覚悟しとけよ」
「嫌です!」
愛さないと初夜に宣言した男を好きになるとかあり得ない!
食べ物で釣ろうったって、そうはいかないんだから!!
ギッと睨めば、カリウスに微笑まれたのだった。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
補足ですが、コレッティーナは「愛することはない」と言われたことに対し、カリウスに興味がないので許す以前に気にもしていません。カリウスのことを雇い主としか思っていないので。
(作者もイケメンだから、許されると思ってません)
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