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辺境ギルド長シリーズ

セリーヌの冒険

掲載日:2026/02/07

※本作は、近日公開予定の連載

『左遷された辺境ギルド長は、戦わないのに最強でした』

の前日譚となる短編です。

本編未読でもお読みいただけます。

 夜の酒場は、思ったよりも静かだった。


 カウンターの端で、セリーヌは一人、琥珀色の酒を揺らしている。

 氷が触れ合う音が、やけに大きく耳に残った。


「……王都の中央政府って、もっと夢のある職場だと思ってました」


 独り言のつもりだったが、言葉は自然と前に立つ男へ向かっていた。


 酒場のマスターは、無口な中年だった。

 白い布でグラスを磨きながら、相槌も打たず、ただ静かに耳を傾けている。


「仕事で、ちょっと……疲れちゃって」


 セリーヌは苦笑し、酒を一口含んだ。

 喉を焼く感覚と同時に、昼間の記憶が、嫌でも浮かび上がってくる。


――前例がない。

――危険だ。

――波風を立てる必要はない。


 総務局長の声が、頭の奥で淡々と響く。


「ですが、この案件を通さなければ、現場で被害が――」

『現場のことは現場に任せればいい』

「過去の記録では、同条件で死亡率が――」

『数字はいくらでも作れる。重要なのは秩序だよ、セリーヌ』


 机越しに向けられた、感情のない視線。

 書類に落とされた却下印。


 正しいかどうかではなかった。

 誰かが助かるかどうかでもなかった。


 ただ、“面倒が起きないか”だけが基準だった。


「……正しいはずの判断が、通らないんです」


 現実に戻り、セリーヌはぽつりと呟く。


「一番重要なのは、出世競争」

「誰かが困っていても、上司の顔色を優先する」


 セリーヌはグラスを置き、自分の指先を見る。

 書類仕事で少し荒れた手。

 正しいことを行うための手が、いつの間にか、何も守れない手になっていた。


「……私、向いてないのかもしれませんね」


 仕事に対する情熱は失っていない。

 自信もある。

 しかし、今の職場でこのまま働いていたら、自分を殺し続けないといけない。


 マスターはしばらく黙ったままグラスを磨いていたが、やがて手を止め、短く言った。


「でさ、あんたは一体どうしたいんだい?」


 セリーヌは息を呑む。


「本当はもう、心は決まってるんじゃないのか?」


 その一言で、胸の奥に溜まっていた靄が、一気に晴れた。


「……あ」


 声にならない声が漏れる。


 悩んでいたんじゃない。

 怖がっていただけだ。


「そうだ……!」


 セリーヌは顔を上げ、思わず声を張り上げた。


「私も、あの人のところに行けばいいんだ!」


 ずっと考えないようにしていたこと。

 けれど、心のどこかで決めていた答え。


「ありがとう、マスター! やっとすっきりしたわ」


 勢いよく言うと、マスターは少しだけ肩をすくめた。


「おう。良くわからないが……まあ、良かったな」


 セリーヌは笑い、グラスを空けて席を立つ。

 足取りは、来たときよりもずっと軽やかだった。


「うふふ。私を見たらビックリするだろうなぁ」


自分に言い聞かせるように、セリーヌは呟いた。


「ホント、挨拶もしないで行っちゃうなんてヒドい人だ」



 翌朝。


 総務局の執務室は、相変わらず整然としていた。

 だからこそ、セリーヌの手にある辞表という名の一枚の紙が、やけに浮いて見える。


「本日限りで、お暇を頂戴します」

「お世話になりました」


 そう言って、自席の前に立つセリーヌに、局長は眉をひそめた。


「……感情的になるのは、君の悪い癖だ」


「感情ではありません。冷静に考えた結論です」


 そう静かに言って、踵を返した彼女の背中に向かって、局長は低い声で言った。


「後悔するぞ」


 世の中、失って初めてわかることも多い。


 彼はまだ、自分が何を手放してしまったのかを理解していなかった。



 王都から辺境に向かう馬車の中、セリーヌは窓の外を眺める。

 石畳の道が、やがて土の道へと変わっていく。


「辺境の吹き溜まりギルド、か……」


 噂はひどいものばかりだった。

 死亡率が高い。

 冒険者が定着しない。

 ギルド長はすぐに辞める。


 ――けれど。


「あの人なら、きっと変えてくれるわ」


 理由は、誰も説明できない。


「……人事なんか、てんで無頓着で、自分のことは二の次」


「でも、困っている人たちのためにがむしゃらに働く」


「本当に不器用ったらありゃしない」


「最初に何て言って困らせてやろうかな」


 セリーヌは微笑んだ。


 少し大きめの旅行鞄の中には、最低限の衣類と、少しの私物。

 官舎も引き払った。

 もう戻る場所はない。


 それでも。


 これから向かう場所には、希望がある。


「――明日、会えますね」


 誰にともなく呟く。


 その出会いが、どんな未来を連れてくるのか、まだ分からない。

 けれど、胸の奥には確かな予感があった。


 彼女は、自分で選んだ道を歩いている。

 優等生だった彼女の、生まれて初めての冒険だった。


 だがしかし、その一歩が、やがて世界を少しだけ変えることを――

 まだ、彼女自身も知らなかった。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

本作は、本編の重要人物であるセリーヌのスピンオフ短編です。

彼女が向かった先で、どんな人たちと出会い、

どんな物語が始まるのか。

その続きは、近日公開予定の本編にて描かれます。

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