【第27話】黄水晶の事象の地平線と、運命の豚トロ鉄板焼き<冥銭>
「ええ〜〜っ」
これは、マジでマズいかもしれないぞ。
酒吧鬼(バーテンダー鬼)のフェイントに対し、芸術鬼は避けすぎて体力を消耗したのか、今回は躱しきれなかった。酒吧鬼が全身の力を込めて体当たりすると、芸術鬼は空の彼方へ吹き飛ばされ、その声が徐々に遠ざかっていった。
「お邪魔虫は……ドロ……ン……しま……す……」
どこかの電球でも切れたのか? 『ドロン』という言葉を聞いて、酒吧鬼が振り返ると——。
「孟……孟孟……」
「……結構可愛いじゃない」
孟婆(もうば/忘却のスープの女神)は、酒吧鬼を問い詰めようと山ほどの文句を用意していたが、足元にいる「一匹の豚」を見下ろした瞬間、言葉を失った。
「ありがとう」 酒吧鬼は顔を上げ、孟婆を見つめた。女の子を落とすにはアイコンタクトが重要だと思い出し、熱烈な視線を送ってみたが、小さな豚の瞳からは「愛くるしさ」しか発信されなかった。
「どうして前世があいつだって、言ってくれなかったの?」
「言えるわけないだろ」 酒吧鬼は豚の鼻を鳴らした。「『君が好きな男は、もう君を見つけられない運命なんだ』なんて。しかも、君が一万年も待ち続けてるって知ってて」
「そう……そこまで考えてくれてたのね」 孟婆は言った。「でも、私には『答え』が必要だと思わなかった?」
「俺がその答えだ。でも、答えが出たからってどうなる?」 酒吧鬼はもう一度熱い視線を送ろうとしたが、首を見上げるのがひどく疲れた。
「確かにね。まさかあなたが『ただの豚』になってるなんて」
「『みたい』じゃない、完全に豚だぞ」 酒吧鬼は言った。「……こんな俺でも、受け入れてくれるか? 待ってた男じゃないかもしれないが、君を好きな男(鬼)だ」
孟婆はしゃがみ込み、酒吧鬼をじっと見つめた。十分以上、無言のまま。その沈黙の間、酒吧鬼の心臓は破裂しそうだった。
「無理」 孟婆はきっぱりと言い放った。「どう妥協しても、相手は『人間(の姿)』であってほしいわ。酒吧鬼なら、油鍋に飛び込むようなバカな真似をしたとしても、また一からやり直せるし」
「その通り、油鍋ですな」
いつから隠れていたのか、芸術鬼が包丁を片手にスッと現れた。「孟婆亭には鍋も器も揃っておりますゆえ、私は持参しませんでした。私の得意料理は『豚ホホ肉のサクサク揚げ』ですぞ」
「おい待て、お前、俺をここで屠殺する気か?」 馬に蹴り殺された記憶がフラッシュバックする。
「ハンサムな鬼が迎えに来ないと、油鍋に飛び込む気になれませぬか?」 芸術鬼はからかった。「それとも、絶対に油鍋地獄の純正オイルじゃなきゃ嫌だとでも?」
「クソッ、そこまで言われちゃな」 酒吧鬼は諦めたように四つん這いになり、丸々と太った豚の腹を見せた。「……ひと思いにやってくれ」
「「私(俺)に任せろ」」
芸術鬼と孟婆の声が見事にハモった。二人は顔を見合わせ、楽しそうに笑い出した。その笑い声に、酒吧鬼は背筋(豚肉)が凍る思いだった。
「私にも『けじめ』が必要なのよ」 孟婆は言った。「私にラブレターの山を押し付けておきながら、勝手に転生するなんて。あなたの口に大水甕を突っ込んでやらないと気が済まないわ。運命って本当に嫌ね。一万年苦労して待った結果がこれ? 好きな男は記憶喪失の豚になってて、私に未練や執着を捨てろって迫ってくる。こういう風に振り回されるの、大嫌いなの」
「時間は残酷な『豚殺しの包丁』ですな」 芸術鬼が言った。「しかし、物理的な包丁の切れ味には敵いませんぞ。一万年に一度の豚の解体ショー、この機会は貴女にお譲りしましょう。孟婆殿をここまで待たせたこの馬鹿な酒吧鬼は、自業自得というものです」
「悪かったってば……早くひと思いに殺してくれよ」 酒吧鬼は情けなく鳴いた。
芸術鬼は包丁を酒吧鬼の耳元に突き立て、小声で囁いた。
「……そんなに早く死んで、血の池で『酒吧鬼の姿』にリスポーンして、もう一度孟婆を口説きたいのですかな?」
「お前……テメェ……ッ」
図星を突かれた酒吧鬼は、どうか孟婆に聞こえていないことを祈りつつ、早く殺してくれと念じた。
「安心して。十八層地獄に長く勤めてるとね、地獄の設備のほとんどが『料理の仕込み用』だってことに気づくのよ」 孟婆は冷酷に微笑んだ。「氷山地獄は巨大な冷蔵庫、刀山地獄は千切り用。石臼、蒸籠、油鍋、杵搗き、磔(張り付け)の刑……言うまでもないわね。銅柱の刑なんて、もはや酸菜火鍋(白菜漬け鍋)の煙突よ。冷蔵庫があるなら、ゆっくり味わって食べられるわ。……いいこと? 絶対に気絶しちゃダメよ。芸術鬼、そこらでタライに水を張ってきなさい」
ジュウゥゥゥ——。
酒吧鬼の肉は鉄板の上に乗せられていた。彼の魂はすでに血の池に向かい、肉体を再構築している最中だ。二つの前世の記憶を引き継いだまま「酒吧鬼」として復活するはずだが、残された豚肉の肉質はかつてないほどの最高級品に仕上がっていた。
「美味ですな」 芸術鬼は肉を頬張りながら言った。「さて、本人がいない今だからこそ聞きますが、彼についてどう思われますか? 絶対に口外しないと誓いますぞ」
「そうね、少しは気分が晴れたわ。彼についての感想?」 孟婆は極めて冷静に答えた。「あなたの『誓い』ほど信用できないものはないってこと。……馬面にお願いして、抜舌地獄の刑期ランキングを見直せないか口利きしてもらうわ」
「ぎゃあああああああ!」
芸術鬼は、先ほどの酒吧鬼の絶望を深く理解した。
(第27話 完)
実を言うと、この『漢字占い師』は、私が執筆した「二冊目」の小説なんです。
私が一番最初に書いた「処女作(一作目)」の日本語翻訳が、つい先日完了しました。
本作の連載が終わり次第、そちらも公開する予定です。
同じ台北の街を舞台にした、少し切ない物語です。どうぞお楽しみに!




