【第25話】観覧車の密室ハプニングと、豚小屋の「屠殺場(パラダイス)」伝説<冥銭>
養豚場。 去勢されて覇気を失ったベーコン豚(元・酒吧鬼)は、自己嫌悪に陥っていた。 股間がスースーする。何か大事なものが欠けてしまった虚無感。
だが、かつて席を譲ってやった子豚——肉鬆(ローソン/でんぶ)豚だけは、まだ彼を「アニキ」と呼んで慕っていた。 それが唯一の救いだった。
「アニキ、ここを出たら観覧車に乗れるって本当?」 肉鬆豚が聞いた。「外の世界を見たことあるんだろ?」
「ああ。……外の食べ物は俺たちと同じだ。ドロドロの餌ばかり食ってる人間も多い。観覧車なんて見たことないが」
「他の豚から聞いたんだ。上に行くと温かくて気持ちいいんだって」 「天国みたいにか?」 「そう、天国みたいに」
「……よし、俺が必ずお前たちを観覧車に乗せてやるよ」 (そんなものがあるならな)
「あとジェットコースターもあるらしいよ。フックに吊るされて滑走するんだって」
(……待て、それって屠殺場のレーンじゃねぇか?) ベーコン豚は背筋が凍った。 無知とは恐ろしい。彼らは地獄行きの列車を遊園地のアトラクションだと思っているのだ。
「アニキを信じるよ」肉鬆豚は言った。「ママを先に乗せてあげたいんだ。もう子供が産めないから、近いうちに『出荷』行きだって」
「よう、三日天下の王様じゃないか」 ハム豚が現れた。かつてのボス豚だ。 ベーコン豚にいい場所を奪われ、三日間美味しい乳を飲み損ねたことを根に持っている。
「何の用だ?」 「ボコボコにしてやるよ。野郎ども、やっちまえ」
ハム豚の背後から数匹の子豚が現れ、ベーコン豚と肉鬆豚を集団リンチにした。 「これが俺に逆らった報いだ。次に見かけたら殺すぞ」
二匹は隅っこでうずくまった。脂肪が厚いので出血はないが、打撲が痛い。 「アニキ……毎日こんな目に遭うのかな」 肉鬆豚が泣いた。
「逃げよう」 「無理だよ。僕は外の世界を知らないし、ママと離れたくない」
「……わかった」 ベーコン豚は決意した。「ハム豚が憎んでるのは俺だ。俺が消えればお前は助かる。……安心しろ、なんとかなる」 (なんとか、って何だよ。玉無し豚に何ができる)
その夜、ベーコン豚は水浴び場に行った。 冷たい水に浸かり、火照った体と心を冷やす。豚は汗腺が少ないから、水で冷やさないと体温調節ができないのだ。 思考がクリアになる。
翌朝。 ハム豚が水浴び場に来ると、ベーコン豚が仁王立ちしていた。 「また懲りずに来たのか」
ハム豚は手下をけしかけたが、ベーコン豚は頑として水場を譲らなかった。 一歩も引かない。 炎天下、興奮したハム豚たちの体温は上昇し、判断力が鈍っていく。 一方、十分に体を冷やしていたベーコン豚は冷静だった。
「ええい、邪魔だ!」 業を煮やしたハム豚が突進してきた。 ベーコン豚はそれをひらりと交わし、絶妙なタイミングで肩を入れた。
ドスッ! 自重と勢いを利用され、ハム豚は無様に転がった。
逆光の中、ベーコン豚の影が巨大な入道雲のように見えた。 彼は太い前足を、倒れたハム豚の鼻先に突きつけた。
「……降参するか?」
(第25話 完)
作中で豚が去勢されるシーンを書きましたが、あの痛みと喪失感……痛いほど分かります。
かつて株に全財産を突っ込み(フルインベスト)、資産が一瞬で消し飛んだ時の感覚と全く同じだからです。
「大事なもの」を失った虚無感は、種族を超えますね。




