【第13話】バスのBGMと、地獄のイケメン乱入者<恋文>
「二人がバスに乗ったわ!」 黃韻佳が叫んだ。 「ん」彼氏の鄧律儀が頷く。
「後部座席に陣取るのよ。通路側を見てればバレないわ」 二人は最後尾に乗り込んだ。
その直後、釣りの帽子を深く被った怪しいおじさん(李昶華)も、ピンクの電動バイクに跨り、バスの後ろにピタリとつけた。彼はスロットルを握りしめ、獲物を狙う猛獣のような目つきだった。
バスの中。 張志豪は違和感を覚えた。 「あれ? 昔のバスって音楽かかってなかったっけ? 運転手さんの趣味の演歌とか」
「今は禁止だよ」運転手がバックミラー越しに言った。「著作権の問題で、勝手に流すと訴えられるんだ」
「えぇ……世知辛いなぁ」 「あんた、若いのに随分昔のこと知ってるね?」 「あ、えっと……ネットで見たんです」
志豪と陳怡君は席についた。 韻佳はスパイのように隙間から観察していたが、バスが発車した揺れでバランスを崩し、吊り革を掴んだ拍子に顔を晒してしまった。
(やばっ! バレた!) 韻佳は凍りついたが、李沐璇(中身は志豪)は膝に顔を埋めて震えていた。 (……気づかないフリしてくれてる? 公認ストーカーってこと?) 律儀がすかさず彼女の顔を隠し、ガードした。
「どうしたの?」怡君が聞いた。
志豪は涙目だった。「誰かが手を上げた瞬間、地獄の獄卒を思い出しちゃって……あの動作の次は、決まって拷問が始まるから……体が勝手に反応して震えが止まらないんだ」
「ここは地獄じゃないわ。周りを見て。私を見て」
志豪は深呼吸し、話題を変えようとした。 「ラジオも流れないなんて寂しいな。昔はラジオから新しい歌を覚えたもんだよ」 「そうね。私、**黄明英**って歌手が好きだったわ」
「じっちゃん!?」 後ろの席で韻佳が声を上げそうになり、律儀に口を塞がれた。
「奇遇だな、俺も好きだった」 志豪が小声で歌い出した。 「♪黙って帰れ〜 家があるなら〜 永遠に待つ〜 彼がいる〜」
「私もその歌の続きが好き」怡君も合わせた。 「♪忘れられない〜 彼への想い〜 諦めるのか〜 抗うのか〜」
「一万年経っても、君のそばにいたい……」 志豪は歌うように怡君の耳元で囁いた。
後ろの席で、韻佳は猛烈な勢いでメモを取っていた。 (阿璇の方から攻めてる! しかもじっちゃんの歌で求愛とか、エモすぎて死ぬ!)
その時。
「……眩しい」怡君が言った。
「歌詞のことだよ。君は俺の太陽だから……」
「違うの、本当に光が……」
一筋の白い光が、詹曉軒(中身は怡君)を照らした。 次の瞬間、怡君の霊体が体から浮き上がりかけた。 (もう時間切れ? まだデートは始まったばかりなのに……) 寂しさが込み上げると同時に、光は消え、彼女は体に戻った。
志豪にはその光は見えていなかった。ただ、一瞬だけ曉軒の顔が「フリーズ(停電)」したように見えただけだ。 (肉体が拒絶反応を起こし始めたか? 急がないとな)
地獄での拷問の日々、志豪を支えていたのは、バスの後部座席から前の席に座る怡君の後頭部を眺めていた記憶だった。 夕暮れの日差し、ラジオから流れる演歌、揺れる車内。 それは彼にとっての聖域だった。 そして今、その聖域の中に自分がいる。
バスの後ろを走る李昶華もまた、同じ夕暮れの中で複雑な思いを抱いていた。
「大丈夫?」志豪が聞いた。 「平気よ。……耳に息を吹きかけられるのは苦手みたい」 怡君はごまかした。
後ろの席からは、韻佳のペンの走る音(カッカッカッ!)だけが響いていた。




