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第九話、そんな事してるとオレに襲われるよ?と修学旅行

「光流はどこの大学行くの?」


「家から近いとこかな。特にやりたい事ないからそのまま就職でいいと思ってたけど、美咲さんと滋さんが行きなさいって言うからっていうのが理由なんだけどね。愁はどこ行くの?」


「オレは早くどこか行きたいかな。この際もう県外でいいと思ってる」

「そうなんだ」


 離れてしまうのは寂しいけどこればかりはどうにもならない。

 冷蔵庫からペットボトルの飲み物を取り出してきた愁が隣に腰掛けた。一本は手渡され、お礼を言って受け取った。


「もしオレが一緒のとこに行こうって言ったらどうする?」

「愁と一緒に居られるのは嬉しいけど、僕一人では決められないかな」


 苦笑すると「そうだよね」と返事が来る。気持ち的には愁と一緒に行きたいと伝えるのは変に期待だけさせるようで憚られた。


「そうだ。夕ご飯頼もうと思うんだけど食べたいものある?」

「愁、もしかしてデリバリー物ばかり食べてる?」


「うん。家ではそう。調理実習で分かったと思うけど、オレそっちの才能なさすぎて自分でも引くレベルなんだよね。だから毎日光流の弁当が楽しみで仕方ないの」


 愁はそう言いつつも笑って手をヒラリと振ってみせる。本当に楽しみにしてくれていたのが分かって、いつも以上に嬉しくなった。


「じゃあ今まで以上に僕頑張るね。今度ここに来る時は材料買いに行こうよ。僕が作る」

「え、本当に?」


「もちろん。食べたいものがあったらリクエストして? 作ったことない物だったら美咲さんに教えて貰うから」


 パッと顔を輝かせた推しが可愛く見えて、体の中がムズムズするような歓喜に見舞われる。


 ——どうしよう。可愛い。


 座っていた位置を詰めて愁の頭に両手を伸ばして、軽く撫でた。


「光流さ……」

「うん、何?」

「そんな事ばっかしてるといつかオレに襲われるよ」

「襲われ……っ⁉︎」

「こういう意味で」

 両手首をそれぞれの手で掴まれて、頬に唇を押し当てられる。

「え? え? 愁⁉︎」

「これでももの凄く抑えてるから。分かったら、オレに不用意に触れないでね」

「分かっ……た」


 ドキドキしすぎて心臓が口から出るかと思った。それからまた少し間を空けて座り、食事を選んで注文して、届いたのを二人で食べた。


 ——さっきの本気なのかな? また揶揄われた? それとも単に触られるのが嫌だった?


 料理の味も分からないくらい頭の中がさっきの愁でいっぱいだった。風呂に入り寝る準備をしていく。寝室に置かれている大きなベッドへと案内された。


「光流はベッド使って? オレはソファーで寝るから」


 ダブルベッドなので二人くらいは余裕で寝れそうだ。


「一緒に寝ないの? 大きいから二人で寝れるよ?」

「襲って良いなら一緒に寝てもいいけど?」


 ニッコリと笑みを浮かべてはいるものの、愁の目は笑っていなかった。


「ごめんなさい、おやすみなさい」

「残念。オレのエッチぃ顔見れるかもよ?」

「うぐ……っ」


 それはちょっと見てみたいとはこの状況では言えなかった。シャレにならなくなる。しかし、笑いで身を震わせている愁を見て、揶揄われたのだと悟った。


「愁は最近僕で遊び過ぎだよ」


 むくれると、愁が「ごめんごめん」と言いながら部屋から出ていく。開け放たれたままの扉から愁の後ろ姿が見えた。


 ——さっきの愁の顔も写真撮りたかったな。


 意外とレアな笑みだったので残念な気持ちになってくる。


 ——愁て本気で僕を口説こうとしてたのかな?


 さっき頬に当たった愁の唇の感触を思い出して一人赤面した。

 どうせならちゃんと味わいたかったと思うのは、一ファンとしての願いなのか、それとも愁に寄ってくる女子たちのように恋人になりたい願望から来るものなのか考える。


 一番大切で側に居たいのは愁で間違いない。それが恋心なのかと問われると未だに答えが出せずにいた。


 ——愁はどうなんだろう?


 側から離れられなくなれば良いとは言われたけれど、好きだと直接言われたわけではない。悶々とした思いを抱えたままブランケットの中に潜り込んだ。


 ——愁の匂いがする。


 タオルの時と同じで、推しの匂いで胸が高鳴ってくる。このまま寝てしまえば大丈夫かもしれない。瞼を閉じると、夢の中に落ちていったけれど、すぐに意識が浮上してきた。この息苦しさには覚えがある。小学生の時に出た発作と同じだ。


 ——何で、また……。いつもと部屋が違うから?


 呼吸が浅くなって、喉が変な音を奏でる。胸が苦しくて涙が止まらない。もう随分と過去の出来事なのに、鮮明に脳内で再生されていく。


 ——ああ、嫌だ……もう見たくない。


『貴方みたいな子、要らないわ』


 振り返りもせずに去っていく背中を追いかけようとしたけれど、上手く走れなくて転んだ。過去がフラッシュバックしている。


「待って……、お……ねが……」

「光流? どうかしたの?」


 開けっぱなしにしていた寝室の扉から愁が歩いてくる。


「いか…………な……で、置いて……っ、かないで」


 ベッドの上に上がってきた愁に正面から抱きしめられて、背中をさすられた。


「ごめん、やっぱり一緒に寝るべきだったね。ここにいるよ。オレは光流を置いてかないから」


 ふわりと気持ちごと体を持ち上げられ、過去の残影から現実に引き戻される。腕枕が酷く温かくて不安も全て払拭されていった。


「しゅ、う?」

「うん。オレには光流が必要だから。このままずっと一緒にいるから安心して? オレは絶対に光流を捨てたりしない」


 ——温かい……。


 肌の温もりや息遣い、頭や背中に触れてくる大きな手のひらの感触が心地よくて船を漕ぐ。覚えていられたのはそこまでで、安心感に包まれたのと同時に意識が飛んだ。



 


 目が覚めたらやけに動きづらいのに気がついて、寝ぼけ眼で何度か瞬きを繰り返した。


「光流おはよ」


 推しの顔のドアップがそこにあって、それどころか抱き枕みたいにしがみついている……自分が。


「~~っ⁉︎」


 音にならない悲鳴が出た。


「な、なななな」

「とりあえず落ち着こうね?」


 ——あ、そっか。僕また発作が出て……。


 もう出ないと思っていただけに釈然としない。


「最後に発作出たの小学生の時だったからもう出ないと思ってた。迷惑かけてごめんね。愁の部屋で出たとなると修学旅行でも出ちゃうかな……どうしよう」

「ん。オレが抱きしめて寝るから大丈夫だよ」

「抱きしめ……え?」

「オレも昨日ありえないくらい爆睡出来たんだよね。光流抱きしめてると良く寝れるみたい。ウィンウィンでしょ? でも襲っちゃったらごめんね」

「心臓に悪いから勘弁して」

「嫌じゃないんだ。ならオレとこうしてる事になれよう?」


 ニッコリと効果音がつきそうなくらいの綺麗な笑顔を至近距離で見てしまい、心臓が止まるかと思った。


 顔が熱くて堪らない。どうにかなってしまいそうなくらいに火照っていて、鏡を見なくてもいま自分の顔が真っ赤な自信がある。


 ——どうしましょう。推しとの距離が、謎の縮まり方をしています。


 誰に向けるわけでもない独り言を心の中で呟いた。



 ***



 週明け学校へ行くと毎度ながら愁は机に突っ伏して寝ていた。近くまで行って「愁おはよ」と声をかける。


「おはよ……」


 今日の一限目はロングホームルームになっていて、修学旅行についての話題だろうし起きていた方がいい。うつらうつらとしている愁に苦笑混じりに時折り話を振りながら、教師が来るのを待った。


「遅くなったが、詳細を記載したしおりを配る。お前らの希望したテーマパークも行ける事になったから安心しろ。一日目は大阪、二日目は京都、三日目に帰るぞ。部屋は二人一組部屋。班は既に決めて貰った班、部屋割りになっているはずだ。これから各自確認して間違えている箇所があれば声をかけてくれ」

「やった‼︎」


 教師の言葉にクラス内から大歓声が上がる。二泊三日という短い期間だけど、個人的にも行きたかった所なので嬉しかった。




 ***




 流れるように一ヶ月経ち、とうとう修学旅行当日になった。

 午前中に高速バスで大阪へ行く事になっている。初日は大阪のホテルで一泊して、二日目に京都へ移動、観光した後に京都のホテルで一泊して次の日に帰る予定らしい。


 修学旅行の目的としては探究型プログラム方式にのっとって、選んだ課題を材料に情報収集や情報の整理、または分析や結論をまとめる事だ。生徒自ら積極的に取り組むことで、必要とされる判断力や思考力を養う学習なのだと長々と説明を受けた。


 が、そんな教師たちの思惑や意図はそっち抜けに、全員が初日に行く大型テーマパークを存分に満喫する気満々だ。自分も同じく。愁とテーマパークに行くのが楽しみで仕方ない。


 ——どこから回ろう?


 それしか考えられなくて、バスの隣の席にいる愁に視線を向けた。


「愁は何が楽しみ?」

「光流と一緒なら何でも楽しい。何ならホテルだけでもいいよ」


 ギョッとした顔で周りから見られる。


「愁……そのセリフで確実にいま皆に誤解を与えたから言い方を改めてくれる?」

「くくっ、ふはっ、態とだよ」


 一人楽しそうにしている愁の頭を軽く小突く。


「ズラずれるからやめて」


 ——それもどうかと思う。


「ね、先に何からやる?」

「ゾンビに追いかけられたい」

「ハニポタじゃねえの?」

「ミルオンでしょ!」

「お前ら遊ぶのはいいけどちゃんと課題も出せよー!」

「「「はーい」」」


 上の空の返事だけがこだます。

 昨夜は愁と旅行に行くような気分だったので楽しみ過ぎて眠れなかった。おかげで寝不足だ。バスの中で眠ろうかなと思いつつも、せっかく愁と一緒なのだから起きていたい。どうしようか……究極の選択だ。


 頭を悩ませていると、愁がコチラをジッと見つめているのに気がついて「僕の顔になんかついてる?」と問いかける。


「ついてないよ。光流、オレの肩に頭乗せて?」

「ん? 僕が乗せればいいの?」

「そ、寝不足なのオレ。光流も寝よ? 光流の頭が肩にあるとオレ的にちょうど良い枕の高さになる」


 うぐっと言葉が喉につまった。


 ——ダメ。そんな姿勢で寝ると心臓がドキドキしまくって眠れそうにない……。ウッカリとそのまま昇天しそうだ。


 内心呟く。寝不足なのと推しからの供給が過多で頭が回らない。微動だにせずに体を硬直させてしまった。隣に座っている愁を見上げる。


 ——この角度から眺める推しも最高!


 すかさずスマホで撮る。


「こら、光流は大人しく寝て」


 愁にスマホを取り上げられてしまった。寝ると言う割にはあまり眠く無さそうな雰囲気なのが分かって首を傾げる。


 ——もしかして寝不足なのは僕の方だって気付かれてる?


 愁は素っ気ない態度を取る割には気遣い上手なところが多々あるので、そっちの可能性が高いかもと思えた。そのギャップ萌えでこっちの心音は宥められる事がない。


 ——何それ、可愛いにも程がある……っ。


 言葉にするとまた怒られそうだ。

 こんなにドキドキしてしまうのは推しから与えられる優しさが多すぎるからだよね? と自問自答していたが、だんだん分からなくなってきた。ただ、確かに言えるのは愁が好きだという気持ちだけだ。


 ——これってどういう意味の好きなんだろう。


 最近ずっと自分自身に問いかけているセリフだけど分からなくて頭がパンクしそうだ。思考回路と気持ちが噛み合わずに空回りしている。推しなのは変わらない。これからもそうなのだろうと思う。

 でも時折り、推しに対する想いを超えて愁を独占したいと思うようになっている気がした。


 ——推しだけじゃなくて、本気で恋愛対象として好きかもしれないと告げてもいいかな?


 今度は胸の奥が痛くなって、窓の外のどんどん移り変わっていく景色を眺めた。

 愁の良さを皆に知って欲しかっただけだったのに、今は独り占めしてしまいたいなんて今更言えない。もどかしい思いが喉の奥から出てきそうで必死で堰き止めた。


 推していたい。けど、長く付き合える友達関係のままでもいたい。それ以上に独占してしまいたい。

 随分とワガママな発想に自分自身に対して嘲笑する。考えを全て白紙にするように、今度こそ目を閉じた。


「おやすみ、光流」


 低すぎもせず高すぎもしない、ゆったりとした口調の耳触りのいい愁の言葉を最後に意識が途絶えた。





 途中休憩を交えながら移動して、高速バスは目的地に到着した。愁に揺さぶり起こされて目を擦る。


「光流、着いたよ」


 バスを降りてホテルの部屋に荷物を運び、また各々外に飛び出した。

 歩いて行ける距離にSNSや旅行記事でしか見た事なかったテーマパークが広がっている。寝起き早々テンションが上がった。


「楽しみだね! どこから行こうかな」

「順番に回る?」

「うん」


 歩きながら愁と話していると、前に愁と一緒に帰ろうと探しに来ていた山野が班から離れて一緒についてきた。


「いたいた。海堂くん、私も一緒に行ってもいい?」


 愁の左腕に手を絡ませようとしているのが視界に入り、思わず愁を引っ張ってかわしてしまった。空振りした手が行き場をなくして、山野に不服そうな顔で見つめられる。


「なに?」

「あ、ごめん。つい……」


 無意識に取ってしまった行動が自分でも理解出来なくて視線を彷徨わせた。


「私は一緒に行ったら迷惑だった?」

「そんな事……ないよ」

「なら良いじゃない」


 再び愁に腕を絡めた山野に「どこか行ってくれない?」と言わんばかりに見つめられる。どうしようか逡巡し、先に回ってるねと言おうとしたところで手を引かれる。


「海堂くん、私ね……」

「ねえ光流、あそこのショップ行かない? あのカチューシャ光流に似合いそう!」


 山野言葉尻りは愁の言葉でかき消された。


「僕、男だからカチューシャなんて似合わないよ」

「そう? 耳ついてて可愛いよ?」


 反対側の手を繋がれてやや強引にショップに連れて行かれる。山野が居るにも関わらずに、あれこれグッズを漁っては勝手に購入されていく。


 ——どうしてこうなったんだろう……。


 愁に何キャラなのかもはや分からないウサ耳つきのカチューシャをつけられ、首にも花っぽい妙なものをぶら下げられた。これでは一人だけハワイだ。日本なのに……。


「村上、えらい可愛い事になってるな。まあ、お前は少しハメを外すくらいがちょうど良い」


 通りがかった担任の教師に思いっきり笑われてしまった。


「私も何か欲しいな~」

「光流、喉乾かない? オレお腹すいちゃったからカフェ入らない?」


 また手を繋がれて引かれる。山野は視界にも入っていない様子で、こちらにばかり愁が話を振ってくるので流石に不憫になってきた。イラついているような空気が自分にまで伝わってくる。


「あの、さ……愁」

「どうしたの? 具合悪い?」


 少し焦った様子で近距離で顔を覗き込まれてしまい、片手で顔を覆う。


 ——これ、本当に気がついていないやつだ。困ったな……。


 愁が通常運転すぎてどうしようか迷った。


「ガチでウザ……! もういい。私班に戻る」


 山野が怒った様子で足早に去って行っていく。何だか申し訳ない思いと同時に少しホッとした。あんな風に愁に触れて欲しくなかったからだ。


「光流、もう一度ちゃんとミルオン見に行こう?」

「お腹すいてたんじゃないの? 何か食べなくて良かった?」

「気にしなくていいよ。後で食べ歩き出来そうなものでも買えばいいし。その前に飲み物だけ買おう?」


 また手を繋がれて来た道を戻っていく。たくさんの人から好意を寄せられる人を独り占めするという事は、その分周りを傷つけるのだという事を初めて知った。


 ショップとショップの間で愁が屈んだのと同時に目の前に影が落ちて、唇を啄まれる。キスされたの分かった時にもう一度重なった。


 ——何でキスされたの⁉︎


「さっきの凄い嬉しかった。襲っちゃってごめんね。我慢出来なかった」


 本当に嬉しそうにふんわりと微笑まれたので何も言えなくなってしまう。


 ——やっぱり愁はズルい。


 自分ばかりドキドキして舞い上がって愁の行動一つで気分を左右される。愁を独占してしまいたい気持ちが膨らんで、繋いでいる手に初めて自分から力を込めた。


「愁が……僕以外に触れられるの……嫌だ」


 呟くように言うと今度は頬に口付けが振ってくる。


「うん。オレも触れられるなら光流が良いよ」


 また微笑まれた。


「友達にこんな事言われて気持ち悪くない?」

「全然。てか、光流のその感情は本当に友達なのかもう一度よく考えてみて?」

「え?」


 やたら熱のこもった瞳にとらわれる。また降ってきた口付けを抗いもせずに受け入れていると誰かの大きな声が響いて我に返った。


「あーー! 海堂が村上襲ってる‼︎」


 生徒のみならずその場にいた人たちからも注目されてしまい慌てふためく。


「バラさないでよ」


 声を上げながら笑い飛ばした愁に腕を引かれて近くのショップへと足を運ぶ。また愁が色々購入してきたものを身につけさせられた。


 揚げ菓子特有の甘い香りが鼻腔をくすぐり、ショップの隣に視線を向ける。そこではチュロスが販売されていた。


「良いのあったね。はい、これ光流の分。味違うから半分こしよ?」


 ——半分こって言い方が可愛い。


 先程から上機嫌な愁にチュロスを差し出されて受け取る。歩きながら齧り付き、途中で交換した。


 ——どうしよう。なんか僕いま幸せかもしれない。


 その後、二人で色々見て回って、アトラクションにも幾つか乗れた。楽しいひと時はあっという間に過ぎていき、ホテルに帰る時間になってしまった。


 また徒歩で移動して部屋の扉にカードキーを差し込んだ。ナイトテーブルを挟んだ左右にシングルベッドが置かれている簡素な部屋は、泊まる分には十分な広さがある。中に入るなり、ベッドに腰掛けた。これから夕食を食べに行くのですぐに移動しなければいけないというのに、愁は早速ベッドに転がっていた。


「足ギリギリ」

「愁には狭そうだね」


 シングルベッドはおおよその縦の長さが百九十五センチくらいだ。百九十センチ近い愁には、枕の位置次第で足がはみ出してしまうだろう。


「背が高くていいな。僕ももっと大きくなりたかった」

「光流は今のサイズが可愛くていい」

「揶揄わないでくれる?」

「褒めてるだけ」


 含み笑いで返される。他愛ない会話をしている間に夕食の時間になり、二人で階を移動して会場へと向かった。


 夕食はバイキング形式になっていて、好きなものを好きなだけ食べられる。大阪だけあってメニューにたこ焼きやお好み焼き、カレーや串カツ、豚まんもあってどれも美味しそうで目移りしてしまう。


「海堂、村上、席こっちこっち!」


 同じ班になった井口と高橋カップルと、山本と木村カップルはもう席に着いていて手を振られた。


「ありがとう。皆早かったね」

「お腹空いちゃって……」


 少し恥ずかしそうに木村が笑いながら言った。

 四人はもう食べる物を持って来ていたので、とりあえず食事用の水だけ置いて愁と二人でまた席を立った。


「何から食べようかな。やっぱりたこ焼きと豚まんは食べときたいよね」

「お好み焼きじゃないの?」

「それもありなんだけど、あのサイズだと色んな種類食べられなくなっちゃいそう」

「光流が残したらオレが食べるから大丈夫だよ」


 会話しつつお皿に食べる分だけよそっていく。料理を見るのに夢中で、こちらを睨みつけている山野に気がつくのが遅れてしまった。

 山野との間に黒髪の女子生徒が入り込んだ瞬間、パシャと水音がした。


 ——え? 何いまの?


 視線を向けると、黒髪の女子生徒から水が滴り落ちている。横顔を見てもかなりの美人だというのが分かった。


 ——この子、以前見かけた子だ。


 愁がうちに泊まりに来る事になって、コンビニに行くからと別れた時に見かけた女子生徒だと気がつく。


 どうやら山野にかけられそうになった水から身を挺して庇われたというのは分かったけれど、理由が分からなくて困惑してしまう。それでも助けられたのは事実だ。

 お礼を言おうと「ありがとう」と言いかけたが、言葉を被せるように口を開かれた。


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