第二話、僕の推しが尊い!
「足りないくらいだよ。うちは金はあっても作る人がいないからね」
「海堂くんとこのお母さんは仕事で忙しいとか?」
「あー、まあ……そんな感じ」
「へえ、そうなんだ」
推し情報はどんな内容でも嬉しいものである。他愛ない会話をして食べる弁当はいつもより美味しく感じられて、思わず顔が綻んでしまう。
「食べる?」
「オレも食べていいの?」
「いいよ。美咲さん料理上手いんだよ。はい、どうぞ」
手作りハンバーグを箸で持ち上げて口に寄せると戸惑いもなくかぶりつかれた。
——普通にお口アーンしちゃった……。
「美味い!」
「でしょ?」
弁当のおかずをいくつかお裾分けすると目を輝かせて喜ばれた。弁当を作って持ってきたら食べてくれるかな? と思考を巡らせる。
「てか、海堂くんってのやめない? 愁でいいよ」
この年になるまで誰かを下の名前で呼び捨てにした試しがなくて、目を見開いたまま凝視した。
——呼び捨て……推しを呼び捨てとか難題すぎる。
しかも他の誰でもない推しに言われたので、身を強張らせて思考回路ごと固まってしまった。
「友達になるんじゃないの?」
無言のままでいると問われた。
「へ、あ……うん。なる! 友達なりたい! じゃあ、愁……くん」
「呼び捨てオンリーね」
「愁……、て、推しを呼び捨てとか恐れ多いというか、小っ恥ずかしいんだけど⁉︎」
尊死できる自信しかない。
「じゃあ友達の話もナシで」
「愁て呼ぶ! 呼びます! 呼ばせてください!」
「よろしい。オレも光流でいい?」
「嬉しすぎて死にそう……っ」
「ははっ、光流は大袈裟すぎ。それで決まりね」
推しは頑固だったけれど、さっきのお口アーンといい下の名前呼びといい、最後の笑顔とくれば、尊すぎて危うく昇天するところだった。
——その笑顔は反則です。生きてて良かった。
心の中で呟いた。
今日はバイトを入れていないので、学校が終わり次第すぐ帰宅した。
昨夜から濃密な時間ばかりを過ごしている気がする。疲れてはいるけれど心が晴れているからか気分はとても良かった。
「美咲さん、ただいま」
玄関の扉を開いて足を踏み入れる。4LDKの二階建ての一軒家が我が家だ。
パタパタとスリッパの音を響かせて、美咲が小走りで玄関に顔を見せた。
「光流くんおかえりなさい。あら、嬉しそうね。何か良い事でもあったの?」
「うん。僕ね友達が出来たんだ」
「ええっ、そうなの⁉︎ 良かったわね~」
高校生が口にする話題ではないというのに、美咲は大袈裟なくらいに声を弾ませている。
友達が出来たとハッキリ公言するのは初めてだからかもしれない。美咲は口元に片手を当てて、まだ驚きに目を瞠っていた。
「ふふ、初めて友達出来ちゃった。あのね、その子ちょっと家庭状況が複雑っぽくてね、手作り弁当を食べた事がないって言うんだ。だから明日僕が弁当を作りたいんだけどダメかな? 材料費とか僕がバイト代で出すよ。あと、メニューとかオススメがあったら教えて欲しいんだけど……」
「もちろんいいわよ! じゃあこれから一緒にお買い物に行かない? 私ったら買い忘れた物があって、ちょうど出かけるとこだったの」
「うん、ありがとう! ちょっとカバン置いてくるね!」
急いで自部屋に駆け込んでカバンを置くと、すぐにまたリビングに戻る。自分の事のように喜んでくれた美咲と一緒に家を出てスーパーに向かった。
買い物から帰ってきてからは、美咲と共に夕食を作りながら次の日の弁当に入れるおかずも幾つか小分けにして冷凍していった。
中身はどうしても同じ物になってしまうけど、明日持っていくのが楽しみで仕方ない。喜んで貰えるのか分からなかったのもあって、弁当箱は自分のものより大きい使い捨てのものにしている。
興奮し過ぎて眠れそうにないと思っていたのに、自分の意に反して、ものの数分で寝ていたみたいだ。気が付けば朝だった。
すぐに支度して朝食を摂った後で学校へと向かう。視線を走らせると目当ての人物がいた。
「愁おはよう」
「……はよ」
恐る恐る声をかけるとちゃんと返ってきたので思わずニヤけてしまう。
——耳、赤くなってる。
マスクとウィッグと眼鏡で隠れて顔は見えないが、恐らく照れているであろう推しが可愛くて微笑ましい。そして相変わらずカッコ良いから堪らない気持ちになる。
「人の顔見てニヤニヤしないでくれない?」
「だって僕の推しが今日も尊いから幸せで幸せで」
「出た。推しとか良く分からないし、やめてくれないかな……」
「それはムリだよ。あの日僕の心は愁に奪われちゃったから」
キョトンとした表情をされた。
——あ、その顔もいい。
「意味……分かんないし」
そっぽ向いて反対側を向いてしまったが、ほんのりとまだ耳を赤くしているのが分かった。
——どうしよう。僕の推しが今日もカッコ可愛いんですけどっ⁉︎
頭の中が爆発したように目の前が白く飛んだ。
***
目的の昼食まで今日はやけに長く感じられた。やっと出番が来たので「愁、昨日のとこ行こ?」と今日は自分から愁の腕を引く。
「分かった」
二人揃って移動した。ここは階段の壁が日光を遮っているので、日陰は隙間風が吹いて涼しい。いわゆる穴場というやつだ。
「今日ね、美咲さんに手伝って貰ったんだけど……はいコレ」
弁当を手渡すと呆けたように見つめられた。
「あ、もしかして手作り弁当とか気持ち悪いかな?」
——マズい、気持ちだけ先走っちゃったよ……。
今更ながら後悔しはじめている。
「これオレの分? 手作りって……え? 食べていいの?」
「愁、作って貰った事ないって言ってたから。でもよくよく考えたら、ごめん……男からの手作り弁当なんて気持ち悪いよね?」
作るのに必死過ぎてそこまで頭が回ってなかった。やらかしてしまったと思っていると両手でしっかりと弁当を握られた。
「そうじゃない。こんなの初めてで……嬉しい。食べていい?」
「う、うん」
手早く蓋を開けて割り箸を使い始めた愁を見て、同じように弁当を開く。割り箸を使って口内にミートボールを含んだ愁が弾かれたように顔を上げて「最高」と言いながら目を見開いた。
弁当を残さず綺麗に食べた後で、愁がカバンを漁って菓子パンを食べ始めた。しかも全て完食している。物凄い食欲だ。
「もしさ……」
どこか言いづらそうに口を開いた愁が真っ直ぐにコチラに向けて視線を上げる。
緩い印象を受ける普段の怠慢な動作とは違って、意のままにスケートボードを操っていた時みたいに真剣な眼光にドキリとさせられた。
——あ、この表情好き。
普段とのギャップが堪らなくて、心臓がまた早鐘を打ち出した。
「これからも作って欲しいって言ったら迷惑かな? もちろん負担にならない程度で……。材料費も出すよ」
「僕が作ってきていいの⁉︎」
逆に驚いてしまった。
無造作にカバンの奥からいくつかの封筒を出されて、その内の一つを手渡される。
——もしかしてお小遣い的な物を封筒に入れたまま持ち歩いているのかな?
だとすれば封筒の数からして全く手をつけていないのだろう。その内の一つを差し出され、条件反射的に封筒を掴んだ。
思っていた以上の重みがあって、ギョッとした。カバンを置いて教室移動する事もあるのによく盗まれないなと感心すらしてしまう。
——この封筒一つあたりが僕の数ヶ月分のバイト代より多いんじゃ無いかな……。
「うちは金さえ渡しときゃ子どもは喜ぶだろとか思ってるような親でさ。遠足とかの弁当もコンビニの惣菜を詰め替えただけとかなんだよね。だから今日本当に嬉しかった。オレ良く食べるし、これは材料費として貰っといてくれない?」
「え、こんなにたくさん貰えないよ!」
「うーん……どうしようかな」
首を捻った後で閃いたと言わんばかりに愁が「あ」と口にして言葉を繋いだ。
「美咲さんて人の手間代と負担代も込みで。食材てお金かかるんでしょ? あとはオレのスケボーの練習に付き合ってくれる? ダメ?」
少し申し訳なさそうにしている推しが尊すぎて眩暈がした。
——その頼み方はズルいよ。断るわけない。
弁当作りは寧ろ嬉しい。願ってもない条件プラス推しの表情にも見事なまでに心臓を撃ち抜かれた。
陰からコッソリ見るのと堂々と見るのとじゃ全然違うし、推し活を公認されたようなものだった。いや、違う。逆に支援されているような……? 考えていたが、脳内お花畑状態の今の思考回路では考えがうまくまとまらなかった。
「僕頑張ってお弁当作るね!」
「楽しみにしてる」
「任せて!」
今度は二つ返事で応じた。
帰宅途中にハッと我に返る。上手い話に乗せられて、嬉しさからつい引き受けてしまったけれどこれで良かったのだろうか? また疑問に駆られ首を捻る。
凄く嬉しそうに頼まれると照れる反面頑張らないといけない! と責任感が芽生えた。
——あれ? 僕もしかして推しに必要とされてる……?
どこかむず痒い気持ちになってしまう。
——いや、ないない。それだけはない。
自分のおめでたい思考回路を恨めしく思ってしまった。
「美咲さんただいまー」
「お帰りなさい光流くん。あら、今日はどうしたの? もしかしてお弁当気に入って貰えなかった?」
美咲が心配そうにオロオロしだしたので、否定するように横に首を振ってみせた。
「違う違う、凄く気に入って貰えたの。でね……」
カバンから封筒を取り出して事態のあらましを説明する。美咲が封筒を開いて中身を確認すると、一万円札が二十枚も入っていた。
やはり自分のバイト代より遥かに多い。それにこの白い封筒はいくつもあった。総額を考えると胃が痛い。無造作に持ち歩いたり教室に置きっぱなしにしてるのか……。
——盗難にあっちゃうよ!
心の中で叫んだ。
「その子、本当に光流くんにお弁当を作ってきて欲しいのね。それならその気持ちを受け取っておくといいわ。私は頑張って監修するねって伝えておいてくれるかしら?」
「分かった。その子結構大食いだけどどれくらい必要かな? 今日の弁当結構大きいサイズの弁当箱だったのに綺麗に食べ終えて、持ってた菓子パン五個は食べちゃったんだ。ビックリした」
美咲さんは、ふふっと笑いをこぼすと札束の中から五万円を抜いて残りは封筒に戻す。
「もし材料費が余ったら返すわね。そのお友達のお名前を聞いても良いかしら?」
「へ? うん。海堂愁くんって名前で最近転校してきたばかりなんだ」
「ああ、あの子がそうなのね……」
美咲の言葉は知っているような響きだった。
「美咲さん、知ってるの?」
「ええ。海堂グループの会長の息子さんじゃないかしら? 確か同年齢の娘さんもいたはずよ。光流くんが知らないとなると、きっとクラスは違うのね。光流くんが家庭環境複雑って言っていたのも納得だわね」
「同年代……」
——そんな事ってあり得るの? もしかして……。
愁にたっている悪い噂を思い出す。少し言いづらそうに言葉を濁して、美咲は「ええ」とだけ答えた。それからは話を逸らすように買い物バッグに財布を入れてコチラに視線を向けてくる。
「明日からまた作り続けるとなると、栄養が偏らないようにどんな材料を使うかも光流くんに教えておいた方がいいわね。また一緒にお買い物に行く? 何なら今度うちに連れていらっしゃい。滋さんも喜ぶと思うわ。お布団も用意しておくわね」
「いいのっ?」
「もちろんよ。光流くんの初めての仲が良いお友達だもの。私も泊まりに来てくれると嬉しいわ」
——友達というか一方的に僕が推し活しているだけなんだけどね。
それは秘密にして大きく頷いた。




