第一話、推しが出来ました!
ザッと音がした瞬間、自分の中の時が止まった気がした。
呼吸さえも惜しんで、突然空を飛んで横から現れた金髪の少年を、村上光流は食い入るように見つめていた。
文字通り飛んで目の前を横切ってきたのだ。スケボーに乗りながらだけど。
少年という割には背の高い彼は、グレーのパーカーに黒いズボンを履いていた。
夜の公園でスケボーを自由自在に操り、高度な技術と思える技を次々に披露していく。ど素人の自分でもわかるくらいなのだから、スケボーに詳しい人が見れば騒ぎ立てるかもしれない。
——すごい! 何いまの、カッコいい‼︎
バイト先から家までの近道の為に公園の脇道を突っ切ってきたのは正解だったのかもしれない。そうでなければ出会ってなかったからだ。
まるで獣道みたいになっている脇道で直立不動のまま見つめ続ける。
——スケボーでジャンプ出来る人って生で初めて見た!
興奮しきって胸の鼓動が治らない。年齢的には十七歳になったばかりの自分と同じくらいか、少し年上の印象を受けた。
どう頑張ったって自分では出来ない事をいとも簡単にあっさりとやってのけた彼が凄すぎて、今の感情をどう表して良いのかさえも分からなかった。
すっかり虜になってしまい、瞬きするのも惜しくて見つめ続ける。彼の練習をずっと眺めていたら、コチラの存在に気がついたのか不意に視線が絡んだ。
物陰にいるから不審者だと思われた可能性もあったので、不審者じゃないと説明しようと唇を開こうとしたけど音にならなかった。
何も言葉を発さないまま数秒間見つめあう。沈黙が痛い。
——あれ? この人どこかで見たような……?
街灯だけではよく見えないものの、妙な既視感を覚えた。どこで見たっけ? と逡巡する。
男は「あ」と小さく言葉を発するなり、パーカーのフードをサッと深く被って、ボードを小脇に抱えたと思いきや、駆け足でその場を去っていく。
「しまった。名前くらい聞いておけば良かった」
もう少し気を回せていれば会話くらい出来たんじゃないかな? と思うと悔やまれる。そんな言葉も出てこないくらいに彼のボードテクニックに魅せられていたのだから仕方ない。
——うるさいうるさい。どうしよう、まだ心臓がうるさい。
痛いくらいに鼓動を刻んでいる。もっと彼がスケボーをしている所を見ていたかった。あと、出来るなら会話もしてみたかった。
友情とも恋情とも違うこのトキメキは、一体何と言ったらいいんだろう?
『あたしの推しがさー』
『推し最高~』
クラスの女子生徒たちの会話が脳裏をよぎっていく。
「推し……? そうだ! 推しだよ、推し!」
顔が熱い。今鏡を見ると顔が真っ赤な自覚があった。ただでさえ猛暑日に近い程に暑いというのに、全身が茹ってどうにかなってしまいそうだ。
——推しヤバ……っ。死ぬ程カッコ良かった。
身悶えていられたのも束の間で、姿勢をシャンと伸ばす。慌ててスマホで時間を確認するなり走り出した。
「早く帰らなきゃ、美咲さんと滋さんが心配する!」
美咲と滋は自分を引き取って育ててくれている里親だ。穏やかで心優しい二人には三歳からお世話になっている。そんな二人を心配させるのは不本意だった。
全速力で走っているので、今度は別の意味で呼吸が乱れて心音が激しくなっていく。
——夜九時十五分くらいだから、九時くらいにここに来ればまた会えるかな?
試験前は極力バイトを入れないようにしていたけれど、少しだけ増やしてみようかなと考えて即座に首を振った。
——それはダメ。また倒れたら逆に迷惑をかけてしまう。
一年生の時に二人の負担を少しでも減らしたくてバイトを頑張りすぎて倒れてしまった経緯があるだけに、これ以上スケジュールを増やす訳にはいかなかった。
——コンビニ行くとか理由をつけて、この時間に少しだけ抜け出すくらいなら有りかな?
それなら良いかもと逡巡する。
バイトが終わった時はあんなに疲れ果てていたというのに、帰路を辿る足取りまでもが軽くなっていく。それに加え、陰鬱な夜の公園さえも輝いて見えるから不思議だ。
——推しが出来るだけでこんなにも世界が変わるんだ。
クラスの女子生徒たちの気持ちが痛いほど分かってしまい思わず笑う。何なら自分も推し話題に混ざれるかも? と思った自分自身に驚きを隠せなかった。
***
次の日、浮かれ気分で学校へ行くと、隣の席の海堂愁はもう既に机の上に突っ伏して寝ていた。
——まだホームルームも始まっていないんだけど……。
彼は変人で、ある意味有名だ。
つい一か月くらい前に転入してきたばかりだけれど、目が隠れるくらいに長い前髪の黒い蓬髪に、野暮ったい分厚い黒縁の眼鏡、黒マスクをしているのもあって顔がほぼ見えない。
噂では外国人と日本人とのハーフらしい。どこにもその要素がなく、髪の毛も瞳の色も黒色で手足が長いひょろっとした長身だからか、昭和期の文豪作家の印象を受けた。
見た目は自分と似たような陰キャなのに、どこか漂う空気が違う。それは妙な悪い噂があるのもあって皆一線を引いて接しているのが見て分かるし、自分からも彼に関わった事もなかった。
数分もしない内に担任の教師が入ってきて、海堂は一度起こされていたもののまたすぐに寝始めた。
その横でいつも通りノートを取っていく。あまりにも気持ちよさそうに寝ている海堂を見ていると自分まで眠くなってきて、うつらうつらと船を漕いでしまう。眠気を懸命に堪えて欠伸を噛み殺した。
——それにしても全ての授業で寝てるとかある意味強者だ。僕には真似できないや。
海堂にどこか感心しながらもう一度視線を向けたところで、昼休みを告げるチャイムが鳴り響いた。
持たされた弁当が入ったバッグを手にすると、海堂が勢いよく顔を上げる。
「ご飯……」
匂いで空腹センサーが作動したらしい。
——何それ、可愛い。
もしかしたらこの人面白いのかもしれないと思って見ていると、レンズ越しに視線が絡んだ。
——この顔……。
また既視感だ。パチクリとお互い何度も瞬きを繰り返す。
「あれ……? あーーっ‼︎ 海堂くんて昨日スケ……「ちょっと村上くん一緒に来てくれる?」……うあっ⁉︎」
叫んだ言葉を遮られ、物凄い勢いで腕を引かれる形で教室から連れ出される。それなのに、この一瞬で忘れずにちゃっかりと自分の分の昼ごはんが入ったバッグを持っているところが可愛い。
——え、僕の推しが尊いんだけど⁉︎
脳内では一気に花が飛んだ。
——いや、そうじゃないだろう。嘘っ、推しじゃん⁉︎ 推しがいた! しかもこんな近くに!
今度はパニック状態に陥った。
「え、え、え、何で? だって髪色違う! 目の色も……うぐっ」
「あーね、ちょっと黙っててくれない?」
推しの大きな手で口を塞がれ、次の瞬間には荷物のように腹を抱えられた。
——推しが抱えられるサイズで良かった。ありがとう僕の体。
まさか低身長低体重なのを感謝する日が来るとは思いもしていなかった。
——何か良い匂いする! 何で⁉︎ 同じ男子校生だよね⁉︎ それとも僕の嗅覚に推しフィルターでもかかっているのかな?
ほのかに香るシトラスと後で少し甘めのフローラルな香りが鼻腔をくすぐる。
連れて行かれたのは屋上へ続く階段の踊り場で、さすがに疲れたのか目の前では推しである海堂が息を切らしていた。
——わ、息を切らしててもカッコいい。
正面からジッと見つめていると、海堂が口を開いた。
「単刀直入に言っていいかな……?」
「あ、はい。何でしょう?」
「オレがスケボーしてるっての黙っててくれない?」
——海堂くんてこんな喋り方するんだ。
話す機会がなかったのもあって、新鮮に感じられた。
それにしてもボーダーであるのを隠す理由が分からない。恥ずかしい腕前じゃないのは確かだ。
昨夜スケボーの事を調べまくって動画も色々見た。その中の誰よりも上手かったというのに、訳が分からなくて首を傾げる。
「え、あんなに上手いのに何で?」
「知られたくないから」
「特に込み入った理由がないなら、断っていいかな? 僕は海堂くんを布教したい」
「は? 布教て……何で?」
「スケボーしてる姿めちゃくちゃカッコ良かったし、一瞬で虜にされた! 一番の理由は、昨日きみを見た時からきみが僕の推しになったからかな? あれからスケボーの動画見まくったんだけど、海堂くんが一番上手くてカッコ良かったよ! 僕だけが海堂くんの良さを知ってるってのも唆られるんだけど、どうせならそんな海堂くんのカッコ良さを周りにももっと分かって貰いたい。あと、僕と友達になってください‼︎」
前のめりになって早口で言葉を紡ぐ。
「……」
沈黙が流れた。
「あの……眼鏡外してみてもいい?」
彼の瞳に宿る熱が隠れてしまうのは勿体なく思えて、恐る恐る言葉に変えると戸惑ったように小さく頷かれる。
両手を伸ばしてその野暮ったい眼鏡をはずし、レンズを覗き込んだ。度は入ってなさそうだったので伊達眼鏡なのだろう。ゆっくり前髪をのけると、カラーコンタクトをしているのが分かって問いかけた。
「眼鏡、ダテだよね。もしかしてこれ黒のカラコン? 昨日見た色が本物なら黒い髪の毛はウィッグかな?」
こんなに誰かに興味を持ったのも積極的に触れようと思えたのも海堂が初めてだった。
海堂もまさかこんなゼロ距離で接せられるとは思わなかったのか、一瞬眉間に皺を寄せながらも言った。
「地毛だと黒に染めろって言われるからね。ハーフだって言ってんのに聞いてくれないし、面倒だから中学の時から転校する度にウィッグとカラコンで誤魔化してる。眼鏡とマスクしてたら分からないし」
ため息をついた後で、海堂がウィッグとマスクを外して見せた。
緩くウェーブのかかった猫毛っぽいプラチナブロンドの髪の毛が現れて、彼の端正な顔を際立たせる。隠しておくには勿体無いくらいには綺麗な色合いをしていた。
——どうしよう。顔が良すぎて直視出来ない。
本来の瞳の色も見てみたいがさすがに言い出せなかった。ウズウズしながらも正面から見つめて網膜にやきつける。
「教師たちがダメなら校長先生に話してみるとかはダメなの?」
「言ったよ。それでも〝校則だからダメ〟なんだってさ」
「黒色に染めるのだって校則違反の〝染める〟に該当するのに、矛盾しているよね」
「でしょ?」
その時の記憶を思い出したのかムキになって言った海堂が年相応に幼くて、思わず笑ってしまった。
——何だ。話すと意外と普通なんだな。
今まで人を偏見で見るなと思っていたのに、偏見を持って彼と接していたのは自分だったのだと分かると少し後ろめたくて恥ずかしい気持ちになってしまう。誤魔化すように弁当を広げると中身を覗き込まれた。
「手作り?」
「うん。美咲さんがいつも作ってくれるんだ」
「美咲さん?」
「僕の里親。気持ち的には義理の母親だと思っているよ」
養子縁組の話は出ていても、まだハッキリと返事はしていない。今は養子でもいいかなと思い始めているところだ。
「義理?」
質問に「そう」と返事しながら海堂のカバンの中も覗き込む。その中には菓子パンが五つとおにぎりが三個も入っていた。
「そんなに食べるの?」
買い弁で済ませる人は珍しくない。毎日パンばかりの人もいるくらいだ。なので海堂もそうだとばかり思っていた。




