お稲荷さん
神さまに・神社に呼ばれるというのは、割合によく聞く話である。
ふと、前ぶれもなく特定の神社に参拝しようと思い立つ。
移動手段が電車の場合、待ち時間をほとんど必要とせず、目的の神社に辿り着くことができる。
しかし、私のコレは、そういったケースと同じように考えていいものだろうか。
呼ばれたと言うより、誘われた。
より正確に言えば、操られた。 そんな風にも感じてしまう。
「ホントに平気です? なんなら引き返しても」
「いや、大丈夫」
友人の気遣いを丁重に謝し、一歩、境内へ足を踏み入れる。
一面に敷き詰められた白い玉砂利が、カチリと涼しげな音を立てた。
ここまで来て、尻尾を巻くわけにはいかない。
もちろん、一時ほど心身を操作されたことに対して、不平がないと言えば嘘になる。
しかし、ここに来ると決めたのは他ならぬ自分なわけだから、そこを糾弾するのはお門違いだ。
ただ、どういうヒトか気になった。
ひと目、先方の顔を見てみたい。
そんな風に思ったのは、やはり“呼ばれている”
そういう事になるのだろうか。
「お腰の物をお預かり致します」
「わ……っ!?」
途端、すぐ側から声がしたもので、思わず飛び上がった。
見ると、おかっぱ頭の可愛らしい巫女さんがいる。
小さな両手をついと差し出す格好で、友人の方に頭を下げていた。
「お腰の物をお預かり致します」
「あ、はいはい。 お願いしますね?」
そう言って、友人は後腰から取り出した小刀を、巫女さんの繊手にそっと預けた。
これを袂の内側にさらりと納めた彼女は、楚楚とした足取りで、こちらへ歩みを寄せた。
「お腰の物をお預かり致します」
「へ?」
図らずも、間抜けな声が出た。
預けろとは言っても、そんな物は持ち合わせていない。
日頃から、刃物を持ち歩くような趣味はない。
いや、友人の場合は別口だ。
小刀は単に得物と言うよりは、どちらかと言えば、戒めに近い性質の物だと思う。
「お腰の物を……、あら?」
再三にわたる決まり文句を唱えようとした巫女さんは、ふと怪訝な顔をした。
すぐにそれを取り繕い、丁寧な仕草で頭を垂れる。
「失礼いたしました。 手違いのようで」
そう言って、境内の方へ静々と歩み入る。
顔を見合わせた私たちは、互いに小首を傾げつつ、ともかく巫女さんの先導に従った。
「立派な神社だね………」
「ね。 ホント、お掃除とか大変そう」
面積は、だいたい高羽神社と同じくらいか。
必要最低限の設備を整えた境内は、広過ぎず狭過ぎず。 非常に居心地が良い。
それに、何となく呼吸が楽になったような。 空気が美味いというのは、こういう事を言うのだろうか。
玉砂利が微かに弾ける音が、耳に心地いい。
「御上、賓をお連れ致しました」
程なく、拝殿の前で足を止めた巫女さんは、深々と礼を取りつつ、そのように報告した。
一般的な神社建築とは異なり、まるで中世の邸宅を思わせる外観だ。
形式としては、寝殿造りの主屋に似つかわしいか。
格子状の蔀戸はすべて閉じられており、内部の様子をうかがい知ることは出来ない。
「左様か」
すぐに応答があった。
小鈴を転がすような、綺麗な声だった。
境内を満たす神気が、より清浄なものへと、俄かに様変わりするのを感じた。
蔀がキリキリと音を立て、開放を始めた。
ちょうど、電動の開閉機構を備えたすべり出し窓を彷彿とさせるが、その動作に機械的なものは感じられない。
どこか有機的というか、不思議な力で作動しているのが一目で分かった。
間もなく、拝殿の内部が露わになって、その中央に居座る主の正体も明らかになった。
朱の装いを着けた若い女性、だと思う。
綿帽子のような物を目深に被っているため、正確なところは判らない。
「近う」
口元が微かに動き、そのように促した。
惚けていたつもりは無いが、反射的に肩がギクリと持ち上がった。
こういうタイプのヒトは初めてだ。
これまで、ご縁があって知り合った面々を想起する。
史さんを筆頭に、何れも“らしからぬ”ヒトたちだ。
しかし、いま私が対面しているのは紛れもなく。
その雰囲気や在り方、どれを取っても、疑いようも無いほどに神様そのものだった。
「大丈夫……?」
「あ、うん……」
怖じ気づいた様子の私を見かねてか、友人が心配げに顔を覗き込んできた。
己の体たらくを恨む間に、こちらの耳元に口を寄せて、こんな事を言う。
「緊張しなくても平気ですよ。 あのヒト、実はあぁ見えて──」
「此方や」
これをピシャリと遮った先方は、手にした扇を小さく揺らしてみせた。
はやく来いという事だろう。
初対面で勘気を被るのは、さすがにマズい。
ともかく、私たちは促されるまま、拝殿にお邪魔させてもらう事にした。