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天史拾遺長歌集  作者: d_d本舗
51/112

夏暁


「口にしたらダメな名前か……」


「うん? あぁ、黒歴史っていうのかな? 誰にでもあるよ、やっぱり」


「ほのっちにも、あったりする? そういう名前」


「ん、忘れちゃった」


天野商店の店先にて、敷地の一角を占める朝顔に水をやりながら、友人は(ほが)らかに笑った。


今年の夏もよく花をつけており、この時季の風物詩として、町の景観を涼しげに(いろど)っている。


早朝の小路(こみち)は人の姿も(まば)らで、ジョギングに励む人、犬を連れたご近所さんが、時おり通りかかるくらいのものだった。


「この辺、川床(かわどこ)にしたらシブくないです?」


「その花壇の所? それ川床じゃなくない?」


あの一件には、どうしても謎が残る。


まず、私が見たという幻覚についてだが、それは果たして、どの場面から先を指すのだろう?


あの日、公園に到着した私たちは、愈女(ゆめ)ちゃんと対峙(たいじ)する“人影”を()の当たりにした。


見るのは良いが、()ってはいけない胡乱(うろん)な人影だ。


しかし、私はそれの正体を、何者かの妄念(もうねん)であると把握(はあく)してしまった。


そして、次第に(おさ)えの効かない憎悪に駆られ、ついには殺意すら覚えるに至ったところで、友人による気付(きつ)けを得た。


その後、運河から遠く離れたベンチで、本格的に意識を覚醒させたという仕儀(しぎ)であるが、少なくとも、現実ではなかったと断言できる場面が一箇所だけある。


私が憎悪を(いだ)いたきっかけ、“人影”がふゆさんに対して働いた、精神的な狼藉(ろうぜき)だ。


あの場には当の友人も史さんも居たわけだし、あれを放っておく訳がない。


そうすると、あの場面の少し前、やはり人影を目撃した辺りから、すでに幻覚の(とりこ)になっていたと考えるべきだろうか。


妥当(だとう)ではあるが、どうにも違和感がある。


「あれって、本当に幻覚だった?」


「え………?」


鼻歌まじりに如雨露(じょうろ)を操っていた手が、ピタリと止まった。


「あ……。 いや、ごめん。 何でもない」


「ふーん……?」


つい先日、ふとした機会にこの一件を思い出した私は、幼なじみの二名と簡易的な話し合いの場を(もう)けた。


『幻覚? 幻覚……は見てねぇなー。 そういや兄やん言ってたよな、あん時。 幻覚がどうとか。 どういうこと? なんで今んなって……』


『最初は運河のトコに居て、気がついたらベンチで眠ってたんだよ。 私が一番最初に目ぇ覚ましたんだよー』


私の仮説はこうだ。


あの時、私が垣間(かいま)見たもの、耳にした悲痛な叫びは、欧州の女神による幻覚ではなく、私自身が生み出した白昼夢ではなかったか。


あの試験は本来、もっと安全に(こう)じられる(はず)のものだった。


例えば、女神による幻覚を(もっ)て適度に怖がらせ、後の是非を人間(わたし)たちに(ゆだ)ねるような。


ところが、初端(しょっぱな)からトラブルが起きた。


魅入られやすい性質なのか、あの人影をひと目見た瞬間、私は妄執(それ)に囚われてしまった。


幼なじみの二名が幻覚を見ていないというのは、この時点で強制的に眠らされたからではないか。


史さんがあえて口にした、パーシテアーという名前。 彼女の夫神と言えばヒュプノスだ。 言わずと知れた眠りの神である。


一方で、起きているにも関わらず、ある意味では眠っているような状態の私は、友人の介入を大人しく待つしか無かったと。


ならば、かの女神による幻覚など、私たちは(はな)から見ていないのか。


単に、史さんによる優しい嘘だったのか。


そうとも言い切れない。


あれは、ちょうど公園に到着した折りのこと、まるで天女のように降り立つふゆさんの映像を、脳裏で再生する。


目を奪われるほど美しかったが、どこか現実味を欠いた光景だった。


あれを、欧州の女神が(ほどこ)した幻覚と仮定するなら………。


ダメだ。


いずれも仮説の域を出ず、考えれば考えるほど、頭がこんがらがっていくような気がする。


神のみぞ知る。


その言葉は、あまり好きじゃない。


まるで、すべてを(かれ)らに丸投げするような。 人間であるという事に胡座(あぐら)をかいて、いま自分にできる努力を(おこた)っているような。 そんな気がしてならないからだ。


しかし、あの一件については、そうした言い回しをあえて持ち出したくもなる。

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