表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
天史拾遺長歌集  作者: d_d本舗
33/112

一触即発

教室に特有の匂いが鼻先を(よぎ)ると同時に、外気とは似ても似つかない冷たい空気が肌身に降り掛かった。


思わず我が身を(かば)うようにして抱きかかえる。


「うぅ……、姫さまぁ………」


間近に聴いて思った。 本当に切ない声だ。


いったい何があったのか。 どのような経緯があって、彼女は今この場に現れたのか。


恐怖よりも、はや同情に等しいものが胸間を占めていたように思う。


「ダメですよ?」


そんな私の様子に気付いたか、友人は短く言った。


「引っ張られちゃう」


ふたたび背筋がぞくりとした。


いま、同じ室内に居合わせるのは何者であるか、そのセリフは否が応でもそれを強く意識させるものだった。


「姫さま……、姫さまぁ………」


声の出所はすぐに判った。


目を凝らせば、教室の隅に小さな人影が蹲っている。


さめざめとした泣き声は、その人物によるもので間違いないようだ。


「姫さま……、姫さ………」


唐突に、声がピタリと止まった。


後にはただ静寂が残ったが、人影は(いま)だそこに在る。


勘付かれた。


先までの寒気とは別の冷感が背筋を伝う。


「え……? だれ? 誰ですか……?」


思いがけず、人間らしい反応があった。


すこぶる不安に満ちた声だ。


「そりゃこっちのセリフですよ」と、言うが早いか友人(ほのっち)がズカズカとそちらへ歩みを寄せる。


これに置いていかれぬよう従ったところ、ようやく先方の(たい)が明らかとなった。


束帯(そくたい)を着けた小柄な少女だ。


ひどく時代錯誤な装いであるが、これがいたく様になっている。


男装の麗人と表すには、幾分にも幼さが先んずるか。


涙の跡がくっきりと伝うあどけない容貌には、怯えの色がありありと見て取れた。


「その(ふく)、武官ですね?」


「はい……。え? ちょ……、怖……っ? 止まって……!」


側壁に背中を押し付けるようにして、じりじりと後退る少女。


彼女の上衣は、闕腋袍(けってきのほう)と呼ばれる比較的運動に適したもので、古代日本においては、衛府に属する官司(かんしの正装として用いられた装束だ。


現代では、もちろんこれを常用する者など居らず、各地の時代祭り等で、その英姿を拝見する機会が数える程度あるくらいだろうか。


「誰を護ってるんです? その姫さまとやらですか?」


「え? はい。姫さま……。 あ、あのあの! 一度止まって……!」


改めて見ても、その出で立ちは極々自然で、不体裁を感じさせる要因は何一つとして見当たらない。


単なる着こなしとはワケが違う。


彼女自身の存在意義とでも言おうか、己のあり方に裏打ちされた装いは、もはや似合う・似合わないの次元ではなく。


魂の本質を表す象徴のように感じられた。


「あれ……? 待って? え? あなた……、お、おおお、鬼ぃ……っ!?」


「あ……? 言っちゃいましたね? 言っちゃいましたね!?」


私が思惟に耽っている隙に、二名の間には早くも火花が立っていたらしい。


「誰が鬼ですって!? おぉん!!?」


「ひぇ……っ!? あ、悪鬼退散!!」


「悪っ……、鬼ぃ!? この高羽(まち)じゃケンカ吹っ掛ける言葉ですよそいつぁ!」


「やぁ!? 助けて姫さま……っ!」


拍子抜けと言うには語弊があるか。 ともかく先方にも人並みの感性があるようで、少なからず光明が湧いた。


きっと、話の通じない相手じゃない。


そう思った矢先、少女が突飛な行動に出た。


なにを思ったか、涙に濡れた容貌に毅然とした感情(もの)を宿し、低い姿勢を保ったまま身構えるや、右の手腕を横合いへ差し伸べた。


間を置かず、小さな手掌に燐火のような薄光が収束し、見る見る内に長物の形状を成してゆく。


途端、派手な噪音が教室内に響き渡った。


辺りの机や椅子を蹴り分けた友人(ほのっち)が、テーパードパンツの後腰に留めた小刀の鯉口を、乱暴に切るのが見えた。


得物(どうぐ)出したら、さすがに冗談じゃ済まされませんよ?」


「うぅ………!」


行く宛を欠いた蛍火が、まるで初雪のようにチラチラと舞い、床板に微かな焦げ跡を残して消えた。


両者の睨み合いは続く。


少女の掌に集まった不可思議な燐光は、当人の躊躇いがちな内面を映すように、いまだ確固たる形を成していない。


一方で、場馴れた友人は(しな)やかな姿勢を保ったまま動かない。


まるで満身に備わった強力なバネが、撃発の瞬間を今か今かと待ち侘びているようだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ