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天史拾遺長歌集  作者: d_d本舗
101/112

夜道


女性がひとりで、長い長い坂道をくだっている。


果ては見えず、辺りは仄暗(ほのぐら)い。


「ひと……………」


(ぼそ)く弱々しい声で、彼女が(つぶや)いた。


その身には墨染(すみぞめ)(ころも)(よそお)い、濡羽色(ぬればいろ)千早(ちはや)をふわりと肩に掛けている。


「ふた……………」


(あか)い唇がまた(かす)かに動き、短い一語を揺り落とした。


それが辺りの暗闇に溶け込む前に、続けて「み……………」と(つむ)がれる。


(にわ)かに、周縁(しゅうえん)が騒がしくなった。


「これは美しい。 ほんに美しいねぇ………」


「今すぐ(いろ)うてやりたいのぉ………」


「まずは鼻じゃの? 鼻がよいわぇ………」


闇の中から現れた数人の老婆(ろうば)が、女性の顔をぐいと見上げ、口々に(はや)し立てた。


いずれも、ひどく()せこけた(からだ)に、貧素(ひんそ)な布切れを巻きつけている。


「その格好(かっこう)………」


ひとまず足を止めた女性は、瞳にありありと憐憫(れんびん)の色を(たた)えた。


決して、上辺(うわべ)だけの(あわ)れみではない。


その眼差(まなざ)しは、他者の窮状(きゅうじょう)を、まるで我が事のように(とら)えている様子だった。


こういった視線を向けられることに慣れていないのか、たちまち一団に動揺が走った。


しかし、それも(つか)()、つづく女性の言葉を受け、彼女らはあっさりと色を取り戻す運びとなった。


「その身形(みなり)で、寒くはありませんか?」


矢庭(やにわ)に、ドッと歓声(かんせい)が上がった。


断じて黄色い声ではない。


相手を小馬鹿にするような、笑いの(うず)だ。


小首を(かし)げた女性は、特に気を悪くした様子もなく。


「よ、いつ、むゆ……………」と、この間隙(かんげき)に、そっと()じ込むようにして唱えた。


ひと(しき)り腹を(かか)えた後、一人の老婆が、しつこく肩を震わせながら歩み出た。


「お前さま、(なん)勘違(かんちが)いしとるんと違うかぇ?」


これに続き、徒党を組んだ彼女らは、次々と嘲謔(ちょうぎゃく)の輪に加わった。


「暑いも寒いも、そんな上等なもん、この土地にゃあらへんわぇ」


「ここにはな? ()と氷しかないぞぇ」


「かわえぇなぁ? かわえぇなぁ? 世間知らずもここまで来やったらかわえぇなぁ?」


わずかに目を見張った女性は、すぐに瞳を()せがちにして、(かな)しげな声で応じた。


「それは、苦労をしましたね………?」


「は………?」


「なに、を……、言うとるん………?」


老婆の肩にやんわりと手を()えた彼女は、ふたたび目線を正し、楚々(そそ)とした足取りで歩み始めた。


各々(おのおの)、しばらく呆気(あっけ)に取られていたが、やがて誰からともなく追従(ついじゅう)を開始した。


もはや(あざけ)る者はなく、()のない冷やかしに、余計な時間を()く者もいない。


ただ黙々と、釣られるようにして、この不思議な女性のあとを追いかけた。


巫女(みこ)とは珍しい」


「これが巫女に見えるのか?」


「巫女でなければ何なのだ?」


「知らぬ知らぬ」


「神に(さか)ろうたか?」


愉快(ゆかい)愉快!」


すこし進むと、彼女の身辺がまた騒がしくなった。


恐ろしい(なり)をした大男が何人も現れ、行く手を(はば)むようにして立ちふさがった。


いずれも筋骨隆々(きんこつりゅうりゅう)で、頭に(つの)()えている。


それぞれ、みなぎ嗜虐心(しぎゃくしん)を隠そうともせず。 野蛮(やばん)な興味を、絶えず彼女のもとへ(そそ)いでいた。


「なな……………」


しかし女性は動じず、例の一語を(すみ)やかに整え、目先の彼らに視線を()えた。


「これはいかん」


誰かが言った。


「我らでは歯が立たぬ」


「殺される殺される」


「殺される前に殺してしまおうか?」


「喰われる前に喰ろうてやろう」


口々に(まく)し立て、(おぞ)ましい手腕(しゅわん)を彼女の元へ差し向けた。


「なりませぬぞ?」


これをそろりと()なした女性は、懇切(こんせつ)な口振りで教え(さと)した。


「そのような言葉、(みだ)りに(もち)いてはなりませぬ」


表情は毅然(きぜん)としていたが、慈母(じぼ)のような柔らかさを感じさせる。


狼狽(ろうばい)した一党は、しかし(から)くも気勢(きせい)を持ち直し、自分たちの()(よう)声高(こわだか)に叫んだ。


「なぜだ?なぜだ?」


「なぜ言ってはいけない?」


「殺して喰らう」


「それが俺たちの本性だ」


「そこな奪衣(だつえ)(しゅう)とは違う」


「俺たちは鬼なのだ」


耳に(さわ)る合唱を、女性は(まゆ)をピクリともさせず聞き届けた(のち)、彼らの一言一句(いちごんいっく)を噛みしめるように、かたく目を閉じた。


「それは、さぞ(つら)かったでしょうな………?」


一党の内々(うちうち)に、見る()に混乱が波及(はきゅう)した。

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