内戦の始まり
「思ったよりも多くの貴族が反乱軍側に着いたな。」
エンデピアの聖ヴァーゲ教会の地下室にある「神の円卓」に座った五人の老人の一人が口を開いた。懸念を示したのはゴルト騎士団総長。長い銀髪を後ろで結んでいる。
「改革派の背信者はほとんど反乱軍側に着いた。あれ程までの規模に膨らんだのはあれだけの背信者がいるということだ。しかし、アクセライヒの皇后が暗殺された以上、最終十字軍へのカウントダウンは始まってしまっている。この反乱も早期に決着させねばならん。」
反乱軍の内情に詳しいカイゼル髭の背の高いこの老人はゲンテ国王。自国の反乱をわざと発生させたかのような物言いだ。
「ゴルト人の穀倉地帯がどうなっても構いませんが、神との約束は果たしてもらわねば。ゴルト人への祝福は最終十字軍の成功が大前提なのをお忘れなきように。」
場違いのように感じさせる訴えを起こしたのは全6億の迷えるアウフ教信者の導き手である教皇。
「その最終十字軍を始めるには多くのゴルト人が救われるような状態に持ってかねばならんのです。そのためにも今回の反乱を早期に鎮圧せねばならん。我々の義勇軍と併せて反乱軍との総数は五分五分程度。それに...」
アクセライヒ皇帝が続けようとするが、それを遮ったものがあった。
「1年以内に鎮圧はできる。いやせねばならんはずだ。わしの先祖はエンデピアの空き地に朽ち果てた姿で横たわる神の子の悲痛な叫びを聞いた。それは呪いとなって、夜な夜なわしの頭にも響き渡っている。父と子が会いたいと願っておるのだ。これはなさねばならん正義なのだ。」
力強いまなざしで言ったのは、アクセライヒ軍総司令官。ブルンブルク大公ハインツ・ミヒャエル・フォン・アクセライヒ=ブルンブルク。ほかならぬフリードリヒの祖父であった。
円卓の中央にはA.E.I.A.Uの文字が浮かび上がっている。教皇の「では、今宵はこれにて」という声で教皇、ゲンテ国王、ゴルト騎士団総長の姿をしていたものは溶けて泥となってしまった。
皇帝は大公を残して地下室から出て、途方もなく長い地上まで続く螺旋階段を昇り始めた。皇帝の階段を昇る音が開いたドアから高い天井に響く地下室で、年老いた大公はため息をついて立ち上がった。
♢
ゲンテ派遣軍空中艦隊旗艦<ベルンシュタイン>はゲンテ空域上空を23隻から成る艦隊を従えて飛行していた。
フリードリヒのいる船底指揮所からは艦隊の下で雷鳴を轟かせる黒い雲が見えた。ゲンテ王国の首都ブホルトまではあと少しだ。この雲が晴れるまでは着陸できそうにないなと思い憂鬱な気分のフリードリヒはボーっと雲を眺めていた。
「連隊参謀!連隊長がお呼びです!」
模範的な敬礼をしてフリードリヒを呼びに来た士官を見て、自分が陣中にあることをしみじみと感じた。つい最近まで過ごしてきたアウローラとの穏やかな日々を思い出して憂鬱な気分の落ち込みに拍車がかかる。
士官に軽く礼を言ってトボトボと連隊長の待つ部屋に向かった。
連隊長は葉巻をふかしながら待っていた。丸々と肥えた下っ腹は非貴族将校の特徴だったが、ヴェルナー・ルントシュテット大佐のそれは平均よりも一回り立派なものだった。
「調子はどうだね?」
入室したフリードリヒを見て、禿げあがった頭を撫でながら尋ねてた。連隊どころか派遣軍で恐らく最も魔力のあるフリードリヒの状態は連隊長も気に掛けるところだった。
「良好です。」
フリードリヒの答えに微笑を返しながらヴェルナーは立ち上がった。
「大公閣下の御令孫とともに戦えて光栄だよ。だが、いくら高貴な身とは言え君にも皇帝の為に仕事をしてもらわねばならん。先ほどゲンテの司令部からブホルトから北方に800キロにあるベルトシュタットの攻略を要請された。ついては参謀に連隊のブホルトからの進軍計画の立案を命ずる。」
「はっ!拝命いたしました。」
帝国軍では貴族将校と非貴族将校の間には確執があった。貴族はその戦闘能力の高さから自身も前線に出て戦うことが多々あったが、才略だけを頼りにのし上がってきた非貴族将校を卑下する傾向にあった。兵士の間でも後方で指示を飛ばすだけの非貴族将校よりも、ともに戦う貴族将校の方が人気があった。
そんな参謀にフリードリヒが抜擢されたのは異例だった。参謀は兵站管理や作戦立案を行う部隊の頭脳だ。非貴族将校が就くことの多いポストである。
フリードリヒがそのポストに就くことができたのは、優秀な成績と祖父ミヒャエルの後援あってのことだった。参謀としての業務もこなしつつ、貴族として前線で活躍もしたい。大隊長でもなく連隊参謀を希望したのはそのためだった。
貴族としての戦闘訓練、参謀としての士官課程の両方を学んだフリードリヒはどちらかの能力も中途半端なものになっていないかと多くの連隊は配属に消極的だった。いくら大公の孫とは言っても連隊の能力が下がるようなことは避けたいのであろう。
そんな中、配属を承知してくれたのがヴェルナー大佐だった。元来のお人好しがそのような決定に至ったのか、それとも大公の贔屓を賜らんという野心からか、フリードリヒの知るところではなかったが自分を受け入れてくれたヴェルナーには感謝していた。
「今回の反乱、何か不自然に感じないかね?」
命令を受領し退出しようとしていたフリードリヒを引き留めるようにヴェルナーは声をかけた。
「彼らの統治は上手く行っていた。地獄の宗教戦争から200年、あのような惨劇を生むまいと東西での格差は徹底して排除され、ゲンテは西方の穀倉地帯と東方の工業地帯が発達し非常に栄えている。多くの民族を抱える我々と違って国民間での確執も少ない。彼らは何を望んで貴族共和制など布こうとしているのか。どう考える?」
「多くの人は満ち足るを知らぬものと愚考します。」
フリードリヒは振り返って告げた。自分と似たような疑問を持っていたヴェルナーに先ほどまでボーっと考えていたことが包み隠さず口から出た。ヴェルナーは葉巻を吹きながらフリードリヒをじっと見た。暫く間が開いてヴェルナーが大きく息を吐いた後に重く口を開いた。
「そうか、そうか...ありがとう少佐。下がってよい。」
「はい、失礼します。」
(く、口が滑ったな...)フリードリヒは少し心配になりながら部屋を後にした。
♢
フリードリヒの予想通りブホルトに降り立ったのは上空に着いてから3時間後のことだった。事前にある程度の周辺の地理情報をゲンテの参謀本部に問い合わせていたおかげで着陸前には行軍計画をほとんど作成し終わり、フリードリヒはライフルの整備をしていた。
ベルシュタット周辺の地図を眺めながら部屋で休んでいると激しくドアをノックする音が聞こえた。正しい教育を受けた帝国軍人ではこうはいかない。この無礼なノックだけで誰が来たかわかった。
「殿下~、失礼しますよ~」
許可もしていないのに入室してきた女性下士官の階級は特別曹長。短い赤髪と着崩した軍服はとても佐官の部屋に入る着こなしではなかったが、フリードリヒは慣れたもので女性下士官の方を見た。
「相変わらずだね、また退屈しのぎ?」
女性下士官は名をソフィアと言う。ブルンブルク家の陪臣で騎士の称号を与えられていた。いかにもフリードリヒよりも偉そうな態度をとるが騎士と大公の孫では本来後者が雲の上のような存在だ。
父シュテファンに雇われている傭兵の娘のソフィアはシュテファンの指示で幼いころからフリードリヒと共に訓練を受けた。戦場で信頼のおけるものが側にあるようにシュテファンが図らったものだった。
(態度さえ治ってくれれば完璧なのに...)
フリードリヒが内心思っていると部屋のソファーに座ったソフィアがしゃべり始めた。
「いやだな~わたしだってそんなに暇じゃないんだよ?艦隊の補給が終わったらしいよ。連隊は今回の作戦では空?」
「たぶんね、丁度いい。各大隊にL型装備の用意を下達しといてくれる?」
竜騎兵連隊の本来の任務は会戦での航空支援だが、近年は航空戦の支援も増えた。そのため竜騎兵連隊は指揮系統も他の歩兵連隊とは異なり、連隊幹部は地獄のように複雑な指揮系統の中でいつどこから下達されるか分からない命令におびえる日々だった。
「えぇ~、使い走り?仕方ないな~」
文句を言いながらも使い走りの命令に服従してくれるソフィアは、連隊幹部の一人であるフリードリヒからすれば天使のような存在だった。ソフィアもフリードリヒの多忙を知っていてどうでもいい事でフリードリヒに会う口実を作ってはフリードリヒを手伝いに来ていた。
「あ、それ!CGW3!いいな!シュテファン様にもっらったの!?私はもらってない!」
フリードリヒの整備するライフルが目に入ると、ライフルマニアのソフィアが騒ぎ始めた。
「これ?入隊したときにヴェルナー大佐にもらったんだ。」
「ヴェルナー大佐もいい趣味してますな~CGWは今の二世代前の士官用ライフルで...」
突如始まってしまったソフィアのライフル講座からどのタイミングで逃げ出そうか苦慮したが、フリードリヒは結局10分近くソフィアに時間を盗まれたのだった。