征服公の孫②
「魔法を見るのは初めてですか?」
自分の前に立つ青年が貴族だと分かって、クストス人はすぐさま跪いた。フリードリヒはそんなクストス人を見つめる。
見たところクストス人は10代か20代の若者だ。
(はぁ...これは相当な厄介の種に見えるな)
フリードリヒをそう感じさせたのは、このクストス人から感じられる微かな魔力だった。平民であってもゴルト人のであれば、その地の貴族に気に入られて魔装具を授けられている可能性は考えられるが、この貧乏そうなクストス人に闇市で魔装具を買う余裕があるようには見えない。
「家族が待っているのでしょう?真っ直ぐ家に帰りなされ」
クストス人は一瞬驚いた顔をしたが、すぐに黙って深く頷くと姿勢を低く腰をかがめたまま数歩後退りし、くるりと向きを変えて早足で去っていった。フリードリヒは平民にしては嫌になれたその作法を細目で見下しつつクストス人が見えなくなるのを見送った。
♢
クストス人はアイゼンブルグの繁華街を抜けて我が家までの一本道に入ると思わず走り出した。繁華街とは違って街灯もない暗い夜道。道の周りには平原が広がり、右手には遠くに天高くウンエントリヒ山脈が聳え立っている。
男が今朝家を出て職場の釘工場に向かった時はまるで自分を祝福しているように見えたその山々も、今はひどく高圧的に見えた。フリードリヒの見掛け通りこの男は魔装具を身に着けていた。チュニックの下にはペガサスの革に法術加工がなされたレザーアーマーを着ていた。レザーアーマーほどの装備でも丸裸の拳からすれば鋼鉄を殴るようなものだ。
そのレザーアーマーと、それをクストス人に授けた方に教えてもらった付け焼刃の体術が、日々溜まっていた工場長への反抗心を駆り立てた。
毎週末付き合わされる飲み会、クビと引き換えに酷使され続ける毎日、異教徒であるという秘密を知っていて秘密と引き換えに給料を天引きする工場長、クストス人としてはよくあるそんな日々に嫌気が指していた。
レザーアーマーを与えくれた方に聞いた自分たちの王国があった時代に生きた人たちをうらやましく思った。そして何より自分たちの国をもつゴルト人が大層妬ましく思えた。
そんな気の迷いも今になれば愚かだったとクストス人は心の中で懺悔した。
何かにつけられている気がして後ろを振り返るがそこには誰も見えない。遠くにアクセライヒの繁華街が見えるだけだ。
数百メートル先に我が家の灯りが見える。家には両親と幼い妹が待っている。
家に近づくにつれて何かの気配は大きくなってきた。耳を澄ますとあぜ道をふむ足音が聞こえるような気がする。わざと大きく呼吸をしてとにかく家まで急ぐ。
自分を攫ったあのゴルト人の貴族の微笑が頭から離れない。あの貴族は自分がレザーアーマーを着ているのに気が付いたのではないか、魔法の類か何かで自分が異教徒であるのを見抜いてはいないか。あらゆる不安が心臓の鼓動を早くする。息が詰まって、胸のあたりが苦しくなるのを感じた。
家の中から家族の話し声が聞こえた。五歳になったばかりの妹が何か駄々をこねる声が聞こえる。クストス人は家のドアをタックルするように開けて駆け込んだ。
食卓に食事を運ぶ母とちょうど廊下に居合わせた。母親は真っ白になって荒く呼吸をするわが子を見て目を見張った。「どうしたの?」と不安げに声をかける母。
いつも通りの我が家に着いた。安堵感で全身から力が抜けた。
「何でもないよ、母さん。運動がてらひとっ走りしてきてね。今日は工場長が早めに帰してくれたんだ。あまり食べてないからおなかがペコペコだよ。」
「あらそう...何もないならよかったわ。真っ白になって帰ってくるんだから、悪魔にでも追われて帰ってきたのかと心配になるじゃない。まあとにかく、晩御飯を一緒に食べましょうか。シチューはたくさんあるから、いくらでもお食べ。」
食卓に向かうと幼い妹が席に就て料理を待っていた。母が料理を持ってきて席に着く。今となっては家長となっている若者は食前にかける神々への感謝の言葉を口にし始めた。
「全ての精霊と神々に感謝します。卑しい我らに...」
♢
そんな異教の神々への祈りを、フリードリヒはクストス人の家の周りに広がる平原にポツンと生えた木の下で聞いていた。クストス人の家からはその距離数百メートル。魔法貴族の前では平民は秘密を守り通す術を持たなかった。
「Fiat jusutitia...(正義はなされよ)」
フリードリヒは言い聞かせるように呟いた。背後の茂みから純白と右肩に紋章が刻まれたローブを着た男たちが出てきた。アクセライヒの国教であるアウフ教の騎士団だ。フリードリヒがクストス人を見送った後に教会から呼び寄せたものだ。
「若い男は魔装具を持ってるはずです。私が殺ります。娘は若い、正しい信仰心を得ることはまだできるでしょう。」
そういってフリードリヒは夜空に浮かんで行った。
一人になった夜空でフリードリヒは一人呟いた。
「et pereat mondus...(よしや世界が滅ぶとも)」
フリードリヒの右手が微かに発光する。徐々に光は強くなっている。
クストス人の玄関で騎士団の男がドアをノックした。手と同じように光るフリードリヒの右目には、対応に席を立つ母親が見えた。食卓には幼い少女とその兄が残された。
フリードリヒが救いの手のように右手を差し出すと眩しいほどに右手が輝き、目にもとまらぬ速さで光った剣が飛び出していった。剣は家を貫き、クストス人の胸に刺さった。剣に貫かれた家は脆くも崩れた。
フリードリヒの右目には崩れ行く家の食卓でシチューを頬張る少女と、胸に大穴を開けて力が抜けてゆく若いクストス人が写真のように切り取られて見えた。
フリードリヒは少女にかけた防護の魔法を解かないように気を付けながら少女のいたであろう場所に降り立った。気絶した少女を抱きかかえて、騎士団員に渡し修道院に向かわせた。
大穴の空いたレザーアーマーを騎士団員に預けて、その場の処理も任せフリードリヒは兄の回収に向かった。
♢
店のベンチで寝ていた兄を回収したころにはとっくに日付が変わっていた。ホテルの朝食まで少し仮眠をとると、父に似て酒に弱い二日酔いの兄の為に薬を調達したりなんだりしていると、すぐに汽車の出発時間が近づいた。
駅のホームで読んだ地元の朝刊には、まだ皇后暗殺の記事が大部分を占める中で控えめに昨晩のクストス人一家の事故が書かれていた。原因は建物の老朽化。危ういシナリオに警察隊の隊長に連絡しようかと思ったが、そもそもこの記事に目を通す人間も少ないと思い、朝刊を使用人に渡した。
アイゼンブルグの駅は観光地として有名になってから整備が進み、ウンエントリヒ山脈を貫くトンネルが出来るまでは鉄道路線の南端として大規模な車両基地も設けられた。ガラス張りの開放感ある天井が15番線まであるホームを覆っている。
この駅から帝都までは約二日間の旅だ。着いた当日が皇后の葬儀となっているため、一等車は満室状態だった。
ホームに着いた汽車は皇室の特別列車にも引けを取らぬ絢爛さで貴族に人気だったが、その値も見掛け相応であったために乗り込む乗客はエンデピアの葬儀に向かうであろう貴族か豪商ばかりだ。
そんな客車の個室に二日酔いの兄の荷物を持って乗り込むフリードリヒを乗せ、暫くすると列車は出発した。華やかな音楽と芸術、宮廷文化が咲き誇る貴族とゴルト人の楽園、帝都へ向けて。