8話 ミスター唯我独尊
前回のあらすじ
・研修先は【害虫ダンジョン】
・シンジが杉浦学園で授業を受けることになる
シンジが杉浦学園に来てから、ユウキの生活はあまりにも簡単に元に戻った。
「おいヨワキ、水」
「う、うん、はいどうぞ」
一応、シンジの実家はそこそこお金持ちである。そのため、わざわざみみっちくユウキをパシリに使う割にはきちんと金は払っている。
今日も投げ渡された着物のような布材の小銭入れで購入した緑茶をシンジに手渡す。廊下を出てすぐの場所にあるのだから、自分で買いに行けばいいのに、と思いながらも、そんなことを言える勇気をユウキは持ち合わせていなかった。
紙パックの緑茶と小銭入れを受け取ったシンジは、機嫌よさそうにどっかりとユウキの席に座ると、特殊な水に強い紙でできたストローを紙パックの銀紙に突き立てる。飲み物の選択に間違いがなかった、とユウキは少しだけ安堵した。
面倒なことに、シンジは飲み物が欲しい時にひとくくりで「水」としか言わない。しかし、たいていの場合はその前後にかっこ書きが隠れており、今回の場合は「(休憩したいからお茶とか紅茶とかそういう系統の)水(を買ってこい)」である。
ちなみに「(運動するからスポドリ系の)水(を買ってこい)」と「(なんか甘いものを飲みたい気分だからそういう系統の)水(を買ってこい)」と「(普通に)水(を買ってこい)」の場合もある。ややこしいにもほどがある。
もう何年もシンジにパシリにされているユウキは、ある程度シンジが何を要求しているかわかるが、それでも月に3回は間違える。
内心ほっとするユウキをよそに、シンジは機嫌よさそうに緑茶をすする。そして、思い出したようにユウキに問いかけた。
「てめえ、講習の申し込みはどうした?」
「えっ、結果が届いてからすぐにしちゃったけど……?」
「……何勝手に申し込んでんだよ」
「流石に理不尽過ぎない?!」
今までの上機嫌が嘘だったかのように低い声で苛つくシンジ。彼は面倒くさそうに舌打ちをすると、ユウキの席を立って自分の席に戻る。
__本当に、彼は何がしたかったのだろう……?
ユウキは困惑しながら、自分の席に戻った。
シンジ曰く、学校から相当な量の課題が出されたというが、今余裕そうにタブレットを見ているところを見る限り、今日の分の課題は済んだのだろう。しばらく何かを調べていた彼は、不貞腐れたように舌打ちをすると机の上に足を乗せ、そのまま浅く目をつむる。この後は寝るつもりなのだろう。
流石に理不尽すぎて何もできなかったユウキは、小さく肩をすくめて自分自身もタブレットを取り出す。
なにせ、研修は明後日だ。不測の事態が起きないようにするためにも、探索するダンジョンのことはよく知っておきたかった。
マップはもうすでに頭に叩き込んである。
二層構造で、第一層にモブの害虫が、第二層にボスの大百足が出現する。おそらく研修のために大百足は生き残っているはずだ。レアモブの大玉虫は基本的に一層にいるらしいが、レアたる所以は害虫に襲われ食べられてしまうことが多いからだという。出会えないと思ったほうが良いだろう。
二層の奥には前に召喚術式があったらしく、その名残として広めのフロアが残っている。召喚術式は特殊なものでない限りは一度で使い切りなため、二層は大百足が一体いるだけにも拘らず、妙に広い。
大百足は知能が低いため、何もしなくても二層への侵入者を見つければ、近づいてくる。力強い顎に、固い外骨格、見た目よりも素早い動きの出来る大百足だが、実のところ、超致命的な欠点がある。
それは、市販の殺虫剤が効いてしまうことである。
ボスの癖に、殺虫スプレーを振りかけられるとそのまま死に至るのだ。若干かわいそうな気がしないでもないが、準五級ダンジョンとは、所詮その程度のダンジョンでしかないのである。
ちなみに、一層のモブにももちろん殺虫スプレーは効く。そのため、虫系のモンスターがメインで出てくるダンジョンでは、殺虫スプレーが必須な場合が多い。ユウキもすでに由美叔母さんの伝手で業務用の強力な殺虫スプレーを複数入手していた。
準五級と言うこともあり、トラップはない。その分宝箱のような臨時報酬もないが、できるだけ赤字にならないように魔石の回収をしておいたほうが良いだろう。
ゲームの世界なら虫の羽根でも売れたりするが、現代日本に虫の羽根への需要はない。いや、昆虫マニアがいないわけでもないのだが、準五級ダンジョン程度の(マニア間では)ありふれた虫に対して何の収集癖もくすぐられることはないだろう。結局のところ、ダンジョンでの収集品など、需要と供給なのである。
最初は研修会でしかないため、赤字は覚悟しなければならないだろう。交通費自体は運よくさほどかからないのだ。
そんなことを考えているユウキをよそに、がらがらと教室の扉が開けられる。五コマ目の授業が始まるところだ。物理学担当の小林先生は、一瞬だけ机の上に足をのせて眠るシンジを不愉快そうに一瞥するも、すぐに持ってきたノートパソコンを教務員用の机に置いた。タブレットよりもプロジェクターにつなげやすいためだろう。
「授業を始める。前回の続き、一章三部から」
その言葉の直後、クラスメイト達は一斉にタブレットで教科書のページを開く。ノートも教科書もタブレットひとつで済んでしまうのだ。
ユウキもまた、右へ倣えと教科書のページを開き、裏で装備品の相場を確認する。できれば安く済むならそれに越したことはないのだが、いいものになるとどうしても値段が高くなっていく。
初期費用は出せて10万。小学校高学年のころからもらったお小遣いを一円も使わずにためていたものだ。少しだけバイトしてためるという方法もあるが、姉の容体的にもできれば時間をかけたくない。
……怖いが、シンジに頼んで一緒にダンジョン探索を行うか?
人数が増えれば、安定性が増す代わりに利益を出しにくくなる。しかし、二人なら特に問題はない。気心知れた……というと幾分語弊があるが、それでもある程度の意思疎通の出来るシンジとなら、ダンジョン探索がうまくいくかもしれない。そう思ったユウキだが、静かに首を横に振った。
__僕の事情に、シンジを巻き込むわけにはいかないだろ……
ダンジョン探索は、どの階級でも死に至る可能性を秘めている。そんなところに、姉を助けるという自分自身の都合だけでシンジをまき込めない。そんなに無責任なことは、できない。
ユウキは小さく息を吐きながら、配布されたPDFを確認する。予習した内容よりは相当簡単なものだった。
タブレットに付属するペンシルを外し、小林先生が言うことを書き留めていく。生真面目に勉強をするユウキをよそに、シンジはすうすうと安らかな寝息を立て始めた。
流石に小林先生も見過ごせなくなったのか、小さくため息をついて、一番後ろの窓際の席で眠るシンジに声をかけた。
「長瀬君、起きたまえ。講義中だ」
「……提出課題はもう終わっている」
「なら保健室で眠りたまえ。教室で寝るな」
「移動するのがだるい」
「それなら起きていてくれ。君が寝ていると、周りが集中できないだろう」
小林先生はそう淡々と言いながら、プロジェクターを操作する。反論の余地がないと思ったのか、シンジは面倒くさそうに目をこすり、机から脚を下ろした。そして、ポケットからタブレットを取り出し、操作しだす。
二人のやり取りを見て、ユウキは少しだけ小林先生を尊敬した。中学校時代、あそこまでシンジにモノを言えた先生はあまりいなかった。実家のごたごたに巻き込まれたくないから、とか、厄介ごとにまきこまれたくないから、だとかで、シンジの非行は見て見ぬ振りされてきた。
そして、他校の生徒だからと先日までの先生は大体中学校の頃と同じように見て見ぬふりをしていた。非情だが非常に賢い方法だろう。関わらなければ、面倒なことには巻き込まれないのだから。
「授業を続ける。新井田、二十二ページ一行目から音読してくれ」
「はい、ばね定数は__」
後ろの席の新井田君が音読を始める。小林先生は指名する人を出席番号ではなく乱数で決めているらしく、どこで誰が指名されるかわからない。そのため、物理の授業は多少緊張する。
淡々と進んでいく時計の針と授業。そんな中、ふと、小林先生が困惑したように声を上げた。
「む……すまない、長瀬君を乱数表の中に入れてしまっていたようだ。他の人を指名して__」
そこまで言いかけたところで、シンジはスッと立ち上がると、つかつかとユウキのそばへ歩み寄る。そして、間の抜けた声を上げるユウキをよそにタブレットをかっぱらうと、さっさと回答を打ち込んだ。
小林先生は同期した画面を見て、小さく頷くと口を開く。
「正解だ、長瀬君。あとで学長に君の分のタブレットを渡せるかどうか聞いてみようか?」
「勝手にしてくれ。どうせ向こうの課題は終わってる。出席のためだけに教室に居座るのも暇だからな」
なるほど、教室で寝ていたのは、出席日数のためだったのか。課題を提出していても、出席日数が足りなければ、必然的に単位を落すことになる。そのために授業には参加せずとも教室にはいたのだろう。
タブレットをユウキに投げ返し、シンジはさっさと自分の席に戻る。
そして、ついでと言わんばかりに、小林先生はシンジに言う。
「私の授業では、居眠りは欠席扱いとしている。先ほどのは見なかったことにするにしても、以降は気を付けてくれ」
「……へい」
シンジは面倒くさそうに返事をしながら、ガタンと大きめの音を立てて椅子に座った。
何とか床に叩きつけられる前にタブレットをキャッチできたユウキは、ほっと一息をついて画面を見る。そして、裏に隠していた通販のサイトに赤ペンマークで印がつけてあるのを見て、小さく肩をすくめた。
__正規品を買えってことかな?
詳しく確認してみれば、それは防弾パーカーだった。ダンジョン産の糸で織られた布で作られたそのパーカーは、ある程度の耐久性と、誤射しても大丈夫なよう防弾仕様となっているらしい。
お値段は上下セットで4万5千円。そこそこ値段はするが、メーカー保証があるため、少しは頼りにしてもよさそうだ。
ユウキはちらりとシンジの方を見る。シンジは退屈そうに窓の外を眺めていたが、その口元はさも楽しそうな笑顔が浮かべられている。
穏やかな日常は、時計の針のようにゆっくりと、進んでいく。
土曜日の午前8時半。
届いた防弾パーカーに袖を通し、封筒に同封されていた免許証とスマホをウェストポーチにしまい込み、ユウキはきゅっと拳を握り締める。
「がんばろう。第一目標は、怪我をしないこと、死なないこと」
決意を胸に、ユウキは壁についた切り傷を横目に玄関の扉に手をかける。
__その日、楽鳥羽町一帯のダンジョンに、イレギュラーが発生したとも知らずに。
【イレギュラーとは】
イレギュラーとは、ダンジョン内部で発生する異常事態のことである。イレギュラーが発生すると、難易度はいかなる状態でも等級を一つ上げた以上に跳ね上がる。パターンは大まかに分けて三つ。
物語転換型:ダンジョンの元となる物語が、根底から書き換わってしまうパターン。話自体は変わらないが、書き換わった物語を予想できなければ即死してしまうギミックなどが存在する。
【実際に起きた例】桃太郎をモデルにしたダンジョンが、鬼目線の物語となり、ボスが桃太郎、犬、猿、雉となり、鬼ヶ島を防衛しきれなければ即死。通称ジェノサイド桃太郎事案
物語変更型:ダンジョンの元となる物語が、丸きり変ってしまうパターン。話が変わってしまうため、いくらダンジョンの対策をしていても無意味になる。
【実際に起きた例】三枚のお札をモデルにしたダンジョンが、雪女伝説のダンジョンに変貌し、イケメン以外の探索者が全員凍死した。通称雪女イケメン以外即死事案
複合型:物語転換型と物語変更型が同時に起きるパターン。これが一番最悪なパターンであり、事前準備もできないままに未知なダンジョンに強制的に挑まされることになる。
【実際に起きた例】十二支の物語を元にしたダンジョンがマッチ売りの少女のダンジョンに変更され、さらに、マッチを擦っても救いのなかったマッチ売りの少女がクリスマスの町を放火していく。通称マッチ売りの少女の悲劇
イレギュラーが発生すると、必然的にダンジョンの難易度は上がるものの、報酬も比例して上がる。また、物語転換型のイレギュラーの場合、探索者に協力的なモンスターが出現するなど、異様な状況になることがある。