52話 運命の分かれ道は来たれり
前回のあらすじ
・釣りで鮫を釣り上げる
・撮影は大成功に終わる
・クー・フーリンめっちゃ強い?
無事に探索を終え、撤収準備を終えたユウキらとスタッフたちは安全に地上へ戻った。外に出ると、そろそろ夕暮れ時に近づいてきていたのか、家に帰る車たちが緩い列を作っていた。楽鳥羽町でイレギュラーが起きている今、電車での移動が必要な距離であるため、早めに帰らなければ明日の授業に支障が出てしまう。
重たいクーラーボックスを持ったユウキは、深くため息をついて額に浮かんだ汗をぬぐう。釣りはしていたものの、特に料理をする気もないらしいシンジから大量のタイを分けてもらったのだ。ほとんどはスタッフたちにわけたものの、それでもユウキが持ち帰る戦利品はかなり増えた。ちなみに、コンラはユウキが持っているクーラーボックスを二つ持って涼しい表情である。
「いやー、今日はありがとうねぇ! はいこれ、私の名刺。連絡先交換させてもらえる?」
「あ、はい。えっと、事務所には所属していないので、連絡先だけになってしまいますが……」
上機嫌なディレクターはピンク色のベストのポケットから今時珍しい紙の名刺を取り出し、ユウキに手渡す。名刺を財布にしまい、ユウキはタブレットの連絡帳を開いた。登録されている連絡先が少ないため、自分の連絡先はすぐに見つかった。
ディレクターは最新型の空中投影型のタブレットでユウキの連絡先を登録する。登録された連絡先を見て、ユウキは少しだけ感慨深い気持ちになった。
「えっと、学生なので、平日は基本的に学校にいますが、休日とか長期休みの最中は連絡受け取りやすいです」
「ああ、よかったら次も仕事を受けてくれ。観光地化されたダンジョンはたくさんある。新しい仕事はいくらでもあるぞ!」
ディレクターはそう言ってニッと笑う。
どうやら、ユウキたちの仕事ぶりは認めてもらえたらしい。もしくは、撮影が早く終わり、機嫌がいいためかもしれない。しかし、ユウキにとってはどちらでもよかった。探索者として、入場料の問題はいつだって発生する。その時に出資してくれる可能性のある人が一人でもいるのはありがたいことなのだから。
ユウキは笑顔で頭を下げ、連絡先の交換を終えたタブレットを消そうと、指を伸ばす。その時だった。
家族以外かつシンジ以外の着信音……つまりは、ユウキが設定していないデフォルトの着信音だ……が、タブレットから流れる。突然の電話に、ディレクターもユウキも目を丸くした。
「あ、すいません、通話きたみたいなので……」
「大丈夫大丈夫! 撮影の打ち上げが明後日あるから、よかったら検討してくれ!」
ディレクターはそう言ってユウキに軽く手を振る。ユウキは謝罪の意味を込めて軽く頭を下げながら、ぼろぼろのバス停の裏手に早足で向かった。なんとなしに、コンラも彼に付き添う。
バス停の裏手にまわると、シンジが退屈そうにもたれかかっていた。
一瞬場所を変えようかと思ったユウキだったが、もうずいぶん電話をかけてきた相手を待たせていると判断し、シンジに小さく頭を下げてから、体を縮こめてワイヤレスイヤホンを両耳にひっかけた。
「もしもし」
『あ、つながりましたよ、先生! 長嶋さん、落ち着いて聞いてくださいね?!』
「は、はい?」
聞こえてきたのは、何やら焦っているらしい女性の声。目を見開き困惑するユウキを見てか、シンジはユウキの左耳からイヤホンを奪い取る。流石に避難の声を上げようとしたユウキだったが、すぐに女性から男性に声が変わり、それどころではなくなってしまった。
『楽鳥羽中央総合病院の村木です。長嶋裕樹さん、落ち着いて聞いてください。ご両親にはもうお伝えしましたが、こちらに入院している長嶋皐月さんの容態が急変し、現在危篤状態です』
「……え?」
落ち着けと何度も繰り返す電話先の声。そして、男性の名乗りで、ユウキはようやく理解した。電話相手は、姉の入院先の病院の医者なのだと言うことを。
あまりにも理解しがたい内容に、ユウキは目を白黒とさせ、声を出すこともできずに口を薄く開いては閉じることしかできない。パニックになって息がしにくい。目の前が真っ暗になるような感覚がよぎる。
突然変わったユウキの様子に、コンラは困惑したように声をかける。
「どうした、ユウキ?」
「今は黙ってろ雑魚が」
流れるようなシンジの罵倒に、コンラは顔をしかめるが、ユウキが真剣な表情で通話中だったこともあり、拳を固く握りしめるだけでそれ以上の行為は飲み下した。
ユウキは口の中にジワリとわいた粘り気の強い唾液を必死に飲み下し、震えそうになる声を押しとどめて、できるだけ冷静に医者に問いかけた。
「姉は、助かりますか?」
『……おそらく、持って5日から短くて3日と言ったところでしょうか』
「……そう、ですか」
密集して生えているイネ科特有の鋭い葉っぱが、通り過ぎていく車の風で揺れ動く。
医者は、助かるとは言わなかった。答えたのは、はっきりとは言わなかったものの、余命に違いはない。みじかくて、たった三日。長くても、五日。ユウキの現在の等級は、まだ五級。今にも、ユウキの呼吸は止まりそうだった。
どうすればいい? どうすれば姉を助けられる?
頭がズキズキと痛んだ。何をどう考えても、どこをどう頑張っても、『不可能』の答えしか浮かばない。思いつかない。
ユウキは、声を絞り出すように、言う。
「わかり、ました。すぐに病院へ向かいます」
うわずらないように、震えないように、必死に出した声は、あまりにも力なくて。ユウキはただひたすら、無力さを噛み殺すことしかできなかった。何もできないと言うことがこれまでに吐き気を覚えるような絶望に変わるとは、夢にも思っていなかった。
寒い。気が付けば腕に鳥肌が立っていた。訳の分からない緊張と恐怖に苛まれながら、ユウキは、タブレットの画面をタップして通話を終了する。そして、止まっていた呼吸を頼りなく再開させた。そして、泣きそうな顔で頭を抱えた。
「どうしよう、どうしよう、どうしよう……! どうすればいい……?!」
声が震える。喉が震える。頭がおかしくなりそうだ。
今からどれほど頑張っても、到底三等級探索者になどなれやしない。かといって、そう簡単に不法侵入できるほど、ダンジョンの警備は甘くない。当然、国家予算並みの金額の二等級ポーションを購入できるだけの余裕は存在しない。でも、それでも、ユウキは、姉を助けたかった。
考える。ひたすらに考える。脳の血管が燃え上ってしまいそうなほど熱い。呼吸が浅くなって苦しい。
__二等級ポーションが手に入る確率が現実的なダンジョンは、準三級以上……五級の僕は準三級ダンジョンには挑戦できない……ダンジョンの難易度……等級……
肌寒い風があたりに吹く。吐き気を催すようなプレッシャーに苛まれながらも、その冷たい風が、発熱しそうなユウキの頭を少しだけ冷やした。
__三日間で等級を上げるのは書類手続きの時間を考慮して確実に不可能。不法侵入も無理。……赤い靴の取引の仕組みをばらす覚悟で資金調達……? いや、どれだけ品物が大量にあっても、絶対に二等級ポーションの値段にはならない。
考えて考えて考えて、そして、目の奥がジリッと痛んだ。その痛みで、ようやく、思いついた。
「そうだ、イレギュラー中はダンジョンの難易度が一等級以上上昇する……二等級程度難易度の上がった準五級のイレギュラーダンジョンなら、僕でも探索できる……! 楽鳥羽町のイレギュラー解除報告のされてない準五級ダンジョンを探して、挑もう!」
「待て、イレギュラーが始まってから、もうほぼ二週間だぞ? それなのにまだ踏破されてないイレギュラーなんざあるのか?」
ユウキの台詞に、コンラは目を丸くして言う。それに答えたのは、意外にもユウキではなかった。
「あるよ。楽鳥羽町の高平地区。準五級ダンジョンの『アリババと40人の盗賊団』。そこなら、まだ踏破完了報告がなされていない」
そう言ったのは、旧バス停の裏から来ていたらしいツバサだった。
驚きで目を丸くするユウキに、ツバサは少しだけ気まずそうな表情を浮かべて謝罪した。
「ごめん、盗み聞きをするつもりはなかったよ。ただ、クー・フーリンが通話内容聞こえていたみたいで……」
「悪い。ちょっとばかし耳はいいほうでな。なかなか込み入った話みたいだから、ツバサと情報共有しちまった」
ツバサの後ろに控えていたらしいクー・フーリンが小さく肩をすくめて言う。そんなクー・フーリンの様子をみて、コンラは小さく「うげっ」と声を漏らすも、コンラを知覚できないクー・フーリンは反応を返すことはなかった。できなかった、ともいえるが。
クー・フーリンはスッと目を細める。コンラの瞳の色に似た黒の冷たい視線がユウキを射抜く。そして彼は、気まずそうに視線を泳がせているユウキに問いかけた。
「なあ、何故お前は俺たちにその事情を__瀕死の姉がいるという事情を話さなかった? そこの弟弟子は知ってたみたいだが」
「俺は断じてお前の弟弟子じゃねえ。スカサハの弟子になるほど頭イカレてねえんだよ」
「……その、確かにスカサハの弟子になったのは俺も早まったかなとは思っている。まあ、なんだ。同情はする」
嫌味を言ったシンジに、クー・フーリンは気まずそうに目を逸らす。流石に本気で同情されると何も言いにくいのか、シンジは眉間にしわを寄せて頭を抱えることしかできなかった。
頭を抱えているシンジをよそに、ユウキは少しだけ言いにくそうに答える。
「シンジはその、姉さんが事故に遭ったときに一緒に居たから、知ってた。あの、二等級ポーションなんて馬鹿みたいな話したって、困らせるだけだと思って……」
鋭い視線のクー・フーリンに、ユウキは委縮していた。そもそも家族以外と話すことなど、あまりしてこなかった。例外としてシンジがいるが、彼は基本的にユウキに一方的に指示をするだけで、最悪会話なしでも成り立つような関係でしかなかった。
だからこそ、尋問じみたこの空気に、プレッシャーに、ユウキは逃げ出したい気持ちになる。
居心地悪そうに視線をさ迷わせるユウキ。そんな彼の手を無理やり握り、ツバサははっきりと言った。
「困る? そんな訳ないだろ!」
「?!」
大きなツバサの声に、ユウキはびくりと体を震わせる。
まっすぐなツバサの瞳が、ユウキの目とかち合う。そして、そのままツバサは言葉を続ける。
「君とぼくは友達だろ。困るなんて言葉で切り捨てることなんてないよ」
「あ」
ぐっと手を握り締め、はっきりと、ゆっくりと、紡がれた言葉。その言葉に、ユウキは目を丸くした。彼は人づきあいがあるほうではない。友達もいなかった。だからこそ、頼ってほしいというツバサの気持ちに気が付けなかった。
「ぼくも手伝う。スケジュールはいくらでも挑戦できるから、挑む日にちだけ教えてほしい。できることは少ないだろうけど、一人で挑むよりは勝率が上がるはずだ」
「だ、だめだ! 草薙さんを巻き込むわけにはいかない! これは、僕の問題だから、僕だけでどうにかしないと……第一、まだ未解消のイレギュラーダンジョンが安全なわけないだろ?! 君は行っちゃだめだ!」
首と両手を横に振って言うユウキ。しかし、そんな彼の肩を軽くたたき、不敵な笑みを浮かべたクー・フーリンが言う。
「安心しろよ、ツバサには俺がいる。よっぽどの敵じゃなけりゃ、何とかなるだろ」
朱槍ゲイ・ボルグの収められた布袋を片手に、堂々と言い切るクー・フーリン。その姿は、その自信は、まさしくケルトの大英雄のそれだった。
ユウキは困ったように視線をさ迷わせる。だからといって、己の事情に友達をまき込めるかと言えば、そうではなかった。己のために命をかけさせることなど、小心者のユウキの罪悪感が耐えきれるはずもなかったのだ。
口をパクパクとさせ、顔を真っ青にしたユウキ。そんな彼に、盛大な舌打ちが投げかけられる。
「下らねえこと考えてんじゃねえよ、ヨワキが」
「……っ!」
機嫌悪そうなシンジは、困惑しているユウキの胸ぐらをつかみ、無理やり上を向かせると、短く命令した。
「明後日の午前9時。さっき言ってた特5級ダンジョンの前に来い。来なかったら半殺しにする」
「え……?」
「いいな?」
念を押すように、否、半分脅迫くらいの勢いで、ユウキに確認をするシンジ。その瞳の瞳孔が開き始めているのを見て、ユウキは慌てて頭を縦に振った。
二人のやり取りをみて、ツバサはニコッと笑顔を浮かべる。
「じゃあ、明後日は丸1日予定を開けておくよ。各自準備はしておいて!」
日曜の日暮れ。その日、3人の新人探索者たちの、無謀極まりない約束が成り立った。




