50話 れっつふぃっしんぐ
前回のあらすじ
・バーベキューの用意
遥か遠くまで広がる水平線。ガラス質の真っ白な砂浜。照り付ける太陽は力なく、肌を焼き焦がすような熱量はない。そんな真っ白な砂浜で釣竿を片手に立った男二人は、死んだ目でつぶやく。
「……何でこうなった?」
「俺が知るか」
釣竿片手に肩をすくめるシンジ。コンラは小さく舌打ちをしてそう言うなり、左手に持った高級そうな釣竿を一瞥し、そして小さくため息をついた。潮風に、コンラの金の髪が小さく揺れる。
小さなさざなみの音と、少し遠くからクー・フーリンの「また流木かよ?!」という絶叫が聞こえてくる。なお、【浦島太郎ダンジョン】に木は生えていない。
シンジとコンラは今、二人で釣りをすることになった。というのも、ユウキが喧嘩を始めかねない二人を撮影班から遠ざけたためだった。彼自身は今も撮影スタッフたちの手伝いをしているため、この剣呑な雰囲気の二人を見てはいない。
コンラ自身正直シンジの存在は気に食わなかったが、それでも、ユウキと別れる直前に言われたこともあり、がぜん釣り自体はする気が合った。
「とりあえず、釣りしておこうぜ。クソ親父にバケツ一杯の魚釣って煽りたい」
コンラはそう言って釣竿の針に餌のゴカイを引っかけた。今回は浜釣りであるため、ルアーを使わず餌で釣ることを選んだのだ。
そんなことを言ったコンラを、シンジは鼻で笑う。
「はっ、てめえらしい器の小さい思考だな」
「提案したのはユウキだ」
「なら小さくても仕方ねえ」
シンジはあっさりとそう言って釣竿を振った。そんな彼に、コンラは首をかしげる。
「お前、餌付けたか?」
「つけなくていい。面倒だ」
針とおもりしかついていない竿を握り、無言でリールを巻くシンジ。コンラは首を傾げつつも、竿を操りながらリールを巻いた。
そして、ほぼ二人は同時に竿を振り上げた。
針の先。餌を付けたコンラの竿の針先には小ぶりなアジが、餌をつけずに振ったシンジの針の先にはそこそこな大きさのタイが引っかかっていた。
「は?」
コンラは茫然とした表情でタイを針から外すシンジを見る。ぴちぴちと暴れまわるタイ。針はそんなタイの背びれに食い込んでいた。どうやらすれがかったらしい。
ぴちぴちと暴れるタイをクーラーボックスに突っ込み、コンラの釣り上げたアジを一瞥したシンジは、小さくつぶやくように言った。
「……ちっさ」
「言ったなお前……!」
シンジの煽りにコンラはピキリと額に青筋を浮かべる。
そして、二人の釣り競争が始まった。
__アイツ、餌なしで一投一匹引っかけていやがる……!
コツコツとアジを吊り上げるコンラに対し、飽きたのか竿を浜に刺してウトウトと昼寝をしながら釣りをするシンジ。当然、シンジの釣り針には餌がないため、放置していても勝手に魚が食いついてくることはない。それでも、何故かシンジがリールを引くときには魚がかかっていた。
訳も方法もまるで分らない。が、そんなことを言っていても結局意味はない。
__餌を変えて、アイツよりも大物を狙う……!
挑発内容はコンラの釣った魚の大きさをあざ笑ったものである。だからこそ、コンラはシンジが釣ったタイよりも大きな獲物を狙いたかった。
大がかりな竿や糸の交換はしている暇がないため、餌を釣り上げたばかりの小さなアジに変え、そのまま竿を振るい続けるコンラ。そんな時だった。
「うぉっ……?!」
とてつもない重みが竿先にかかる。突然の負荷に、コンラは目を見開いた。糸が引きちぎれるのではと思うほどの重み。リールは逆回転し、キリキリという甲高い嫌な音が響いた。糸が持っていかれる。
コンラは慌てて竿を手元に手繰り寄せ、糸だけをつかんだ。竿は借り物である以上、壊すわけにはいかないと判断したのだ。
「くっそ、重……!」
ギリギリときしむ音のなる糸。海へ引きずられそうになる体。
コンラがそんなことをしている間も、シンジは大あくびをしながら昼寝をしていた。コンラはいら立ち紛れに砂浜を足でけってシンジの顔面に砂をかける。当然、片足立ちになればバランスを崩して海の方へ引きずり込まれかけたのだが。
顔面に砂を浴びたシンジは額に青筋を浮かべて砂浜から跳ね起きる。
「何の用だ。張り倒すぞ」
「何の用もクソもねえだろ! 見てわかんねえのか!!」
「あ? ……ああ、海に引きずられてんな」
「わかってて放置してるのかてめえ?!」
服についた砂を払い落としながら、シンジは四苦八苦している様を鼻で笑う。そして、あっさり言い捨てた。
「俺は俺以外の他人がどうなろうと知ったことじゃあない。勝手に死んでおけ」
「?!」
あまりにも倫理観皆無なその言葉に、流石のコンラも目を丸くする。
コンラの常識は古代のものである。それでも、現代日本の常識は書籍やユウキに提供してもらった召喚獣向けのパンフレットで学んだ。だからこそ、シンジの異常さを認識できた。
海には鮫のモンスターがいる。このままコンラが海に引きずり込まれれば、無事にはすまないことくらい容易に想像できる。それでも、彼はまるでコンラを助けるそぶりを見せることはなかった。
おおよそ、現代人の持つべき良心を、持ってはいなかったのだ。
シンジの黒色の短い髪の毛が、風で揺れる。その瞳には、愉悦も同情も憐れみさえもなく、ただただ何の感情の色も映りこんでいなかった。
シンジのその言葉にコンラは盛大に舌打ちをすると、透明な釣り糸を両手で握り締める。そして、ガラス質の砂浜を蹴りつけ、波打ち際ぎりぎりで踏みとどまった。
とにかく、今かかった魚か何かを引き上げるか、糸を切って逃がすか。どちらかを選ばなければならない。身の安全を選ぶなら、間違いなく釣り糸を切ってかかった魚を逃がす方がよかった。
しかし、しかしだ。この糸の先には間違いなく大物がかかっているだろうことは明白だ。誇り高きケルトの戦士として、シンジの侮辱を許せないコンラは、結局のところ意固地になってしまっていたのだ。
「糸が持ってくれりゃあいいけどな……!」
コンラはそう叫ぶと、細い細い糸を全力で陸側に引いた。
釣り糸は随分頑丈な素材でできているのか、かなり強い力で引いても着れることはなかった。その分、細い糸が右手に食い込み、かなりひどい痛みとなっている。それでも、半英雄のその身はその程度の負荷なら耐えきれた。
「畜生、重い!!」
「お、かかった」
「てめえ!!」
釣竿すら持たず釣り糸だけで見えない獲物と格闘するコンラの横で、釣竿を引き上げてでっぷりと太ったアジを引っかける。シンジは涼しい顔で尾びれに針の引っかかったアジをクーラーボックスに放り込んだ。
コンラは額に青筋を浮かべながらも、海中の大物と格闘を続ける。人並外れた怪力で少しずつ、少しずつ釣り糸は手繰り寄せられていく。同時に、すさまじい力で海側に引かれ、コンラの靴は白波で濡れた。
そんな時だった。
「わっ?! な、何?!」
スタッフの手伝いを終えたユウキが、二人の元へたどり着く。そして、海へ引きずり込まれそうになっているコンラを見つけた。
ユウキの声を聞いたコンラは、慌てて言った。
「ユウキ、俺の剣とってこい!」
「糸切るなら僕が……!」
「違う! いいから持ってこい!」
「?」
コンラの指示に、ユウキは小首をかしげながらも急いで砂浜に突き立てられていたコンラの片手剣を持ってくる。そして、怪我をしないよう注意しながら、剣の鞘を抜きはらう。
「これで大丈夫?」
「ああ、問題ねえ!」
鈍く輝く白銀の刃。名もない名刀を片手に、コンラはそばにいたユウキに言う。
「離れておけ」
「わ、わかった!」
鞘を持ったまま、ユウキは慌ててコンラから距離をとる。
すると、コンラは剣を背中につきそうなほど大きく振りかぶる。そして、ピンと伸びた糸の先に向かって剣を投擲した。
ばしゃん、と大きな音を立て、水面につき立つ片手剣。そして、その次の瞬間、真っ青な水面に赤色が滲み始めた。
その瞬間、すさまじい勢いで魚が暴れ始める。
ぱしゃり、と、白波がコンラのくるぶしを捉えた。気が付けば、かなり海の方へ引きずられてしまっていた。コンラは小さく舌打ちをしながらも、暴れる怪魚の引きずりをこらえる。
そんな状況を見たユウキは、慌ててスタッフたちの方へ駆け出した。
__頭数でもそろえるつもりか……?
ユウキの行動に、コンラはそう考える。滅茶苦茶に暴れる怪魚相手にはなるほど、海に引きずり込まれないように多数の人間が協力して引っ張るのが良いだろう。
しかし、十秒足らずで戻って来たユウキの手に持ったそれを見て、コンラは思わず笑いそうになった。
「ごめん、お待たせ……!」
「お前、本当に俺のことをよくわかっているな」
ユウキは、複数の撮影スタッフと一緒に、バーベキューのために用意していた刃物類一式を持ってきたのだ。足癖悪くバーベキュー用の串を蹴り上げ、左手に持つ。
釣り糸の先には、確実に怪魚がいる。つまり、ピンと伸びた糸に沿って刃物を投げれば、確実に怪魚にダメージを与えられるのだ。
「よし、いける!」
コンラはそう呟いて、ぎりぎりときしむ釣り糸を握り締めた。
【釣り糸頑丈すぎない?】
高級品であるため、釣り糸はダンジョンの採取物で作ったモノ。
蜘蛛のモンスターの糸は結構頑丈なことが多く、さらに透明であるため、かなり釣り糸向きである。
あと、コンラのやった釣り糸だけを持って釣りをするというのを真似すると、一般人は普通に指とか手とかが切れるので、絶対にマネしないでね。




