44話 藁の家ダンジョン
前回のあらすじ
・ユウキ「別にボッチ飯でもさみしくないし……」
・コンラ「俺の名前知らないやつはちょっと……」
平穏な平日も過ぎ去り、やがて週末が訪れる。
探索しやすい防弾パーカーとナイフを装備したユウキと、いつもの片手剣を移動用に厳重に包装したコンラ。そして、ユウキのフードに潜り込んだ子ネズミ。
電車を数本乗り継いで、ユウキらは三匹の子豚をモデルにした準五級ダンジョン、【藁の家ダンジョン】へ向かった。
【藁の家ダンジョン】は、元々一般民家だった場所の物置倉庫から入ることができる。ダンジョンができてからその一般民家は物置と家屋の間にコンクリートブロックで仕切りを作ったため、比較的民家に近いダンジョンとなっている。
立夏の少しだけ熱を孕んだ風を頬に浴びながら、物置の前に設置された金属製の扉の前に立つ。少しだけ緊張しながら、ユウキはポケットから探索者証明書を取り出す。
その時だった。
「待てやクソババア!! てめえ外歩きではしゃぐような年齢じゃねえだろうが!!」
「よし、明日の訓練三倍だ、愚弟子! __初めてのダンジョン探索なのだぞ? 楽しみにならん方がどうかしておるわ!」
聞き覚えのある声と、弾むような女性のハスキーボイス。その二つの声を聴いたユウキは、ぴしりと表情を固めて動きを止めた。聞き間違いだと思い込みたい。できれば、本当に聞き間違いであってほしかった。
が、現実は非情である。頭を抱えたコンラがゆっくりと後ろを振り返り、そして深くため息をついて二人に言う。
「ここは住宅地だ。騒ぐな静かにしろ」
「おお、甥っ子ではないか! 息災だったか?」
「静かにしろつってんだろ叔母さん。テンション上がってんのはわかるが、騒ぐんじゃねえ。通報されるぞ」
コンラの指摘を聞いてか聞かずか、花の咲くような笑顔を浮かべる美女、スカサハ。一応彼女も日本の法に従い、槍は黒色の強化プラスチック製ケースにしまっていた。そんな彼女の後ろにいるのは、怒りで額に青筋を浮かべたシンジ。
シンジはちらりとユウキを一瞥すると、スカサハを鼻で笑った。
「残念だったなクソババア。俺たちは二番手だ。ボスモンスターはいねえから、訓練は中止だな!」
「む? どういうことだ?」
きょとんと首をかしげるスカサハ。そして、訝し気に首をかしげるコンラ。
シンジの言葉が気になったユウキは、少しだけ首をかしげて機嫌よさそうにしているシンジに問いかける。
「えっと、訓練って……?」
「時間内にボスモンスターを倒せって言われてんだ。そりゃ準五級くらいでてこずりはしねえよ。とはいえ条件がきつすぎる。なんだ槍使ったうえで出血なしで倒せって。槍使ったら血くらい出るだろ。つーか、お前が素手での戦い教えるつってたんじゃねえか。殴って殺せばそれで問題ないだろうが!」
「馬鹿め、英雄たるもの武芸百般でなくてどうする! 別の愚弟子ですらゲイ・ボルグの妙技以外にも剣術やら戦車やらを習得したのだぞ? やりたくない、できないではない。やれ!」
そこまでの話を聞いて、ようやくユウキは理解した。
シンジが言わんとしていることは、大体のダンジョンに当てはまることだ。つまり、ダンジョンの復活に時間がかかる、と言う話である。
【竹藪ダンジョン】を例にする。竹藪ダンジョンは、迷路が竹で出来ているという特質上、通路を破壊することが可能である。しかし、ひとたびダンジョンがクリアされれば、破壊された通路は多少の時間をかけて元に戻る。殺されたモンスターも同様である。
つまり、ダンジョンが元に戻るには、場所や難易度、物にもよるものの、多少なりとも時間がかかるのだ。
今回の【藁の家ダンジョン】では、ボスモンスターとしてオオカミが出現する。前回オオカミが討伐されたのがいつかユウキは知ることができないが、下調べの情報が正確であるならば、【藁の家ダンジョン】のボスの復活周期は前回クリアからおおよそ24時間であるという。
つまり、今日先に来たユウキらがボスモンスターのオオカミを倒してしまえば、その後探索するシンジらはボスのオオカミとは戦うことはできないのだ。
ユウキは少しだけ困ったような表情を浮かべる。
スカサハはすっかりシンジとオオカミを戦わせる気で一杯らしいが、シンジの言う通り、復活まで時間がかかりすぎるため、別日に探索する方が確実である。
だが、頑固なスカサハはまるで譲る気がないらしい。スカサハは茶目っ気に溢れた目くばせを一つすると、ユウキに言う。
「なあお主、たしか、ユウキ、と言ったか? 私たちに探索の順番を譲ってほしい。対価は貴様の今日一日の安全でどうだ?」
「実は脅迫してますねそれ。いやあの、僕の命に係わるなら全然順番譲りますけど……」
今日一日の安全、つまり、従わなければ今この場で殺すという暗喩である。ケルト人は往々にして遠回りな比喩表現を好む傾向があったため、スカサハもそのように言ったのだろう。
スカサハの意図をくみ取りそう言いかけたユウキの肩に、シンジの赤色のネイルのぬられた手が載せられる。額に青筋を浮かべたシンジは、隠す気も容赦もなくユウキを脅迫した。
「順番を譲ってみろ、今日以後の命はないと思え」
「うーん、前門の虎後門の狼……スカサハ様、安全な期日をもっと伸ばしてもらうことって……」
「うむ、今日一日限りならともかく、長くすると約束を守れる自信がないな。貴様の寿命もあるだろうし、何よりも近くにいるとうっかり殺してしまうかもしれん」
「倫理観が古代!」
小さく肩をすくめ言うスカサハに、ユウキは頭を抱えた。
順番を譲らなければおそらく即座にスカサハに殺される。逆に、順番を譲ればスカサハが命を守ってくれるらしい今日以後にシンジによって殺される。いや、流石に殺すまではいかなくとも、譲ったことを後悔する程度には痛い目を合うはずだ。
__どうすれば良いかな……。
頭がズキズキと痛む。
正直なところ、今回の探索はあくまでも四級試験のためにダンジョンの攻略数を稼ぎたいだけであるため、ボスモンスターの討伐の有無は別段気にする必要はなかった。
しかし、帰還用の魔法陣にたどり着くためには、どうしてもオオカミの前を通る必要がある。そうなれば、戦闘は避けられないだろう。
そこでふと、ユウキはあることを思い出す。
「そう言えば、ここのダンジョンのオオカミ、知能は低いけれども、会話可能だっけ……?」
オオカミの前を通る際、ビーフジャーキーのようなものを遠くへ投げれば、そのまま素通りできたという話もあるほど、ここに出現するオオカミは、おバカというか、お茶目と言うか、ともかくそう言った性格である。
ならば、それを応用すれば、ボスをそのままにクリアすることができるのではないのだろうか?
しかし、問題は現在、軽食こそ持ってきているものの、ジャーキーのようなものは持っていないということにある。流石に肉食のオオカミがゼリー飲料に注意を引かれることはあるまい。
ユウキはしばらく悩んだ後、スカサハに問いかける。
「その、順番を譲るとひどい目に合うと思うので、僕が先に行きます」
「ほう?」
ニッと笑み、槍の入っているであろうケースに手を伸ばすスカサハ。しかし、ユウキは言葉を続けた。
「ただ、ボスは譲ります」
「……ほう?」
ユウキの言葉に、ぴたりとスカサハの手が止まる。瞬間、ピクリとシンジの青筋が動く。スカサハは少し悩んだ後、「まあ、いいだろう」と矛先を治めた。
しかし、それで済まないのはシンジの方である。
「おいおいおい、そんなクソ下らないとんちで許すと思っているのか?」
盛大に苛ついている様子のシンジ。当然だろう。順番云々の話はユウキが先に行けばボスを倒すことになるからであり、先にユウキが攻略したところでボスが残っていれば、結局シンジはスカサハの無理難題をこなす必要が出てくるのだ。
しかし、ユウキはその問題にも一つの解を持ち合わせていた。
怒るシンジにおびえながらも、ユウキは彼の方を見る。
「そ、その、スカサハさんの条件って、槍を使ったうえで出血させることなく敵を倒せばいい、だよね?」
「あ? そうだがどうした?」
「その方法を教えれば、瞬殺できる、よね?」
確認するようなユウキの言葉に、シンジは小さく舌打ちをする。ユウキの提案に、スカサハは少しだけ考えるようなそぶりを見せたが、賢者に解を教えてもらうのもまた一つの学びだと判断し、ユウキを止めることはなかった。
一通り出血を発生させずに敵を倒す方法を教えた後、ユウキはシンジに問いかける。
「そうだ、そう言えば、僕、探索を赤字で終えたくないから、風の妖精を倒す予定だけれども、その、大丈夫?」
「……ああ、まあ問題ねえな。探索者協会の連中がクソババアが関わっているってことで入場料は経費で落ちる。何なら時給も出てる」
「そっか、よかった!」
安堵するユウキに、シンジは不機嫌そうに問いかける。
「つーか、それならお前が先に行く意味あるか? 方法さえわかれば俺が先に言ってオオカミぶち殺せばいいだけだろ?」
「ボスモンスターが倒されると、風の妖精は襲ってこなくなっちゃうから……」
「ああ、そういや、そんなこと書いてあったな。つっても、それならどうやってオオカミと戦わずに通り抜けるつもりだ?」
もっともなシンジの問い。
その問いに、ユウキは「まだ成功するかはわからないけれども」と前置きをしたうえで、こう言う。
「がらがらどん、って、知ってる?」
「……?」
数分後、ユウキらは【藁の家ダンジョン】に侵入する。飛び回る風の妖精たちを狩り、収入分を二人で集めた後、まずはユウキと子ネズミが一緒に藁の家の方へ向かった。
戦闘になれたコンラはついてきていない。しかし、それでもユウキは一人と一匹で、帰還用魔法陣のある藁の家へと向かう。
その時だった。
「やい、そこのお前!! 食ってやるから止まれ!」
低いしゃがれた声が、藁でできた家……と言うにはあまりに粗末な小屋の横から聞こえてくる。ユウキは足を止めることなく歩きながら、その声に返答した。
「こ、ここにいるのは、やせっぽっちな男と小さな小さな子ネズミだけです! 後からもっと大きな食べ応えのある人がやってきます!」
その瞬間、ぴたりと声が止まる。
ユウキの頭の上に移動していた子ネズミが、不安そうに小さく一声上げた。
額に、脂汗が滲む。
__知能が低いとはいえ、流石にごまかしきれなかったか……?
そう思ったユウキだが、少しした後、しゃがれた声は言った。
「ならいい! とっとと失せろ!」
「あ、ありがとうございます!」
ユウキは子ネズミが落ちないように頭に乗っていた子ネズミを腕に抱えると、急いで藁の家へ駆けこみ、帰還用の魔法陣を踏んだ。
帰還用魔法陣でダンジョンの入り口となっている物置の前へ戻ったユウキは、タブレットを操作してコンラにメッセージを送ってから、物置小屋の前で待機していたシンジに声をかける。
「成功した!」
「……ほう、本当に上手くいくとは思っていなかったな」
スカサハは少しだけ驚いたような表情で帰って来たユウキと子ネズミを見る。シンジは面倒くさそうにため息をつきながらも、既にスカサハの黒槍を借りており、戦いの準備は万全に見えた。
「なら、俺は行く。槍使って殺したうえで、オオカミが出血しなければいいのだろう?」
「ああ、まあそうだな。私の目をごまかせると思うなよ?」
「少し考えりゃわかるような方法教えてもらっておいて、そんな下らねえ自殺行為するわけねえだろ」
スカサハの忠告に、シンジは不服そうに舌打ちをしながら、ダンジョンの金属扉を押し開けた。シンジの戦闘を見届けるため、スカサハもまた腕を組んでシンジの後ろを歩く。
一方、ダンジョンの中で待機していたコンラは、タブレットでユウキからの作戦成功のメッセージを受け取り、己もまた、ユウキと同様に藁の家へと向かう。
藁の家の道にたどり着くと、ユウキの時よりも低く、迫力のある声が響いた。
「おい、そこのお前! 喰らってやるから止まれ!」
藁でできた粗末な小屋が揺れるような、迫力ある大声。
戦士であり修羅場を超えてきた彼はその大声にひるむことはない。コンラは足を止めることなく歩きながら答える。
「俺は筋肉ばっかりの戦士で肉は筋張ってて食えたものじゃないと思うぜ?」
「俺の歯は硬く鋭い。どんな肉でも噛み切れる!」
「なら、俺よりも次に来るやつらのほうが良いだろう。俺とそう変わらない体格の男と、肉の柔らかい女の二人が来る」
コンラのその言葉を聞いた低い声の主は、グルグルと恐ろしいうなり声を上げ、怒鳴るように言った。
「ならいい。さっさと失せろ!」
「……はいはい」
低い声の指示に従い、コンラは藁でできた小屋の中へ足を踏み入れる。
__何か、資料で見たようなオオカミじゃあなかった気がしたが……まあ、別に関係ないか。
コンラはそんなことを考えながら、魔石の入った袋を片手に帰還用魔法陣を踏んだ。
直後、オオカミの、低いうなり声がダンジョン内を揺るがした。その声は、もはや準五級のダンジョンに出現するモンスターのそれではなかった。
__リザルト
攻略ダンジョン:【藁の家ダンジョン】
討伐したモンスター:風の妖精
総討伐数:40体
採取物:魔石(単価500円)(40個)
死者数:0人
補足事項:昔話の応用でボスモンスター【オオカミ】未討伐でダンジョンの探索を完了する。
【がらがらどん】
正しくは、三びきのやぎのがらがらどん。ノルウェーの昔話で、三匹の山羊が恐ろしい怪物トロルのいる橋を通り抜けるという物語。
一番目には一番小さな山羊が、二番目には中くらいの山羊が、最後に一番大きな山羊がそれぞれ橋を通る。そのさい、怪物トロルは山羊たちに「お前を丸のみにしてやる」と脅すのだが、一番目と二番目はそれぞれ「後から大きな山羊が来るから」とトロルを言いくるめて渡っていく。
そして最後の一番大きな山羊は__