3話 そんなことある?
前回のあらすじ
・シンジ「ようヨワキ」
・ユウキ「ひえっ」
・このままだとユウキがボッチになりそう
誰にも話しかけることもできず、ユウキは体育館に移動する。裏切り者こと後ろの席の新井田は彼の後ろに並んでいた女子としゃべっている。残念ながら、ユウキには前の女子にしゃべりかけられるだけの勇気はなかった。
なるほど、これではシンジにいつも『ヨワキ』と呼ばれても言い返せはしない。上級生を殴って半殺しにしかけたシンジにそう呼ぶなと言えるような蛮勇は持ち合わせてはいなかったし、彼から離れる勇気もなかったのだ。結局のところ、ユウキは臆病でしかなかったのである。少しだけ不甲斐ない思いをしながら、ユウキは黙って体育館へ向かった。これから、入学式である。
ユウキはそっと目を伏せ、真新しい黒の革靴を見つめる。
__もっと頑張らないとなぁ
心の中でそう呟きユウキは深く息を吐いた。
体育館は第二棟にほど近い通路にあり、渡り廊下を使って移動してから下に降りるか、それか下に降りてからコンクリートで舗装された通路を通って直接移動するかで移動できる。渡り廊下を歩いていくよりも、コンクリートで舗装された通路を通っていく方が距離的には近そうだが、学校を案内する意味でも、今回は渡り廊下を通っていくらしい。
第二棟は研究室や実験室が集まっている箇所らしく、アルコールの匂いが鼻を突いた。どうやら実験器具を消毒したものを廊下のアルミサッシの棚に干していたらしい。空っぽのシャーレに消毒用のアルコールがかけられていたのだろう。何の実験をしたのだろうか?
アルコールと独特な薬臭さのしみついた第二棟の階段を降り、日差しよけの付いた通路を渡れば、目の前は体育館だった。ユウキのクラスが先頭であるらしく、少し時間を置いて後ろから足音が聞こえてきていた。
少しすると、体育館の横開きの扉が開く。体育館には入学式用にプラスチックに近い素材のじゅうたんが敷かれている。体育館の床を汚さないようにするためだろう。壇上の教頭が、通る声で言う。
「新入生入場、1-A」
数人の保護者が一斉にカメラを向ける。その中には、わざわざ飛行機を使ってまで来てくれたユウキの両親もいた。こちらに向かって手を振る母親に、ユウキは少しだけ気恥ずかしさを感じながらも、どこか嬉しく感じられた。衣服とちょっとした文房具類以外は全て処分するか実家に残すかしてきてしまったため、少しだけさみしさを感じていたのである。
その寂しさを気取られないよう(バレれば間違いなくからかわれる)、ユウキは堂々と歩く。そして、青色の背もたれのパイプ椅子に座り、背筋を伸ばした。
__その次の瞬間、耳をつんざくような、すさまじい音が響く。
「きゃああああああ?!」
「何だ?!」
まるで目の前で打ち上げ花火が爆発してしまったかのような、すさまじい音と細かな揺れ。狂乱し、悲鳴の上がる会場内で、ユウキはただ頭を抱えた。
__なるほど、シンジの悪い予感って、これかぁ……
胃がキリキリと痛むのを感じながら、ユウキは体育館の窓を見る。広いグラウンドを挟んだ向こう、隣の学校の体育館から白煙が上がっている。粉々に割れた窓ガラスや倒壊寸前の体育館を見るに、事件が起きたのは隣の学校……シンジが通うはずだった学校だったことがわかる。あの学校の生徒がどうなっているかまでは見えないが、少なからずシンジは絶対に無事だろう。何せアイツは、今日の入学式をバックレたのだから。いや、なんだかんだ言って抜け目のない彼のことだ。向こうの入学式も、何らかの方法で中止させたかもしれない。実際、ここから見えている隣の学校は、生徒たちが体育館から出てくるのではなく、校舎から出てきた。
野次馬半分、賢く避難をするもの半分と言ったところだろうか。何が起きたかわからず、パニックになっている杉浦学園の保護者一同よりも、隣の学校の生徒たちの方が幾分肝が据わっていた。むしろ、距離が近すぎて、現実のことと思えなかったのか。
ともかく、もうすでに入学式は続行できる雰囲気ではない。騒乱する体育館の中、ポケットの中の携帯が震えていることに気が付いたユウキは、こっそり小型タブレットをポケットから取り出し、その画面を見てげんなりとした表情を浮かべた。電話をかけてきたのは、シンジだったのだ。
ポケットの中に隠していたマイク付きのワイヤレスイヤホンを耳にはめ、ユウキは小声で電話に出る。
「もしもし?」
『遅い。もっと早く出ろ』
「入学式中なんだ、無理言わないでくれよ……続けられそうに見えないけど」
『だろうな』
通話口の向こうで、シンジはクツクツと笑う。これだけ上機嫌なところを見ると、爆破以外は既に対処済みなのだろう。いやむしろ、この反応からして、ユウキの学校の入学式を中止させるために、わざと爆破させたのか。
ユウキは少しだけ表情を曇らせ、シンジに言う。
「その、父さんと母さんが来てて。この後、多分食事に行くか下宿先に挨拶に行くと思うのだけれども__」
『そうか。なら勝手にしていろ。あとで声をかける』
「えっ、待って」
シンジは変わらない上機嫌な声色でそう言いながら、ユウキの言葉を聞かずにそのまま通話を切った。茫然とするユウキは、先生たちが避難するように指示する声を聴いて、慌てて耳からイヤホンを外してポケットにしまい込んだ。
避難誘導に従い、学生と新入生、保護者は体育館の外に避難する。教室に戻って荷物を回収したら、そのまま解散だそうだ。
__あっ、待ってこれ、クラスメイトと話す機会、なくない?
荷物を持ったところで、それに気が付いたユウキは、ぴしりと表情を引きつらせる。近隣で爆発が起きたということもあり、この後は自己紹介もなくそのまま解散である。
さらに間が悪いことに、今日は金曜日。この学校で土曜授業はないため、明日何事もなかったかのように話しかけられるような雰囲気ではない。教室後方のロッカーでは、既に一定数の人が話をしており逆に話をする気がない、もしくはできなかった人たちはさっさと帰ってしまっている。
__遅れた……!
せめて、一人で帰ろうとしている人を探す。が、しかし、もうすでにいない。グダグダ悩んでいたり、シンジと通話をしていたりしたがために、誰とも話さず一人で帰る人たちはもうすでに帰ってしまったのである。
ちょうどユウキのロッカーの扉の前に寄りかかりしゃべる六人組。
人付き合いの苦手なユウキは、「ちょっとごめん」の一言を言うことができない。ユウキはつい、廊下に出てしまった。
そして、自分の不甲斐なさに小さくため息をつく。
こんなことじゃあ、永遠に友達なんて作れない。それどころか、クラスメイトと一言も話さないうちに一学期が終わってしまいそうである。それは流石にマズい。いくら何でも不味い。何がマズいかをユウキは言葉にできないが、少なからずそれではだめだと分かっていた。
しかして、焦る気持ちとは裏腹に、口は言うべき言葉を言うことができない。言わなければいけない言葉は見つかっている。それこそ、四百字詰め原稿用紙を肘の高さに詰めるだけの言葉が沸いてあふれている。だがしかし、その言葉の群れ群れを、喉が締め付けて通さないのだ。
__不甲斐ない。馬鹿みたいだ。情けなさすぎるだろ。
自分への罵倒が浮かんでは消える。わかっていた。他人のせいにしたって何にも意味がないことを。多分……いや、絶対に、自分自身にはシンジがいなかったとしても、友達ができない自信があった。友達の作り方がまるで分らない。声のかけ方がまるで分らない。声をかけていいタイミングがまるでつかめない。できないという言葉の重圧が、さらに重しとなって喉をしめる。
口から息が漏れる。ユウキは、廊下の壁に深くもたれかかり、背中に頭の折れた画びょうが刺さって思わずたたらを踏んだ。血が出るほどではなかったが、絶妙に痛かったために、ユウキは声を上げずに悶絶する。ついてない。
気分がマイナスに極振れしたユウキだが、ふと、ポケットの中のスマホが震えていることに気が付く。
「もしかして、またシンジから……?」
表情を引きつらせながら、ユウキは小型タブレットを取り出す。そして、画面に表示されていた名前に目を丸くして、慌ててイヤホンをつけて電話に出た。
「もしもし……!」
『あ、よかった。つながったよ、母さん!』
明るい声で言うのは、ユウキの尊敬する、姉のサツキだ。
七歳年上の姉は、もうすでに社会人として仕事をしている。人望があって、友達もたくさんいて、いつもニコニコ笑顔で人一倍自分に厳しい姉。運動も勉強も得意で、テニスの大会のたびにニコニコ笑顔でメダルを持ち帰るのだ。
文武両道で人当たりもいい姉を、ユウキはカッコいいと思っていた。
『ごめんね、ユウキ。もしかして、友達と話してた?』
「……ううん。教室に戻るところ。ちょっと遅れちゃって」
『そっか。父さんと母さん待ってるよ。そうそう、ユウキは何食べたい? お昼ご飯、一緒に食べに行こう』
「ありがとう。じゃあ、焼き魚の美味しいところが良いな」
『またお魚? わかった、探しておくね。ユウキも早く下に降りてね』
優しい姉の声を聞き、ユウキは少しだけ気分が明るくなるのを感じた。
電話を切るとほぼ同時に、教室から六人組が出て行く。ハッとして教室を見てみれば、自分のロッカーの前は開いていた。
ユウキは慌てて荷物を取り出すと、階下へ急いだ。
緑色の門のそばには、きりっと礼服を着こなす母と、気慣れていない紺色のスーツを纏う父。そして、真新しいスーツを着た姉。
「ごめん、お待たせ」
普段は作曲家として活動する父は、あまりスーツを着る機会がない。逆に母は会社員であり、夜遅くまで働いているところを何度も見たことがあった。
「入学式の、びっくりしたなぁ。どこが爆発したんだろうな?」
父、長嶋信彦はそう言いながら頭をかく。最近白髪が混ざり始め、こっそり黒染めをしているらしい。……母がその白髪染めをこっそり使っていることは、流石に伝えられていない。
「すごい音だったわよね……で、ユウキ。どこのお店にするか決めた?」
矢継ぎ早に質問するのは、母の長嶋恵美。化粧品メーカーの企画を行っているため、試作品をよく家に持って帰っては気難しい顔をしていることが多い。それでも、今日は休みが取れたためか、幾分晴れやかな表情だ。
「あ、ユウキ、ここのお店とこのお店だったら、どっちがいい?」
姉のサツキは、そう言ってユウキにタブレットの画面を見せる。ユウキは少しの間その画面を見比べてから、比較的ここから距離の近いほうの店を選んだ。
一家四人、全員が笑顔で、幸せで。
__あたたかな、日常の時間だった。
【マイク付きのワイヤレスイヤホン】
2023年から発売されたイヤホン。耳につけるとセンサが反応し、自動でタブレットの無線通信機能を起動させるタイプ。ユウキが持っているのは少し大きい旧型のものだが、それでもそこそこ高性能なもので、電話の時は相当小声でも相手にしっかりと声が届く。便利だね。