13話 半英雄の名あて
前回のあらすじ
・柴田が死亡
・アルスターの赤牡牛、ドン・クアルンゲがボスだった
息が苦しいほどに、心臓が鳴り響く。
あまりにも簡単に三級探索者の柴田を屠った牡牛、ドン・クアルンゲは、鼻息荒くユウキを睨んでいる。その表情は、次はお前だと言わんばかり……いや、実際そうなのだろう。
全身が動きにくいほどに、恐怖の感情が高まる。
__無理だ、あんなのに勝てっこない……!
まるで筋肉の塊のような牡牛。その体重は優に2トンを超えていることだろう。あの突進を喰らえば、自動車とぶつかったのと大差ないはずである。怒りで赤く染まったドン・クアルンゲの瞳は、確かにユウキのおびえる顔を写していた。
ユウキは、反射的に宝物庫に続く扉に手をかける。当然、まだボスであるドン・クアルンゲが討伐されていないため、開くわけがない。地上へ戻るための魔法陣も、扉の奥だ。
蹴り壊そうにも、ユウキの力では壊せはしない。扉の両面は金属で補強されており、そう簡単に壊せるような扉ではないのだ。
「いや待て……?」
ユウキは、ドン・クアルンゲの足元に転がる一層へつながる木製の扉を見る。砕け散ったあの扉は多分、宝物庫につながる扉と同質の材料のはずだ。
叫びだしたくなるような恐怖を飲み下し、ユウキはぐっと拳を握り締める。チャンスはゼロではない。宝物庫に入れさえすれば、地上に戻れるはずなのだから。
腰に固定していたナイフを取り出し、ユウキは左手に構える。ユウキ自身は右利きなのだが、右手は火傷をしているため、まともに動かせないのだ。
冷や汗が背中を伝っていく。チャンスはたった一度だけだ。ミスをすれば、死ぬだけだ。
__姉さんを助けるまでは、死ねない……!
ユウキは奥歯を噛みしめ、こちらを睨むドン・クアルンゲに向かって言う。
「こっちだ!」
格下に挑発されたドン・クアルンゲは、低く唸り声を上げながら、その巨体を持ってして突進をして来た。
__まだ……!
距離は七メートル。猪突猛進とは言えども、ドン・クアルンゲは知能を持つ生き物なのだ。まっすぐにしか移動できないというわけではない。スタートダッシュとばかりに気前よくダンジョンのレンガを踏み砕き、赤牡牛は加速する。
ドスドスと重たい足音が響く。生理的な恐怖が、巨体の圧迫感が、すぐにでも避けろと叫ぶ。だが、まだ駄目だ。まだだ。
__もう少し……!
一瞬で加速したドン・クアルンゲ。距離は一秒かからずに4メートルまで縮まった。ゾクゾクと背骨が凍えるような感覚。今すぐ逃げたい本能を、理性がねじ伏せる。今逃げれば、この魂胆が見透かされてしまえば、ユウキは生きては帰れない。
奥歯を食いしばり、こらえる。まだ、まだだ。
ガツンと蹄がレンガを打ち砕く。荒い鼻息がユウキの肌に触れるような感覚を覚える。
「今……!!」
距離が二メートルを切ったところで、ユウキは左に飛んだ。
うまく着地を決められず、地面に転がるように叩きつけられるユウキ。顔についた擦り傷がもう一度掏られ、柔くかさぶたが張りかけていた頬から再度緩く出血する。
床を転がり、慌てて立ち上がるユウキ。そして、込みあがる歓喜を飲み込んだ。
ドン・クアルンゲが容赦なくぶつかり、無理やりこじ開けられた宝物庫の扉。片方の扉が無理やり開けられ、ぷらぷらと揺れていた。
「……行ける!」
ユウキは奥歯を噛みしめ、駆け出した。動き出したユウキに、ドン・クアルンゲは低く唸り声を上げ、角を振り回す。ギリギリで脇を通り抜け、ユウキはドン・クアルンゲの目めがけて殺虫剤を吹きかける。呻き転げまわる牡牛を横目に、ユウキは宝物庫に滑り込んだ。
そして、ナイフを扉と地面の間に差し込み、ストッパーの代わりにしてから宝物庫の中を確認する。
四畳程度の広さの狭い宝物庫は、中央に未発動の召喚術式と、その奥に不活性の移動用魔法陣が鎮座していた。
「なんで……?!」
ユウキは表情を引きつらせる。
ボスモンスターが倒されていない今、帰還用の魔法陣は動いていなかったのだ。
がつん、がつんと扉に体当たりされる音が響く。
ユウキは慌てて周囲を見る。宝物庫には召喚術式と動いていない魔法陣しかない。もうすでに、退路はない。
「……っ!」
ユウキはぐっと拳を握り締め、召喚術式に手を伸ばす。もうすでに、選択肢はない。生き残るためには、戦力が必要だった。何だっていい。ドン・クアルンゲを倒せる召喚獣が出てくれば。
__わかっている、ドン・クアルンゲを倒せるような召喚獣が、そう簡単に出ないことなんて。
心臓がバクバクとうるさい。強力な召喚獣が出てくる確率など、そう高くない。大半の召喚獣は、人よりも弱い、ペットのような物ばかりなのだ。されども、呼び出さなければ、生き残れる確率はゼロに変わる。勝てるわけがないのだから。
ユウキは、深く息を吐いて、淡い白色の光を放つ召喚術式に手を触れた。
次の瞬間。
強烈な光が、宝物庫を満たす。
「……!」
ユウキは小さく息を飲む。光の走った召喚術式の中央。そこに、一人の男が立っていた。
美しい金髪。黒色の瞳。煌びやかな鎧をまとい、指には金の指輪がぴったりとはまっている。年齢は15,6と言ったくらいだろうか。整った顔も、体を覆う筋肉も、まさしく若き戦士そのものだった。
「……。」
「……?」
軋む扉の音。ドン・クアルンゲの視力は少しずつ戻ってきているらしい。
若き戦士は、剣を片手に静かに地面にへたり込むユウキに問いかける。
「名前は」
「……あ、僕の名前?」
「当たり前だろうが」
ガツンガツンと響く体当たりの音。
若き戦士の問いかけに、ユウキは答えた。
「僕は長嶋裕樹。君の名前は?」
「……そうだな」
若き戦士は、ちらりとすさまじい音のなる宝物庫の扉を見る。あと2,3撃ほどで破壊されてしまいそうな扉を前に、若き戦士は薄笑いを浮かべ、ユウキに言う。
「当てて見せろ。悪いが俺は、俺の名前も知らないやつに仕えるつもりはない」
「……!?」
表情を引きつらせるユウキ。ガツン、とひときわ大きい体当たりの音が響く。召喚獣の名前を当てる? 見てくれのヒントも少ないというのに?
扉には既に大きくヒビが入っている。レンガの隙間に突き立て、ストッパー代わりにしたナイフも、もう限界だろう。ギシギシときしむ嫌な音が仕切りに響いていた。
ユウキは、裏返りそうな声で、若き戦士に問いかける。
「君についての質問がしたい! 君は、アルスター物語群に登場するかい?!」
「……ああ、するな」
どごっ、と、体当たりの鈍い音が響く。もう、時間は残されていない。
ユウキの問いかけに、若き戦士の表情は少しだけ柔らかくなった。それを見て、ユウキは最後の問いかけをした。
「……君は、名乗らないのではなく、名乗れないのか?」
「よくわかったな、確かに、俺はゲッシュで名乗れない。__さて、そろそろ俺の名前を当てられなければ、不味いのじゃあないか?」
肩をすくめる戦士。そんな彼に、ユウキは緊張をほぐすために深く息を吐き、彼の名を呼んだ。
「君は、オイフェとアルスターの大英雄クー・フーリンの息子、コンラだ」
ユウキの言葉の直後、扉が吹っ飛ぶ。ストッパー代わりにしていたナイフは、既にへし折れ、ドン・クアルンゲはいら立ち紛れに床に転がっていたナイフにとどめと言わんばかりに蹄を振り下ろす。哀れなナイフは、粉々に砕け散ってしまった。
若き戦士はニッと笑むと、片手に持っていた剣を鞘にしまい込んだ。
その行動に、目を丸くするユウキ。
__名前を間違えた……?!
鼻息荒い牡牛は、殺意のにじんだ目でユウキのことを睨んでいる。心臓が止まってしまいそうなほどの恐怖から、涙が滲みかける。ユウキ一人であの牛に勝つことはできない。
ドン・クアルンゲは低く唸り、そして、ついに二人の方へ突撃してきた。
「ひっ……!」
即座に回避の体制をとるユウキ。若き戦士は、そんな彼の襟首を捕まえ、目線で逃げるなと指示する。
「何を……?!」
突然襟首をつかまれ、バランスを崩ししりもちをつく。鈍く痛む臀部を抑えながら、ユウキはひきつった表情で若き戦士を見上げる。
彼は、ニッと笑うと短く言った。
「__正解だ。お前を……いや、長嶋裕樹を主として認める」
そして、若き戦士……コンラは、右手で剣の柄をとった。
白銀に煌めく刀身。居合切りの要領で、コンラは、突進してきたドン・クアルンゲの頭めがけてその剣を振るう。
ガキン!
高い金属の音が響き渡る。一瞬遅れて、何か固いものが地面に落ちる音が響く。
戦士コンラの一刀は、ドン・クアルンゲの硬く鋭い角を二本、切り落としていた。
【コンラ】
コンラあるいはコンラッハ。オイフェとクー・フーリンの息子で、クー・フーリンは神とのハーフであるため、四分の一は神の血が流れる。
民話や文学によってコンラに当たる人はたくさんいるが、総じて父クー・フーリンにゲイ・ボルグを使われて殺されるということは共通している。ドンマイ枠その2。
召喚獣としても、父クー・フーリンの完全下位互換となっている。
ステータス(D~Sで評価した場合)
STR:B+ DEX:A+ VIT:B INT:B
得意武器:武芸百般であるため大体何でも扱えるが、特にスタッフスリング(投石器)が得意。
見た目:金の指輪を左手中指にはめた青年