10話 推定等級三級【蛮地の赤牡牛】
前回のあらすじ
・南、ハジメ、ユウキ、引率の探索者柴田で【害虫ダンジョン】を探索するはずだった。
・しかし、発生していたイレギュラーに巻き込まれ、トラップにはまった南が即死する
【害虫ダンジョン】にはあるはずのない、致死性のトラップ。突然のそれに、ユウキらは声を上げることを忘れた。
一番最初に正気に戻ったのは、幼馴染が即死したと気が付いた、ハジメであった。
「みな、み?」
茫然と既に息絶えた彼女に声をかける、ハジメ。伸ばした手が、震える。
時間をかけて、ハジメは少女の血に濡れた手に触れる。だらりと下げられた彼女の手は、もはや動くことはないだろう。
普通ならあるはずの脈拍は、ない。とろとろと零れ落ちる赤色の液体は、もうすでに人が生きていくのに必要な分を冷たいダンジョンのレンガ床に吐き出してしまっている。
震えるハジメの声で、ようやくハッとした柴田が、ハジメとユウキの手を引き、入口へ戻ろうと後ろを振り返る。そして、もう遅かったという事実に気が付いた。
音もなく銀色の扉の前に立ちふさがっていた、三人の男。不気味な笑顔を浮かべる筋骨隆々の男三人は、いずれも根元が黒色だったり茶髪だったりの眩しい金髪である。どうやら、髪は染めているらしい。
腕や足、首には大量のアクセサリー。大半は美しい金で出来ており、何かの牙を連ねてできたネックレスを身に着けている者もいる。
__髪の毛を染める風習、筋骨隆々、派手な装飾……覚えがある、思い出せ……!
突然の出来事に、ユウキは必死に頭を動かす。
派手好きで、髪の毛を金に染める風習がある。さらに、よくその髪の毛をみると、不自然なほどに太かった。ずいぶん特殊な洗い方をしているのか、それとも特殊な編みこみか。
そこでユウキはようやく彼らを特定するに至った。
「彼らはケルト人……ってことは、アルスター物語群、それか、北欧伝承……?」
「ケルト人? 俺たちは誇り高きコナハトの戦士だ! 一緒くたにするんじゃねえ!」
思わずそう口にしたユウキに、地毛が黒髪であろう戦士が低い声で怒鳴り返す。そこでユウキは表情をひきつらせた。何が準五級ダンジョンだ。等級詐欺もいいところだ。
アルスター物語群とは、ケルト人に伝わる伝承であり、物語群の名前の通り複数の物語を寄せ集めたものである。感覚的には登場人物が同じなだけのアンソロジーと思ったほうが良いだろう。死んだはずの人物が死んでなかったり、急におかしな縛りが追加されていたりするため、どの物語がモデルになっているか、より詳しく知りたいところだが……
__コナハトの戦士を名乗るあたり、クーリーの牛争いあたりか……? どの辺でアルスターは滅びたのだっけ……?
脳がグルグルと回るような感覚を覚える。ユウキは腹の底から恐怖が沸き立つのを感じた。なんだかんだ言ってクーリーの牛争いの最中では無双系主人公ことクー・フーリンのせいで雑兵扱いに過ぎなかったが、コナハトの戦士は相当強いはずである。
ひたすら思考のドツボにはまるユウキとは反対に、下卑た笑い声をあげる三人の戦士に、幼馴染を殺されたハジメは怒りを殺せなかった。
「お前等のせいで、南は……!」
「止めろ、ハジメ!!」
叫ぶ柴田の静止もむなしく、ナイフを構えたハジメは戦士の方へかけていく。
「だめだ、ハジメ!!」
ユウキは反射的に叫ぶ。そして、バッグの中にしまっていた殺虫剤をつかんだ。
ナイフを持ってつっこんでくるハジメだが、男三人はまるで回避する素振りも武器を構えるそぶりも見せず、ただにやにやと下卑た笑いで怒るハジメを見ていた。
「ああああああ!!」
ハジメは雄たけびを上げてナイフを腰だめに構え、髪の根元が茶髪の男の腹めがけてナイフを突き出した。
しかし、次の瞬間、あえなくナイフは砕け散った。
「な……?!」
目を丸くして、手元の砕けたナイフを見る。表情を引きつらせるハジメ。
男たちはこらえきれずにゲラゲラと笑い出した。
「ハジメさん! ケルト人の中には、ゲッシュで自己強化ができる人がいます! だから__!」
ユウキはそう叫びながら、新品の殺虫剤のロックを外し、軽く出るかどうか試す。白色のスプレーが出ることを確認してから、ユウキはスプレーの先を、剣を振りかぶろうとしていた髪の毛の根元が黒色の男に向けた。
そして、毒々しい赤色の引き金を、引く。
濃密な白色の煙幕が、三人の男に降りかかる。業務用と言うこともあり、威力は抜群であった。
コナハトの戦士たちは、こらえきれずに目と鼻を覆いながら、咳き込み呻く。当然だ。殺虫剤は毒なのだから。
「皮膚だけが固いパターンでよかった……!」
戦士たちがひるんだすきに、ユウキはハジメの手をつかみ、柴田の元に走る。そして、柴田とすぐに情報共有した。
「肉体は傷つけられない代わりに、内臓と粘膜は弱いみたいです! いくら業務用でも、ふつうあそこまで苦しまない!」
「いや、あの至近距離で発射されれば、大抵の人間はああなる! __悪いが、俺一人ならまだしも、二人を守りながら入り口を突破するのは無理だ! このままボスエリアに直行するぞ!!」
柴田はそう叫びながら、通路の戦闘を走り抜ける。トラップが作動したことで既にほかのコナハトの戦士たちがこちらに武器を構え雄たけびを上げている。足がすくみそうになるほど恐ろしい声だが、ユウキは何とか足を止めずに走り続ける。ここで止まれば、待つのは残虐な死だけだ。
ダンジョンの入り口に大量に捨ててあったあのスプレーの空き缶は、コナハトの戦士たちが危険物だと判断して、あの開かない扉の前に固めておいたのだろう。だからこそ、随分前に捨てられていた空き缶もそこらに転がっていたのだ。
虫の羽音がなかったのは、イレギュラーが発生して、ダンジョンの中身が入れ替わったから。いや、完全に入れ替わったわけではない。ダンジョンの環境はそのままなあたり、物語変更型か? それとも複合型?
どちらにせよ、ユウキたちがとことん不利なのは、確定事項であった。なにせ、そもそもだれも人を傷つけられるような装備を持っていない。一応この研修会の引率である柴田は刃渡り40センチほどの短剣を持っていたが、それでもゲッシュによって身体が強化されているコナハトの戦士を倒すことはできないだろう。
探索者になりたてほやほやのユウキたちに、イレギュラーはあまりにも重荷すぎた。もはや、生きて帰れるかどうかすら怪しいのだ。
イレギュラーは、一度クリアさえしてしまえば解消される。逆に言えば、クリアできなければ延々とそのままだ。
悪辣な罠を張ることができ、さらに並みの武器では傷すらつけることのできない人型のモンスターを準五級ダンジョンに置いておくとどうなるかなど、想像に難くない。……何人もの人が、死ぬことになる。
ケルトの戦士たちの声が響く。汚く罵る言葉も、煽る言葉も、己の力を誇示する言葉も、一定のリズムに従ってユウキらを追い詰める。いや、一定のリズムではない。彼等の特性を知らなければ気が付けないほどに、テンポは少しずつアップしている。
ケルト人の戦い方として、声を用いた鼓舞がある。この鼓舞は、味方を応援するだけでなく敵を委縮させるためにも用いられる。
この特性を知っていたユウキは、彼等の意図することに気が付いていた。
少しずつ早くなっていくテンポに、耳を塞ぎたくなるような汚い言葉。これらが、知らぬ間に視界を狭め、ユウキらを追い詰めていくのだ。
「こっちだったか……?」
「違います、路地一個奥です!」
緊張のあまり、奥歯を小さく振るわせながら走る道を間違いそうになる柴田。頭の中に害虫ダンジョンの地図を叩きこんでいたユウキは、即座に彼の言葉を否定して、第二層への最短距離を叫ぶ。
追いつめられると、人は短絡的な思考になる。そして、冷静さを欠く。現に、何度もこの害虫ダンジョンの掃討をしたことのあるはずの柴田でさえ道を間違えかけたのだ。
__さっきのところ、間違えて曲がったら行き止まりだった……!
背中に冷たい汗が流れていくのを感じる。確かに、あそこの路地では大玉虫の発見報告が多いが、今はそれどころの話ではないし、イレギュラーが発生した今、あそこに大玉虫がいるはずもない。
「三メートル先、トラップ! 糸が見えた!!」
「ありがとう、ハジメさん! ……天井見る限り、上からのタイプじゃない!」
張り巡らされた罠をギリギリのところで回避しながら、ひたすらその場しのぎで二階層へ突き進む。
だがしかし、なまじ順調に進めていたがために、三人は一つのことを忘れていた。__敵が、会話を成立させ、罠を張ることができる程度の知能を持ち合わせていることを。
ところは変わり、新人研修を受けていたシンジは、盛大に舌打ちをしながら、ナイフにこびりついた血を振り払う。
「……下調べと違うモンスターしか来ねえぞ、どうなってんだ」
「ひっ、し、しらない、知らないです!!」
質問された引率の三級探索者は、ひきつった声でシンジの質問に答える。シンジは面倒くさそうに舌打ちをした。
シンジの防弾パーカーは、もう二度と使う気にならない程度には返り血に汚れていた。他二人の新人探索者は、びくびくしながらシンジのことを見ていた。
「わ、私たち、探索者向いてないね……」
「う、うん……は、早く帰りたい……!」
震える声で言う、新人冒険者の少女二人。彼等が挑む予定だったのは、準五級ダンジョン【浦島太郎】。同じく二階層のつくりである、二階層に放置されている綺麗な箱を開けさえしなければクリアと言う、何とも簡単な仕掛け……であったはずだった。
しかし、ひとたび蓋を開けてみれば、襲い掛かってくる蛮族ども。悪辣なのは、こちらが蓋を開けずとも、向こうから蓋を全開にしようとしてくることか。
オートロックの扉を開けてすぐ、ケルトの戦士たちが襲い掛かってきたのである。
屈強かつ理不尽な強さを誇るケルトの戦士たち……だったはずだが、残念なことに、シンジに瞬殺されてしまった。
「死体は放置していれば消えるのだったか?」
「は、はい、モンスターの死体なら……人とか、外から来た生物だとだめらしいですけど……」
震える声で答える引率の男。シンジは面倒くさそうに肩をすくめると、ダンジョンの奥へ向かおうと足を進める。そんな彼に、引率の男は慌てて言う。
「ま、待ってくれ! き、君、何でそっちに……?!」
「あ? 研修だろうが。今日終わらせねえと__いや、何でもねえ」
シンジは言いかけた言葉を切り、血がこびりついて切れ味が悪くなったナイフを投げ捨て、ケルトの勇猛果敢な戦士たちが持っていた槍を一本、拾った。装飾一つなく質素なものだが、その分使い勝手はよさそうだ。傷もついていないし、すぐに折れてしまいそうなほど脆いようには見えない。
大あくびをしながらそのままダンジョンへ潜っていこうとするシンジに、引率の男は慌ててついて行く。そして、去り際に振り返り、茫然としている二人に向かって言う。
「君たちは一旦帰りなさい! 現在、このダンジョンではイレギュラーが発生している。研修はイレギュラーが終了次第再度行います。今回の件で以後の昇級に不利が生じることはないので、あんしんして……長嶋君、勝手にいかないでくれ!!」
淡々と道を進んでいくシンジに、引率の男は悲鳴気味にそう言いながら、追いかけて行った。
__そう、イレギュラーが発生したのは、一つのダンジョンではない。何故なら、アルスター物語群のイレギュラーなのだから。
楽鳥羽町一帯のダンジョンは全て、発生したイレギュラーによって物語は変貌し、そして、いびつな形で転換していた。
__複合型広範囲イレギュラー、【英雄無きアルスター】
悲劇が起きなければ、英雄もまた、生まれないのである。
【アルスター物語群】
初期アイルランド文学の一種であり、いくつもの伝承や物語が後世の人物らによってまとめられた、アルスター王国を中心に、それらの関連人物や王などの説話を集めたもの。モデルになった王や国はあるものの、基本的にフィクションである。
その中でも中核をなすのが、「クーリーの牛争い」である。
一頭の銘牛をめぐり、コナハト国を含む四の国と戦争をする物語であり、ケルトの大英雄クー・フーリンが活躍する。