58話 二人との距離の実際は、実は何億光年も離れているのかもしれない
「さてさて、ワタクシもお風呂に入りましょうかね」
もう少しすれば俺の症状も良くなるのだろうけど、俺の事を気にせず浴槽に向かっていくようだ。
まだそんなに進めてないので、浴槽まで20メートルくらいはあるかもしれない。
低血糖状態というのは、動悸の他にも頭がボーっとする感じがあるようだ。
普段より頭が働かない。
ダレンさんが瞬間移動のように動いていくのをただ眺めていた。
歩き始めると同時に洗い場にいて、シャワーで身体を流し終わった瞬間に浴槽にいる。
浴槽には、お湯に浸かっている光の球と、そこから飛び出たゴブリンの頭が見える。
ゴブリンは浴槽の縁に頭をおいて、足を壁の方へ伸ばして入っているに違いない。
光の球でわかりにくいけど、頭と光の球の位置からしてそれっぽい……。
浴室にはお湯の匂いが溢れている。
そして、ライオンの顔の石像からお湯が出てくるジャボジャボとした音がただ響いている。
湿った空気と音の反響する空間は不思議と心地良い……。
お風呂に入る順番とか、今が何時とかどうでも良くなってきた。
そして、少しだけ眠くなってきた気がする。
ゴブリンらしき光の球の少し横に、ダレンさんはお湯に身体を沈めようとしている。
ただ俺は、ボーッとそれを眺める。
眠気と低血糖症状の名残のある状態は自分の中でそれを自然なものにした。
倦怠感と眠気が頭の回転を著しく阻害しているのが分かる。
ゆっくりと流れていく時間を噛み締めながら立ち尽くしている俺。
ダレンさんの様子が見えている。
頭と光の球の動きから、ダレンさんがゆっくりとお湯へ身体を沈めているのがわかる。
ゴブリンに倣って、お風呂の縁をマクラにするのだろう。
でも、二人を見ていると自分がノケモノにされているようで寂しい気持ちになってくる。
ダレンさんがゴブリンに、ゴブリンがダレンさんに取られてしまう……そんな気持ち。
一体、何だろう?
カスの様なステータスの俺は、一緒の空間にいることに場違いな感じを覚えた。
二人は俺に優しくしてくれているから近くにいるように思えたけど、次元が違うところにいる。
俺と入浴中の二人との距離の実際は、実は何億光年も離れているのかもしれない……。
何だかボーッとした感じがするけど、ここに立ち尽くしている必要性は感じられない。
ただ、今の自分は、眠気と孤独感がぐるぐる混ざり合って存在している感じがする。
自分の中に起こるものへの対処はよくわからない。
それでも、何となくダレンさんとゴブリンさんの方角へ歩みを向ける。
この見た目の距離を埋めることで、次元的な距離も埋まるような気がした。
近くへ行こう、近くへ。
浴槽の傍まで行っても、そればかりが頭の中を反芻している。
目の前の浴槽に浸かっているゴブリンとダレンさんの二人の間の距離は50センチくらいだろうか。
反芻する気持ちのままに無言で二人の間に縮こまって進み、ゆっくりお湯に浸かっていく。
お湯は適度に熱く、温度は段々と身体に馴染んでいく。
お湯の持っている熱エネルギーが俺の冷え切った身体に直接注ぎ込んでいるかのような感覚。
お湯のエネルギーは身体に癒しを与えてくれているようだ。
でも、今は発作的な孤独感の方を癒したい。
「小林さん?」
ダレンさんは不思議そうに上半身を持ち上げて、俺の顔を見つめる。
ゴブリンも起き上がって、驚いたような表情で、大きな目をより大きくしてこっちを見ている。
「お兄ちゃん?」
肩がぶつかるくらい窮屈だけど、これでいい。
身体が微かに二人と触れ合い、少し気持ちが和らぐ気がした。
何億光年も離れているような感覚はウソだったに違いない。
ゴブリンの柔らかで締まった身体の感触が俺の左腕と左の大腿から伝わってくる。
女性らしい潤った細やかな肌が感じられた。
ダレンさんの男らしく筋肉量の多い逞しい身体の感触が俺の右腕と右の大腿から伝わってくる。
少し筋張っているけれど、張りのある肌とわずかに感じる体毛の感触が少しくすぐったい。
二人と交互に目を合わせるけれど、まだ心が遠いような気がして二人の手をギュッと握った。
何だか、グルグルと回っていた孤独感はどんどん小さくなっていく感じがする。
なんて眠いのだろう。
急激な休息への欲求が高まってきた。
このまま寝られそうな感じがする。
俺は浴槽の縁を枕にして、足先を壁に向かって伸ばした。
浴槽は深くはなく、お尻をついて座ると胸の下くらいにお湯の水面がくるくらいだ。
縁を枕にすると、肩まで全部浸かれる。
二人共お湯に浸かったまま身体を起こした体勢で俺の顔を覗き込んでいる。
これなら寂しくないな。
静かに目をつぶると、心地良さが一層深まる。
寝てはいないけれど、自然と呼吸は寝息に近いような呼吸に変わっていく。
「ダレンさん……お兄ちゃんが私の手を握っているのは想いが伝わったってことですよね」
ゴブリンの声が聞こえる。
「……ワタクシの手も握っているので、ちょっと違う気がしますけど」
ダレンさんとゴブリンで俺の話をしているようだ。
「手を握るって、好きな相手にすることだと思うんだけど……」
内容はよくわからなくて、心地良い音楽を聴いているような感じがする。
「小林さんは急に違う世界に来て、心細いのだと思いますよ」
ダレンさんの優しさが伝わって来る気がする。
「私が支えになってあげられると思うんだけどな」
ゴブリンの優しさが伝わって来る気がする。
何か更に二人共話をしているようだけど、もうそれすらも認識できない。
俺の意識は温かなお湯の中で、見守られているという充足感の中で失われていく。
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