1話 新しい人生を始めよう。
樹木は生い茂り、緑はより深くなる。
強い日差しが眩しい季節。
遥か彼方まで続く、青色の世界。
そして、空に堂々と立ち上る入道雲。
何を、そんなにやる気を出してるのだろう。
彼の姿に共感できたのは10代の頃までだ。
夏は自分にとって嫌いな季節。
人から理由を聞かれたら、暑いから……とは答える。
けれど、嫌いな理由の関連項目はきっと、1万個くらいある気がする。
海とか、水着とか、紫外線とか、花火が終わったあとの寂しさ……。
汗臭さ……、セミのうるさい鳴き声とか?
夏は全てが活気に満ち、エネルギーに満ちた季節。
そんな魅惑の季節に、人々は踊らされているのに気付かないのだろうか。
考えるに……俺は、夏の持っている強すぎる生命エネルギーが苦手なのだろう。
坊主憎けりゃ、袈裟まで憎い状態か?
たぶん……夏は自分には眩しすぎるんだ。
その中ではしゃぎ回れる人たちが羨ましい。
そして、羨ましがってる自分が寂しくて……夏のことを嫌いだという自己分析に至ってしまう。
夏になると、大空に向かって叫びたくなる。
「夏のバカヤロー」と。
30を目前に控えた俺は、もう人生にクタクタだ。
医療の行われる建物が俺の職場。
日差しを受け難いという面から考えれば、病院は良い場所なのかもしれない。
けれど、自分は医療従事者には向いていなかった。
それでは一体、自分は何に向いているのだろう。
考えれば考えるほど、意識は眠りへと向かっていく。
夏の日差しで頭の中まで溶けてしまいそうな、そんな日の昼休み。
そこそこ散らかった臨床工学室で、俺は昔のことを思い返す。
◇◇
そもそも、看護師になろうと思ったきっかけは母親だ。
母親が男でもなれるということを教えてくれた。
悪い印象なんてこれっぽちもない、素晴らしい職業だと思っていた俺。
看護師の道に進もうという流れは自分の中で自然な流れだった。
自分は看護師に向いているんじゃないかと、信じて疑わなかったあの頃。
いろいろなものに騙されやすいのは、今も昔も変わらない。
そして、大して親がお金を出してくれる訳でも、頭の出来が良いわけでもなかった。
看護大学は無理なので専門学校しかない。
卒業後の勤務先は、地元。
地元を離れるなんて愚かだと思っていた。
長く地元にいるメリットは多い。
出世に有利で変化が少ない分、めんどくさいことが少なくて……。
実家にずっと居られるから経済的。
それに伴って、炊事洗濯の全てを親がやってくれる。
箱入り息子で育った自分は家事ができない……。
ケチなので、俺自身にお金をかけてはくれなかったが大事にはされていた気がする。
そんな俺にとって実家以上の環境はない。
実家に一生いよう……そう思っていた。
俺が入職することになったその病院では、男性看護師は病棟では働けない。
男性看護師の勤務先は、透析室一択。
なぜならば、院長の考え方がそうだったからだ。
個人病院では、そんなことでも大きく影響する。
透析室で働いて、2年が経つと俺は新人だとは言われなくなった。
透析とは腎臓が働かない病気の人の血液を機械できれいにする治療だ。
現代では糖尿病患者が増えたことで現在も透析患者人口は増加中。
年に1万人ずつぐらい増えているが、実際には4万人増えて3万人くらいは亡くなっている。
治療の要はダイアライザーというペットボトル位の太さの筒。
筒に血液を通して、要らない老廃物や水分を除去して身体に戻すことで血液を浄化している。
ペットボトルくらいの太さの筒の中に入っているのは、細かい穴がたくさん空いている管。
管というか、見た目的には繊維みたいな感じだ。
管の数は4千本~1万本くらい……その管の中を血液が通っていく。
管の周りを透析液という血液の組成に似せた液で満たす。
この管を隔てて血液中の物質と透析液の物質が移動し合う。
血液と液体が管の膜を一枚隔てて行う物質の移動は3~5時間掛けなくてはならない。
週に3回、一生続ける必要がある治療。
……考えただけでも、多くの時間が奪われる。
そして、針を刺して行うのだから精神的にも、物理的にも苦痛を伴うのは想像に固くない。
ただ、唯一……恵まれていると思われることは医療費が公費で賄われることだ。
だから、医療費の心配はしなくて良いことになっている。
1人が1年間にかかる医療費は500万円前後。
総理大臣が田中角栄の時代に公費負担は決まり、それ以来ずっと続いていること。
世界で唯一の人工透析大国という名前は日本のためにあるのだと思う。
人工透析大国を支える看護師という仕事は責任重大なのかもしれない。
しかし、理解の足りないままで行う透析業務は工場での作業と変わらないと思った。
繰り返される同じような景色と業務も毎日を苦痛にさせる。
そんな時に、看護師の資格を持った自分にとって刺激的な情報を知った。
指定の学校を卒業して国家試験に受かれば1年で臨床工学士の資格を取れるらしい。
めっちゃ文系の俺だけど……一念発起。
東京に行って、苦労して資格を取得した。
そして、そのまま元の病院へとんぼ返り。
地元で一生暮らしていくのが俺の基本方針だ。
◇◇
戻った時には、看護師で俺と一緒に入職した同期は足場を固め、職場の中心的存在になっていた。
看護学校の頃から仲が良くて、一緒に食事をしていたりもしていた男性看護師。
俺は友達だと思っていた。
半年ほど働いて、俺が元の勘を取り戻した頃……。
俺はチームのリーダーになった。
チームの編成は何故か、その同期と上司が相談して決めたもの。
同期が気に入った人間は同期がリーダーのチーム。
同期が使えないと思った人間は俺のチーム……。
その他の評価の人間は別のチーム。
俺はそれでも、その人達と働けて良かったとさえ思った。
しかし、上司と同期は結託して……嫌がらせを始めた。
まず、決まった事や情報を流さないという小さな嫌がらせ。
そして、勝手に新たな決まりをつくり、その決まりを知らない俺たちのチームを違反者にした。
それは、手技の内容だったり、使用するチェック表だったり、ドクターからの指示の処理方法だったり……様々。
更には、勤務を自分の都合の良いものにし、俺のチームのスタッフに不都合になるように働きかけた。
「そこの休みは、取らせないようにしましょうよ」
たまたま通りがかった俺は、たまたま聞いてしまった。
上司は同期の言われるがままに動く仕様になっているみたいだ。
何か弱みでも握られているのだろうか。
そういえば、俺のロッカーの中のものが全部出されていることもあった。
もう……、苛めとしか言いようがない。
俺は事務長へ改善してもらえるように訴えた。
けれど……、体制は変わらない。
管理者からすれば、同期たちの方が中心的な運営者で俺らは脇役なのだ。
結果は明らかだった。
今の職場への諦め……。
上への直訴が公になった後には、働きにくさのみが残る。
俺のチームの人間は他の部署に移る者、辞める者と様々。
そして……誰もいなくなった。
俺も地元で働き続けることを諦め、他の病院へ移るしかない。
看護師で失敗した経験から、臨床工学技士で働こうと思った。
もう、看護師なんて懲り懲りだ。
新しいことを……。
新しい人生を始めよう。
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