第1章 3 魔裏のプランと契約する
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悲しい不幸体質人生を語って聞かせると、さすがの黒意さんも驚いたのか、目をきょとんとさせた。
「不幸体質……ですか? しかも、夫婦二人揃って……ていうか、結婚されてたんですね、意外です……」
「ま、まあな。結婚は手違いみたいなもんだ……って、そっちかよ、気になったのは!」
「いやー、てっきりそういう雰囲気がありませんでしたので……」
タハハと、ほっぺたをかく黒意さんだった。
「ともかく! そういう事だから、俺らは美味しい話に飛びついたらダメなんだ。悪いんだけど他を当たってくれな?」
「いえ! 諦めません! 今の話を聞いてむしろ逆に、お二人をハッピーにしてあげたい気持ちが湧いてきました! 小さな幸せを集めるだなんて、とっても素敵でと思います! 是非とも、そのお手伝いをさせて下さい!」
どうやら、敢えて秘密を打ち明けるという俺の作戦は逆効果だったらしい……。引くどころか、黒意さんの情熱に油を注ぐ形になってしまうとは。むしろ、俺が結婚している事の方に驚いてるし。これもきっと、不幸体質のせいに違いない……。
「おそらく、お二人の不幸体質は、かなり上位の負のスキルなのだと思います!」
嘆く間もなく、黒意さんは突然意味不明な事を口走った。
「す、スキル? なにそれ?」
「スキルというのはその力を保有している人に、特殊な影響を及ぼす隠れた能力の事です。
ちなみにスキルには、正と負の二つがありまして、保有者にとってプラスに働く物が、正。逆にマイナスに作用するものが、負、と分けられています。
話を聞いた限り、お二人は典型的な負の上位スキルの所有者であると考えられます」
「へ、へえ……そう、なんだ……?」
「スキルの有無、自分がどういうスキルを持っているのは基本的に知る事ができないので、その存在は認知されていないのですが、スキルは人の人生を左右する重大なものなんです」
「えっと……? つまり俺とカナンが、不幸な目にあうのは、そいつのせいだと?」
「その通りです!
……いやー、それにしても驚きました!
何という偶然なんでしょう! 実はおすすめさせて貰っているこのプランなんですが、なんと世界中のパワースポットを巡りながら、最終的にスキルを司る女神『アルマ』様を奉っていると言われるオメガ塔をお参りし、背負ってしまった呪いや負のスキル、はたまたカルマまでをも落としてしまおうという、大変凄いご利益のある巡礼の旅なんですよ!」
「え? なに、そのとってつけた感満載のご利益……まさか、たった今、思いついたからって、プランと結びつけたわけじゃないよね?」
「……い、いえいえ! まったくもってそんなことはございません! しっかり最初から組み込んでました!」
何故か、視線を逸らして言う黒意さんだった。
「そ、それなら良いんだけど……。
でも、さっきは行き先不明がウリみたいなこと言ってなかったっけ? それなのに何で急に話してくれたの?」
「え? えーっと……! そ、そこまでなら、打ち明けさせていただいた方が、お客様のためになるかと思った次第でございまして……。ですので、実際に塔のある場所は伏せさせていただきます。ふぅ……」
「なるほどそういうことね。
ところで、アルマって神様、どこで信じられてるやつなの? 初めて聞いたけど?」
「それはそうですよ。こちらの世界の神様ではないので」
「こ、こちらのじゃない? そ、それじゃ一体、どちらの神様?」
聞き返すと、黒意さんは何故か一瞬、はっと口に手を当てて、自分の頭をポカっと叩いた。
「え、えーっと! それはですね……! 日本では、まだ認知されるに至っていないという意味ですかね……? あはは……。そのあたりは、塔のある場所は、それこそ秘密ということで……」
うーん……、はっきりしないところが多過ぎて全然理解できないんですけど。
きっと、こういう自分のアイディアをきっちり説明できないあたりが、彼女の成績がダメダメな理由なんだろうな。
「要は、このマイナーな神様をお参りする旅に出れば、俺ら夫婦の抱えている問題は解決するから、契約しませんかってんだろ?」
助け舟を出してやるつもりで、話をまとめてやった。
「そ、そうです! まったくもって、そのとおり! いやぁ~、理解が早くて助かります!」
黒意さんは、胸に手を当てて、ホッとため息をこぼした。
「取敢えず、えらく曖昧だけどイメージはできたよ。
その上で答えさせて貰うけど、やっぱり遠慮させて欲しいかな。
何だかんだで、そういう迷信じみた治療法はもう一通りやってるんだよ。どれも効果はなかったし。今更、『不幸体質が治る!』なんて言われても、魅力には感じないっていうかさ」
「ちょ、ちょっと待ってください!
この巡礼をそんじょそこらの、単なる言い伝えと一緒にしてはいけません!
どうぞ、こちらをご覧になられてください!」
引き下がってくれるつもりはないらしく、黒意さんはクリアファイルの中から一冊のパンフレットを取り出し、差し出してきた。
しぶしぶ受け取り目を通してみると――。
『生まれて以来、ニート一筋の人生を歩むだけの僕でしたが、この巡礼の旅を終えるや、さっそく仮想通貨で大儲け大穴狙いの馬券が当たったのをきっかけに金回りが良くなり、しかもネットゲームのパーティー仲間だったこんなカワイイ彼女までできちゃいました。
今、本当に幸せです!
アルマ様を巡礼する旅に出て本当に良かったです! アルマ様ありがとう! アルマ様に栄光あれ! (42歳・男)』
といったコメントが、両手に札束を掴んだ腕で金髪美女の肩を抱いた、小太りでメガネをかけた見るからに冴えない感じの男の写真と一緒に掲載されていた。
正直、どこからどう見ても、雑誌の裏表紙なんかで良く見るような、詐欺まがいのインチキ広告にしか見えない……のだが。
何故だろう……。
不思議とこの男の浮かべる笑顔からは、『いかにも』な演技っぽさを感じない。むしろ清々しさを覚えるほど澄みきっているように見えた……。
「作り話にお思いになられていらっしゃるかと思います。しかし、ここに載っている体験談は、正真正銘本当なんです。
ほら良く見てください。この写真の男性、とても喜びに満ち溢れた素敵な顔をされていっらしゃいますでしょ? これこそ、長年抱えていた苦悩から開放された時に人間が見せる真の笑顔なのです!」
「な、なるほど……! だから、こんなに晴れやかに見えるのか!」
……こいつは本物かも知れない。
もし、カナンがこの巡礼を遂げて不幸体質を治す事ができたら――。
心が激しく揺れ動き始めた。
「どうでしょう? 行くだけの価値は大いにあるかと思われますが?」
黒意さんは微笑み、そう言葉を続けた。
「そうかも知れないな。だけど……」
「確かに、このプランと契約し旅行に出てしまったら、夢が叶った分、ばちに当たられるかもしれません。
……しかし、よく考えてみて下さい。
良いことがあれば悪い目にあう。というのなら、その逆も然りではないでしょうか。
……晴れていれば雨が降ります。雨が降れば晴れます。
それが自然の摂理。即ち、運命なのです。
即ち、苦しいことや不幸な事があれば、またそれが反転し、必ず素敵なハッピーが訪れるのです!
不幸まみれの人生は、光に照らされたスペシャルハッピーなものに変わるんです!
この巡礼の旅を経ることで!」
そう両腕を大きく広げて力説する黒意さんだった。
「その話が本当なら、それは凄いことだけど……」
「……不安になる気持ちは判ります。
ですが、秘密を打ち明けていただいた際、羽田さまは、こうおっしゃられました。
『カナンには幸せになって欲しい』と。
何かを成し遂げようとするなら、自ずと困難が立ちはだかるのは必然! それらと対峙する事をいつまでも怖がっていては望みをかなえる事なんてできません。勇気をもって選んだ道の運命に立向かった者にのみ、新たな道が開かれるのです!
……小さな幸せを集めると言えば、確かに聞こえは良いでしょう。しかし、本当は臆病さを誤魔化すための、体の良い言い訳にはなってませんでしょうか?
そう恐れているうちは、奥様を幸福にする事なんてできないのではないでしょうか?」
「なっ!」
殴られたような気分だった。
……もしかしたら、俺は本気でカナンの幸福を考えてなかったのかも知れない。
不幸体質の事も、諦めていたつもりはなかったが、やはり心のどこかでは、運命だからしょうがないと悪い意味で受け入れていた気がする――黒意さんの言うとおりバチが当たるのを怖がって、大胆に行動するのを避けていた……。誕生日プレゼントだって、怯えつつ選んだものだった。
情けない。何て臆病者なんだ。
そんなんでカナンをハッピーにしてやれるわけがないじゃないか……。
「……今こそ自分の人生を、運命を、変える時ではないでしょうか?
この巡礼の旅をそのきっかけにして!」
そう言うと黒意さんは握っていた手を開き、俺の前に差し伸べてきた。
その姿には、さっきまでのか弱い姿は欠片もなく、まるで真の戦いに身を投じる戦士を鼓舞する天使のように雄々しかった。
俺の胸に勇気の炎が灯った。
「黒意さん。あなたの言う事はもっともだ。運命を本気で変えたいと思うなら、思い切った勇気のある行動が必要なんだ!
不幸がなんだ! どうせ今までだって不幸だったんだ! 今更、その威力が増したところでヘタれるような俺らじゃない!
ありがとう、黒意さん。おかげで目が覚めたよ。……この旅行、契約しよう!」
俺は黒意さんの手を強く握り返し、その勢いに乗ったまま、パンフレットの最後のページに自分の名前を書きなぐった。
「ありがとうございます! 本当に嬉しいです! 絶対に素晴らしい旅行にしますので、楽しみにしてくださいね! うわーい!」
よっぽど嬉しかったらしい。黒意さんは契約書を宙にかざして、ピョーンと飛び跳ねた。
まあ、彼女の置かれている状況を考えれば無理もない。
そして俺はと言えば、溢れてくる未来への希望に胸を躍らせ、ムフッと一人笑みをこぼしていた。
――ん? あれ?
ふと。ジャンプを繰り返す黒意さんの姿に、ちょっとした違和感を覚えた。
彼女の頭の左右には、二つの花柄の髪飾りが付いていたのだが、それが跳ねた際にポロっと床に落っこち、代わってその部分には小さな突起物が――まるで、昔話に登場する鬼の角のような尖りが、くっついていた。
……なんだろ、あれ? 髪飾りの土台とかか? そのわりには作り物っぽさがない。まるで、最初から頭にあったような、そんな自然な感じがする……。
取敢えず、彼女の足元に落っこちている二つの髪飾りを拾いあげた。
「あのー、黒意さん? これ落としたよ」
「あ、すみません。それはどうもありがと――って、ああああああああああああああああああああああああ!」
突然叫び声をあげるや、俺の手から髪飾りをひったくると、慌てて角っぽい部分にくっつけ直し
「み、見ましたか!?」
ワナワナと震えながら聞いてきた……。
そ、そんなに見られたくない物だったのかな? えらく動揺してるみたいだけど……。ていうか、何? その鬼みたいな形相は?
「み、見たって、何を?」
おそるおそる聞いてみた。
「わたしの、頭にあった……つの――じゃなくて! えーっとえーっと……、と、とにかく尖った物です!」
「つの?」
「『つの』は関係ありません! そんなことわたし、一言も言ってません! とにかく見たかどうかって聞いてるんです?」
そう強引に俺の質問をねじ伏ると、黒意さんは、俺の肩を掴んで揺さぶってきた!
「どうなんです? どうなんです?」
「み、見たけど……?」
「な、なんですって!?」
「痛っ!」
昂った彼女の気持ちのままに、その指が俺の肩に深く指が食い込み、思わず悲鳴を上げてしまった。
華奢なくせになんてパワーしてるんだ……。
「よろしいですか! わたしの頭にあった物は、決して『角』なんかじゃありません! それでは何かと言うと……、えーっと、あ、そうだ! この花柄の髪飾りの一部の…… 土台! そう、土台なんです! 極めて角に似た土台なんです! 判りましたか!」
「判った判った! だから、この手を離してくれ。本当にイタイから!」
「はっ! す、すみません! わたしとしたことが、つい……」
素早く手を離し、頭を下げる黒意さん。
「い、いや。だ、大丈夫。そんなに気にしてないから。誰にでも触れられたくない事はあるだろうし」
「本当に、申し訳ございません」
そう言って、ペコペコ謝る黒意さん。
何だか良くわからないけど、取敢えず黒意さんは落ち着いてくれたようだ。
まったく、どうやったら角なんかと勘違いしなきゃならないんだ。常識で考えてそんなのありえないだろうに。言われて見れば、そう見えなくもないけど、俺は最初から土台かなって思ってたっつーの。何にせよ、あまり触れられたくなさそうだから、この件については見なかった事にしておこう……。
「そ、それでは話を旅行の件に戻しましょう!」
パシッと一つ手を叩き、黒意さんは話題を仕切り直した。
「と言っても、今の段階で話しておきたい事は終わっちゃっるし……具体的な話は、おいおい電話やメール等を通して決めて行くとして……。
あ、そうだ。えーっと、もう一枚、さっきのチラシと同じものと、私宛の封筒をお渡ししておきますね。こちらの方に、奥様のサインを頂いて、投函して下さい」
そういや、さっきの契約書は俺の名前しか書いてなかったっけか。
「あれだけでは、翔介さんしか旅行に行けませんので、しっかりと奥様を説得してサインを貰ってくださいね」
「りょ、了解……結構、難しいミッションだけど、何とかするよ」
「よろしくお願いします。
えー、それとなんですが。こちらのプラン、格安という事もあってですね……。その……、前払いという形なっておりまして……」
「ああ、判った。いくら俺でもそれくらいは持ってるから」
財布の中から千円札を取り出し、申し訳なさそうな笑みを見せる黒意さんに差し出すと、彼女は何かを表彰された時みたいに、恭しく頭を下げながら受け取った。
「ありがとうございます! ああ! このお札のサラサラした感触! 本当に久しぶり過ぎて、涙が出ちゃいそう! 羽田様、本当にありがとうございます! あなたはわたしの恩人です!」
そう言いながら目元を拭う仕草をとる黒意さん。
「いやいや。普通に行くしかないって思ったから契約しただけだよ。でもまあ、黒意さんのためにもなって良かったよ」
ちょっと良い事をした時の晴れやかな気分になりながら、俺は笑みを返した。
「それでは誠に勝手ながら、わたし、これから会社の方に手続きを取らないとならないので、これで失礼させて頂きます! 今日はどうもありがとうございました!」
そう言うと、黒意さんはペコペコとせわしなくお辞儀をすると、何故か小走りで仕切りの奥の方に姿を消していった。
気のせいか、強引に話をまとめられたような……。いや、まあ、別に良いんですけど。
時間を確認すると既に二時半を過ぎていた。
そろそろ仕事に戻らないと、午後の業務日誌に嘘を書かなければならなくなってしまう。
黒意さんじゃないけど、俺も決して良い立場にいるわけじゃないからな。せっかく久々に、一件契約を取り付けたのに、結局最後は怒られるなんて馬鹿らしいったらない。
もうちょい頑張らないとな。もう一件、契約にこぎつけられるかもしれないしな。
彼女の消えていった先を一瞥し、お手製旅行代理店を後にした。
駅ビルを出ると、空はまだ灰色の雲に覆われていた。
それでも、雨はだいぶ前にあがっていたようで、アスファルトの路面はところどころ乾き出していた。
担当エリアに向かう途中、雑貨屋に立ち寄り、念の為に300円のビニール傘を買い、それから午後の戦いへと向かった。
それにしても、まさかこんな形で旅行の契約をしてしまうなんて思いもしなかった……。多少黒意さんへの同情もあったとはいえ、驚きだ。
どうやって、カナンを説得したもんかな。
こんな大事を勝手に決めちゃったから、怒られるかもな。
旅行なんて、カナンの求める小さな幸せからは、かなり逸脱してるし……。
反動も覚悟しなければならない。言ってしまえば、カナンを不幸にさせるような行為でもあるわけだから。
だけど黒意さんの言ったとおり、不幸があったら、その分幸せになれなきゃおかしい。
俺は、それを信じたい。
何だかんだでカナンはオッケーしてくれると思う。そもそも旅行はあいつの夢だし……。
きっと、いつもみたいに不機嫌そうにしながらも喜んでくれるんじゃないかな。