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第1章 1  俺とカナンの日常



 六畳一間のボロアパートに帰宅するなり、カナンは予め下準備をしてある夕飯の支度を、俺は風呂の準備を始めた。

 それが、一緒に帰った時の流れだ。

 仕事上がりなのにてきぱき動くカナンに改めて感心しながらジャージに着替え、それからバスルームへ赴き、溜まっていくお湯をかき回す。

 家事を分担していると言えば聞こえは良いが、どう考えても俺の方が楽だよな。

 たまには、やる事を逆にしないとならないとは思うんだが、いかんせん俺は料理がど下手くそだからな。

 ……って、こんなふうに考えちまうのは、結局カナンに甘えてる証拠だろう。

 カナンはとても器量が良い。

 性格も明るくてさっぱりしてるし、おまけに、けっこう美人な方だと思う。

 まあ、ちょっと頑固なうえに粗野で、何を考えてるのか良く判らなかったりするけど。

 こんなに褒めてしまう(?)と、多分に俺の主観に歪められていると思われるかも知れないが、実際カナンは巷じゃちょっとした人気者だ。

 対して俺はというと、月とスッポンとまではいかないにしても、たいした人間じゃない。

 仕事ができるわけでもないし、空気を読んで場を盛り上げたりする事もできない。

 言ってしまえば、釣り合いが取れてないわけだ。

 にも関わらず一緒になったのは、不幸体質という同じ悩みを抱えた者同士、一緒にいた方が何かと好都合だと踏んだからだ。

 俺らは夫婦というよりも生活協力者とでも言った方が、しっくりとくる。

 実際、俺とカナンは男女の関係になった事が無い。

 その代わりと言っちゃなんだが、『一緒に、小さな幸せをたくさん集める』という協約を結んでいる。


 カナン曰く、小さな幸せってのは、不幸体質の反動を受けない、もしくは耐えられる範囲の中での幸福って意味らしい。

 つまりこの協約は、可能な限りもっとも幸福な人生となるよう、協力しましょうね、って話なわけだ。

 で、苦悩を共有し理解できる俺は、そういう関係を結ぶにはうってつけの存在だっただ。


 多分、お互いに不幸体質じゃなかったら、結婚はおろか知り合いにすらなってなかっただろうな。

 今でも時々、本当は住む世界が違っていると感じる時がある。

 カナンはもっと良い人と一緒になって、普通に幸せな人生を送れていただろうし、俺は…………?

 俺は、どうなってたんだろうな? 想像つかないけど、多分テキトーに生きてたとは思う……。


 ぼんやり、そんなことを考えながら張り終ったお湯をぐるぐる回していると、夕飯の支度を終えたらしいカナンが、その事を告げに来た。



 ごはん、味噌汁、唐揚げと千切りキャベツ、里芋の煮っ転がし。

 食卓に並んでいたのは、祝い事のある日に並ぶ料理としては、えらい地味。

 一応、里芋の煮っ転がしは新顔だけど。

 でも、やっぱりちょっと寂しい気がしないでもない。

 普通は、もうちょっと豪勢だったり、どこかそれなりのレストランなんかに出かけたりするところなんだろうが、カナンは『普段通り』を望んだ。

 もうちょい贅沢しても――例えばケーキを並べるとかくらいは、バチの当たる範疇には入らなかったと思うんだけど……。

 まあ、この辺の境界線は非常にデリケートだからな。ただ、俺からしてみれば、安全策を取りすぎてるように感じる。

 昔はもっと、不幸が起こるかどうかのギリギリを攻めてたと思ったんだけどな。いつの頃からか、リスクの少ない方法ばかり選ぶようになった。

 里芋を口に含むと、カナンは満足そうに頷き、「チャンネル貰うね」と言って、リモコンを手に取った。お気に入りの旅番組を見るためにテレビをつけた。

 生まれて以来、この街の周辺から出た事がない事もあってか、カナンは旅行に憧れている。特に世界一周への関心は強いらしく、

 だけど、それも不幸体質を理由に諦めてしまっていて、はなっから自分は行けない運命にあるのだと決めつけている。

『イメージしてるのが楽しいんだってば!』

 そうカナンは言うけど、実際に行ってみたほうが絶対楽しいはずだ。

 だからってのもなんだけど、密かに連れていってやれたらって考えてはいる。

 まあ、現実的にはかなり厳しいんだけど。

 誕生日プレゼントだって、そんなにたいした物じゃなかったのに、あんな事になったんだから、長年の夢を叶えたつきには、どんな反動に襲われるか判ったもんじゃない……。

 割れた皿の欠片を手にして苦笑いを浮かべたカナンの姿は心苦しい物があった。

 以前、カナンが新婚旅行から帰ってきたというバイト先の同僚から三千円相当のお土産を貰ってきた事があったのだが、その時は何ともなかったから、てっきり同じくらいの物ならいけるかと期待したんだが……そう甘くはなかったか……。

「ねえ、さっきの気にしてるの?」

 不意に声をかけられ、慌てて顔を上げると、箸を唇に添えたカナンがちょっと寂しそうに俺を見つめていた。

「いや、そんなことないけど?」

 笑みを作って答える。

「でも、ご飯ばっかり減ってる。それ、翔介が考え事してる時の癖じゃん」

 言われて茶碗を見てみると、確かに白米以外は、ほとんど手つかずのままだった。

 ちなみに、この癖。カナンに初めて指摘されるまで、一切気づいていなかった。

「たまたまだって」

 そうとぼけてみせると、カナンはムッと眉をひそめ、素早く里芋をつまむと――。

「むぐっ!」

 俺の口にねじ込んできた……!

「ほら、わたしのやつ、一つあげたんだから、元気だしなよ」

「げほげほ! だからって、いきなり口に突っ込むなっつーの」

「ははは、ごめん! ちなみに、自分で言うのもなんだけど、結構良くできたと思うんだよね」

 フフンと胸を張るカナン。

 ったく。気遣ってくれてるのはありがたいけど、やり方ってのがあるだろっての……。

 まあ、こういうところも、カナンらしいけどさ。

 ……それに、このぶちこまれた里芋。確かに自信作だというだけはある。表面の食感が舌で転がすだけで溶けるように柔らかいうえに、しょっぱさの中に潜んだ甘さが、口の中で溢れてくる。

「うん、美味いじゃん」

「でしょー。京香さんにも、褒めてもらったからね。さっすがわたし!」

 得意げに澄ましてツーンと首を傾げて見せるカナン。。

「気にする必要なんてないよ。元からこういう運命だったってだけだし。わたしが誕生日プレゼントを貰えないのはさ。その気持ちだけでも凄く嬉しいよ」

「運命ね……」

 納得がいかない俺は首を傾げる。

「そんなに難しく考えないで。

 わたしは、こうやって翔介と一緒にご飯を食べたり他愛のない話をしていられるだけで十分だからさ。

 それ以上の贅沢を望んだらバチが当たちゃうよ」

 返す言葉に困り、見つめ返すだけでいると、カナンはフッと目を細めた。

「ねえ、何で、こっそり誕生日プレゼントなんか用意してたの?」

「そ、それは…………その…………」

 ――喜んで欲しかったから。

 とは言えず、

「……なんとなく」

 声を小さくしてしまう俺。

 カナンはぷっと吹き出し、パシンと手を叩いた。

「はい! この話はおしまいね! 早く食べちゃおうよ。今日さ、買い出しに行った帰りに、近くの旅行代理店に寄って、チラシを貰ってきたんだ。後で、一緒に見ようよ」

 もう一つ里芋を口に入れて、カナンはエヘっと笑った。

 ポジティブなのか、ネガティブなのか判らない微妙な言い回しに、どこかはぐらかされたような気持ちになりながら、取敢えずこの場は納得したふうを装って頷いて見せた。



 夕食の後。

 食器を洗いながら、肩ごしに振り返ると、開けた襖の向こうで、カナンは、ふんふん♪ と、鼻歌を歌いながら洗濯物を畳んでいた。

 確かに、そんないつものカナンの姿を眺めていられるだけでも十分ではある。

 だけど……。

『これも運命なんだって』

 そう言って何もかもを笑い流そうとするカナンを見ているのは、やっぱりもどかしい。

 こういう星の下に生まれた以上、常に不幸に苛まれるのは逃れられない事だし、しっかり受け入れないといけないというのも判らないでもない。

 だけどカナンみたいな奴が、人並みの幸せすら手に入れられないだなんて、随分釣り合いが取れてないと思う。

 誕生日くらいは、もっと祝われてしかるべきだし。世界を一周する夢だって、叶えたって良い。

 絶対無理って夢ってわけでもないんだから。

 俺みたいなアホはともかく、カナンには十分その資格があるはずだ。

 運命を変えられたら――。

 洗剤の容器からこぼれたシャボン玉をつっつきながら、そんな事を思ってしまう俺なのだった。

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