第一章 9 異世界一日目 礼拝室のアイネル像を見に行ってみた。
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夕飯が出来るまでくつろいでいるよう言われた俺とカナンは、塔の主柱に巻き付くように取り付けられている螺旋階段を上り、ベッドルームになっているという二階へと向かった。
ただ待っているのも悪い気がして夕飯づくりを手伝おうかと申し出たが、『それではお礼にならないから』と、丁重にお断りされたため、その言葉に甘えさせてもらう事にしたのだった。
魔裏さんの話によると、基本的に大都市や名のある神殿以外の塔は、この塔のように三階建てで構成されているらしく、一階が炊事場と応接間、二階が寝室、三階が礼拝室になっているとのこと。
ちなみに、現存する塔のほとんどはアルマを祀っているのだが、ここアルファ塔を含む幾つかの塔は例外で、アルマと共そのに友人であったアイネルの二人を主神としてるらしく、礼拝室にはアイネルを模した像が納められているらしい。
「ホント。カナンさんにそっくりですから!」
当然、それを聞いたカナンは興味津々といった感じで俺を誘った。
踏む込むたびにギシギシと鳴る木製の階段を昇りつつ、何となく下の階を見下ろしてみると、制服の袖を捲った魔裏さんがバシャバシャと大きく水を飛ばしながら野菜を洗う姿が見えて、思わずプッと笑ってしまった。
まことに勝手ながら、魔裏さんは家事とかそういう生活に必要に必要な作業が苦手そうな気がしていたが、やっぱりそうだったようだ。
だけど、一生懸命に頑張ろうとする姿は微笑ましい。
「あ、見て翔介! 凄いよ! 包丁が勝手に野菜の皮を剥いてる!」
「なっ!」
マジだった……。
どうでも良いけど、こっちの世界では魔法で作った料理って手料理に入んのかな?
個人的には、ちょっとずるっこい感じがするから別にして欲しいけど。
そんな感じで半分呆れつつ、まず辿り着いた二階を見渡してみると、いかにも簡易宿泊施設らしく質素で、古めかしいベッドが五つ、塔の形に沿って円状に並べられているだけだった。
「へえ。何人か泊まれるようになってるんだね。ベッドはしっかりセッティングされてるし……シーツもきれい。くんくん……かび臭くもないね。ちゃんと干してるみたい。
あ、これ昔の家についてる窓じゃない? 凄く降るそうだけど開くのかなぁ?」
ベッド傍の壁の突き上げ窓に気がついたカナンは、靴を脱ぎ捨ててベッドに上がり、壁の突き上げ窓を開いて身を乗り出した。
「おい、危ないって」
「うーん。風が気持ち良い! ほらほら、翔介も突っ立ってないでこっち来なよ!」
「あーはいはい」
ちょっぴり呆れつつ、カナンに倣って窓の外に顔を出してみると、大きな山の向こうに沈む太陽によって、茜色一色に照らされた草原が目に飛び込んできた。
思いのほか時間が
しかし、それ以上に、壮大と言っても過言ではない景色に俺は圧倒されてしまった。
塔の周辺が焼け野原でなけりゃ、言う事はなかったんだけど……。
「本当に来ちゃったんだね」
「ああ……」
「この風って、峰守まで届かないんだよね? 何か実感わかないなぁ。ここが異世界だなんてさ。帰ってからお土産話をしても多分誰も信じてくれないんだろうなぁ」
ちょっぴり寂しそうに言った。
「それは、本当すまん……。俺が変に乗せられちまったばっかりに」
「ううん。それはこの間も言った通りだよ。わたしはもう行くって決めた時点で、後悔はしないって覚悟を決めたんだから。まあ、びっくりはしてるけど」
笑顔を振り向かせてカナンが言った。
「まあ、わたし的にはこの後、まだまだオチがあると思ってるんだけどね。最近、良い事続きなのに、不幸にさらされてないなんてありえないもん。きっと凄いバチに当たられるよ」
「ヤなこと言うなぁ」
「そういう運命なんだからしょうがないでしょ」
何故か得意げにふふんと笑うカナン。
運命だなんて……。
思わずそう言いいかけてしまったが、すんでのところで飲み込んだ。
「そういえば、上の階は礼拝室になってるって魔裏さん言ってたよね? ちょっと見てみようよ。わたしたちでいうところの、神棚とか仏壇とかそういうやつでしょ? 興味あるなー」
手招きをしながら階段を駆け上がるカナンを追って、三階へ向かう。
「おー。これが礼拝室かあ……って、意外にシンプルなんだね」
「みたいだな」
ほとんど屋根裏部屋と言っても差し支えないような狭いスペースの一画に、祭壇っぽい棚があり、小さな逗子っぽい箱と二つの燭台があるだけだった。
結婚式で使われるチャペルみたいな厳かな物をイメージしていた俺は、逆の意味で目を奪われてしまった。
それでも、何らかの意味に基づいて作られているようで、祭壇を頂点にして十字になるように窓が作られていた。
「女神様にお祈りするところだから、もう少し派手なもんだと思った」
ちょっぴり拍子抜けした感じで、箱を眺めたカナンが言った。
「でも、俺らの世界の神社とかお寺も、小さいやつはこんな感じじゃない?」
「あー、そっか。それじゃ、この塔も、近所の小さい神社みたいなもんってことね。……で、一応、この中に、そのアイネルって神様がいるのかな」
頷きながら、箱の取っ手に手をかけるカナン。
不意に、何となく嫌な胸騒ぎがして、
「勝手に開けて良いのか? なんかこういうのって、バチとか呪いとかあるんじゃない? 一応神様を祀ってるし」
「別に大丈夫でしょ。魔裏さん、何も言ってなかったし。危なかったら先に注意してるでしょ? それに、わたしに似てるってんなら、なおさら確かめておきたいもの」
「うーん……まあ、それはそうだけど……」
「それじゃあ、御開帳!」
意気揚々と厨子を開くカナン。
「あ……」
息を飲んで固まった。
「そんなに似てたのか?」
脇から覗いてみると。
「なっ……」
……魔裏さんの言っていたとおり、確かにとても良く似ていた。
実物のカナンをモデルにして作られなければここまで精密に作れないだろうと思わずにはいられないほどの出来栄えで、思わず感心すらしてしまった。
だけど――。
何故、水着姿なんだ!?
アイネル像自体は目を伏せて祈るという、こういった物にありがちなポーズをとっているのだが、水着とのギャップがありすぎて違和感が半端ない。
ていうか、これ木でできてる事を抜かせば、どう見ても地球界で言うところの5分の一スケールのフィギュアじゃんか!? いや、意味が判らない……! こんなものをこの世界の人はありがたがって拝んでるというのか!?
「へ、へえ。良くできてるじゃん……」
とりあえず、ショックを受けているであろうカナンの心中を慮った俺は、慎重に言葉を選び、当たり障りのない事を口にした。
「ん? おい、カナン? もしもーし」
どうしたんだろう?
まるで俺の声が聞こえてないかのように、アルマ像を凝視したまま反応のひとつすら返してくれない。
肩をポンと叩いてみる――と、その瞬間。
「うわっ!」
突如、光だしたアイネル像の手からレーザービームのような閃光が放たれ、固まったままのカナンの額を直撃した!
「カナン!?」
撃たれた衝撃で後方へと崩れる身を抱えると、カナンは面喰った顔で俺を見上げた。
と、その額を目の当たりにして、俺は息をのんでしまった。
カナンの額には、翼を羽ばたかせる鳥のような紋様が浮かび上がっていたのだった。
「どうしたの?」
目を眇めて訊ねてくるカナン。
「お、お前の額が光ってるんだって……」
「光ってる?」
自分の身に起こっている事に気づいていないらしく、カナンは半信半疑といった感じで額をなでた。
すると、まるでそれが合図でもあったかのように光はあっさりと消えてしまった。
「いや、今、消えた……」
「ふーん……」
額を摩りながら小首をかしげるカナン。
「だ、大丈夫か? 何ともない?」
「うん……ちょっとびっくりしただけ」
「立てる?」
「ありがと」
差し伸べた俺の手をギュッと握り締めると、カナンは少し足元をふらつかせながらようやく立ち上がった。
「それにしても、びっくりしたなぁ」
「何だったんだ? あれ?」
「さあ。びっくり箱みたいなもんだったんじゃないの?」
能天気過ぎる見解に俺は力が抜けてしまった。
「そういうんなら良いけど……。でも、ここって魔法とかある世界だから、もしかしたら呪いとかかも知れないだろ……」
「えー! それはやばいね! ……って、言いたいところだけど、別にどこも痛いとかないし、変な感じもしないよ」
そう言って体を見回し、苦笑いを浮かべるカナン。
「そ、そう? なら良いんだけど……でも、後から症状が出てくる場合だってあるだろうし。 そもそも病院とかあるのか? 一応、魔裏さんに確認しておくか。今は何ともなくても後から変な症状とか出てくるかも知れないしさ」
「大げさだなぁ。何ともないってば。
……それよりもさ。さっきから美味しそうな匂いがしない? これはカレーかなぁ? あれ? こっちの世界にもカレーってあるのかな?」
お腹をさすりながら、カナンは下の階から漂ってくる湯気をくんくんと嗅いで見せた。
「……お前なぁ。人が心配してんのに」
「えへへ……。だって、おなかペコペコなんだもん」
ふにゃっとした力のない笑みに、俺は思いっきりガクッときた。
「翔介さーん! カナンさーん! 夕飯の支度ができましたよー。下に降りてきてくださーい!」
「やった! ほら行くよ」
絶好のタイミングで俺らを呼ぶ魔裏さんの声に、頬の辺りで手を合わせて喜んだカナンは俺の背中を叩き、跳ねるように階段を降りていった。
ちょっと軽く考え過ぎるな気がしないでもないヨメの言動に首を傾げつつ、もう一度アイネル像を確認してみる。
が、何事もなかったかのようにポツンとあるだけだった。
「本当に何だったんだ……? カナンは何ともないって言ってたけど……」
傍で見ていた俺には、全然ただ事には見えなかったんだが……。
取敢えず、厨子の扉が開きっぱなしのままは、何となく良くない気がして、何事もなく無事に楽しい旅を送れますように。と、祈りながら厨子を閉じた。