心の疲れたクズ人間のノンフィクション
※私の主観的な考えしか述べられていません。気分を害される恐れがあるので、その場合はバックグラウンド推奨です。
「嫌われた人」と聞いたら、普通はどのように考えるか。別に私自体、今この言葉に深い意味を抱いてるわけではない。集団的か。個人的か。これを見てくれているあなた、あなたはどう考えるか。たとえばそう、あなたにとっては小さいことかもしれないが、約束を守らない人。自己中心的な人。嫌なことをする人とか。勿論正解も不正解もない。では、私にとっての「嫌われた人」とはなになのか。ここに何を書いたって私の自由だ。自分語りになってしまうが、綴らせてもらおうと思う。
小学生時代の私は、可愛いわけでもなく特別ブスなわけでもなく、頭が良くも悪くもなく、本当に普通の人間だった。無個性に等しい。村人B的なアレだ。私は小学生ながら「もっと目立ちたい!主役になりたい!」と思っている日の方が圧倒的に多かったが、結果的に別に何かを成し遂げた訳でもなくて、ただそこにいたな、クラスメイトだったな程度の結果。でも当時の私はその結果に怒ったり悲しかったり、そんなことは全く無かった。結果はこうでも、元はと言えばこれを目標にしてたわけではない。深入りせずに純粋に今を楽しみ、純粋にできる課題をこなしていたのだ。
なりたい!と思っても自分が自分に無理な負荷をかけることは無意識に避け、負担を自分自身に無理にかけない、ということを無意識に行っていた。
だから人間関係には深く悩まなかった。良く言うとある意味鈍い、悪く言うと周りのことを考えない自己中。
どちらにせよ、それは、本当の自分だった証拠だ。考えに偽りのない、周りを多少考慮しながらも、自分でやりたいと思ったことはやり、やりたくないと思ったことはやらない。言うことは言う、言わないことは言わない。自分にはいつも正直だった。
中学生にあがり、環境、先生、他人、勉強。まるっきり変わってしまった。これはどこでもなんでも共通だ。ただ当時の私は現実を飲み込めなかった。小学校がどれだけ甘かったか、心身ともに実感させられた。
小学生の当時、私の友達は人望があつい人が多く、いつも周りに誰かがいる、そんな人ばかりだった。当時から私には比較癖があった。自分もあの人たちのようになりたい。そう思うだけで大した努力はせず、そもそも突然人気になるなんてとても難しいことであって。だから私の小学校生活は平凡に終わったのであったのだ。私は、新しい環境で彼女たちのような存在になろうと思ってしまった。必死に本来の自分を隠し、彼女たちのいいところを真似をしたのだ。
1年、バレることなく平穏に終わった。彼女たちのようになれたか、正直自分にはわかるはずがない。でも誰かに嫌われてる、ということを自分が感じることはなかったので、悪くはなかったはずだ。
自分的に1年までは良かった。1年までは
«続きは後日執筆、目を通していただきありがとうございました。»
長文を一気に書くのは苦手で、いくつかにわけて投稿させていただきたいです。
今回は 1 という形で。笑