30.語るために(2)-トーマside-
『え、えらい目に遭った……』
ウルスラの扉から王宮に戻ると、芝生が広がっている中庭らしきところに父さんと暁くんともう一人、かなりの美少年がいた。多分……俺と同じぐらいの年齢だろうか。
父さんは肩で息をしていて……随分疲れている。この世界の言葉――パラリュス語だったから、何て言ったのかは分からないけど。
『ソータさんが早く戻りたいって言うから急いだんだけど……』
その美少年がくすくす笑いながら言う。
『お前、絶対、楽しんでるよな。俺の反応を見て、楽しんでるよな!』
『そういう訳ではないけど』
「――何があったの? それで……この人は誰?」
シャロットが不思議そうに暁くんに聞いた。
「丸1日経ってもウルスラに着かないから、ソータさんが遠いなって言って。だからユウが、サンに一番速いスピードで飛んでみろーって。……あ、ユウは、オレの父親」
ち……父親!? どう見ても、俺と同じぐらいにしか見えないんだが……。
まぁ、でも父さんも異常に若いし……そう言えば、俺の母親も時を止めたままって話だったっけ。
フェルティガの影響でそういうこともある……ってことなのかな。
「ところで、何で日本語?」
「トーマ兄ちゃんは日本語しか分からないから」
「あ……そうか」
暁くんは頷くと
「トーマさんがいるから、日本語でしゃべってよ」
と何やら言い合いをしている父さんとユウさんに向かって言った。
「あ、そうか……そうだよな」
父さんは俺を見ると、頭をポリポリ掻いた。
「お帰り、父さん」
「は……ははー……。た、ただいま……」
「……?」
何でそんなに真っ赤になるのか分からない。……照れ屋なのかな?
首を傾げていると、ユズが
「とりあえず二人で話をしたら?」
と言うので、俺はユズたちと別れ、俺とユズの部屋に父さんを連れて行った。
部屋に入ると、父さんはベッドにドサッと腰掛け、「ふう……」と深い溜息をついた。
「あ、そうだ……これ」
俺は机の引き出しに入れてあった箱を取り出すと、父さんに渡した。
父さんは何気なく開けて……ハッとしたような顔になった。
「じいちゃんが朝日さんに預けたらしい。父さんに渡してくれって。……何?」
「……」
父さんは黙ってそれを取り出した。……鎖に繋がれた、ダイヤの指輪。
「これは、俺の母親……つまり、お前のばあちゃんの形見だ。旅の間失くすと困るから、親父に預けて……そうか、そのままになってたんだな」
そう言うと、父さんは嬉しそうに鎖を首にかけ、指輪を服の中にしまった。
どこに座るか一瞬迷ったが、隣に座るのも変だよなと思い、中央のテーブルセットの椅子をベッドの近くまで持ってきた。
そうして俺が父さんの目の前に置いた椅子に座ると、父さんはちょっとギョッとしたあと、両手を組んで何だかモジモジし始めた。
「えっと……うーん……どう言えばいいか……」
俺の「父さんの話を待ち構えている感じ」が気になったんだろうか。
そう思い、
「ユズがじいちゃんから聞いた話っていうのを一通り聞いた。だから……俺がじいちゃんに育てられることになった経緯はわかった」
と、とりあえずある程度は知ってるよ、ということを伝えてみた。
すると、父さんはガバッと顔を上げ、驚いたように目を見開いた。
「お前……それ聞いて、どう思ったんだ?」
「大変だったんだな……って」
「それだけ!?」
「それだけって何だよ」
ちょっとムッとして言うと、父さんは視線をそらし、深い溜息をついた。
「つまり……結局水那も俺も、お前を捨てたみたいな形になってしまったから……何て言うか……」
「そんなことは思ってない」
俺が言うと、父さんはまじまじと俺の方を見た。
「じいちゃんも、どうしても離れなければならなかったからって言ってた。ユズの話を聞いて、そういうことだったのか……と……」
「……親父、元気か?」
「うん。でも、もう75歳だから……すごく元気とは言えないけど。……正月に会ったときは、ちょっと痩せてたかな」
「お前……剣道やってるんだよな?」
「そう。じいちゃんにしごかれた」
「やっぱり……」
父さんはそう言うと、ちょっと笑った。妙に嬉しそうだ。
「俺が頼んだんだ。お前を預けるとき、ビシバシしごいてくれって」
「何で?」
「俺は……本当はそうやってお前を育てたかったから」
「……そうなんだ」
――颯太がわたしに十馬を預けたとき……もう半分泣いていた。これが二人の使命とはいえ、手放すのが辛かったんだと……思う。
じいちゃんはユズにそう言っていたらしい。その話を聞いて……俺は父さんや母さんを恨む気には到底なれなかった。
だって、その当時――それは、どう考えても二人にしかできないことだったんだから。
父さんが急に黙り込んだので、顔を覗き込むと――ちょっと涙ぐんでいた。
「……泣くなよ」
「……泣いてねぇ」
父さんは袖で目元を擦ると――やっぱり泣いてるじゃないかとは思ったけど、俺は言わなかった――俺の方を見てちょっと笑った。
「いろいろ聞きたいことはあったはずだけど……やっぱり、いざ目の前にすると出てこないな。お前はあるか? 俺に聞きたいこと」
「俺とじいちゃんを帰した後、どうしてたのかなって……。あと、母さんはどうしてる?」
「あ……そうだな」
父さんは腕組みをすると少し考え込んだ。
「どこまで聞いてる?」
「ジャスラの闇を浄化するために、自分の意識を奪い、時を止めて――ヤハトラの神殿で浄化し続けている。ジャスラの闇が消えない限り、そこから抜けられない……って」
「そうだな。そのジャスラの闇を消す……つまり浄化を進めるために、俺はジャスラで旅を続けていた。これ……」
父さんは懐から袋を出すと、中から小さい透明な粒を取り出した。
「ジャスラの涙の雫っていうんだが……これを集める旅だ。集めて珠にすることで、浄化を進めることができる」
「こんなちっちゃいのをか!?」
「そう。一個一個、拾い集めるんだよ。……ジャスラ全土を回るのに、十八年かかった。まぁ、その間に浄化者を見つけたけど……」
父さんは淡々とそう言ったけど……俺は驚きを隠せなかった。
シャロットに案内してもらったウルスラは……ウルスラの扉を使わなければ簡単には移動できないぐらい、広かった。
ジャスラの広さがどれぐらいかはわからない。でも、四つの領土に分かれて……戦もあったぐらいだから、ウルスラと同じぐらいはあるんだろう。
その広さを、徒歩で……しかも、ただ移動するだけじゃない。端から端まで、雫を拾うために丹念に見回しながら……旅をしていたということか?
「……途方もない……旅だな」
「んー……そうだな。最初の7年ぐらいは……水那が本当にそこに居るのかどうかもわからなかったからな。姿も見れなかったし……当然、声も聞けなかったし」
「7年……」
「でもそのとき、レジェルっていう浄化者が見つかって、闇を祓ってくれて。そしたら水那が祈っている姿が見えて……」
「……」
「俺も頑張ろうと思って……そこからまた旅を続けて……1年ぐらい前かな。ジャスラの旅が終わったのは」
「それでも……やっぱり、母さんを解放することはできなかったんだ」
「そうだな。それに……どうやらジャスラだけの問題じゃないことがわかって……。ほら、1年前にウルスラで起こった事件があっただろ」
「ああ。……えっと……ユズに聞いた」
すんなり頷いたあと――記憶が戻っていないことになっていることを思い出して、俺は慌てて付け加えた。
父さんは特に気づかなかったらしく、話を続けた。
「……で、剣の存在と……浄化者がウルスラにいることがわかって――1年近くかけて廻龍を探して、どうにかここに来た……って訳だ」
「廻龍?」
「パラリュスの海を廻る……神獣だ。飛龍はさっき見たよな? どっちも女神がヒコヤに与えたもので……どこにあるかも分からないウルスラに来るには神獣を手に入れるしかなかったんだよ」
父さんは深い溜息をついた。
ヒコヤの神獣……ということは、それもきっと、父さん以外の誰にもできないことだったんだろうな。
母さんのため――パラリュスのために。
「それで……母さんは? まだずっと祈り続けてるのか?」
「水那は……まだ闇の中だけど、去年、意識だけ目覚めた」
「えっ……」
「……とは言っても、大半は眠ったままだけど……」
そうは言いつつも、父さんは何だか嬉しそうだった。
「去年……お前はウルスラに来て剣を使ったけど、ピンチになって……それで目覚めたんだ。三種の神器はつながってる。お前と神剣と勾玉、そして俺を繋げてくれた」
「そうなんだ……!」
嬉しくなって、俺は思わず笑った。
「やっぱり、あの呪文……父さんだったんだ。俺じゃどうしても剣を支えきれなくて、苦しくて……そのとき、呪文が聞こえてさ。……本当に、遠くで見ててくれたんだな」
感謝の気持ちが一気に込み上げてきてそう言うと、父さんはまた顔を少し赤くして「まあな」と言った。
そして、ふと「ん?」と呟いて首を傾げる。
「……マリカが言っていた。お前、記憶がないんじゃなかったっけ?」
「あ……」
しまった。思わず自分の口を手で覆い、目を逸らす。
「――やっぱり、フェルティガが発現した影響で記憶が戻ったのか。……何で隠す?」
「それは……その……」
「マリカの話だと……お前、シルヴァーナ女王といい感じだったはずだよな。……何で隠す必要があるんだ?」
「……シィナが……不安定になるから」
「……ん?」
父さんが訳が分からん、という顔をしたので、俺はシィナと初めて顔を合わせたときの話をした。
父さんは最初はふんふんと黙って聞いていたけど、だんだん困ったような、呆れたような、何とも言えない表情になっていった。
「何で、また、記憶のないフリなんか……」
「シィナがウルスラで女王としてちゃんとやっていくためには……俺に甘えずに済むように、その方がいいと……思ってさ」
「お前は女王の保護者かよ」
父さんはそうツッコむと――急にプッと吹き出した。
「な……何だよ」
「いや……こっちの話。俺も、旅していたとき……セッカによくそう言われたな、と思って。ソータは水那の保護者みたいだって……」
父さんはそう言うと、ゲラゲラ笑い出した。
「お前……水那に似たのかな、と思ったけど……やっぱり俺の息子なんだな」
「何がそんなに可笑しいんだよ……」
「いや……ははは……」
父さんはしばらく笑ったあと、ふと真顔に戻った。
「でもな……俺はそれで、二十年近くも遠回りする羽目になった」
「……え……」
「水那を失った二十年は……長かった。水那だけではなく、お前も手放すことになった。結果として、二人の浄化者がその間に生まれた訳で……無駄ではなかったのかもしれないけど……」
「……」
「お前……ミュービュリに戻るんだろう? 本当にそのままでいいのか、もう一度よく考えろよ。とりあえず……俺は黙っておいてやるけど」
父さんはそう言うと、少し淋しそうに微笑んだ。
シャロットの言葉、父さんの言葉がぐるぐる頭を駆け巡る。
――会いたいときに、いつでも会える訳じゃ……ない。
何かの拍子に、永遠に会えなくなるかも知れない。
でも、俺自体もまだそんなに大人ではなくて……どうしても決められない。
その後――1週間ほどウルスラに滞在したあと――シィナが開いたゲートで、俺とユズはミュービュリに帰った。
俺とユズはフェルティガエなのでゲートを越えられるらしい。……それでも、あと1、2回ぐらいらしいけど。
俺は結局……シィナには本当のことは言わなかった。俺がどうしたいのか――それをもっとはっきりさせないと、迂闊なことは言えないと思ったからだ。
ゲートを越えられなくなり、俺が力を失えば……二度と会えなくなる。
――それまでに、決めなければならない。
「シィナが苦しいときは……いつでも、来るから」
別れ際、そう伝えるのが精一杯だった。
シィナは
「……はい!」
と言って、とても嬉しそうに微笑んだ。




