29.語るために(1)-トーマside-
「ユズ。……トーマに、去年のこと……説明してあげてほしいの。私には……」
シィナはそう言うと、ちょっと淋しそうに微笑んだ。
ユズがギョッとしたように俺の顔を見たのがわかったけど、俺は気づかない振りをして
「あの人が父親だとか、お前……俺が知らないこといろいろ知ってるだろ?」
と聞いた。
「まぁ……」
ユズは返事をしながら、俺とシィナの顔を見比べて「どういうこと?」という顔をしている。
……まあ、言いたいことの予想はつくけど。
「それじゃ……マリカ、部屋に案内してもらえる?」
「はい」
「それでは……」
「……シルヴァーナ女王」
俺が声をかけると、シィナはちょっと間をおいてから俺の方に振り返った。
「……はい?」
「いろいろ……ありがとう」
「……」
シィナは少し笑うと、会釈をして去っていった。
マリカに案内してもらった部屋に入って扉を閉めた途端、
「ねぇ、何で、記憶が戻っていないふりをしたの?」
と、ユズがちょっと怒ったように言った。
「おい、マリカに聞こえる……」
「もう行ったから大丈夫。それより……」
「――やっぱり、ユズにはわかるか」
「わかるよ!」
ユズがめずらしく感情的になっている。
こんなことは――去年以来かもしれない。
異世界の人間との恋は不幸を呼ぶだけだから、と強く否定したとき……。
「――泣いたから」
「え?」
「シィナが……俺を見るなり、泣いたから」
ユズが訳が分からないという顔をする。
俺は
「とりあえず座ろう」
と声をかけ、先にベッドに腰掛けた。
ユズは黙ったまま、部屋の中央にあったテーブルセットの片方の椅子に腰かけた。
「この一年……どういう風に過ごしてきたのかは知らない。でも、あのバリアを張っていた姿を見て――女王として、この国に絶対必要な存在なんだろうな、とは思った」
「……」
「入って来た瞬間は女王の顔だったけど……すぐに、元の――俺が知ってる、不安定なシィナに戻ってしまった。だから……これじゃいけないんだな、って。だからそのとき……咄嗟に」
「……でも……」
「俺が憶えてるって言ったら、あのときのことを思い出して甘えてしまうかなって。それは……その場はいいけど、女王としてはきっと駄目なんだろうな、と……」
実際、俺が憶えていないふりをすると……シィナはすぐに立て直して、ウルスラの女王として、俺と接した。
そして普通に話してくれと言って、少し涙ぐみながらもにっこりと微笑んだ。
あのときは一瞬グラリときて、やっぱり憶えているって言おうかと思ったけど――どうにか踏みとどまった。
シィナはすべてを呑み込んで、一生懸命女王になろうとしている。それを邪魔したくはない。
「……じゃあこのまま、ミュービュリに戻るつもりなの? ……何も言わずに」
「ああ。……だって、会おうと思えば会えるってわかったから」
「え?」
ユズから目を逸らすと、俺は自分の右手の拳を見た。グッと力を込めて握りしめる。
次元の穴……無理矢理こじあけて異世界に渡る、俺の力。
「……ああ、なるほど……」
俺の心を読んだのか、ユズは独り言のように呟いた。
「とにかく……しばらく時間はあるし、ゆっくり考える。そういうことだから、ユズも合わせてくれよな」
「……わかった」
そう言って頷いたものの、ユズはあんまり納得していないようだった。
「それより、父親って話は何だ? 俺が急にこんなことができるようになったことと、関係あるんだろう?」
「……うん、多分」
「正月にじいちゃんと話してたのって、それか?」
俺がそう言うと、ユズがビクッとして俺を見た。
「だって……人見知りのユズがあんなに熱心に人と会話するの、珍しいだろ」
「まあ、ね……」
ユズは溜息をつくと、テーブルの上においてあったポットを手に取り、二つのカップにお茶を淹れ始めた。
俺はベッドから立ち上がると、ユズのところまで歩いた。お茶の入ったカップをテーブルの片側に置いてくれたので、「ありがと」と言い、そのまま目の前の椅子に腰掛ける。
「かなり長くなるから……よく聞いてね」
そう言うと、ユズはゆっくりと語り始めた。
19年前……じいちゃんと父さん――ソータという名前らしいが――の二人が、ジャスラという国に行ったこと。
そこで、一人の女性に会ったこと。そしてその女性は……父さんにとって大事な人で、じいちゃんにとっても心に残っていた、特別な人だったということ。
そのジャスラの旅の中で、俺が生まれたこと。
ジャスラでの使命は終わったけど――母さんは自分にしかジャスラを救えないと考えて、時を止め浄化する道を選んだこと。
「言葉がね、同じだったから。ウルスラ語と、おじいさんが覚えていたパラリュス語。だから、同じ世界にあるんだなと思って……」
「ふうん……」
話を聞きながら、俺はじいちゃんとの記憶を思い返していた。
そう言えば……じいちゃんは、両親が死んだとは一言も言わなかった。
大事な用事のために遠くへ旅立ってしまったから、会えないけど……ずっと見てるはずだからって。
そっか……だから父さんは……剣のことも知っていたのか。
ヨロヨロになりながら唱えていた呪文のようなもの……あれは、一年前に剣の中から聞こえたものと、同じだった気がする。
あのとき、俺を見ていて――助けてくれたのかな。
「なるほど……ね……。見た目は随分若かったけど……あれが、父さんか……」
「――トーマって……本当に動じないよね」
話し終わったユズが驚いたように俺を見た。
「何か、疑問とか、受け入れ難いとか……ない?」
「んー……ウルスラのことを思い出す前ならそうかもしれないが……今は納得」
「どうして?」
「ユズがいるから」
「え?」
俺はユズを見てちょっと笑った。
「スミレさんがユズと一緒に町に現れてさ。俺達は出会って……それで、色々繋がっていったんだろうなって思うんだよ。その一つ一つは俺にとって大事なことだったし……」
もし父さんがずっと俺を見ていたのなら、ユズの存在にだって気づいたに違いない。
ジャスラで旅をしていた父さんがウルスラに来たのも……そのおかげかもしれない。
だからここで会えたんだ、きっと。
「それに……実は親が生きてた、って、単純にいいことだよな?」
「……そうだね。でも……トーマって本当にタフだよね」
ユズはそう言うと、何だか楽しそうに笑っていた。
父さんと朝日さんと暁くんが慌ただしく出て行ってから……三日が経った。
俺達がウルスラに来た翌日、三人はすぐに行ってしまったから……結局父さんからの話は聞けずじまいだった。
どうやら朝日さん達の国――テスラで、ウルスラと同じようなことが起こったらしい。
ただ、必ず戻ってくるから待ってろとは言われたが……。
そして一昨日の昼、朝日さんが突然現れた。
テスラの騒ぎは無事収まって……置きっぱなしになっていた鞄を取りに来たらしい。
「せっかくソータさんと話をするところだったのに……ごめんなさい」
朝日さんはそう言うと、俺に頭を下げた。
「いえ、それは……一大事だったみたいですし。……で、父さんは?」
「飛龍で丸一日か二日かかるって言ってたから……明後日には着くんじゃないかな」
飛龍って何だろう……とは思ったが、何だか急いでいるようだったので聞くのはやめておいた。
すると、朝日さんはハッとして
「あ、そうだ、トーマくん! これ、ソータさんに渡しておいて!」
と言って、鞄から小さな箱を取り出した。
「中平さんから預かった物で……このドタバタで、忘れてたの」
「じいちゃんから?」
「そう。じゃあ、ごめんなさい、時間がないから……よろしく!」
朝日さんが手を翳すと、空間に切れ目ができた。前に何回か見た……ゲートだ。
そしてあっという間に飛び込み、消えてしまった。
シャロットが、「研究で忙しくてすぐに帰ったんだ」と教えてくれた。
暁くんっていう朝日さんの息子さんがシャロットと同じ10歳で、意気投合したらしい。
ミュービュリのことやフェルティガエの修業を教えてもらったと、嬉しそうに話してくれた。
今日は、シャロットが俺とユズを南東のリユーヌに案内してくれていた。
元の格好だと目立つということで、俺達はウルスラの神官の服に着替えさせられていた。深いフードをかぶっているので、誰だか分からないし大丈夫、と言われた。
俺達はそのうちミュービュリに帰るし、ユズの立場がちょっと微妙なので、しばらくは俺達の存在は公表しないことにしたらしい。
ここには、『ウルスラの扉』と呼ばれる赤い宝石がついた不思議な岩穴を通ってやって来た。
これはフェルティガエしか通れないもので、王宮と各領土を瞬間移動する装置らしい。
赤い宝石は『ウルスラの血』と呼ばれる女神ウルスラの力が込められたもので、その力を使っているんだそうだ。
朝日さんたちがテスラに行くために使われ、機能は失われた……はずだったが、シィナの力と朝日さんの力、それに暁くんの力が思ったより大きかったらしく、ちゃんと使用できるらしい。
そのこと自体も驚異的だと、シャロットは妙に感心していた。
「あのねぇ、あの人たち、凄かったよ。本当に」
「凄いって……どんな風に?」
俺が聞くと、シャロットが民家の一つを指差した。巨大な獣の解体作業を行っている。
あまり見慣れないので、ちょっとグロテスクで気持ち悪い。
「オレが見たとき、あの獣が闇の影響で暴れててね。アサヒさんが蹴り飛ばして、すっごく高く宙に浮いたの」
「は……」
「それであの大木に叩きつけて、押さえつけて……最後はソータさんが矢を何本も急所に放って、仕留めてくれたんだ」
次にシャロットが指差した大木はすでに倒されていて、ひどい有様だった。辺りには折れた枝がそこかしこに落ちていて、戦いの凄まじさが窺える。
「それで、アキラはねぇ、模倣っていって……見た技を真似できるんだって。だから、コレットの瞬間移動を真似して移動したらしいんだ」
「へえ……」
「トーマ兄ちゃんのフェルティガもかなり珍しいけど……でも、そんなに頻繁には使えないから注意してね」
「え?」
俺は少しドキリとしてシャロットを見た。
この力があれば、会いたいときにいつでもシィナに会えると思っていた。
そうじゃ、ないのか……?
「んっと……多分、3か月ぐらいは使えないと思う。身体に負担がかかるからね」
「ふうん……」
3か月ぐらいならまあいいかと思っていると、シャロットは
「それに、いつか――消えちゃうと思う」
と言って俺を見上げた。
「えっ!」
思わず声を上げる。シャロットはじっと俺を見上げると
「だからシルヴァーナ様とは……いつか、会えなくなるよ」
とポツリと言った。
俺は内心ギョッとしたけど――記憶が戻っていることを悟られないために
「そうか。つまり、シャロットにも会えなくなるのか」
と言ってちょっと笑った。
「じゃあ……無駄遣いしないようにしないとな」
「……ふうん」
シャロットはつまらなそうに相槌を打つと、ユズの方に振り返った。
「ユズ兄ちゃんは……どうするつもりなの?」
「僕? とりあえず、今はミュービュリに戻って医者になるけど……」
ユズは少し考え込んだあと、白い空を見上げた。
「……どうだろ――えっ!」
急にギョッとしたような顔になる。
俺とシャロットも、慌ててユズが見ている方角を見上げた。
何かがこちらに向かって飛んできている。物凄い速さだ。
……よく見ると、翼の生えた青い恐竜みたいなヤツだ。
「あ……」
青い恐竜はリユーヌの森の上を猛スピードで通過すると……王宮の方に向かって飛んで行った。その背には……三人の人影が見える。
「帰って来たんだ!」
シャロットはそう叫ぶと、元来た方へ走り出した。
俺とユズも、慌ててシャロットの背中を追いかけた。




