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【後】Body is just container for soul.

 施設の風呂場は一般のそれと比べて、浴槽も洗い場も広く作られている。手摺に滑り止めマットなど転倒防止の備えも充分になされている。

 浴槽に張られたお湯から湯気が立ち上り、浴室の温度と湿度を上げている。

 

 今この風呂場にいるのは、友蔵と早乙女。別の男性利用者と男性スタッフの金子。そしてエーテル友蔵だ。

 

 友蔵は足腰が悪く、浴槽にはつかれないためシャワーで入念に温める。

 

 「友蔵さん、頭を洗いますから目を閉じてて下さいね」

 シャンプーを手に取り、泡立て優しく洗う。少なくなった白髪を短く整えているため、洗では無くすぐ終わる。

 

 「それじゃ、流しますねー」

 早乙女は目が閉じられているのを確認し、シャワーで泡を流す。耳に水が入らないよう丁寧に。

 

 エーテル友蔵の目から見て、今のところ怪しい動きは無い。

 

 早乙女は友蔵の頭の水気を軽くタオルで拭き取り、ボディーソープを準備する。

 

 「お体洗っていきますね」

 声をかけ背中から洗い始める。

 

 「友蔵さん気持ち良いですかー?」

 「あ"いい」

 

 続いて右肩から腕にかけ洗い出す。

 その時、友蔵は怪しい動きをしだした。

 

 洗われている右腕を不自然に動かし始め、明らかに肘で早乙女の胸を触ろうとしている。

 なかなか大胆な犯行だ。

 

 「友蔵さんじっとしてて下さいね」

 あくまで冷静を装う早乙女。

 

 続いて左腕にかかっても、友蔵は同じように動き出す。

 「もう、動いちゃ駄目ですってば」

 

 友蔵の表情はいたずらっ子の様に輝いている。

 

 (なんて無様な。情けないやら、申し訳ないやらで泣けてきそうだ)

 決して泣ける事は無いのだが、辛い気持ちになるエーテル友蔵。

 

 前部、足腰、臀部を洗う際も友蔵の蛮行は続いた。

 最後にシャワーで流し充分に温めてから、バスタオルで友蔵を拭き上げる。そして手を引き、脱衣所まで案内する早乙女。

 

 「友蔵さんスッキリしましたねー」

 蛮行の被害にあった早乙女だが、その表情に一点の曇もなく、観察していたエーテル友蔵の目には天使のように映った。

 

 (くぅ、何だこの気持ちは。私(友蔵)の行動は私の神経では考えられない低俗な行為。嘆かわしく、いたたまれない。しかし、早乙女さんの素晴らしく寛容な言動)

 

 エーテル友蔵は2つの意味で泣いた。心で泣いた。

 

 幸いだったのは、流石に友蔵が勃起していなかった事だ。

 

 その後も、エーテル友蔵は友蔵の様子を観察していた。

 何事にも反応が薄く、定時のトイレ以外は動こうともせず、日長一日ぼんやりしている。

 

 その日、家族の面談があり、友蔵の家内と娘がやってきた。

 

 先程お風呂にいた男性スタッフの金子は、ここの施設長で面談に同席する。事務所応接スペースで4人がテーブル囲む。勿論、エーテル友蔵もそこにいた。

 

 数年ぶりに見る妻は、意識はしかっりしているものの、記憶の姿よりは大きくやつれ、友蔵を目の前にして終始、悲しそうな表情を浮かべていた。

 

 反面、娘は特に変わりなく、友蔵に優しく声をかけ、金子施設長との応対も堂に入ったものだった。

 エーテル友蔵は妻の姿に自責をするも、娘の姿には安心させられた。

 

 短い面談が終わり、金子施設長と友蔵の二人は玄関まで見送る。エーテル友蔵が横から見る友蔵の瞳は、寂しそうにも見えたが、知性の残滓が残っている様にも見えた。

 

 エーテル友蔵は考えた。かつての自分から大きく変貌を遂げた友蔵。早乙女をはじめとする介護施設職員の献身。大切な家族の現在。そして幽体離脱して今を観察している己の意義。

 

 正直、友蔵の状態や行う行為は、嘆かわしく、憐れで、情けないものだ。そして、その世話をしてくれるスタッフの方々には申し訳なさ、有り難さを感じる。

 

 しかしそれはかつての人格である、エーテル友蔵が評価しているに過ぎない。風呂場の友蔵の行為もその価値観からすると低俗で破廉恥だと断じる。

 だが、その時の友蔵の表情。少年がいたずらする時の様な輝き。早乙女の寛容な対応。かつての常識に囚われすぎて一つの側面だけで判断しているのではないか?

 

 もしかしたら、自分が否定的な見解をしているだけで、認知症となった今の友蔵にとっては、あるべき姿なのでは無いだろうか?完璧に頭で、思考で理解するには至らないが、何か腹落ちして赦せるような気分になる。

 

 今、エーテル友蔵と友蔵は、食堂のテーブルを挟んで、対面に座っている。

 

 友蔵の焦点は宙を彷徨っているが、エーテル友蔵は彼の目をじっと見つめる。

 

 ふと、友蔵が正面に向き直り、その視線がエーテル友蔵の視線と交差する。幽体の姿が見えたのかと少し驚くエーテル友蔵。

 

 友蔵はエーテル友蔵の目をじっと見ている。確実に見つめ合っている。交わす言葉はないが、お互いがお互いを自分自身だと、強く認識している。

 

 数瞬、数秒、数分、数時間。流れた時間は分からない。

 

 二人の気持ちの中には同じ充足感が生まれていた。

 

 エーテル友蔵は既に意識や思考、自我を放棄している。

 

 これでいいのだと至極穏やかな気持ちに包まれる。

 

 二人の境界が曖昧になる。

 

 自他の分離が消滅する。

 

 エーテル友蔵は完全に消え去った。

 

 元の場所に還った。

 

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 友蔵は薄く、優しい笑みを浮かべた。

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