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裏の裏

当面、不定期更新の予定……




裏と表……


何事においても厳然と存在する表裏一体の様相。

人間の心理や性格、社会…… どのような物にも程度の大小こそあれ、それは存在する。


そして裏と思っているものが、本質的には表であったり、裏の裏というものがひっそりと息を殺して潜んでいる場合もあるのだ。


桜田門の表が『捜査』だとすれば、一般的には『備』と呼ばれる警備職種、その中でも公安部は裏と呼んでも差し支えないだろう。



しかし、人知れず存在している公安部にも『裏の裏』が存在している事は、内部の者とごく一握りの上層部だけだった……



 新宿の裏通り、空きテナントが目立つ新大久保の奥に潜む細い路地。

活況を見せている大通りの喧騒とは、違う空気が流れているのではないかと錯覚させるほど、暗く静まり返っている。


狭い建物の間に体躯を押しこむように、その男は息を潜めていた。



男の名前は渡瀬 雄二と言う。


これでもれっきとした警察官なのだが、その風貌はおよそ一般的な警察官の爽やかなイメージとはかけ離れている。

無精髭の伸びた貌<かお>に少し濁ったような鋭い瞳。


服装に至っては野暮ったいジャンパーに作業ズボン、そして薄汚れた野球帽が乱雑に伸びた頭髪に蓋をしていた。


街路灯の照らす範囲から外れ、幾重にも重なった影の暗い闇の中。渡瀬は全く気配を感じさせることなく獲物を待ち構えていた。



「……ハンター02からハンター01。兎が巣から出た」


「……コツ・コツ」


闇と同化して気配を消している渡瀬は声を発する事なく、手首に固定したプレストークスイッチを静かに押し込んで応答を伝えた。

それと同時に獲物の姿を確認すべく、遠い路地の先へ視線を向ける。



……いた。


100メートルほど離れたウィークリーマンションの入口から、ラフな格好をした男が出てきたのが見えた。

渡瀬は出発前に頭に叩き込んだターゲットの写真を思い出し、人相と体格に相違がない事を確認しつつその動向を窺う。


男の素性は痛いほどよく判っている。

背取りによって非合法に日本国籍を取得した、某国の諜報員……

通常の法令では逮捕が叶わないこの男は、ある破壊工作を指揮したと目されている。

そのテロ計画は、渡瀬達を始めとした公安部の表に出ない対処で未然に阻止されていたが、闇に葬られた事件の首謀者だ。


その代償は、しっかりと支払ってもらわなければならない。


通常の公安部の活動であれば、確保してから情報を絞りとるか内通者に仕立てるのだが、それをするには男が企図したテロ計画は大きすぎた。

得られる情報の量と、男を野放しにした場合の将来の被害を天秤にかけ、上層部のどこかで決定が下されたのだろう。



ターゲットがマンションの入口から離れて、薄暗い路地を歩き始めた。数ヶ月の地道な行確によって行き先は判っている。

駅前の繁華街のはずれにある、男が経営する飲み屋の店舗だ。


渡瀬は小さく息を吐き出しながらゆっくりと周囲を見回し、周辺封鎖に漏れや抜けが無いかを確認した。


……周囲には人気はない。


ゆらりと闇を引き剥がすように路上に抜け出た渡瀬は、ターゲットの男から目を離さず静かにその後を追いかける。

歩きながらジャンパーの腹の部分を無造作に引き上げると、そこにはベルトに手挟んだ鈍色の凶器を引き抜く。


22LRのサプレッサーが装着されたそれは、およそ警察官がもつ銃ではない。

渡瀬はそんな得物がもつ違和感など意に介さず、慣れた手つきでスライドを軽く引き、鉛筆ほどの太さの装弾が薬室に収まっていることを確認した。



ブラブラと歩く男と、足音を忍ばせつつも早足で進む渡瀬との距離はすぐに縮まる。


皮膚感覚とでも言うのだろうか……?


それとも訓練で培った本能なのか、あと数歩と言う距離で、突然男が振り返る。

その顔は、「何故?」と訝しむような表情を浮かべていた。



しかし、そんなターゲットの表情は、ゆらりと持ち上げられた渡瀬の右手を見た瞬間、凍りついたように驚愕に染まる。



……パチン!


どこか気の抜けた感のある抑制された銃声は、ちょうど通りかかった沿線の電車の音に紛れるように、都会の喧騒へ溶け込んだ。



それだけだ。


銃声は誰にも聞き咎められる事はなかったが、発射された小さな礫は十分にその役目を果たしていた。

鼻横から飛び込んだホローポイント弾は、マッシュルーミングを引き起こしながら男の脳幹をズタズタに引き裂く。


脳からの指令が途絶えた男の体は、まるで電池が切れたようにグラリと倒れそうになるが、渡瀬がそれを抱きとめる。



渡瀬は男を抱えながら、銃を無造作に作業ズボンのポケットへ突っ込んでポケットを手さぐりする。

幸いなことに弾丸は頭蓋内でとどまっているようで、後頭部に射出口は見当たらない。


渡瀬はポケットから取り出した生理用ナプキンを射入口に押し当てて、ビニールテープでぐるりと血止めの処置を施す。

すでに事切れた男に手当を施すような矛盾は、この場に痕跡を残さないようにする為のものだった。


今のご時世は毛髪一本、血の一滴からDNAが特定されてしまうのだ。

『処理班の手間』を考えれば、現場は綺麗な方がいい。


静かに男の躯を横たえた渡瀬は、無線に向かって小さく語りかける。


「ハンター01、獲物を仕留めた……」


「了解、これより掃除に向かう」



程なくして現れた塗装会社の看板をつけたワンボックスカーが、渡瀬のそばへ静かに横付けされた。

スライドドアを開けて降りてきた4人の男達は、全員が作業服姿で不織布のつなぎにビニール手袋、ヘッドキャップをかぶりマスクを装着している。

男達は、手早くプラスチックコンテナに男の遺体を詰め込むと、道路に何かの薬品を撒きさらに水で洗い流す。


その間、定められた手順を終えた人間から、大きなポリ袋に着ていたつなぎやヘッドキャップを放り込んでゆく。

最後の一人が血液に反応するブルーのライトで現場を照らして、痕跡が消えたかどうかを確認して処理は終了となる。


恐ろしいほどの手際の良さで、おそらく3分もかかっていないだろう。


渡瀬も無線と銃を別のポリ袋へ放り込み、スライドドアからワンボックスカーに乗り込む。

偽装の一環で積み込まれたペンキや塗装用具から発せられる有機溶剤の匂いが、渡瀬の鼻を刺激する。


静かに発進した車は、すぐに大通りへと達して都会の喧騒に紛れ込んだ。


渡瀬はこれから彼らがどこへ向かうのか、自分が『処理』した男がこれからどうなるのか、知らされていない。

いや、知ろうと思えば知れるだろうが、知りたくもないというのが本音だ。


知らなければ漏らす必要もないし、抱える秘密は少ないに越したことはない。



流れてゆく風景の中で、無感動に行き交う人々を眺めていた渡瀬へ同乗の一人が合図を送る。

どうやら降車の場所が近づいてきたようだ。


大きく息を吸い込み、口元を手でこすりながら意識して表情をこしらえる。

一般人を装うのは裏に生きる渡瀬にとっては、骨の折れる作業だった。


あたかも仕事上がりを装い、ワンボックスから降りた渡瀬は、軽く手を上げて駅前の喧騒に身を委ねる。


あてもなくブラブラと駅前の喧騒をうろついた渡瀬は、目についた定食屋にふらりと入り、野菜炒めとビールを注文した。



無愛想な親父が置いていったビールをコップに注ぎ、半分ほどを一息に飲み干した渡瀬は、大きく息とともに緊張を吐き出した。

なぜ、警察官である渡瀬が都会の死角で殺人を犯したのか?


警察官を拝命してから機動隊、銃器対策部隊、そしてSATと順調に警備畑でキャリアを重ねてきた。

警部補試験にも合格し、管理職としてこれからは後進の指導に当たると思っていた矢先に呼び出しを受けた渡瀬は、ある相談を持ちかけられる。


『外』への出向。簡単に言ってしまえばそういう話だ。


隊長を飛ばして、いきなり管理官に呼び出しを受けた時点で、何か良からぬ話だとは思っていたが渡瀬は、暫しの逡巡のあとでこの話を了承する。

基本給に加えてSATの特殊部隊手当と同時に、出向に係る手当も支給される。更には出向が解除された後は、確実な昇進が約束されているという。


公安部では荒事を伴う作戦を行うときは、SATに応援を依頼する。

『察庁』警備局と密接につながっている両者は、その秘匿性から緊密な連携体制にある。


そして『捜査』に属する人質事件等とは異なり、その作戦が表に出ることは決してないのだ。

9.11以降、外事の事案が大幅に増加しているが、公安が作戦を行い捕らえられたテロリストは司法に委ねられることもなく闇へと消えてゆく。


そこで捕らえられたテロリスト達は国内の『ブラックサイト』を経て、主に米国へと輸送されるらしい。

一説にはとある離島にあるだとか、米軍基地内に存在していたなど、まことしやかな噂が公安内でも囁かれているが、それを知るのはごく一部の人間だけだろう。



流れるテレビの画面を無表情に見上げつつ、渡瀬は野菜炒めを胃に落とし込み、ビールで喉の油を洗い流す。


「あと、10日か……」


偶然目に入ったカレンダーの日付をみて、日付と曜日を思い出した渡瀬が口の中で小さな言葉を発した。

5年近く裏の裏に潜み、汚れ仕事を引き受けてきた日々も、もうすぐ終わる。


果たして自分は、陽の光の下に戻れるのだろうか?

そんな漠然とした不安を覚えつつも、ようやく重苦しい魂をすり減らす日々から開放されるのだ。



勘定を終えた渡瀬は、ねぐらに向けて動き出した。

現在のカバーストーリーに対応した現住所を目指すべく、駅の構内に滑りこむ。


最寄りの駅までは、環状線1本で行けるのだが渡瀬は尾行を警戒し、複数の路線を乗り継いでゆっくりと帰宅する。


ワンルームの簡素なマンションの鍵をポケットから引っ張りだした渡瀬は、チラリとドアの右隅に目を向けた。

瞬間接着剤で固定された糸くずが、留守の間に誰かが侵入した痕跡がない事を示している。


静かに解錠して部屋に滑りこんだ渡瀬は再び施錠すると、すぐには部屋に上がらずドアスコープ越しに、暫く廊下の様子を伺った。

招かれざる同行者がいない事を確認した渡瀬は、ようやく室内に入った。


部屋に上がってからも色々と儀式が存在し、それらをこなした渡瀬が上着を脱ぎ捨ててようやく一息つく。


室内は非常に簡素だった。ベッドと冷蔵庫があるだけで家具はなし。

ボストンバッグに入った着替えが少し、あとは最小限の食料と洗面道具があるだけだった。



ベッドに腰掛けて、冷蔵庫から取り出したビールをあけてタブを開いた渡瀬は、仕事の間オフにしていたスマートフォンを起動する。

ここ数年で諜報活動を行う人間の電子環境は、大きく進歩した。


一昔前はパソコンが必須だったが、今では現場での指示や連絡はスマートフォンやタブレットで事足りてしまう。



ブラウザを立ち上げ、複数持っているフリーのメールアカウントをチェックしていく。

本部からの指示は特段ない。明後日に都内の事務所に赴いて口頭で報告を行うだけだ。


あとは異動の日までどこかの支援班へ応援に出るか、残務処理を行うくらいだろう。


しかし、最後のアカウントをチェックしたところで、渡瀬の手がピタリと止まった。



『宋が殺された……助けてほしい 楊……』



短く書かれたその文面を見た渡瀬は、流しに飲みかけのビールを捨てて、上着を引っ掴む。



受信時刻は4時間前……

逸る気持ちを抑えながら、渡瀬は再び都会の喧騒へと歩き出した……


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